ラプラスの魔物 Secret Seekers
お花
第一章 こうして少女は運命に飛び込んだ
第1話 夢幻夢想のイフィリオス
これは『ラプラスの魔物』と『マクスウェルの悪魔』と呼ばれる二柱の創造神が治める世界のお話。
魔法はまだ息を続けて科学が少しずつ起き上がり始めた時代。神話の時代である神代は随分と前に終わりを告げ、少しずつ魔法使いは数を減らしていた。
現在この世界にいる魔法使いは、代々魔法使いの血を引いた優秀な家か、別の世界から来た者くらいだ。新しく魔法使いになる者は少ない。少ないのよね……。
「少ない、のよねぇ」
はーあ、少女はため息をついた。魔法史の教科書を見つめる。時刻は五限の中休み。許されざる眠さを誇る時間だ。どうなってんのこの時間。
少女はロジェスティラ=ヴィルトゥ・エリックスドッターという長ったらしい名を持っていた。くせっ毛の赤髪をお団子で誤魔化し、柘榴の様な真っ赤な瞳を持った彼女は、大教室の中でうつ伏せ寝をしながら進路を考えていた。
ロジェスティラことロジェは、今十八歳。高等教育を備えている全寮制ぺスカ王立マグノーリエ魔法研究所に十六歳から入りあと二年で卒業だ。だからそろそろ進路を決めなければならない。
マグノーリエは研究者が多いから、魔法研究者として生きていくのもいいし、なんかそれっぽい研究者も悪くない。……普通の研究者ってなると、魔法以外の勉強が足りてないから大変そうだけど。
「でも多分……」
魔法研究者になるなんて言ったら実家は間違いなく怒るだろうし。実質選択は二つに一つなのだ。
「魔法使いになるってのもねぇ。あまりにもちょっと、食えなさすぎるというか」
今はもう神代では無い。一部の人にしか分からない神秘に目を背け、誰でも扱える科学へ向きつつある。特別な人しか使えない魔法なんかよりも理屈が分かって使える科学の方がいい。
しかも昔に比べて治安も政情も安定しており用心棒も必要では無いし、かつて人外の予言頼りだった国はもう頼まない。
「この長ったらしい名前が無かったら良かったのにねー」
エリックスドッター家は魔法使いの旧家なのだ。家族は勿論、親戚も皆魔法使い。
「ロジェ。あんたまた悩んでんの?」
「まーねー……」
ロジェは開いていた教科書を閉じた。横目の視界に手が映る。声をかけてきた紺の髪の主、アンリエッタに視線をやった。
「進路説明会とか行った?」
「行ったけど。あんまり実感が湧かないっていうか。なんていうか。やりたいこと見つかんないもん」
「うわぁ。一番駄目なヤツだよそれ。結局何にも出来ないヤツだ……」
おぞましいものを見る目でアンリエッタはロジェを見詰める。視線がいたたまれなくなって目を逸らした。
「わ、分かってわよ。だからどうにかしようとしてるの」
「ね、ロジェ。あんたって魔法はあんまりだけどさ、知識は一流じゃん。魔法研究者になるってのはどうなの?」
「それが出来たら苦労しないなー……」
「ま、それもそうだよねぇ」
アンリエッタはロジェの魔法を『あんまり』と言った。実際のところ、彼女の魔法の腕は『あんまり』では無い。むしろ……。
「皆さん、こんにちは。魔法史の授業を始めます。こんな時間ですから眠たいとは思いますが、寝ないで下さいねー」
ベルが鳴って先生が入ってくる。アンリエッタはロジェの隣に座った。
あぁもうこれはダメね、と思いながらロジェは魔法史の教科書を開いた。そしてそれを枕にして、寝た。
「……ジェ!ロジェ!」
「んー……」
「起きなってば。あんたってば呑気よねほんと」
「まほう……しは……もう、ぜん、ぶ、あんきしてる、から、いいの……」
ふわぁ、とロジェは大きな欠伸をした。顔の前に置いた二本の腕は解かない。眠れるならずっと眠っていたい。
「それが出来てしまうのがあんたのヤなとこよねぇ」
アンリエッタによる宿題の範囲を流しながら、ロジェはまた進路へと思考が傾いていく。
「『魔女裁判から見る魔女の歴史』の三百六十二頁……聞いてんの、あんた」
「聞いてる。セイラム魔女裁判を魔術の観点じゃなくて犯罪心理学から説いてる部分でしょ。歴史と全然関係無いのよね」
「それは知らないけど。あんた今日、進路相談会あるの知ってる?」
