2、人形はなぜ殺す ④

    ◇ ◇ ◇


 狭く息苦しい取調室だった。

 簡素な机を挟んで熊沢重臣に対面するのは、木田善典刑事と黒のスーツをだらしなく着崩した三十前後の男であった。

 その垂れ目が特徴的な顔立ちは整っており、細身の体型で身長も高かった。しかし、全体的にやさぐれた雰囲気を漂わせており、とても警察関係者には思えない。

 彼こそ〝カナリア〟でも古株のなつりゆうすけである。

「ほんでさぁ、熊沢さん……」

 少し気の抜けたような声で夏目は呼び掛ける。うつむき加減だった熊沢は背筋を震わせて視線をあげた。夏目はりようひじを机に突いて、左右の指を組み合わせる。

「……ちょっと、今日は聞きたい事が色々あるんだけど、いいかな?」

「だから、俺はやってねえって。もう勘弁してくれ。本当なんだ。人殺しなんかしねえって……」

 その熊沢の声には疲労とていかんがにじみ出ていた。夏目は不敵な笑みを浮かべる。

「違う違う。そういう事を聞きに来たんじゃねーの。熊沢さん」

「だから、俺はやってねえって!」

 懇願するように熊沢は身を乗り出して声を張りあげた。そこで、夏目はその一言を発した。

「熊沢さんが怖がってるのって、あの人形だろ?」

 すると、彼の顔色がみるみる変わる。夏目は右隣に座った木田と横目で視線を合わせてから熊沢を見た。

「もうさ、指紋と靴跡があるって事は、熊沢さんがあの部屋に入ろうとした事は確定なの。それは間違いない。んでさ、あの日の夜、事件のあった115号室で何を見た訳?」

 熊沢はそうはくな顔色で首をすぼめて頭を抱える。

「言ったって、どうせ信じねえよ」

「言わなきゃ、熊沢さんが殺したって事にされちゃうけど?」

「俺はやってねえ……」

 熊沢は目をつぶり消え入りそうな声で言った。夏目は居ずまいを正すと、できるだけ柔らかい声音で彼に向けて語り掛ける。

「だから、それは解ったって。取りえず、どうせなら、ダメ元で話してみない? このままじゃ本当に、熊沢さん、人生終わっちゃうよ? さっき、人形って言葉に動揺してたよね? どういう事なの? こっちも、あの人形に興味があってさ」

 夏目のその言葉にたっぷりとしゆんじゆんしてから、熊沢はうつむいたまま語り始めた。

「……俺は昔から夜に他人の家から漏れる明かりを見るのが好きだったんだ」

 事件とは無関係な自分語りに思えたが、夏目も木田も口を挟まずに熊沢の話に耳を傾け続ける。

「あの明かりの向こうにどんな奴がいるんだろうとか、そいつはそのとき何をしているのだろうとか、そんな事を考えただけで胸の奥が温かくなる」

 そう言い終えた後の熊沢の顔は、初恋の思い出を語っているかのようだった。夏目は苦笑しながら肩をすくめる。

「そんで、お前は変態ののぞき魔になっちゃったと」

「ああ。ただ、一回、パクられてからは、ずっと我慢できていたんだ。遠くから窓の明かりを眺めるだけでな」

「なるほどな。あの事件のあった夜に、運悪く我慢できなくなったという事か?」

 夏目の問いに熊沢は頷いた。

「あのマンションの駐車場は、俺の憩いの場所だった。仕事帰りに、あそこでマンションの窓から漏れる沢山の明かりを車の中から眺めているだけで、俺の心は満たされたんだ」

 夏目はあきれ顔で木田と視線を合わせた。一方の熊沢は語り続ける。

「……でも、あの日、俺はふと気がついた。あの一階の部屋の掃き出し窓が開いていたんだ」

「なるほど。それで、お前はいてもたってもいられなくなった、と」

 夏目の言葉に熊沢は頷く。そして、途端にその表情を恐怖にゆがませた。

「それで、俺はベランダのさくを乗り越えて、あの緑色のカーテンを開けて、部屋の中を覗き込んだんだ。そっ、それで、み、見てしまった……」

「何を?」

「倒れた男の首を包丁で刺していた」

「誰が?」と夏目が尋ねると、熊沢は声を張り上げる。

「だから、人形だよ!」

 熊沢は息を荒らげて続ける。

「信じられないかもしれないが、俺だってあんなの信じられねえ……小さな人形が両手で抱えた包丁を男の首に突き刺していた……夢でも見てるみたいだった。でも、本当なんだ。信じてくれ。俺はやってない。やってないんだぁ……うぅ……」

