2、人形はなぜ殺す ③

 そこはセピアに色褪せたような裏通りであった。

 沿道には年季の入った町中華や昔ながらの喫茶店が並んでいた。表通りのけんそうは遠く、薄暗い路地の奥ではハチワレの白黒猫が室外機の上で大きなあくびをしていた。飲食店の他には八百屋や魚屋、古本屋などが軒を連ねている。

 成瀬と山田は、この裏通りに住む〝狐狩り〟の下に向かおうとしていた。〝狐狩り〟とは特定事案対策室に協力する民間の霊能者たちの事である。

「……で、山田先輩。その〝狐狩り〟の方は、どんな人なんです?」

きゆう先生は〝狐狩り〟の中でも最高の力を持っていると言われているわ」

〝狐狩り〟の認定を受けるには、かなり厳しい基準があるらしい事しか知らなかった。特定事案対策室長の推薦と、特殊な検定を突破する必要があるらしいのだが……。

 ともあれ、成瀬たちは〝資質〟を持っているため、じゆや霊障による被害を受けにくい。しかし、まったく危険がない訳ではないし、霊的な存在を視たり、はらったりする事ができる訳ではない。その辺りは一般人となんら変わりなく、特定事案の対処にあたる際は〝狐狩り〟たちとの連携が重要となってくる。

「メディアにはほとんど露出していないけど、、オカルトかいわいでは名の通った霊能者よ。普段は、この通りの先で占いショップを営む傍ら、霊視や除霊を請け負っている」

〝一応〟という部分に引っ掛かりを覚えたが、成瀬は口を挟もうとせず、黙って左隣を歩く山田の話に耳を傾ける。

、〝狐狩り〟としての先生は、これまでに数々の危険な呪物を発見し、封印、破棄してきた実績を持っている。それと、コロナ禍が本格的に始まる少し前に、公的記録において最多の犠牲者を出したとされる悪霊を、二名の協力者と共に打ち倒したのも彼女よ、

「なるほど。何か伝説の英雄って感じですね」

 成瀬は山田の言葉で二つの事を理解する。

 まず、九尾てんぜんという霊能者が女性であるという事。そして、山田万砂美が九尾天全なる人物をあまり好ましいと思っていなそうな事だった。

 いつも冷静な表情を崩さない山田であったが、九尾の話をしているときの彼女は、ほんの少しだけいらっているように見えたからだ。

「……何? 何か言いたい事があるって顔だけど」

「いいえ。特に」

 と、さりげなく山田の追及をかわしたところで、目的の店が左側の沿道に現れる。


『Hexenladen』


 ドイツ語らしい店名が茶色いオーニングテントに記されていた。軒先はシャッターがおりていて、店内の様子はうかがえない。正面左側にトタン屋根付きの外階段があり、どうやら二階の居住スペースにつながっているらしかった。

