第2話 運命のパンタレイ
「は、い?」
「『君』だ。俺はずっーーっと、『君』を探していた」
ゆっくりとロジェが顔を上げると据わった深い湖の瞳が射抜く。どう考えてもマトモな人間の顔付きではない。というかマトモな人間は『君を探していた』なんて言わない。
「いや、正しく言うと『君』では無いな。『君みたいな人』を探していた」
「い、いや……どっちでも嫌だけど……」
「肝が据わってるな。そういうのも良い。そう!俺は『君みたいな人』を探していたんだ!」
どうして研究所もこんなヤツを入れてしまったのかしら。おずおずと後ろに下がろうとすると、腕時計から魔法陣が溢れ始めた。
「なッ!?何よこれ!」
「そうだ……そうなんだ……俺はずっと『君みたいな人』を探していた……。そう」
ロジェの周りに沢山の魔法陣が現れるのを、男は悦に入った表情で見詰める。
「君みたいな、『魔力が大量にあるのに全く魔法が使えない人』を!」
ぷつん。ロジェの頭の中で張り詰めていた何かが、切れた音がした。
「……るさい……。煩いわよ!」
今まで順調に増えていた魔法陣が、一つ残らずバリバリに割れる。
「何よ!魔法が使えないことの一体何が悪いって言うのよ!」
ロジェは踵を返してその場から駆け出した。悲しさ等は無く、ただただ、純然たる怒りだけが脳内を占めていた。
なんで、どうして。どうしてこんな事ばっかり言われ続けなきゃいけないのかしら。しかも知らない人に。
ロジェは隠れる様に突き当たりの部屋に入った。掃除用具を置く部屋らしい。直ぐに所在が分かるという事はないだろう。
ふらふらしながら部屋の奥にしゃがみ込んだ。目の前には壁しか無い。真っ暗闇だ。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
やっちゃった、とロジェは肩を落とした。知らない相手に癇癪を起こして走るとか今時小学生でもやらないわよ。
「うわぁ。この腕時計みたいなの持って来ちゃったし。返さなきゃね……」
「ロジェスティラ?」
ロジェはその声におずおずと振り返った。今、一番聞きたくない声だ。何でこんなところにいるんだろう。
「アリスじゃない。……どうしたの」
「どうしたのはこっちのセリフよ。貴女こんなとこでどうしたの?」
白々しい対応を、ロジェは鬱陶しそうに見詰めながらアリスの横を通ろうとした瞬間だった。
「別に。もう行くから。じゃあ──」
『所有者を認識致しました』
「は?」
腕時計の様なものから、確かに音がする。音というか声だ。機械が発するには暖かい声。それに対して、ロジェは惚けた声しか出なかった。
『所有者のデータベースを構築します。』
「ま、待ってよ……何なの、コレ!」
彼女の足元には魔法陣が出来ていた。音声が続く。外そうにも外せない。力いっぱいベルトを掴んでもうんともすんとも言わない。
『データベース構築中……お手を触れな』
はずだったのだが。
「都合が良いわ、ロジェスティラ。社会的に死んで頂戴」
何を言ってるの、と叫ぼうとしたが時既に遅し。機械が『手を触れるな』というのはそれ相応の理由がある。……例えば怪我をする、とか。
空間に亀裂が入って、嘲笑っているアリスの手が切れた。かすり傷程度だ。ただ相手は名家のお嬢様。大変宜しくないこの流れが行き着くところは。
「うっ……ううっ……ひっく……」
先程の表情と変わって膝をついてぽろぽろとアリスが泣き始める。
「う、そ、でしょ」
「酷いわロジェ!私貴女の為を思って言ってあげていたのに!」
ロジェの先程の騒動とアリスの金切り声が相まって沢山の人が集まってくる。もし魔法が使えたら、さっきの言葉を録音してやったのに。……あぁ、また魔法。
ばっ、と顔を上げて大きな声で叫ぶアリスに、ロジェは何も言えない。
「私の事が嫌いだったのね!?じゃなきゃこんな酷い事しないわ!」
「おいロジェ!何があったんだ!」
飛んで入ってきたルネに、アリスが抱き着く。呆然としているルネの横を、騒ぎを聞いて駆け付けたアンリエッタがロジェをじっと見詰めた。
「ロジェ、これは一体どういうことなの……?」
彼女は諦観に満ちた眼差しで、このよく分からない腕時計の様な機械を見つめた。
「……詰まるところ」
「退学ってことよ」
あの騒動の後、理事長が駆けつけ、ギャン泣きするアリスとロジェを引き離して部屋に戻る様に仰った。
戻ったのだが、次の日に理事長に呼ばれて、今ロジェは理事長室の前にいる。予定時刻まで十五分。まぁいいだろう。ノックをして、
「失礼します、理事長」
「入りなさい」
ロジェは重い扉に手をかける。身体全体を使って開けると、金属が擦れる音が響いた。
分厚い金属の扉を抜けた先には、太陽が燦々と輝く理事長室がある。天井は高く宗教画が描かれており、右にも左にも大きな本棚が見える。
部屋の突き出た部分には書斎があり、其処に理事長は居ない。右側の本棚の近くに太陽の光に当たって輝くお茶用の椅子が二つと丸机が二つある。人の良さそうな初老がロジェに視線を渡した。
「こんにちは、理事長」
「こんにちは。さ、昨日の話をしよう。紅茶に蜂蜜を入れてもいいかな?」
「はい」
ロジェは茶器の準備をしている男の元へと足を進める。白髪と白い髭を蓄えて、席に座るよう促した。
