第8話 文明のアクレオ
「うーん。さっぱり分からん」
家から持って来ていた本を睨めっこして、縁側に寝そべるヨハンは、やっとそんな言葉を紡いだ。
『五百年も生きてたのに何してたのさ。場所が分からないって有り得ないんだけどー』
「多めに見ろ。二百年くらいは人外召喚に忙しかったんだからな」
ヨハンは遠い所にあるっていうのは分かってるんだけどなー、と超古代文明にちょっと詳しい者なら誰でも知ってそうな事を呟く。
『そもそも超古代文明の遺跡はその頃の首都だったからね。古代文明の首都は古代人が逃げた場所だし』
ぐぐ、とサディコは伸びる。
『要するに今の首都の近くに遺跡は無いよ。これはぼくが言ってるからマジ』
ロジェはすっかり蚊帳の外だ。魔法に関わる事なら詳しいが、古代文明は専門外である。
「退屈だわね」
『ろーじぇー。後で呼ぶからさ、ちょっと外出てたら?つまらないでしょ』
「うん」
「散策ついでに超古代文明探して来てくれ」
「はーい」
靴を履いて縁側から下りると、城の中に入る。高い場所から辺りを一望したら、何か手がかりが見つかるかも。
「迷ってますですか?」
「あー、えっと、あなたは……葉子ちゃん、よね?」
いつの間にか、ロジェの足元にぴったりと葉子がくっつく。じっ、と興味深そうな目で見られて何だか少し居心地が悪い。
「何か探しものますですか?」
「そ、そうね。このお城の中で、辺りを一望出来る場所はある?」
「こっちに来るますのです!」
「ええっ!?」
ぐん、とロジェは葉子に手を引っ張られる。石階段を駆け上がると木の門があり、そこを潜るとまた木の扉があった。これが城の入口か。
ロジェが口を挟むまでもなく葉子はずんずん進んでいく。階段を抜けると、先の広間は床が抜けている。確かに崩れているとは聞いていたが、ここまで崩壊していて姉妹は一体何処に住んでいるのだろう。
「こっちなのです!」
葉子が指さした先には
「こ、ここを歩くの……?」
こくんと葉子は自信満々に頷いて、
「床が抜けているのですから、こっちから歩くのです!」
ロジェが止める前に葉子は飛び出して行った。狼狽えている間にも上から腐った木が落ちて来ている。仕方ない、此処は覚悟を決めよう。
「よい、しょっと……!」
「もうちょっとなのですー!」
屋根に乗って辺りの風景を見つめて、ロジェが呟いた事は。
「し、下を見ない下を見ない……!」
震える手で蔦を掴む。足はじっとりと汗をかいていた。やれやれ、とんだ散歩である。
「こっちますですー!」
滑らない様に瓦の蔦に注意する。谷状になっている瓦に引っ付くようにして登った。
「はぁ……はぁ、はぁ……。
何とか木の舞台に登ると、もう葉子は走り去って行った。姉妹揃って忙しそうだ。
「ふぅー、怖かったぁ。何で床がって……うわっ!」
舞台の一部が落ちる。気をつけないとロジェも命を落としてしまう。
「何を怖がっているの」
落ちて来たのは声だった。主はふわりと浮く麗子。腰に手を当てて、不思議そうにロジェを見下ろしている。
「だ、だって、床が落ちたら危ないじゃない。死んじゃうわ」
「飛べるでしょう、あなた」
「……あ」
「そんな調子じゃ飛んだこと無いのね。教えてあげるわ」
麗子はロジェの手を引っ張って飛び上がる。宙ぶらりんの彼女を見て、麗子は眉をひそめた。
「……飛びなさいよ」
「こんな感じ?」
ふわりとロジェは初めて宙に浮かぶ。麗子は手を離して更に先を飛んだ。
「色々言いたい事はあるけど、まぁ最初はそんなんで良いわ。来なさい」
かなり高い所まで来た。風が強い。
「良いロジェ。宙を飛ぶという事は、空気に浮かぶということ。風と空気を使って飛ぶことを覚えなさい。自主的に飛ぼうとしないこと」
「……名前、言ったかしら?」
弾かれた様に麗子は離れた。明らかに驚いている。
「ご、ごめんなさい……。千里眼でつい……」
「気にしてないわ。大丈夫よ。」
「……そう。良かった」
ほんの少しだけ麗子が微笑んだ、様な気がした。
