DIVE!

第1話

 誰も気付かないままで流れるように終わっていく夏の日に、微かな物悲しさを覚えた朝。部屋のカーテンを開けても太陽は依然変わりなく存在を主張していて、僕は突き動かされるようにサンダルで家を出た。

 悠太ゆうたを、探しに行かないと。


 校舎の屋上でも蝉が鳴いている。入道雲が青すぎる空に嫌な体育教師のような我が物顔で居座って、悠太の咥えていた棒アイスが溶けて滴り落ちる。空調システムの室外機に背中を預け、悠太はその日陰で地上の様子を眺めていた。

 8月1日の昼下がり。夏休み真っ只中の校舎はしんと静かで、水泳部のために特別に解放された眼下のプールだけが水音を響かせている。立てた足音も妙に響いて、悠太は僕に気付いた。


「おー、颯斗はやと。昨日ぶりじゃん」

「ここに居ると思ったよ。覗きでもしてた?」

「やるかバカ。家にいても暇で外に出たんだけど、する事もないからここに居ただけだって」


 お前も暇だろ、と尋ね返す悠太に無言で頷き、隣に座る。欄干を隔てて見える外の景色はどこを見渡しても深緑で、盆地であるこの街の閉塞感を表しているかのようだった。来年からは、このように悠太と話すことはないのだろう。

 僕が県外の大学に進学を決めた時、悠太は少しガッカリした表情だったことを今でも覚えている。地元愛が強い悠太は、家業を継ぐこともあって街に残ることを選んだ。道を違えたわけではないが、寂しさは消えない。


「なぁ、颯斗。お前さ、スタンド能力持つなら何にしたい?」

「急にどうしたよ。最近ジョジョ読んだ?」

「今まで絵柄で敬遠してた自分をブン殴りたいわ。めちゃくちゃ面白いじゃん!!」


 最近3部を読んだと話す悠太が語る魅力を聞き流しながら、僕は思わず苦笑する。僕が昔から好きだった漫画をやっと読んだか。今まで薦めても感触が良くなかった作品を急に読み始めた理由を、しっかりと胸に刻んでおく。


「逆に聞くけど、悠太は何が欲しい?」

「俺? そりゃ、『世界ザ・ワールド』でしょ……」

「……お前さぁ」

「別に時間停止をそういう用途に使いたいわけではねーよ!?」

「ホントかな……。まぁ、スタンド自体はカッコいいもんな……」


 時間を止める。時を飛ばす。並行世界を移動する。ラスボスの能力は無法で規模が大きいのが定番で、だからこそ面白い。だとすれば、僕が求める能力は一つだ。


「じゃあ、僕は『バイツァ・ダスト』が欲しいかな」

「ばいつぁ……?」

「ごめん、ネタバレだわ。後々出てくるのよ、時間を巻き戻す能力が!」

「そんなの、どうやって勝つんだよ?」

「それはお楽しみ。いや、マジで痺れる展開だから。楽しみにしてて」


 絶対読めよ、と冗談っぽく念を押す。悠太は静かに笑っていた。


「今の記憶を宿したまま過去に戻れるとするじゃん。過去の人から見たら、未来から来たように見えるってことだよね」

「……そうなるな」


 息を吐く。炎天下の太陽が、今日はより輝いて見えた。


「僕が未来から来たとしたら、どうする?」

「どれくらいの未来?」

「……1週間後」

「短っ!!!」


 悠太は僕の真剣な表情を見て、腹を抱えて笑う。確かに荒唐無稽な話だが、こっちは真面目だ。


「未来人さん、来週何が起きるか聞いていいですか? 俺が驚くような、ビッグな話題だよ」

「……ヒロアカ、来週で終わるよ」

「知らねーやつの方が少ない情報だろそれ! そういうのじゃなくてさ……」

「最終回の内容まで話そうか?」

「やめろ!!! ワンチャン早バレの可能性もあるだろ!!」

「冗談はさておき。仮に来週の話をしたとして、悠太が信じるかどうかが気になるんだよ。僕は信じてほしいと思ってる」

「颯斗の言うことだし、信じるよ。だから、明日の俺がどうなってるか聞いていいか?」


 知ってるよ。知ってるけど、言えないこともあるんだよ。僕は内心で言葉を紡ぐ。お前が今から何をやるかも、その結果僕がどんなに苦しむかも、全部。


    *    *    *


 飛び降りだった。

 8月2日の朝に見つかった悠太の身体は、全身の骨を折った状態でプールサイドに倒れていた。欄干の一部が老朽化しており、そこから飛び降りたとの見立てだ。遺書はなく、突発的な行動だったという。

