第6話 冒険のエティマシア

「……んあ」


お腹に重みを感じてロジェは目を開けた。そこには使い魔がいる。


『おはようロジェ。昨日はお疲れ様だったねぇ。一日寝てたよ。気持ちよかった?』


ロジェはベットの隣で眠っていたサディコを見遣ると、むっくりと起き上がる。朝に寝て朝に起きたのか。いや、寝過ぎでは……?


『もう直ぐしたらヨハンがご飯を食べるみたいだよ。一緒に食べないの?』


「へ、あ、そうなの、んじゃいく……」


『ぼくは先に待ってるねぇ。キッチンに居るから』


適当に髪を梳いてから、簡単にお団子を作る。寝巻きを脱いでベッドに投げたあと近くにある部屋着を被った。


眠い目をこすりながら扉を開けてキッチンを目指す。目指せば目指すほど、ふんわりと珈琲の良い匂いがする。


「おはよー……」


「おはようロジェ。珈琲飲むか?」


「のむー……おさとーとぎゅーにゅー沢山いれるの……」


すとん、と座ったロジェの前に珈琲と牛乳、砂糖が置かれた。じゃばじゃばと入れる。


「今日は俺が飯を作った。目玉焼きトーストだぞ」


「はぁい……」


ぱくん、とロジェはそれを口に含んだ。惚けていたロジェの顔が真っ青になる。


「んぐっ!?」


何これ苦、というかしょっぱ、いやめっちゃ酸っぱい……!