「さぁ来なさい!宙に浮かぶという事は、人間を止める第一歩よ!」
麗子は蝶のように飛んで行く。ひらりひらりと素早く、そしてしなやかに。
風に乗ること、空気があること。それを意識してロジェは高く舞い上がった。麗子はまた驚愕を顔に浮べる。
「驚いたわ。あなた筋が良いのね!」
教えた傍から飲み込むロジェを見て更に、
「良い?今居る場所を理解して飛ぶのよ。そうすれば、そうすれば、きっと!」
そうして、ぽつり。
「……あなたなら……」
「どうしたの?」
ロジェの返しにはっと顔を上げて、麗子は慌てて首を横に振った。
「何でもないわ。あなた達、超古代文明を探しているのですって?」
「えぇ。遺跡を探してるの」
麗子はまたロジェの手を掴むと、自分より少し高い場所まで誘った。
「ほら、見える?あそこ。森の木々が薄くなっている場所があるでしょう」
確かに彼女の言う通り木々が薄い場所がある。森を抜けて先には岩が幾つか見えていた。
「多分、貴方の探しているのはあれだわ。良い物が見つかると良いわね」
「あ、ありがとう。てっきり徒歩で探さないと行けないと思っていたから」
考古学の基礎はフィールドワークなのだが、如何せんロジェ達には時間がない。二年なんてあっという間だ。そんな年月に思いを寄せながら、ロジェは遥かなる地平線を見詰めた。その様子を麗子は不思議そうに聞く。
「どうしたの、ロジェ」
「いえ……。この地平線の向こう側には一体何があるのかしらと思って」
朽ち果てた城の奥には一面の緑が拡がっている。だけどその先には何も見えない。どこか諦めた眼差しをしながら、麗子は呟いた。
「……それはきっと、『ラプラスの魔物』が決める事よ。私達じゃない」
「麗子も『ラプラスの魔物』を知ってるの!?」
「仕事柄ねー」
「えーっ!良いな!どんな人だった!?」
落ち着いた雰囲気から一転、ロジェは輝かんばかりの笑顔を見せる。それに対して御神子はうんざりしながら答えた。
「あんなのに会わなくて良いわよ」
ロジェが何か言いたげなのを制して、麗子は吐き捨てる様にして続けた。
「この世界が、どうしてあまり大きな争いが起こらないのか。起こったらどうして片方の国が必ず滅亡するのか。考えた事はある?」
「それは……歴史の摂理だから……」
軽く麗子は首を横に振った。諦めの顔色を彼女は浮かべていた。
「この世界には『コード』がある。『ラプラスの魔物』の役目はこの世界の『コード』を触り、争いの無い、しかし人間らしい歴史を綴る、『普通の世界』を目指すこと」
そんな事信じられない。麗子の言うことが本当なら全ての人生が仕組まれていたってことだ。まるでロジェの気持ちを汲み取った様に麗子は続ける。
「そうよ。本来は秘密事項なの。でも」
一瞬だけ、ぎゅっと目を瞑って。
「私みたいに神に関する職業をしてる者なら誰でも知ってる。ただ、『コード』があるという事を知っているだけで、書き換えられたら認識出来ない。」
歯痒そうに麗子は己の手を見つめる。
「唯一『マクスウェルの悪魔』だけが『コード』の書き換えを認識する事が出来る。古いコードと、新しいコードの齟齬を」
麗子はロジェを見ずに微笑むと、
「都は忙しそうね。悪魔の『聖定』が始まったみたいだから」
ほんの少し表情を緩めながら、彼女はロジェを見つめる。
「そも『コード』自体も俗称だもの。この世の事が全て記された『世界記憶』とはまた別。この世界は分かんないことだらけね」
麗子はロジェに向き直ると、
「さ、行くんだったら行きなさい。この場所に長居は必要ないわ」
恐らく麗子はロジェを早くこの国から追い出そうとしている。慰めにもならないかもしれないが、ロジェは心の底から思った事を呟いた、のだが。
「天慶国は、良いところだとおも」
「ここは呪われているのよ!」
辺りが痺れる程の殺気が麗子から放たれる。あまりの剣幕にロジェは面食らってしまった。
「あ、ご、ごめんなさ、突然声を上げて……兎にも角にも、良くない場所だから。行くなら早く行った方が良いわ」
