第7話 信仰のアゴニア

『ねぇーえ、ロジェ。いい加減機嫌直してよぉ。ぼくが悪かったって』


「満場一致でサディコが悪い」


がたがたと馬車は揺れる。今二人と一匹は、今にも崩れそうなボロボロの馬車に揺られていた。ロジェは黙りだ。


『ねぇヨハン。うちの馬の名前はなんて言うの?』


馬車を引いている馬を見て、サディコは呟いた。


「ハンスだよ。計算が出来るって触れ込みで買ったんだがな」


『……普通の馬だと思うけど』


「寝転がったまま寝れるらしい」


『普通の馬じゃ無さそうだね』


「あんたは普通の犬じゃないでしょ」


『わ、喋った』


「ほんとこの犬は……!」


いきなり口を開いたロジェは、ぎゅーっとサディコの頬っぺたを摘む。


「もーちょっと声のかけ方とかあったでしょ。何であんないきなり剥き身にされなきゃいけないのよ」


『剥き身って面白いね。エビフライみたい』


「あんたをホットドッグにしても良いのよ」


「まぁまぁ。その格好、似合ってるし」


ヨハンにそう言われて、ちょっとロジェは分が悪くなった。緩んだ手からサディコは叫ぶ。


『だって絶対ロジェ怒るもん!』


「……まぁ、それは、そう、かも……。」


ロジェは今随分と可愛らしい格好をしている。黒いワイシャツにワインレッドの短い掛ズボン、白にワインレッドのリボンがあしらわれたカンカン帽を着ていた。


そしてこの格好は一度ひん剥かれてサディコに着せられた。ロジェとしてはめちゃくちゃ怖かったのである。


だって相手は自分を一度殺そうとしてる訳で、人間じゃない訳で、魔法を使い慣れてる訳で。だからめちゃくちゃ怒ったのである。めちゃくちゃ怖かったから。


「めちゃくちゃ怖かったんだから……今度からはちゃんと言ってからやってよね」


『言ったらやっても良いんだ』


「あんたは私の使い魔なんだから、私に酷いことはしないでしょ」


『まぁそれはそうだけど』


「なんだぁ。その犬っころ喋るんか」


馬を叩いていた老人が声を上げた。厳密に言うと犬では無いのだが、魔法使いが居ないこんな田舎で犬っぽい使い魔が喋ってたらそう聞くだろう。


「にしても変わってんなぁ。こんな辺境に一体何の用なんで?」


「研究だ。おっちゃん。俺は学者でな」


「はぁー。あんちゃん学者やったんか。その犬と女の子は助手?」


「そうだ」


「こんな奥まで来るって事は、てっきりオサンビサマを見に来たのかと」


ロジェにとっては聞き慣れない言葉だ。だが、どうやら一人と一匹は知っているらしい。


「俺達は遺跡を見に来たんだ。オサンビサマを見に来た訳じゃない」


老人と話し出したヨハンを横目に、ロジェはそっとサディコに耳打ちした。


「ねぇサディコ。『オサンビサマ』ってなんなの?」


『この辺の土着神だよ。白くてツヤツヤしてて、大きくて鹿みたいな形をしてる』


可愛らしくぴょこぴょこと耳を動かしてサディコは答えた。


『なんか……土着神に言うのもあれだけど、神っぽくない。異形って感じ』


「へぇ」


『あんまり名前を言ったり姿を見ない方が良いよ。何だかアブナイヤツな気がする』


人外の名前を呼んだり姿を見るのが良くない、という実例はよくある。サディコが言うんなら尚更そうなのだろう。がくん、と音を立てて突然馬車が止まった。


「わしが行けるのは此処までだ。後は御神子みかんこ様に世話になるんだな」


「有難う。助かったよ、おっちゃん」


ロジェは荷物を纏めると馬車から開けた道に下り、老人は軽く手を振って来た道を戻って行った。


「御神子様って?」


「御神子様って言うのは──」


ヨハンが口を開く前に、一行の頭上を物凄い素早さで何かが通って行った。人面鳥の様だ。


「あれ人面鳥じゃない!凄いわ、初めて見た!」


『えぇ……ぼくを見た時より反応するじゃん……』


「だ、だって!あれって妖怪でしょ!悪魔なら何回か見た事あるけど、妖怪とか精霊ってもう山奥しか居ないって聞いたから!」


「気を付けろよ。アイツら飢えてるから容赦なく襲ってくるぞ」


近くにある竹林へと駆け込んだ。人面鳥が襲ってくるにしても、音で分かるだろう。


「分かった。気を付けるわ」


でも、とうっとりしながらロジェは空を駆ける人面鳥を見上げる。竹林を抜けると、広大な高原が広がっていた。高原をずっと行ったその奥に、ボロくて小さな大社が建っているのが見える。


