第3話 執行通りのパングロス

へティの手の中には手触りの良いベルベットの小箱があった。何か高級な装飾品が入っているのだろう。


「開けても?」


「元々あんたのよ」


渡された小箱を開けると、中にはこちらを見つめる様に指輪が入っている。楕円の宝石は緑に近い青色をしていて、ロジェが填めるには少し大きいかもしれない。


「……決めた」


指輪を見つめた視線が宝石越しに帰って来る。ゆるりと彼女は顔を上げた。


「何を?」


「私、この研究所を出るわ。……まぁ元々出なきゃいけないんだけど。退学だし」


月末には荷物を纏めて出なければならないのは確実だ。理事長の行動、ロジェを取り巻く全ての状況、奇妙な指輪。


これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。ひょんなことが訪れたのかもしれない。


「へティ。ルネと一緒に探して欲しい人が居るの」


ロジェは有無を言わさないような瞳でへティを見詰めた。





「はぁ。遠」


ロジェは彼女の二倍くらいある荷物を背負い込みながら、田んぼのあぜ道を歩いていた。


寮にあった大きな家具類は部屋に置いて来た。部屋はそのままにしてくれるらしい。


ロジェは肩の痛みを和らげる為に抱え直した。日用品とちょっとばかしの汗で温くなったお金を握り締め、日陰が一切無いあぜ道を歩く。暑い。……あぁ、向こうの方に林が見える……。


何とかここまでは馬車で来れた。お陰でロジェのちょっとのお金は『ちょっとばかし』になってしまったのだが。


此処はぺスカ王国の西の外れ、フロディスタ。マグノーリエから馬車で三時間の場所だ。此処にロジェの探し人が居る……らしいのだが。


「し、死ぬ、も、もう歩けない……。」


マグノーリエから『馬車で三時間』なのであって、徒歩を含めると五時間半くらいになる。かれこれ彼女は二時間半くらい歩いている。やっと向こう側に見えた林の中に入った。


「た、多分、この林を抜けたら、きっと、そう……」


僅かな希望は実る。やっとの事で林を抜けた先には人が舗装した小道があった。間違い無い、この先だ。


「はー、やっと着いた……」


小道を抜けると茶色い馬が一頭、小さな厩舎に留められていた。人懐こそうな目でじっとロジェを見つめている。


「こんにちは。あんたのご主人は中に居るの?」


ふるる、と馬は鼻を震わせた。彼女の質問に答えたか答えていないのか全く分からない対応をされてしまった。ロジェは厩舎の馬から、目の前の雄大な洋館に視線を動かす。


白い壁には蔦が絡まり、赤の煉瓦は太陽光を輝かせる。……あの研究者、随分良い暮らしをしてるのね。収入源は何なのかしら。


ロジェは近寄って呼び鈴を一回鳴らした。しかし返答は来ない。


「留守なのかしら。すいませーん」


その声は林の中に沈む。ちょっとイラッとしたロジェは何回も呼び鈴を鳴らした。返答は来ない。ついでにドアノブに手をかけて回してみ、あ、開いた。


「嘘でしょ、信じられない。……田舎あるあるってやつかしら」


そんな事を呟きながら家に入っていくロジェも大概傍から見れば『信じられない』が、兎にも角にも彼女は家の中に入る事に成功した。


足元にひらりと落ちていた紙を拾い上げて目を通すと、何かの論文らしい。『空間転移』の論文だ。そのまま目線を上げると信じられない内装である。


青色の大理石の玄関ホールには、大きな天窓から落ちてきた緑の光で満ち溢れている。ロジェの背格好くらいに積み上げられた沢山の本と、雪原かと見まごう程の紙が無かったら、恐らくもっと綺麗だっただろう。