ロジェの返答を聞く前に目にも止まらぬ速さで彼女は去る。その黒い蝶を目で追うことしか出来なかった。
「……あ。行っちゃった」
一応、遺跡の場所は分かった。オサンビサマしかり何か天慶国には秘密がある様だ。
離れにロジェは降り立つと、まだヨハンは本を見詰めていた。この人は本当に探すつもりがあるのだろうか。
「飛ぶのには慣れたか?」
「麗子が教えてくれたの。どう?ちゃんと飛べてる?」
「問題無いと思うぞ」
じーっとヨハンはロジェを見詰めている。それも無表情で。
「なに、どしたの」
「いや……。感慨深いなと思って」
「あぁ。神器が使いこなせるようになったってこと?」
綺羅星の様に光る『ヴァンクール』を自慢げに見せつけると、ヨハンははにかんだ。
「それで良いよ」
「それでって何よそれでって」
どうやら違うらしい。のだが、彼はもう話を続ける事は無さそうだ。
「何か見つかったか?」
「麗子が遺跡らしきものがある場所を教えてくれたわ。多分そこでしょう」
「じゃあもう行くか。長居する必要は無いしな」
ヨハンは開いていた本を閉じると鞄に突っ込んで立ち上がった。ロジェは慌ててヨハンの前に立った。
「もう行くの!?明日の朝からでも……」
「俺は五百年待ったし、お前も時間が無い。早い方がいいんじゃないか」
スタスタと歩き出したヨハンの後ろ姿を見ながら、水に擬態して遊んでいたサディコはロジェの足元に姿を現した。
『ひえー……。ちょー自分勝手。ねぇロジェ。こんなヤツほっといて明日出ようよ』
「そうしたいのは山々なんだけど、ヨハンの言う事も一理以下くらいはあるし。それに……」
『この地は呪われている』。麗子の言葉を、ロジェは反芻していた。彼女が聞いた呼び声と何か関係があるのかもしれない。
「行きましょうサディコ。面白い物があるかもしれないわ」
意気揚々と歩き出したロジェを見詰めて、サディコはうんざりとした声を上げた。無駄に前向きで馬鹿で素直で嫌になる。
『うへぇ。分かったよぉ。行くよぉ』
鬱蒼とした森を抜けると、また無限に竹林が続く。道は緩やかな坂道だからそんなに辛くは無いが、景色が変わらないから同じ所を歩いていそうで恐ろしい。
ヨハンは全く澱みない足取りで先を進んで行く。ロジェがそれらしい場所に印をつけた地図を見てそのまま進んでいる様だ。
『これ大丈夫なの、ロジェ』
「さぁ。確かに言える事は、今ここでヨハンとはぐれると完全に遭難ってことよ」
『ていうかさぁ。どうしてロジェはヨハンに着いていくの。あんなの相手するの面倒臭いじゃん』
ロジェは振り返らずに答えた。
「ヨハンに興味があるから」
『えー……変わりモンだね』
「あの人多分、私の家の事を知ってる。あの人と、私の家に何があったのか。私はそれが知りたいの」
指輪と、レヴィ家と、そしてヴァンクール。何かとんでもない運命の渦中に放り投げられた中で、たった一つの解決方法。それこそが多分、ヨハンなのだ。
『はぁーあ。前言撤回。やっぱりロジェはヨハンに着いていくべきだよ……』
人外でも手を焼いちゃうなぁ、と呟くサディコの声は誰にも聞こえていない様だ。ロジェは立ち止まったヨハンに尋ねる。
「古代文明って発掘とか要らないの?」
「要らない。だって」
木の枝に手を突っ込んだヨハンは、それをグッと避けた。その先には、
「旧人類が作った遺物は自然分解されないからだ。」
見慣れない建物達。巻貝の様な形をした、黒く光る建物が幾つも立っている。
「終末期の建物は城塞も兼ねていた。だからそう簡単には崩れない」
森の中に佇む異質な光景にロジェは少し惚けて居たが、
「戦争の原因は何だったの?」
「さぁ。それは何かは分かっていない」
「ヨハンはどうして超古代文明を追っているの」
「手がかりがあるかもしれないからだ」
「具体的には?」
質問攻めのロジェに、ヨハンは軽く息を吐いて、そして。
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