「……お店、やってませんね」

 と、成瀬が店舗二階を見上げながら言った。ちなみに二階の窓はすべて閉まっており、内側はカーテンで覆われていた。

「おかしい。これから行くと連絡したはずなのに」

 山田がいぶかしげな声をあげた。

「俺たちが行くから店を閉めてくれたんじゃないですか?」

「それはない」

 山田は成瀬の言葉をぴしゃりと否定すると、スマートフォンを取り出す。画面に指をわせると、あからさまな舌打ちをする。

「……まだ未読」

 そう言って、山田はスマートフォンをしまいながら、店舗二階へと続く外階段の方へ向かう。彼女の怒気のにじみ出た背中を成瀬は追った。

 二人はそのまま外階段を上り、玄関扉の前に立つ。左側にインターフォンとプラスチックの表札があり『おか』とマジックで記してあった。どうやら九尾天全の本名のようだ。

 成瀬は、案外普通なんだな、と思ったのと同時に〝九尾天全〟などという名前がおおに思えてきた。

 そうやって成瀬がいぶかしむうちに、山田は郵便受けの入り口から手を突っ込んで、中から玄関の鍵を取り出した。それを扉の鍵穴に差し込んで回す。

 山田がドアノブを握りながら成瀬の方を見た。

「成瀬くんは、少しここで待ってて」

 そう言い残し、普段の冷静な彼女らしからぬ勢いで玄関の扉を開けると中に入っていった。しばらくすると物音と山田の怒声が聞こえてくる。何を言っているのかはよく聞き取れない。しかし、耳を澄ますと「また、こんなに散らかして!」だとか「早く服を着てください」とか、そんな事を言っているようだ。その合間に「うー」とか「あー」とかゾンビのうめきめいたものが合いの手のように聞こえてくる。

 そうして十分近くも経った頃だろうか。成瀬の目の前の扉が開き、山田が顔をのぞかせる。

「どうぞ。入って」

「あ、ハイ」

 成瀬は扉の向こう側に足を踏み入れる。狭いがあり、上がってすぐ正面に、じやくの彫刻が施された木製のパーティションがあった。その裏には広々としたリビングがあり、天井ではシーリングファンが緩慢な回転を続けていた。

 調度品はセンスのあるアンティークばかりで、片付いてはいたが、木製のテーブルの上の散らかり様がすべてを台無しにしていた。

 唐揚げや焼き鳥、ポテトサラダなど、デパートの地下で見られるようなそうざい類の空き容器や割りばし、散らばったスナック菓子とピーナッツ、食べ掛けのカップ焼きそば、そして空になった切子のおちょこと、そそり立つこしかんばいの一升瓶……。

 昨晩そこで何者かがだらしのない一夜を過ごした事は、推理の余地すらないほど明確な事実であった。

 そんな酒と食べ物の混ざりあった臭いがいまだに漂うリビングから、店舗裏手に面した方向にはキッチンを始めとした水回りが集まっており、右側にも扉が一つあった。その扉が開く。

「……お、お待たせしました」

 と、言って姿を現したのは、どんよりとした雰囲気の女性であった。身につけたしちそでの上着とワイドパンツは共に黒で、肩より少し長いダークブロンドの髪をヘアゴムで一つにしていた。

 どうやら、その顔立ちを見るに外国人の親族がいるようだ。顔形は整っていたが、ひどく血色が悪い。目つきもうつろでしょぼついており、口がへの字に曲がっていた。

 成瀬の率直な感想としては、彼女がすごい力を秘めた霊能者には思えなかった。目を合わせてはいけない人。ヤバい女。そんな言葉が脳裏をよぎる。

「……この人が九尾先生。それで、彼が新人の成瀬くん」

 山田の言葉を聞いて、九尾は「どうも……」と、消え入りそうな声を出した。そして、成瀬の事を唐突ににらみ付けると声を上げた。

「あなた、小さな頃に犬飼ってたでしょ?」

「は? え?」

「……しばいぬみたいな日本犬だけど、毛が灰色の犬」

「ああ……」

「その犬が、あなたを守っている。それが、あなたの〝資質〟の正体」

 成瀬は引きった笑みを浮かべながらあいまいうなずいた。すると、山田が話の流れをたたき切る。

「……新人相手に自分の霊視能力をひけらかそうとしないでください先生。良いところを見せようとしても、もう手遅れですから」

「ええ……」と、九尾は唇をとがらせる。

「そんな事より本題に入りたいんですけど」

 山田はテーブルの上に散らばった惣菜類の容器を手早く端によけた。そして、ぜんとしっぱなしの成瀬に向かって言う。

「成瀬くん。例の人形を」

「あ、ハイ」

 成瀬はテーブルの上にアタッシュケースを置くと、ふたを開けて御札つきのビニールにくるまれた人形を引っ張り出す。

「先生、この人形を見てどうですか?」

 その質問を山田が投げかけると、九尾は欠伸あくびみ殺して「古い人形ね」と、見れば誰でも解る事を言った。そして、テーブルの上の人形と向かい合うように猫脚ソファーに座ると首を傾げる。

「……で、この人形が何なの?」

 山田は事件の概要を語り始めた。


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