「あれって多分……昔あった国の城よね。一城別郭いちじょうべっかく、ってやつ」


『物知りだね』


「昔のお城の敷地は大きかったのねぇ。確か御稜威みいつ帝国、って言ったかしら」


「五代帝国時代の一角を成した帝国だ。帝国の前には高天原たかまがはらっていう高原があった。今居るのは……」


ばっ、とヨハンは地図を開いて、ロジェとサディコはその地図に見入る。


「その端の端の端の端だな」


「何処を目指してるの?」


「そこがお前の腕の見せ所だぞ。魔法で探してくれ」


「探すは探すけど、対象がなきゃ無理だと思うんだけど」


ヴァンクール、とロジェは呟いて地面に触れる。超古代っていうのはずっと昔という意味だ。ならきっと地面に埋まっているに違いない。


『見つかった?』


「ちょっと静かにしてて」


ふわり、視界が上昇する。遥か上空から見下ろしている視界はぐんぐんと高度を下げて、地面に入り込んだ。地底の世界は薄暗い。


──いで──


何か聞こえる。女の乾いた声だ。何かが呼んでいる。


──いで──おいで──


喩えそれが、死を招く結果であっても。それが与える身を焦がす様な好奇心に、ロジェは抗えずそっと手を伸ばした瞬間、


『ロジェ!向こうから人面鳥の群れが来る!』


ロジェがそれを掴む前に、サディコの声ではっと顔を上げる。五、六羽ほど、三人に向かって飛んで来ていた


「任せて。私が──!」


「私がやるです!下がってて下さい!」


いつの間にか三人の前に、黒髪のお下げをした小さな女の子が立っている。手には呪文が書かれた赤い御札があった。


「君がか?止めとけ、危ないぞ!」


「大丈夫なのです!見てて下さい!」


少女はビシッと御札を眼前に掲げて、


「ちょくれー!きゅーきゅーにょりつり」


「邪魔よ、葉子」


その子供の前に立つ……いや、浮かんでいる、ロジェと同じ歳くらいの少女。


夜を思わせる黒い髪に蝶をあしらった、金の模様が描かれている黒い髪留め。袖も裾も帯も黒い蝶をあしらっており、それ故袴の白さが目立つ。


「下がっていなさい」


それだけ言うと少女は物凄い速さで人面鳥に向かって行く。ちらりと見えた胸元は左前になっていた。


ただそんな些細な事が気にならないくらい少女はしなやかだった。自身の周囲に御札を閉じ込めた結界を作り、それを人面鳥にぶつける。


大きな音がして一行の周りに何羽か音を立てて落ちて来た。そうして最後に蝶が降りてくる。


「れ、麗子姉様!自分で出来ますです!」


「あんたは神子みこじゃないでしょ」


降りてきた神子は妹に目をくれる事無く二人と一匹を見詰めた。心の中を射抜くようにじっ、と。


「あんたが御神子様だな?」


ヨハンは無愛想に尋ねた。それに呼応して少女もつっけんどうに返す。


「そうだけど。あんた達、この辺じゃ見かけない人ね。何でこんなド田舎に?」


「探し物を。遺跡巡りをしてるの」


今にも喧嘩しそうな二人にロジェは割って入った。


「ふーん。考古学者かなんかなの?」


「そんな所だ。この辺りにはまだ出るのか?魔物みたいな、そういう……」


「『妖怪』ね。まだ出るわよ。辺境の方はまだどこでも出るんじゃないかしら」


どうやら御神子様のお眼鏡にかなったらしい。明らかな殺気をといて少女は二人を見据えた。


「あたしの名前は御手洗麗子みたらいれいこ。この辺りの神子をしてる。この子は葉子」


「御手洗ってあの御手洗か?」


「そうよ。この辺を統一してた御稜威帝国の御手洗」


ふと俯いて、麗子はぽつりと呟いた。


「五大帝国の王や貴族は皆滅んだり幸せに生きてるのに、どうして私達はこんな面倒な約束に……」


軽く息を吐いて麗子は顔を上げる。そして一行を招き入れた。


「ようこそ、御稜威帝国の後嗣こうしである天慶てんけい国へ。あたし達は貴方達を歓迎するわ」


顔を見合わせるロジェとヨハンに、麗子は淡々と告げた。


「着いてきて。旅人はあたしの城で泊めると決まっているの」


言われるがまま、彼女の後を追う。暫く高原を歩いた後に、苔むした大きな鳥居を潜ると幾つか小さな家があった。


十世帯程だろうか。その家々を抜けると、古い城があった。恐らく白磁であった城は、今はもう翡翠色に変わっている。


先程麗子は確かに『国』と言ったが、村と言っても差し支えなさそうな大きさだ。不釣り合いに城が大きい。