「何なのよこの家……すいませーん。誰かいませんか?」


こうなったら家主が帰って来るのを待つしかない。玄関に戻ろうとしたロジェは、玄関ホールの真ん中にある異様に重厚な扉に視線をやる。


そっと手を触れると、奥から強い隙間風が吹いてきた。どこか懐かしい匂いがする。


この奥にきっと、『何か』ある。


それが例えロジェを殺すものであったとしても、世界を壊すものだったとしても。この好奇心は絶対に抑えられな──


「こんなとこで何してる、小娘」


「ひ、ひぃっ!」


「……よぉ。赤髪の小娘。元気そうで何よりだ」


すっかり腰を抜かして座り込んだロジェを、橙色の髪をした若い男が薄く笑いながら見下ろす。


そう、ロジェが探していたのは彼女に腕時計らしき物を着けた研究者らしき男だ。


「んで、何の用だ。というかよく此処が分かったな。お前、名前は」


男はロジェに手を差し出した。それに誘われるまま、彼女は向き直って立ち上がる。


「ロジェ。ロジェスティラ・ヴィルトゥ……」


「ヴィルトゥ?」


此方を伺ってくる男の視線に彼女は強く自覚した。あれだけ疎ましく思っていた苗字にどれだけ頼っていたのか。そんな自分に嫌になる。


「……ロジェスティラ・ヴィルトゥ。ヴィルトゥも称号だから、今はただのロジェスティラよ。長いからロジェって呼んで」


「今まで何て名前だったんだ」


「え、エリックスドッター……っていう、苗字だったの」


ロジェが言いづらそうに視線を逸らしたした途端、周りの空気が張詰める、消える。


「……エリックスドッター?」


男は強く目を見開いて、ロジェの髪先から爪先まで見詰める。そして最後に彼女の顔をマジマジと見詰め、


「た、確かに……。に、似て……」


それだけ言うと、男は口を手で塞いで心底楽しそうに大きく笑った。


「あっはっはっ!エリックスドッター!そうか!お前が!お前が、あの!」


「な、何?」


「はーっ……こんな偶然あるんだな。いや運命か?いやぁ、長生きはするもんだな!」


「ほ、ほんとに何よ……」


先程の面倒臭さに塗れた瞳はなりを潜めて、男の顔には若干の生気が溢れていた。


「俺の名前はヨーハン=絽紗ろしゃ・バックランド。宜しくな、ロジェ」


「よ、宜しく、おねがいします。ヨーハン……先生?」


おどおどしながら見上げるロジェに、ヨハンは気さくに笑った。さっきとは別人だ。


「敬語も無くて良いしヨハンで良い。俺はそっちで呼ばれる方が気に入ってる」


「分かった。よろしくね、ヨハン」


「その腕時計の話、聞きに来たんだろ。俺は君について知りたいからな」


ヨハンはロジェの腕に巻きついているものを指さした。


「向こうに俺の書斎がある。其処で話そう。」


ヨハンの後ろについてロジェは歩き出した。本やら紙やらが至る所に置かれていて、ロジェは何回も転けそうになったが。


ただこんなに放ったらかしにしているのにホコリ一つ無いのは家主が掃除しているからだろう。彼はとてもそんなことをする人物には見えないが。


「あの……ヨハン。どうして本をこんなに出しっぱなしにしてるの?」


「片付けるのが面倒だからだよ」


「それにしても沢山あるのね」


「欲しいものがあったらやる」


振り返らずにヨハンはそう言うと、書斎の扉を開いた。ぶわっと強い風が吹いて、木漏れ日を映したカーテンがはためく。大きな窓の前には書斎机が置いてあり、両側には本棚がある。書斎っていうのは大体どこもこんな造りなのかしら。


