第4話 巴 幽霊の少女(4)
カツーンカツーンカツーン。黒いハイヒールの音をたて怪異悪魔族のリリスが歩いている。時刻は真夜中だ。静まり眠りにつく世界で響き渡る足音は不快でしかないのだが、街は沈黙をまもっている。
当然だ。この世界で気づく者など誰もいない。いたとすれば彼女と同じ怪異かあるいは……。
リリスは紫色の夜空を見上げた。月が出ていた。真っ赤な縁で深淵を描きとても綺麗だ。心に浮かぶは太古の昔。怪異天使族と戦った光景だ。あのときも月は美しく輝いていた。
*
かつてリリスの主であり悪魔族の王が一人、ラーヴァは仲間を引き連れて天使族と戦った。
奴隷にされた人族を解放するためだ。のちに怪異戦線と呼ばれた神魔大戦で悪魔は勝利し、人族は自由を手に入れた。
それから気の遠くなる年月が経過して色々と変わってしまった。
愛する主、荒ぶる神の王と呼ばれたラーヴァはもういない。殺されたのだ生き残った天使族に。
ラーヴァは人族が大好きだった。
長命で異能の戦う力をもつ他の怪異と違い、短命だが柔軟性のある知恵を持ち子孫を増やすのに特化した怪異種人族。
戦う力は怪異族の中で最弱。その代わり知恵の力はどの怪異族よりも強い。その力は地球全ての環境に適応できた。
最弱ゆえに最強なのは様々な怪異と交配し子孫を増やせる事。
そうして人族と怪異の混ざった子供たちは生まれていく。
知恵と、怪異の力を遺伝子に潜ませ人間と呼ばれるようになった人族の末裔は地球の支配者となった。
ラーヴァは人間の知恵から産まれた欲望。禁断の果実(リンゴ)がたまらなく好きだったのだ。
*
「月よ。そなたは美しい。どんなに年月が変わろうがその美しさは不変。そうは思わぬか? 天使族の末裔よ」
「フッ。気配を消していたつもりがバレバレか。悪魔の女王暁のリリス」
「ふん。遙か昔の話じゃ。今はもう純粋な悪魔族は儂一人。同胞は人族と混じり人間となっておる。お主たち天使族と同じようにな。何ようじゃ? 名はなんという?」
「僕は神威了。我ら天使族を次の地球の支配者にするため邪魔な怪異族を狩るものだ」
*
昼休みの鐘が鳴り響く。校内は、生命力に満ちた息吹が吹き荒れる。
ワイワイガヤガヤと、腹をすかせた生徒達が賑わいだしたからだ。
購買でパンを買う者もいれば、家から弁当を持ってくる者もいる。
教室。部室。屋上等、開放された一角で友人と雑談して食べる者、一人黙々と無言で食べている者もいた。
「お湯どうもッ」
元気に挨拶し、職員室からシンが出てきた。湯気が漏れるカップ麺を、嬉しそうに抱えている。美亜が備蓄しているのを拝借し、家から持って来たものだ。
教室では舞姫が待っている。
急ごう。もたもたしてると、麺がのびてしまう。
「ふがっ」
機嫌よく廊下歩くシンは、いきなり奇声を発した。
何があったと、周辺にいる女生徒達の視線が熱い。
「こんにちは、シンくん」
眉の上で綺麗に切りそろえた前髪。腰まで伸びた、艶やかな長い髪。
前時代的なセーラー服を着た美少女、武蔵巴が手を振って近づいて来たからだ。
「と……」
つい名前を呼びそうになって、むにょむにょと語尾をごまかす。
「遊びに来ちゃいました」
巴は大人びた笑顔を見せる。
「あほシン、どうした?」
褐色肌でショートカットの同級生、幼馴染の少女、獅子神白虎が声かけてくる。
「しし子……あの……し……足綺麗だね」
とっさに普段から思ってる事を、本人に暴露してしまう。
(俺のバカーっ)
頭を抱えて転げ回る。
「そうか? ほらっアタイ、古武術やってるしそれでかな」
スカートの裾を持ち上げ、健康的な脚線美を披露する。
「ありがとうございます」