城の城門まで来ると、麗子はふわりと浮き上がって、城門の向こう側に行く。そして反対側から錠を外すと、扉を開けた。


「ごめんなさいね。もう開ける人が居ないから」


葉子はぽかんとしている二人と一匹をほったらかして、城の中に入る。おずおずと一行も中に入った。


「あんた達が泊まるのはあそこ。入ってすぐの離れよ」


麗子は指をさして振り返る。


「直ぐに世話の者が来るわ。基本的に城の中は動き回って構わないけれど、ボロいから怪我するかもね」


一拍置いて、


「仕掛けも多いから、あんまり奥まで行かない方がいいわよ」


それじゃあ、と一言残して彼女は竹林の方まで戻っていく。一人残された葉月は、ぺこりと頭を下げて城の中へと入って行った。


『行っちゃった……』


「間髪入れずに行っちゃったわね」


「宿の事も考えなくて良さそうだな。とにかく荷物を置くぞ」


「そうね。おいで、サディコ」


『はぁい』


飛び去った麗子は、千里眼を使って三人の様子を覗き視る。……今回なら大丈夫かもしれない。


先程倒した人面鳥の元へと降り立つ。妖怪は直ぐに腐敗が始まる。その為強烈な臭いを放っており虫がかなり集っていた。


「……」


懐から瓶を取り出し、膿が混ざった血を中に入れる。それを袂に直すと、転移する為の結界を開いて中に入った。行先は……。城の天守閣に至る柱の墓場だ。


仕掛けなんて浮いていれば問題が無い。腐った柱を抜けて最早誰も……麗子以外通ることの無い梁に降り立ち、天守閣を目指す。


腐食した手摺を抜けて、天守閣を中に入る。肉が腐った臭いがする。これはもう駄目かもしれない。


そうなれば、いつか自分が……。


「お母様。お加減はどうですか?」


いつか来たる未来を感じて、麗子はぶんぶんと首を振りながら中へと入った。


「レイコ……れい……こ……レイコレイコレイコぁぁぁぁぁぁぁぁ」


「お母様!しっかりして、大丈夫よ、ね、血があるわ、これを飲んで!」


寝台に横たわる母はもはや人の形をしていない。肌は気味が悪い程白く、鋭く尖った爪は麗子の手に持っていた瓶をぶんどった。


獣が何かを貪る音がして、目の前の母は唸る。死体を食む為にまた寝台の奥に篭っていった。


「……どうして、あたしたちばっかり、こんな……あたしは家族で、ご飯を一緒に食べたいだけなのに……。」


神に助けを求めようと願っても、『この恐ろしい所業』を行っているのは神だとまた理解して。


「……だれか、たすけて……」


神など何かと理解しなければ良かった。そうすればまだ、愚直に祈れた筈なのに。







「……コードの書き換え、上手くいったみたいだね、アミー」


声の主はオルテンシアだ。撫でられたアミーは気持ち良さそうに目を細めた。


「テュルコワーズ、調子はどう?何か変わったことはあった?」


扉が開かれる前に少女は問うた。ノックの後に浅葱色の髪をした執事が入ってくる。二十歳程だろうか。


「いえ、何も」


「そう」


「しかし、街がザワついて居ました。『マクスウェルの悪魔』が『聖定』に入ったと」


「そんな時期ねぇ」


『聖定』。『ラプラスの魔物』である朧月夜家が現人神として常に地上を見守っているのに対して、『マクスウェルの悪魔』は有事にしか出て来ない。


しかしそれでは均衡が乱れる。故に此処十年程、悪魔は自分の力を持つに相応しい者を探し続けていた。


「関係が無いのに、何処か聞き覚えのある言葉です。確か『ラプラスの魔物』を全て無効化する力を持っている神なのでしょう」


「そうだよぉ。聞き覚えはたぶん、あたしが『ラプラスの魔物』だからじゃないかな……なんてね。はぁ……」


オルテンシアらしからぬため息に、テュルコワーズは目を見開いた。


「どうされました、シアお嬢様」


「うふふ。何でもないよぉ。今から天慶国に行きたいの。馬車の準備をしてくれる?」


立ち上がってオルテンシアは微笑みながら振り返った。執事は仰せのままに、と言って部屋を出て行く。


「うーんとね、天慶国に行ったらねぇーえ、神子さんに会いたいなぁ。やっぱり視るのと見るのじゃ大違いだからさぁーあ。そして……」


執事が行った扉を睨んで。


「……『ヴァンクール』を、取り返す」

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