「うん。やっぱ不味いな」


「何でこんなの食べてんの……!?」


ちらりとサディコを見ると完食……仰向けになってる……し、しんでる……。


「いやほら、俺の居た世界ってご飯美味しく無いの基本だからさぁ。芋も蒸しただけなの多かったし。というか飼料みたいなの食ってたしなぁ」


「多分芋を蒸しただけの方が美味しいわよ……?」


ロジェはすくっと立ち上がると、卵を三つ取り出してフライパンにぶちまける。半熟でそれらを取り出して魔法で焼いたパンの上に乗せて、机の上に置いて。


「朝ご飯よ」


「やっぱご飯担当はお前の方が向いてる」


ヨハンの褒め言葉にロジェは一気に機嫌が良くなった。


「なんやかんや言ったけどあんたの珈琲は悪くないと思うわよ。サディコ、さぁこれ食べちゃって」


『うーん……はっ!た、食べ物だぁ……』


「あんたは今まで何喰べてたの?」


がぶ、とロジェは卵パンを頬張る。この恐ろしい食べ物は無かったことにしよう。


『んー。なんか色々。肉とか虫とか。魚とか。玉も喰べるし、死なないものは何でも喰べたよ。悪魔は何でも食べれるからね』


悪魔のいう『死なないもの』というのが人間の尺に当たるかよく分からないが、それを超えたヨハンの作った料理は一体どうなってるんだ。


そうだ、というヨハンの声にロジェは視線を彼に向けた。


「ロジェ。ソイツの本分は『自信』、『自画自賛』、『快楽』だぞ。絆されないように気をつけるんだな」


「今更言われてもねぇ」


ぱくん、と最後の一口を呑んだ。サディコも食事を終えててとてとと歩いて来る。


『今更だねぇロジェ。さ、一緒に楽になろう?』


「や、やめ、やめてぇ……そんなもふもふに接近されたら……!」


眼前に広がるのは、もふもふのお腹。机の上に乗っているのは頂けないが。


「気持ち良すぎて魔法の勉強出来なくなっちゃう〜!」


『ふふ。気持ちいいね……気持ちよくなろ……うん……もっとお腹撫でて欲しいなぁ……』


もふもふのお腹を上手く堪能している彼女を見ながら、ロジェの方が一枚上手だったか、なんて思考がヨハンの脳裏を巡る。そしてヨハンも最後の一口を頬張った。


「マルコシアスって人間の姿にもなれるのよね?」


『なれるけどならないよ。人間の姿になったら誠実に言うこと聞いちゃうから』


「契約者の言うこと聞けない感じなの?」


『ロジェがもうちょっと大きくなったらね、聞いてあげようね』


「またそんな子供扱いして」


『仕方ないよ。ロジェはこん中で一番ちっちゃいからねぇ』


サディコは目を厭らしく細めながら、ちらりとヨハンに視線を動かした。当の本人はそれを感じて更に別の方向に視線を動かす。


『ねぇロジェ。ぼくの事知りたくない?何でも答えるよ』


「誠実は誠実なのね……」


『ロジェが嘘をつかない限りぼくも嘘をつかないよ。ロジェが嘘をついたら知らないけど』


「でも私達の事騙そうとしたじゃない」


『実際に水はあったし、嘘は言ってないよ』


「コイツはそういうヤツだぞ、ロジェ。誠実ではなく、『嘘をつかない』だけ。質問をハッキリさせないと、コイツの能力は使えない」


食器を持って立ち上がったヨハンに、ロジェは不思議そうに首をきょとんと傾げた。


「サディコと面識があったの?」


「いや。悪魔神天使ら辺に一通り会っただけだ。その時に同族と会った事がある」


『ヨハンは『風変わりな死なない人間がいる』って人外の中で有名だったから』


「なるほどねぇ」


ドアノブに手をかけながら、ヨハンは深くため息をついた。


「結局、誰も俺を死なせられなかった。閻魔に頼んでも無理だなんて……」


『あはは!何それ超面白い!何て言われたの?』


「『この世界のお前は殺せないが、元の世界に戻った瞬間に死ぬことは出来る』って。だから元の世界に帰る方法を探している訳だが」


サディコは更にヨハンに食いつく。


『死神は?冥府には頼まなかったの?』


「頼んだよ。『忙しいから無理』って言われた。聞いても貰えないんだぜ」


「死後の世界も大変なのねぇ」


「そうらしいな。俺は行った事が無いから分からないが。じゃあな。部屋に戻る」


閉められた扉をロジェはぼんやりと見詰めていた。今日は何をしよう。勉強でもいいし、散歩でもいいな。何より話し相手が出来たし。


「畑に水でも撒きに行こうかな。あんたも来る?」


『この家畑なんかあったんだ』


「あるわよ」


ロジェも同じく台所を出ると広間の大階段を目指す。本当に大きな屋敷だ。自分の家よりも大きいかもしれない。


緩んで来たお団子を一旦解く。その様子を見ていたサディコが、不思議そうな目をしていた。


『ロジェは髪が長いね』


「赤は厄祓いの色だからねー。悪いものが憑かないように伸ばせって」


また適当にお団子を作って、家の裏にある畑へと向かった。


『ふぅん』


「悪魔的にどうなの、赤の髪って」


赤髪を恐れ戦く回答に期待しながら、井戸から水を汲みつつそう聞くと、


『悪くないと思うよ。綺麗だと思う』


サディコは耳の裏を掻きながら答えた。どうやら効果は無いようだ。


「……切ろうかな」


『伸ばしたら?ぼくには効かないけど、赤色が凄く嫌いな悪魔とか精霊は居るし』


ならこのままで良いかなぁ、とか何とか思いながらロジェは自分の前髪を弄った。


『何より、血ぃみたいに真っ赤な髪だからねぇ。悪魔的にとっても綺麗だよ』


ロジェは乾いた土に思いっ切り水を撒いた。水やりを任されているのだが、この畑に植わっている花やら野菜は何なのかは知らない。食べ物では無いらしい。


いつの間にかサディコは日陰で寝そべっている。狼なのに猫みたいだ。


『ロジェはいつまでこの御屋敷に居るの?』


