2、人形はなぜ殺す ②

 その事件が発生したのは一週間前の金曜日だった。二十一時三十分過ぎ、八王子市長沼町のマンション『ハッピーハイム長沼』の一階115号室にて、同室に住んでいた三十三歳の整形外科医、相馬翼がぼんのくぼを刺されて殺された。

 事件が発覚したのは、被害者の相馬とどうせい中の婚約者、菊池春風の通報でだった。

 彼女は犯行時刻に片道徒歩五分程度のところにあるドラッグストアへ買い物に行っており、帰宅後にリビングで倒れている相馬翼を発見したのだという。

 なお、凶器はキッチンの調理台のラックに差してあった包丁で、その柄には指紋をき取ったこんせきがあった。

「菊池は通報を受けて駆けつけた警官や一課の刑事に〝部屋に飾っていた人形が動き出して相馬翼を殺した〟としきりに訴えていた」

 成瀬はメモを取りながら木田の話に耳を傾ける。

「……しかし、これは相馬翼の遺体を発見した際に、気が動転していたのだろうと思われ、まともに取り合われなかった」

 ちなみに現場には人形の足を被害者の血液に浸してつけたと思われる血痕が無数に見つかったが、これは犯人が捜査をかくらんするために行ったとされた。

「鑑識の結果、裏手の駐車場に面したベランダの床に25センチの足跡ゲソが、そして、さくと開け放たれていた掃き出し窓の取っ手に相馬と菊池のもの以外の指紋が検出された。この事から犯人は、裏手の駐車場からベランダの柵を乗り越えて、施錠を忘れていた掃き出し窓から115号室に侵入したと思われた。また、事件直後の聞き込みによると、現場マンションの駐車場を後にする不審な白いバンが目撃されている。この男の身元はすぐに判明した」

 そう言って、木田はパソコンのマウスを握ると、ある男のプロフィールをディスプレイに表示させる。

 その禿とくとうひげづらの男は、住居不法侵入と覗きで逮捕歴のあるくまざわしげおみという三十九歳の解体業者であった。

「彼の身柄はすぐに確保されたものの、容疑を否認する他は何もしやべらず、ひどく脅えた様子だった」

 そこで成瀬はいったん情報を整理するために手を止めて考える。

「えーと、つまり、その熊沢は、菊池が買い物に出ている間にベランダから115号室に侵入し、キッチンを物色するか何かしているときに相馬翼と鉢合わせた。そして、ラックの包丁を抜き取り、逃げる相馬翼のぼんの窪を背後から一突きにした。それから、捜査を攪乱するために人形の足跡を床につけて再びベランダから逃走した、という事ですか?」

 木田はうなずく。

「その通り。多少不自然な点はあれど、どう考えても、それ以外にはあり得ず、あとは熊沢を検察に引き渡せば、本件の捜査は終わるはずだった」

「しかし、そうはならなかったと」

 その山田の言葉に木田は苦渋に満ちた表情を浮かべて首肯を返した。

「送検に向けて捜査資料をまとめる際、様々なが出始めた」

「齟齬?」

 山田がまゆをひそめると、木田は神妙な顔で口を開いた。

「通報を受けて真っ先に現場に駆けつけた八王子署の警官たちによると、凶器の包丁と人形は遺体の傍らにあったらしい。しかし、後に臨場した鑑識官たちは、人形と凶器が発見されたのはベランダだったと言っている。足跡のような血痕に関しても、最初に駆けつけた警官によると、そんなものはなかったとの事だ」

 成瀬がメモ帳から視線を上げて木田に向かって確認する。

「では、最初に臨場した警官が現場保存をし、鑑識が到着するまでの間に、人形が凶器と共に遺体の側からベランダへ移動したという事ですか? そして、足跡のような血痕も、そのタイミングで付いた」

「警官と鑑識の言い分の両方が正しいならそういう事になるな。それで、ちょっと、これを見て欲しい」

 そう言って木田は再びマウスを握ると動画ファイルを再生し始めた。それはいろせた粗い画質で、どこかの部屋の入り口付近を天井から見下ろす形で撮影したものだった。どうやら、ドーム型の防犯カメラの映像らしい。

 それを見ながら山田が眼鏡の位置を直しつつ木田に問うた。

「これは?」

証拠保管室だ。監視カメラの映像だよ」

 木田はそう言って画面下部のシークバーをマウスで操作する。

「ここだ」

 そうして始まった動画は数秒ほど静止画像と見まごうほど変化がなかったが、画面左上の奥から何かが唐突に映り込む。それは、たった今、パソコンの隣に置かれた人形と同じ物であった。まるで生きているかのように身体をふらふらと揺らめかせながら床の上を歩いている。

 人形は画面右下の手前までくると緩慢な動きで天井のカメラを見上げ、そのあとはあおけにひっくり返り動かなくなってしまった。

「こうした事が何度もあった。人形がなぜか保管用の箱を出て床に落ちているところを発見されたり、ついには、室内を歩き回る人形を目撃した者まで現れ始めた。それで、この人形が、こちらの保管室に送られてきた」

 木田が動画を止める。そこで、山田は険しい表情で小さくうなりながら両腕を組む。

「でも、これだけじゃ駄目ね。単に証拠品の人形が動き回る事が証明されただけ」

 この国の法律では、呪いやたたり、怪異といったものは存在しない事になっている。したがって、よほどはっきりと、そうした超常的な要因が事件に深く関わっていない限り、捜査において多少おかしな事があっても無視されてしまう。

 今回のケースでは、人形は動けるだけではなく、人を殺傷する力があると証明されなければ、この事件を特定事案として送検できない。人形が動いたという事実はなかった事にされて、熊沢重臣が犯人という結論になってしまう。

 そんな訳で、今回の成瀬たち〝カナリア〟の仕事は、問題の人形が人を殺傷する力のあるじゆぶつかどうかを検証する事だった。熊沢のこうりゆう期限いっぱいというタイムリミットがあるため、コトリバコの捜査よりこちらが優先される事となった。

「……という事で、私たちは、これから熊沢の聴取を行うから、君たちは人形の方を頼む」

 その木田の言葉に「了解しました」と返事をして、山田はあらかじめ用意してあったアタッシュケースに人形を詰めた。ぱちんと音を立てて留め金をおろしかぎを掛ける。

「これ、借りていきますね」

「よろしく頼む」と、木田が答えたところで、成瀬は山田に問うた。

「その人形をどうするんです?」

「こんなときこそ、〝きつねり〟の出番よ」

 そう答えると、山田は成瀬に向かって人形の入ったアタッシュケースを差し出した。

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