第3話 巴 幽霊の少女(3)

 プールサイドの件は舞姫曰わく、「噂の幽霊じゃないのかな」の一言で済み、その後は話題になる事も無く、何時も通り日常を過ごしている。

 しかし本当にそうだろうか。日常なんてとっくに破壊されたのではないか。あの真紅の悪魔によって。


『ごめんなさい』


 艶やかな黒髪の美少女は、怯える自分にそう言った。

 チクリと心が痛む。

 あの人はリリスとは別人だ。

 それなのに自分は、只見てるだけで無害な幽霊を拒絶してしまった。

「謝らないと」

 あそこにいるか分からないが、放課後プールに顔を出してみるか。


 ――つん。つぅぅぅぅ。


「はぅんっ!」

 シンは体をビクッと震わせ喘ぐ。後ろに座るもう一人の幼馴染、ボーイッシュな美少女。獅子神白虎(しし子)の指先が背中をくすぐったのだ。

「(ははははっ、ビクンって相変わらず感じやすいなアホシンは)」

 授業中だ。二人は周囲に聞こえないようコソコソと会話する。

「(うっさいなぁ。エロしし子なんかようか)」

「(謝るって? 舞姫になにかしたん?)」

「(なぜそこに舞姫がでてくる)」

「(おまえ舞姫のボイン、ガン見してるのバレバレだぞ)」

「(バレたぁぁあああああ。いやいやいやいやそれは誤解だぞしし子。そこに山あったら登るだろ。それと同じでさぁーおっぱいあったらさぁぁ見るだろぉぉぉ)」

「(凄い早口だな、おまえ。でもアホシン。アタイだって舞姫に負けてないぜ。大きさで負けるが形ならアタイだってイケるぜ)」

「(うん。知って……)」


 ――きゃぁぁぁぁ。


 しし子との楽しい会話が中断する。シンは助けを求める少女の悲鳴を聞いた。

 シンの座る窓際の席から、プールが見えた。

「シン? どうした。なにかあるのか」

 急に真面目な表情を浮かべ外を見たので、しし子もつられて顔を動かす。

「なにもないぞ」

「鬼道、獅子神?」

 シンがいきなり立ちあがったので、獅子神の体調でも悪いのかと心配し教師が話しかけてきた。

「先生すいません。漏れそう」

 シンは頭を下げて、教室を飛び出した。

 舞姫としし子がシンの名を呼んだが、足を止めない。

 シンには見えたのだ。悲鳴をあげてプールサイドで逃げる黒髪の少女を。白い翼を生やしたナニカが、彼女に襲い掛かろうとしている。


 プールにたどり着くが、施錠されていて入れない。

『いやっいやぁぁ』

 少女の悲鳴が聞こえてくる。

 シンは居ても立ってもいられなくなり、柵によじ登った。

 左目が疼く。

 プールサイドで腰を抜かして後ずさりする少女と、それを追う白い羽毛に包まれた一対の翼を生やす三十センチ程の車の玩具が見えた。

「うらっ」

 車を蹴飛ばし、少女の腕を掴む。

「立てる?」

「は、はいっ……あのわたし見えます?」

「うん。異能力に目覚めたかな」

 立ち上がらせ、逃げようと手を取る。

「あの……手……」

 少女は頬を染めて、恥ずかしそう。

「あっ、ごめん」

 離そうとするが、強く握りしめてくる。

「いえ嬉しいです……このままで……」

「嬉しい?」

 首を捻るが、今はこの場から離れる事が先だ。

「逃げよう」と提案するが、「出来ません」と返される。

「どうして?」

「ここを出たら、次はみんなかも……」

「……確かに」

 可能性はある。

 学校には舞姫や美亜、しし子達がいる。

 あの白翼の車が何なのかわからないが、友好的で無いのはわかった。


 ふわり。蹴飛ばした車の翼が羽ばたき、体勢を立て直す。

 正面のライトが点灯し、こちらを照らした。

「やる気満々だな、あの車」

 幻覚か。左目が車の中で根をはる、白い種を捉えた。

「俺は鬼道シン。君の名前は?」

「武蔵巴です」

「巴さん、足速い?」

「人並みですね」

「あそこに更衣室あるでしょ。鍵閉めて隠れてて」

「シンくんは?」

「あれを倒す! 車のオモチャに負けてたまるか」

「でも……」

「議論してる場合じゃないっ、来る!」

 車は自らの体を弾丸の様にして、撃ち出した。

 シンは巴を突き飛ばす。その足元に大きな弾痕が出来た。

「今の内に!」

 二人は走りだす。

 巴は更衣室へ。シンは掃除用具入れに。

「あった!」

 先日使ったデッキブラシを手に取った。

 弾痕から車がバックして這い出て来る。

「こっちだ。来い!」

 挑発し自分に矛先を向けさせた。

 翼をはためかせると、アクセル全開。加速は最速。再び弾丸が放たれる。

(なんだコレ……)

 シンは自分の目を疑った。弾丸化した車が、ゆっくりとした動きで向かってくるのが見えたのだ。

 まるでスローで再生する映像を見てるみたいだ。

 人はアドレナリンを大量に分泌すると、時の流れが緩やかに感じると云う。

 それと同じ事が、自分の身に起きたのか。

「ふははははキター、俺の時代キター!」

 タイミング合わせ、ブラシで叩き落とす。

「どうだ!」

 シュッパ。風が鳴る。

 ポロポロポロポロと、ブラシが鋭利な刃で切断されて崩れていく。

「マジかよ……」

 テンション高くのぼせていた気持ちが、ゆっくりと冷めていった。

 車の白い翼が鎌に変化していたのだ。

「ぬあっ」

 顔を歪め、体が恐怖で汗ばむ。喉が乾き唾すら出ない。

(あんな攻撃、いくら見えてるからって無理だ)

 首に当たったら、カスリ傷でも致命傷となる。

 鎌から逃げようと、後ずさる。段差に足を取られ尻餅をついた。

「ひっ」

 鎌首をもたげた刃から顔を逸らし、少女のような悲鳴をあげる。

「…………」

 生を断ち切る刃が来ない。いつまでたっても、落ちてこない。

 シンは恐る恐る顔を上げた。

 車の屋根にマイナスドライバーが深々と突き刺さり、先端部分は白い種子まで届いている。動作は停止し沈黙。そこに転がるは只の玩具だ。

「と、巴さん……助かったよ」

 音もなく気配を感じさせず、幽霊の様に巴が玩具を見下ろしていた。


「はあはあ、良かったぁ間に合って。更衣室のロッカーの上に工具箱ありました」

 ベたりと巴もしゃがみこんで、笑みを浮かべた。

「鬼道!」

 険しい表情のジャージ着た教師が近づいて来る。

「授業サボって何やってんだ! 来いっ」

 ムンズと首根っこ捕まえると、シンを強引に連れていく。

「あぁシンくん」

 勿論、巴の姿も声も教師は認識しない。

「壊れたモップに、ドライバーに、車の玩具? 子供かお前は!」

 シンは苦笑いを浮かべ、手を軽く振ると去って行った。


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