 熊沢はまるで夜の闇を恐れる幼子のように涙を流し始めた。夏目と木田は顔を見合せる。以降の熊沢はすっかり取り乱してまともな受け答えができなくなってしまった。

 そこで、事情聴取は終了となった。


    ◇ ◇ ◇


「こんな人形が人を殺せるとは思えないけど……」

 それが事件の概要を聞き終わった後に発した九尾天全の第一声であった。彼女はテーブルの上に置かれた人形を手に取り、げんそうに首を傾げながら言葉を続けた。

「確かに、ずいぶん古い物で、この人形には魂が宿っている」

「では、この人形が危険なじゆぶつだというのは間違いないのですよね?」

 山田の言葉に九尾は納得がいかなそうな顔をする。

「……でも、霊が物理的な干渉を行うって、すごく大変な事なの」

「と、言うと?」

 成瀬がメモを取る手を止めて聞き返す。九尾は人形に視線を落としたまま答える。

「ポルターガイストって、あるでしょう?」

「あるらしいですね」と成瀬は返す。

 日本語で騒々しい霊。突然、家具や食器が浮かびあがり、飛び回る心霊現象の事だ。

「……あれって、有名な心霊現象として知られているけど、そうそう起こる事じゃないのよ。例外もあるけど、大抵の場合、霊はそんな力は持っていない。死人の力って実は大した事ないの。だって死んでいるんだから。だから、わざわざ生きてる人に取りいたり、怖がらせたりして精神的な揺さぶりをかけてくる。いくら、この人形に魂が宿っていると言っても、人を物理的に殺せるほどの強い力がある訳じゃない」

「しかし、この人形は動けるんですよね?」

 その成瀬の言葉に九尾はうなずく。

「……でも、人を殺すって、大変でしょう? どういう殺し方かにもよるけど」

 そこで成瀬が検死の内容を思い出しながら言った。

「被害者はぼんのくぼに深さ10センチの刺傷を受けて、リビングの床にうつ伏せで倒れていました。凶器となった包丁は、被害者の家に普段からあったものですね」

 九尾は顔をしかめて「うっ」とうめくと、口元を手で覆った。事件の概要を聞いて気分が悪くなったのか、二日酔いのせいなのかは、成瀬には解らなかった。

 ともあれ、九尾は深呼吸をしてから己の見解を語り始めた。

「……人を包丁で刺せる力なんか、ないんじゃないかな。連続して長時間動けないだろうし、包丁を両手で抱え上げるのがせいぜい。それに……」

 と、言って、九尾は手元の人形に優しげな視線を落としながら、その金色の髪を指先でそっとでつける。

「この人形、ずっと、長い間、持ち主に大切にされている。元の持ち主は、上品でお洒落しやれなおばあちゃんね。もう亡くなって、魂はこの世に存在していないけれど、彼女の優しい気持ちが、まだこの人形の中には残っている」

 そこで、九尾は柔らかく目を閉じて微笑む。

「こんなに愛を受けて大事にされた人形が、人なんか殺せる訳がない」

 山田と成瀬は互いに困惑した顔を見合せる。もしも、九尾の言う通りならば、話は大きく違ってくる。

「……じゃあ、先生は誰が相馬翼を殺したと?」

 山田が少し投げやりな口調で言った。すると、九尾は困り顔で「そこまでは、わたしには解らないけど……」と、前置きをしてから、何て事のない調子で言った。

「まあ、被害者に直接聞いてみましょうか」

 それは、成瀬にとっては冗談のように思えたが、どうやら本気らしい。

 九尾天全は「降霊術の準備をするから、ちょっと、待ってて」と言い残して、奥の部屋へと姿を消した。扉越しにガチャガチャと物をひっくり返すような音が聞こえ始める。

 成瀬は山田と共にリビングのソファーに座って、しばし待つ事となった。

「……で、山田先輩」

「何?」

「被害者に犯人が誰かを聞くなんて、本当にできるんですか?」

「できるけれど精度は低い。霊は死の瞬間の苦痛や精神的なショックで記憶や人格がたんしている可能性が高い。そのため、霊がまともな受け答えをしてくれる事は少ない。そもそも、霊の言葉に証拠能力はないし、人は死んでも必ず霊になれる訳ではない。ただ、過去には被害者の霊の言葉が事件解決に一役買った例はそれなりにある」

 山田はそこまで一気に語ると、険のある目付きで成瀬をにらむ。

「……研修で習ったでしょ? 忘れたの? やるだけ損はないわ」

「いや、そうじゃなくてですね……」

 と、成瀬が言い掛けたところで、奥の部屋の扉が開き、九尾が姿を現した。

「お、お待たせ」

 何やらしよくだいや香炉など怪しげなものを両腕いっぱいに抱えている。

 九尾はいそいそと降霊術の準備をし始めた。


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その呪物、取扱注意につき 谷尾 銀/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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