「いや、知らないけど」
当然よね、とアンリエッタは言った。凄く自慢げな顔だ。ちょっと腹が立つ。
「一回行ってみたら?」
「えぇ。でもなぁ……」
もぞりとロジェは身体を起こした。寝すぎで肩と首が痛い。
「先生が単位くれるかもって」
「行く」
思いっきり立ち上がったロジェを、アンリエッタは呆れと笑顔で見詰めた。説明会行くだけで単位貰える訳なんてないのに。
「ヘティは?行かないの?」
「今日は先生に分かんないとこ教えてもらう予定だから。行けないのよね」
「ふーん。じゃ、まぁ行ってくるわ。」
ロジェは魔法史の教科書を鞄に詰め込むと、アンリエッタに手を振って教室を離れる。季節はもう春。新緑が春の温かさを告げる。あぁ……進路……。
「進路、進路ねぇ。」
そう言えばさっきアンリエッタに説明会をやってる教室を聞きそびれてしまった。態々教室に引き返すのが面倒だし、いっそこのまま寮に帰ってもいい。
「でも単位がなぁ」
「こんな人通り激しい廊下で突っ立ってんのは誰かなーと思ったら」
声は馴染みのある男の声だ。それも同い年。視線を向けると、つんつんの金髪に悪戯っぽい山吹の目が見える。
「ロジェじゃないか。どうしたんだ?」
「ルネ。あんたどこで説明会やってるのか知ってる?」
これ幸いにロジェは声の主に尋ねる。ルネ・パランはロジェの幼馴染……そう、幼馴染だ。一応。ヘティとルネとロジェで、今まで上手くやって来た。
「説明会?あー……確か南館二階の二百五号教室って聞いたけど。行くのか?」
ルネは不思議そうに自分より身長が低い、自信たっぷりの少女を見詰める。何かまた嘘を信じているのだろう。
「当たり前じゃない。単位が貰えるのよ」
「……ただの説明会に単位が付いてくるわけ無いと思うんだが」
「ヘティが言ってたからきっと本当よ」
これは何を言っても聞きそうに無いなと思ったルネは無視を決め込むことにした。
「好きにすると良いけど」
「あら!ロジェと……ルネじゃない!」
背後からの声に、ルネはぴたりと動きを止めた。ロジェも自信満々な表情が消え去る。そして足早にそこを立ち去ろうとした。
「それじゃあねルネ」
「おおーっとロジェサン!?それは無いんじゃないかなー?」
慌ててルネはぎゅっとロジェの腕を握る。気まずそうなロジェの瞳と、声の主の瞳がかち合った。
「ルネ?ロジェ?どうしたの?」
声の主はアリスだ。アリス=ジャンヌ・レヴィ。エリックスドッター家が没落しかけた家なのに対して、レヴィ家は政界に未だ影響力がある家。
今や人外など遠巻きに見られる様な時代でよくもまぁ長い間魔法使いとしてやっていられるものだ。桃色の長い髪をたなびかせ、水色の瞳で振り返ったロジェをじっと見詰めてくる。
「ねぇルネ、ロジェ。何処に行くの?何だか楽しそうだわ。私も一緒に行ってもいい?」
ロジェはなんとか『鬱陶しい』を体現しそうになる顔を無表情に戻して、視線をずらした。
「……私達補講なの。実技が良くなくてね」
「そーなんだよ!俺ら今回の炎魔法上手く出来なくてさぁ。アリスは実技、完璧だろう?」
「え、えぇ?まぁそうだけど……。良かったら教えましょうか?」
「良いわ。ありがと」
食い気味にロジェは答えた。その反応を分かっていたように、アリスは笑顔でルネを見やる。
「じゃあルネだけでもどう?」
「俺は此奴のお守りだからな」
何でそんなこと言うのかしら、とロジェは若干呆れた。確かに本家から命じられてルネとヘティは私の幼馴染 兼 お守りなのだが、そんな事言ったらこの女は……。
「あ、あらそう……。ロジェは魔法が確か使えなかったはず……」
したり顔でとぼける。ほれ見た事か。だからコイツ嫌いなのよね、なんて思いながらロジェはアリスの顔を睨んだ。その目に気付いて、態とらしくアリスは嗤う。
「あぁ!ごめんなさい!人それぞれだものね。個性だわ。貴女のこと、素敵だと思うわよ」
「……どうも。さ、先生のシゴキに耐えるわよ、ルネ」
「そうだな。じゃあな、アリス」
時間が経った廊下はもう人がまばらになっていた。まだ残っていた雑踏に紛れて、ロジェは廊下の先をぼんやりと見ながら尋ねる。
「あんたアリスと仲良かったのね」