「お座り」
「失礼します」
頭を下げて椅子に座る。きらきらの蜂蜜の上から、夕陽色の液体が注がれる。
「お茶菓子はクッキーとかあるから、好きに食べてね」
「……はい。有難う御座います」
「本題に入ろうか」
「お願いします」
理事長は真っ直ぐロジェを見詰めて、
「まずは事実確認をしよう。君は何か道具を使い、生徒を傷付けた」
「誤作動を起こしたみたいなんです。何かは分からないんですけど」
理事長は訝しげに左腕についている腕時計を指さして、
「君の腕のそれが誤作動を起こしたんだね。それは何なのだい?」
「分かりません。オレンジ色の髪をした男の人に着けられたんです。外し方も分からないから昨日からずっとこのままで……」
ほんの少しだけ気まずそうに俯きながら、ロジェは橙髪の男を言われた言葉を思い出す。
「彼は『魔力が大量にあるのに、全く魔法を使えない人』……私みたいな人を探していたそうです」
「成程ねぇ」
俯いた顔を上げて視線を理事長に向けた。彼は特に表情を変えない。微笑みにも失望にも見える表情だ。
「君に対する処罰が決まった」
「退学、ですよね」
「まぁそれはそうだけど。条件付きで退学だ」
「……条件付き?」
今度は確かに理事長の顔が笑顔になる。何を笑っているんだろう、この人。
「『アリス=ジャンヌ・レヴィが在学中は、籍を置かない』ことにした。」
「……じゃあ、実質二年の停学ってことですか。」
そういう事になるね、と言いながら理事長はエリックスドッター家の紋章が描かれた手紙を渡す。この双頭の鷲の紋章は……父のものだ。
「開けても?」
「構わないよ」
封を取って中の紙を取り出す。綺麗な白い紙にほんの数行文字が書かれていた。
「……『学籍無くば、エリックスドッターの領地を踏むことは非ず』。実質二年の勘当って事ですか」
「そういうことになるね」
のんびりと理事長は腕を組みながら答える。何を考えているかよく分からない。
「とある生徒の学籍が関係している退学処分。解決する術はあるかもしれないね」
「それって」
ぱちりと理事長はウィンクをした。この人仮にも先生なのに、提案してくることが正気の沙汰では無い。つまるところ一人の生徒を追い出せってことだろう。
「一年ってのは長い。優秀な君なら二年もかからないかもね」
それは果たして優秀と言うのだろうか。ロジェは片眉を上げた。
「もちろん二年待っても良い。二年待ってくれたら研究職を提供しよう」
研究職。魅力的な響きだ。今のところロジェの中で一番なりたい職業である。
「気付いて居るんだろう?ロジェスティラ=ヴィルトゥ・エリックスドッター。
理事長のやたら芯のこもった声に、彼女はしっかりと彼を見詰めた。
「そうだ……君はしっかりと分かっている……己が身に起こる全ての理不尽は、『魔法さえ使えれば解決出来る』と思っていながらも、この世は根本的に理不尽だと、君はしっかりと理解しているんだ……」
……そうだ。例え魔法が存在しない世界に行っても、ロジェは救われない。『人の救われなさ』を、ロジェは知っている。
「二年だ。二年ある。色々な所に行ってもいい。それこそ『様々な見聞を得て、今の私にとってあの退学は為になるものでした』なんて言ってもいい」
いつの間にか背後に立っていた理事長の声が降ってくる。
「もしくは……。『たった一秒も、私の心では待てませんでした。全てをひっくり返してやりたいと思いました』なんて言うのも、悪くないかもしれない」
慌ててロジェは立ち上がった。まるでそれは、何かに突き動かされた様に。……それと、この空間を支配する異常な空気から逃れる為に。
「し、失礼します……!」
慌てて駆け出したロジェを引き止める声は無かった。よしんば引き止められたとしても、ロジェは立ち止まりたく無かったが。
理事長室から随分と離れた廊下、絞り出した声でロジェは叫んだ。
「あーもう、何なのよ!どいつもこいつも頭イカれてる奴しかいやしないじゃない!」
「ロジェ?」
「うわぁぉぁっ!」
中庭まで逃げ込んだロジェは、声をかけられて素っ頓狂な声を上げた。振り返った先にはアンリエッタが居る。
「あ、あぁ……へティか。何よ、ビックリするじゃないもう」
「別に驚かせたかった訳じゃないんだけど。ごめんねロジェ。それで、話は……」
「心配しなくても大丈夫よ。退学だったんだから。でも」
非常に『奇妙』な話である。アリスがなぜロジェを嵌めたかは、ロジェの事を邪魔だと思っていたからとかいう理由で済みそうだ。それらしい理由を付けるのなら、だが。
しかし理事長がアリスを追い出したがる理由も分からない。アリスの実家は研究所に多額の寄付をしている。
その任務を、ロジェに任せるのも。まるで何かを知っている様に、実家がロジェを許すのも。だって私は魔法が全く使えないんだから。
「ロジェ?」
「ああ、うん。奇妙だなって、思ったの……それだけなの」
思案に耽っているロジェに、へティはちょっと笑いながら、何かの小箱を渡した。
「じゃあこれはもっと奇妙かもしれないわね」
「……何なの、これ」
「旦那様からよ。中身は知らないわ。今しがた送られて来たの」
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