シンは土下座して、感謝を表した。
「……!……」
ふいに産毛がチリチリと逆立ち、悪寒で体が震えた。
針の様な先端鋭い殺気が、背中に突き刺さるのだ。
姿勢は変えず視線だけを動かし、後ろを見た。
「はうっっっ!」
じっー。巴が半目で、阿修羅の如く睨んでいた。
「……もしかして興奮した? アタイの足見て」
勿論事情を知らない獅子神は、シンを楽しそうにからかう。
「舞姫には黙っとくよ」
そう言ってウインクすると、笑顔で去って行った。
シンは不機嫌そうな巴を連れて、校庭に出た。
空いているベンチがあった。周辺に人影もない。
ここなら会話しても大丈夫だ。
「座ろうか」
シンは腰を下ろすと、巴も続いた。体と体、隙間を空けず肌を密着させて座ってくる。
触れ合う体の感触は柔らかく、伝わってくる温かい体温はまるで生きてるみたいだ。
「近くない?」
緊張して声がかすれる。気まずい。何故、巴は怒ってるのか。
「意識しちゃいます?」
「うん。まぁ……はい」
「そうですか。うふふ」
先程までの重苦しい雰囲気は何処へ消えたのか、機嫌を取り戻すと嬉しそうに笑い出す。
「んっっ天気いいですね。そろそろ紫外線が気になります」
大きく腕を伸ばす巴は、眩しそうに青空を見上げた。
「あっ、幽霊が日焼け気にするって思ってます?」
「いやまぁ……そうかな」
「……のびちゃいますよラーメン」
慌てて食べはじめるシンを、巴は笑顔で眺めている。
(た、食べづらい)
「実はわたし、幽霊じゃありません」
「そ、そうなの?」
「だから足ありますよ」
スカートを捲り、真白い肌を晒した。
「ふぁぁあっ! 三角が白い三角がっっ、眩しいっっ!」
今から十年程前だ。
一人の少女が体調不良を両親に訴え、市内で一番大きい病院へ定期的に通っていた。
検査を終えた帰り道、そこで少女は出会ってしまった。
紅の悪魔リリスに。
「そこでリリスはわたしの胸の中に、紅の心臓を埋め込みました」
「……胸……」
下から布地を押し上げる二つの膨らみに、自然と視線を送る。他意はない。
まさか自分以外にも、リリスに会った人がいるとは。
「意識を失い次に目覚めた時には、もう誰もわたしを見えてない」
ジッとシンを見つめる。
「シンくん、わたし生きてますよね? あの日から時が止まっただけで武蔵巴は、今もここに存在してますよね?」
ポロポロと、涙をこぼしベンチを濡らした。
「巴さん……」
シンは手を重ねた。
「こうして触れて体温伝わるし、心臓も動いてる。少なくとも幽霊じゃないよ」
左目が疼く。
体内にある紅の心臓が、ドクンドクンと規則正しくリズムを刻むのを感じた。
「シンくん、その紅の左目……」
巴は初めて、それに気づく。
「俺も埋め込まれたんだ、リリスに……」
「そんな……体に変化は……」
「変なもの見えたり、動作が遅く感じたり……」
左目を覗きこむ様に近づく顔。白く長い指先は、頬と肩に触れている。
今のこの状況、流石にシンも空気を読んで、理性が本能を抑えている。しかし巴の過剰な触れ合いは、あまりにも刺激が強い。
「んぐっ」
生唾を飲み込む。
「うふふ、我慢しなくていいのに」
クスクスと笑い、離れていく。
「バレてた! こういう状況じゃなければ俺だってぇ俺だってぇ」
ふがふがと鼻息荒く、血の涙を流した。
「ねぇシンくん。週末暇ですか?」
「うん」
「いたシン、もぅ放置はやめてぇぇ」
舞姫が早足で近づいてくる。
「彼女さん来ちゃいましたね、残念。週末遊びましょ」
そう言って巴は去って行った。
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