第5話 巴 幽霊の少女(5)
退屈な授業も終わり、やっと放課後になった。
帰り支度をしていると、舞姫が獅子神や友人達との雑談を切り上げて近づいてくる。
「シン、家来ない?」
(今日は、親二人共帰り遅いよ)
耳元で甘く囁く。
「な、なんですとッ!」
ぶはっと鼻血が吹き出す。
それを見た獅子神が、ゲラゲラと腹抱えて笑ってる。
「もぅ興奮しすぎだって」
舞姫はニヤニヤしながらハンカチを取り出すと、優しい手つきで鼻を押さえる。
「ぐぬぬっ行きたい行きたいけど……ごめん」
「えっ」
「外せない用事あるんだよ。くぅぅ無念この鬼道シン、一生の不覚!」
後ろ髪引かれる思いで舞姫の誘いを断り、シンは図書室に向かった。調べ物があるのだ。
「うっ」
室内に入ると淀んだ空気に顔を歪める。
「エアコン効いてないのか」
窓を開けると、運動部の元気なかけ声と共に、気持ちいい外気が入ってくる。
周囲を見渡すと、勉強や読者してる生徒達が数人いた。
(換気しないで、よくいられるな)
彼らの邪魔にならない様に、静かに本棚をまわる。
見取り図を指で確認し、そこに向かった。
その棚には、年毎にファイルに閉じられた新聞のバックナンバーが、綺麗に収められている。
(……これだな)
十年前の日付が書かれたファイルを取り出すと、パラパラとめくり出す。
(あった)
ある記事で、手の動きが止まる。
そこには神嶋高校の三年生、武蔵巴が帰宅途中に行方不明になったと、書かれていた。
(巴さん、神嶋だったのか)
「ん、なになに……武蔵巴さん十八才が行方不明……か」
「ま、舞姫!」
背後から舞姫が覗き込み、記事を読みはじめた。
「驚き過ぎだよ、図書室では静かにね」
しっーと人差し指を唇に当てて、微笑んでる。
「帰らなかったの?」
「んんん、シンが図書室行くの見かけたからね。それで、この女性がどうかしたのかな?」
ハイライトの消えた瞳で、シンを見つめる。
「い、いや別に……調べ物中に、たまたま目に入っただけ」
「ふ~ん、綺麗な子だね。こういう人がタイプ?」
不満そうに声をもらす。
(なんか、ものすごい重圧を感じる)
「お、俺も小説書こうかなって思って、ネタ探し」
口から出任せ。その場しのぎの嘘をつく。
「そ、そうなの? どんな話し」
今までとは一変。重たい雰囲気がガラリと反転した。
嬉しそうにキラキラと瞳が光り、顔を近づけ食いついてくる。
「玩具が意思を持って、動きまわる設定なんだけど、しっくりこないんだよね」
「……なら憑くも神……なんて、どう」
「つくもがみ?」
「ざっくり言うと、物にとりつく神様だね」
左目が捉えた、白い種。あれが車の玩具にとりついて動かした。
なる程、それなら種を破壊して元の玩具に戻ったのも、納得できる。
「それだよ! 舞姫。流石親友!」
アスファルトなみに凝り固まった便秘から解放された様に、実に清々しい。
すっきりした気持ちになったシンは、舞姫をギュッと抱きしめてしまう。
「あんっっ」
頬を染めて、官能的な声を舞姫はもらす。
「つい嬉しくて、ごめんな」
いくらスケベなシンも異性の友人に対して、越えてはいけないラインはわきまえているつもりだ。
心から謝罪し慌てて離れようとするが、舞姫はがっしりとホールドしてる。
「いいよ」
それだけ言うと、目をつぶる。
『いいよ……いいよ……いいよ……』
その三文字がこだまする。
「いただきます!」
ラインを軽々と飛び越え、鼻息荒く押し倒す。
「……はっ……」
室内にいる生徒達の視線に気づいた。
一斉にこっちを見ている。
睨む者、羨む者。携帯を構える者。
全員の思いは、只一つ。
『煩い。出てけ』
「すいません」
二人はペコペコと頭を下げて、図書室から逃げるように去った。
『ピピピピピピ』
携帯のアラーム音で、シンは目を覚ました。
今日は巴と遊ぶ約束した日だが、休みに早く起きるのは、やはりしんどい。
「お兄ちゃん、おはよぉ」
隣には何食わぬ顔で、美亜が寝ていた。
毎度の事なんで驚きはしないが、流石に何も着てないのはどうかと思う。
「兄として、お前の貞操観念が不安でしょうがない」
「ひどーい。全裸晒すの、お兄ちゃんの前だけだし」
「いやいや、その時点で間違ってるから」
いつもの兄妹コミュニケーションを一通り終えると、シンは身支度を済ませ待ち合わせ場所に向かった。
指定されたのは、駅前。学校で待ち合わせすればいいのにと思ったが、友人達に声かけられても色々と面倒だ。何故なら遊ぶ相手は、自分以外に認識出来ないのだから。
「シンくん」
巴がいつものセーラー服姿で、横断歩道の前で手を振っていた。
軽く頷き、目で合図を送る。
スッと巴は横断歩道を歩き出す。
歩行者用の信号は赤だ。
「巴さん、車!」
タクシーが向かってくるの見えた。
運転手は勿論、彼女に気づかない。
主人公ならここで飛び出す所だが、残念ながらシンの身体は竦んで動けない。左目以外は普通の少年だからだ。
不思議な事が起きた。何故かタクシーの速度は緩やかに減速する。巴はそうなる事がわかっているのか、ゆっくり近づく車の前を渡りきる。
認識出来てないが、そこに誰かがいると運転手は無意識に理解しているのだ。
それはリリスと同じ悪魔の力だと云う事を、シンはまだ知らない。
「びっくりしましたか?」
目を覗き込む。
「…………」
ぷいっと、シンは顔を背け一人で歩きだす。
「し、シンくん」
後ろから巴の驚いた声が、聞こえてくるが知るものか。
非常に腹がたつ。
車にひかれたら、どうするつもりだったんだ。
能力を過信して、命で遊ぶ事がシンは許せなかった。
もう楽しい気分では無い。
待ち合わせ場所から、離れていく。
「待ってシンくん、待ってください」
その気持ちが伝わったのか、慌てて追いかけてくる。
「巴さん、俺はそういう冗談一番嫌い。人を嫌な気持ちにさせて楽しい?」
どう思われてもいい。これで関係性が壊れても構わない。
シンはハッキリと、自分は不快だと意思表示する。
「ごめんなさい……十年ぶりに誰かと交流できるのが嬉しくて……」
「それはわかる……でも巴さんに何かあれば俺は泣くから、例え無傷でもその手の冗談は、これからは無しって事で」
「は、はい」
「うん。じゃあこの話はおしまい。遊びに行こう」
シンは笑顔を見せる。
「はい!」
巴は元気に返事して、隣りに並んで歩き出した。
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