「長くても二年、かしら」


ロジェは雑草を抜きながら答えた。宝石みたいな花が太陽に反射して眩しい。


『そっかぁ。それがいいね。成る可く早く此処を去った方が良い』


「そうなの?」


『世の中には知らなくていい事が沢山あるんだよ。禁術紛いのその神器も、君を取り巻くその運命も』


サディコには何か見えているのかもしれないがなんやかんや言っても悪魔だ。あんまり信用しない方が良い。ただの妄言かも。


『……でも多分、ロジェはどうなっても上手くやるだろうねぇ』


……この声音は、確信のある声音。続く言葉に期待しながら、ロジェは息を潜めた。


『なんてったってあの気迫!いやー!ぼくもう痺れちゃったよ!またしよう?』


「嫌よ。疲れるもの。……というか」


ロジェは太陽の光に少し疲れて、期待した回答をくれなかったサディコの傍に座った。あぁ、まだまだ雑草がある。


「ヨハンを元の世界に帰さなくちゃ私だって家に帰れないわ。超文明の事をもっと知らないと」


『超古代文明ねぇ。戦争で滅んだっていう、あの?』


「らしいわね。私は知んない」


『ロジェ。昔ね、魔法が無い世界があったんだよ』


サディコはまるで自分の娘に語りかけるように優しい声音で言う。


『『科学』っていうのが隆盛を極めていたけれど、今以上に世界は狭く、その分人は多かった。だから争いが耐えなかったんだ』


「ふぅん。何だか現実味の無い話ねぇ」


『随分昔の話だからね。ぼくもママから聞いたくらいだよ。南の森の辺境に超古代文明の遺跡があるらしいけど』


「そうなの?じゃあヨハンに伝えなきゃ」


幼いと言っても、魔獣は魔獣らしい。ヨハンの所に行く前に、ついでにこの神器『ヴァンクール』について詳しく聞いてみよう。


「サディコ。『ヴァンクール』は禁術って言っていたけれど──」


「ロジェ、ちょっと来てくれないか」


空いていた窓からヨハンは声だけを飛ばしてロジェを呼んだ。


『禁術だよ。『魔法が使えない者の為、魔法を使えるようにする為の神器』なんて、存在して言い訳がない。中央の人間達が良い顔しないもの。なのに誰もヨハンを捕まえに来ないっていうのは……ねぇ?』


つまり、サディコが言いたいのはこうだ。ロジェの持っているこの神器『ヴァンクール』には、中央の人間が絡んでいる。


サディコの返答にこくんと頷くと、表の玄関に回って屋敷の中に入った。結構待たせてしまったからヨハンは怒っているかもしれない。慌てて階段を駆け上がって書斎に入ると、意に反して笑うのを必死に耐えているヨハンが見える。


「ははっ!お前面白いやつだなぁ」


ロジェが「何が」と聞く前にヨハンは笑顔で口を開いた。


「魔法が使えるのに空を飛ばないのか?窓開けといたのに」


「……あっ」


「使わないから使い時が分からないのか。そういうものだな」


ロジェは何かしら言葉を探したが、何を言っても棘な言い方になってしまうので


「……そうよ」


とだけ答えた。


「私の魔法の事はいいのよ。サディコが言ってたわ、南の森に遺跡があるって。」


「その事について話そうと思ってたんだ。場所はどこか言ってたか?」


「遺跡があるって事だけだわ。具体的には言ってなかった」


「まぁそうだよな。そうパッと見つかるなら苦労なんかしないよな」


ヨハンがまた本の海に潜る前に、ロジェは『ヴァンクール』に触れながら尋ねる。


「……ね、ねぇヨハン。これ、どうして私に?」


「あー?依頼品だったんだよ、それは。百年くらい前に頼まれたものだ」


ロジェはまじまじと鉄の塊を見つめる。本当に何の変哲もない、うっすら魔法陣が描かれた銅板が着いた腕輪。


「だけどなぁ……依頼主がぽっくり逝っちまったから、渡す相手が分からなくて」


「依頼主の名前は?」


「極秘の依頼だったから相手は匿名だったんだ。ただ一言『力の無いものに力を与える手段を』って言い残してたからお前に渡した」


「じゃあ、本当の持ち主に返した方が良いんじゃないかしら。困ってるかもしれないわ」


やめとけ、とヨハンははっきりと言った。


「ソイツは人造だが、曲りなりにも神の意思と力を組んだ『神器』だ。相応しい持ち主じゃないと反応しない」


神器には神が宿る。しかしこの神器は人に造られた。であればこの中には一体何が居るのだろうか……。


「準備をしておくんだな。明日には家を出るから」


「随分いきなりねぇ。まぁ分かったわ」


ロジェは書斎から出ると、


「サディコ!おいで!」


『はぁい』


そんな叫ばなくて良いよ、と言いたげな声音で何処からともかく現れた水は使い魔を象った。


「この家って私と同じくらいの歳の子って居た?」


『……そうだねぇ。居たみたいだよ』


伏せていた目を開けて、サディコはロジェを見上げる。


「じゃあ今もその服は残ってる?」


『うん。防護魔法がかけられて綺麗に残ってるよ』


「案内して欲しいの」


『任せて。こっちだよ』


助かったわ、とにわかにロジェはそう思った。手持ちは大して無いし、服を買う余裕なんて無い。ちょっと大きいくらいなら裾を上げれば問題無いだろう。


「ここなの?」


サディコは言葉を返さずに部屋にすたすたと入っていく。何にも言わないなんて珍しい。……珍しいと言いきれるほど、長く一緒に居ないけど。


「わぁ……沢山の服が……へっ、えっ、ちょ何す、ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!」


ロジェらしからぬ悲鳴が響いてヨハンは書斎の扉を開けたが、まぁ大丈夫だろうと思って閉じて、本に視線を戻した。

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