「さ、座るといい」


ヨハンは書斎の机の前に椅子を置いた。そこにロジェを誘い彼は書斎の机に座った。何だか面接みたいだ。どこかから何かが強く擦れる音がする。


「まずはそれの事だな。次に君の話をしよう」


ヨハンはロジェの腕時計の様なものを指さした。やっとこの『腕時計の様なもの』に代名詞が付く。いい加減説明するのも嫌になってきたところだわ、とロジェは思った。


「それは神器の破片と超古代文明の遺産から作られたものだ」


神器。神が宿る、もしくは神が使っていた器のこと。武器であったり水を生み出す魔法の瓶だったりして形に定義は無い。問題はそこじゃない。後者の『超古代文明』だ。


「超、古代文明……」


「あぁ。そうだな、言うなれば……神器『ヴァンクール』。魔力を持っていて使えないものの為、代わりに牙を剥く守護の力」


要約すると、これは魔法が使えなくても、魔力さえあれば魔法が使える代物らしい。つまるところロジェの為に作られたようなものだ。


「わ、私に魔力があるなんて……」


「思いもしなかった、か?でもソイツが反応してるって事はそういう事なんだぜ。」


ふふん、と自慢げにヨハンは笑った。さっきからずっとロジェをキラキラした瞳で見ている。実験が現在進行形で成功しているのが嬉しいらしい。


「で、超古代文明の話だっけ?それもしよう」


「月影帝国のことなら私も少しは知ってるわ。それの事でしょ?」


「月影帝国?あんなんじゃない。あんなのオカルト雑誌向けのタダの伝説だろ?」


酷い言い様だわ、とロジェは思った。実際に空中都市として語り継がれている月影帝国は存在していた……のだが、あまりにも分かっている事が少なすぎてオカルト扱いなのだ。


「俺が研究しているのは超古代文明。仮に存在していたとしてだが──月影帝国よりも、もっと昔に存在していた文明」


ヨハンは立ち上がって、ちょこんと座っているロジェを見据える。


「なぁロジェ。君は信じるか。この世界は文明が一巡した世界だって」


「貴方が今いるのが書斎じゃなくて、病院だったら信じます」


ロジェは無慈悲に答えた。やっぱり頭がおかしいのかもしれない、この人。


「そんな無慈悲なこと言うなよ。本当にあったんだぜ」


「で、でも……。超古代文明なんて月影帝国なんかより眉唾でオカルトだわ」


「本当にあったんだよ」


そのヨハンの声音は確信に基いたものだった。その気迫は小娘の意志を容易く吹き飛ばした。


「い、いや。信じてない訳じゃないわよ。実際にあったって言うのは知ってるし。だけど」


しどろもどろになって、其処まで言って言い淀んだ。


「だけど?」


「……だけど、今発見されてる超古代文明おぼしき遺跡群は『建造時代が分からない』って理由だけで超古代文明に分類されてるだけじゃない」


超古代文明。古代文明と呼ばれる五大帝国時代よりももっと昔。今の時代よりも進んでいて『魔法』が存在しなかった時代。


戦争で滅んだ。分かっているのはこれだけだ。戦争に沈んだ遺跡群が各地から見つかるが、最早それらは何も語らずただそこにあるのみ。


「後は『汚染』されてるって点で言えるな」


「『汚染』って何ですか」


ひょっこりロジェは手を上げた。ヨハンは顔色を変えず答える。


「別に知らなくていい。知らなくても問題無い」


ぽつりと聞こえるか聞こえないかの声でヨハンは、


「お前達この世界に生きる者はな」


「何か言いました?」


「何でもない。その超古代文明の遺跡を探索するのに君の力が必要だって事だ。辺鄙な所にあるし、賊と出会っても困る」


つまり、ロジェを用心棒にしたいという事らしい。それにしてもヨハンはどうしてここまで超古代文明遺跡にこだわるのだろう。


「知らないと思うが、超古代文明の遺跡は魔法生物達の住処になっている。それも不安材料だな」


「で、私への見返りは?」


半ば承諾する形でロジェはヨハンに返した。含みのある笑いを作ってロジェの目の前の男は座ると、


「もちろん、何かしら用意はしよう。先ずはロジェの話を聞かせてくれ」


ロジェは話した。アリスが彼女を嵌めたこと、理事長が条件付きで退学処分にしたこと、そして実家から送られて来た指輪。


『指輪』というワードに、ぴくりとヨハン反応した。


「それ。その『指輪』だ。間違いない。出してみてくれないか」


「これだけど」


ロジェは指輪の箱を取り出した。ガリガリと、摩擦音のような強い音が更に強くなる。この音は書斎の机の中からしているようだ。


「この指輪、どこで?」


「知らないわ。父が送ってくれたの」


ヨハンは引き出しを出して、何か機械を操作した。ガリガリという音がしなくなる。


「それ持ってて気分悪くなったりしないのか」


「呪いも何もかかってないただの指輪でしょ。なる訳ないわ」


「はー……」


信じられないといった表情でヨハンはロジェを見つめる。


「何よ。気分悪くならなきゃダメなの?」


「いや、構わない。この指輪もどうやら超古代文明の物の様だな」


「何か証拠でもあるの?」


「俺がこの指輪を見た事があるからだ。これが作られた時に」


何か物言いだけなロジェを、ヨハンは制した。


「ロジェ。君は今俺を疑っている。そうだな?」


「はっきり言うとそうね」


「いつか全部話す。君にも危害は加えない。約束しよう。だけど今は黙って一緒に居てくれないか」


ロジェは少し怪訝そうに顔を俯かせたが、


「……それで私を取り巻く謎が全て解けるのなら、構わないわよ」


「全て解ける。約束しよう」


それに、とロジェは半ば呆れた顔で、


「行く宛て無いしねー」


「……え。住むのか?」


「えっ……」


ヨハンの反応にロジェは引き攣った顔をした。それを見て目の前の男は爆笑する。


「あっはっは!冗談だよ。部屋は山のようにある。俺の研究を邪魔せず協力してさえくれれば、此処に居ても構わない」


あぁそうだ、とヨハンは部屋の隅にあったシャベルを放り投げて、


「部屋が決まったら言ってくれ。あとこれな。馬糞堆肥作ってくれ。宜しくな。じゃ」

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