「はぁ?どう見たらあれを仲良いって解釈出来るんだよ」
「挨拶してたから」
はぁ、と溜め息がルネから零れる。
「お前ハッキリし過ぎなんだよ。嫌いな奴でも挨拶しなきゃいけないぜ」
「分かってるわよ。でも人の気にしてることを毎回凝りもせずに弄ってくる奴にする挨拶なんて無いわ」
ロジェはある記憶を思い出し、ニヤリと笑ってルネに語りかけた。
「ねぇ、聞いたわよ。ヘティとあんた、アリスからスカウトがあったんだって?」
「……お前、それどこで」
「私ってば有名でしょ。『エリックスドッター家の次期当主があんなんなのに、お守りが優秀だからレヴィ家が欲しがってる』なんて、ご飯食べてたら聞こえる話よ」
廊下を右に曲がると中庭が見える。ぽかぽかとした陽気が気持ちいい。やっぱり此処で寝ようかしら、と思ったロジェは中庭に近寄って行くのをルネに止められた。
「おい。何処に行く」
「アリスは私がこんなんだから、優しくする自分に酔ってるの。
中庭の柵に腰掛けながらぼんやりとロジェは呟くのをルネは見ていた。確かにロジェはそういう風に扱われてい部分がある。これ以上やさぐれる前にさっさと連れて行かなければならない。
「説明会に行くぞ」
「あんたは将来何になるの?ヘティはお菓子を作る会社に務めたいんだって」
「説明会に行ったら教えてやる」
「……分かったわよ」
ロジェは脳裏にチラつく桃色の髪を振り切って、ルネの後ろに続いた。
「我が社では魔法と科学の融合を目指して、どんな人にも『神秘』との出会いを──」
「新たな化学の息吹は、人々に健康な生活を与えるでしょう。魔法とは違って──」
「此方をご覧下さい!ただの動かない文房具でも──を用いれば──になるので──」
「……こんなに眠れる子守唄は初めてね。」
ぽそりと呟いて、ロジェは大きな欠伸をした。退屈極まりない。やれ『科学』だの『魔法』だのどうでもいいこと。結局最後は『神秘』を信仰するハメになるのなら、最初からそんなものに縋らない方が良い。
講堂には生徒が寿司詰め状態である。生徒達は誰も彼も必死にメモを取っていた。
隣に座っているルネに声をかけようとしたが、彼は一生懸命に話を聞いて何か紙に記している。二人で外に出ようと言うのは悪いし、一言言って席を外そうかしら。
「ねぇルネ、私少し席を外すから。ちゃんと戻ってくるから心配しないで」
こくんとルネが頷いたのを見て、ロジェは席から離れる。人の邪魔にならない様に慌てて列から抜けると、音を立てない様に扉を開けて、同じく閉めた。
「はぁぁぁぁぁぁぁ……」
堅苦しいったらありゃしない。
「飲み物……トイレ……どっちも行こうかなぁ」
先に飲み物を買うことにした。制服のワンピースのポケットに適当に手を突っ込んで小銭を引っ張り出す。
手のひらに乗った硬貨は三枚。全然お金が足りない。良いとこ『めちゃくちゃ美味しい水』くらいしか買えない。
ロジェは手元のお金を疎ましそうに眺めた。転移魔法でも使えたらなぁ。廊下にある自販機目指しててくてくと歩いた。
「仕方無い。『めちゃくちゃ美味しい水』でも買おうかな」
オレンジジュースが飲みたかったなぁ。なんで寄りにもよって水なんだろ。水博士が選んだ失神するくらい美味しい水らしいけど、失神してる時点で水じゃないんじゃ……。足元のタイルを見ながら数えている内、人とぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
ロジェは顔を上げて謝罪を発した。目の前に白衣を着た橙色の髪をした男が居る。
「あぁ、いや。此方こそ済まない。怪我は?」
「無いです。あ。あの、これ。落としましたよ。壊れてないですかね?」
ロジェは先程の衝撃で男のポケットから落ちた腕時計の様なものを手渡す。
腕時計の様な何かだ。固い布地がベルトになっていて、時計のある部分には薄汚れた丸い銅板が着いている。ロジェが着けるには少し銅板が大きい。
……あれ、いつのまにこれが着いてるの?
「…………だ」
「へ?」
「……『君』だ」
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