 幸い即死は免れたが、意識はまだ戻っていない。悠太はずっと病院で眠ったままで、今後目を覚ます保証はないのだと聞いた。


 僕のせいだ。悠太は、もしかしたら思い悩んでいたのかもしれない。

 狭い田舎のコミュニティ内で小中高とずっと一緒だったから、僕がこの街を離れたくらいでは友情が消えないと信じ込んでいた。たまに帰省した時に互いの近況を報告しあって、お互いに大人になったことを実感し合う、そんな関係になると思っていた。

 言葉を交わさなくても信頼し合っていると思っていたのは僕だけで、あいつのことを考える努力を怠っていた。現に飛び降りる兆候さえ解らなかったのだ。

 ベッドの上で何度も嗚咽しながら、何も知らない自分を呪った。やり直したい。やり直さないといけない。意味がないはずの後悔を繰り返しながら、僕はいつの間にか眠っていた。


 神様がどこかで見ていたのか、僕の願いは叶った。目を覚ました今日が8月1日の朝である事を理解し、僕は一も二もなく駆け出していた。悠太と話をするために。


    *    *    *


「なぁ悠太。時間が戻るなら、どうする?」

「これが溶ける前まで戻してくれ。最悪なことになった!」


 悠太は溶けかけたアイスを溢さないように口に運びながら、にべもなく答える。時間は否応なく過ぎて、太陽は徐々に下降し始めている。徐々に水色の液体と化しつつある氷菓を完食し、悠太は苦しそうに顳顬こめかみを両手で押さえた。

 溶けていくアイスのように、来るはずの運命は待ってくれない。日陰に仰向けで寝転び、悠太はポツリと呟く。


「ずっと思ってたんだけどさぁ、やっぱ夏休みって短いよな」

「……まだ1ヶ月もあるのに?」

「俺は関係ねぇけど、大学生の夏休みって長いんだろ? 高3の夏休みなんか気付いたら終わってるんだよ。楽しもうが、悲しもうが、どうしようもなく過ぎていく。そうやって、お前と一緒の夏が終わっていくのが嫌なんだよ」


 時間を止めたい、と悠太が語る理由は何となく理解できた。僕と過ごす時間を永遠にしようとしたのか。だからといって飛び降りるのは違うだろ。


「聞いてくれよ、颯斗。ここでずっと空とか見てたら、俺も飛べるかなって気分になるんだ」

「何言ってんだよ。……やめろよ」

「世界の時間が止まったらさぁ、空中に浮いたまま過ごせんのかな? 高いところから下の奴ら見つめてさ。あっ、それって……」


 幽霊みたいだ。口から出る言葉を抑え、内心で吐き捨てる。馬鹿、馬鹿。直接言葉にするしか、あいつを止める方法はないのか。

 明るい姿を見せていた悠太の暗部を表沙汰にすることを恐れていたのは、僕自身だ。軽口を叩くあいつの本音を引き出すために、僕も本音をぶつけるしかない。


「悠太、俺の話を……」

「颯斗。見ててくれよ、俺の“飛び込み”!」


 欄干を跨ぎ、悠太は俺の方を向いて笑う。運命の強制力だとでも言うのか、それが最初から決まっていたかのようだ。


「なんで……なんでそんな真似するんだよ!」

「なんでって、思い出作りだよ。夏の思い出〜!」


 悠太の笑みが視界からふっ、と消える。背中から落下した事を理解したのは直後だ。なんの躊躇いや迷いもなく、あいつはそれが当然かのように落ちていく。

 声を出す間もなく、僕は反射的に悠太の腕を掴んでいた。言葉は遅い。行動で止めるしかない。落下速度を上回るかのような速さで動いたような錯覚と共に、気付けば動いていた。


「颯斗……?」

「何バカな事やってんだよ!!」


 重力は容赦なく僕の身体まで引きずって、僕たちは揃って自由落下に身を委ねる。温い風が肌にまとわりついて、僕の視界は落ちていく悠太の姿を捉え続ける。その表情が徐々に強張っていき、身体は徐々に軌道を変えていく。


 抱き留め、空を蹴る。僕はどうなってもいい。だから神様、悠太を助けてください。


 落下軌道に干渉するかのように体重を移動させれば、瞬時に目に飛び込んだのは水面だ。衝撃が全身を揺らす。僕たちは、既に人の出払ったプールに着水した。


「……痛ってぇ!!」


 服を濡らして浮上する僕たちは、水面に落ちる衝撃を確かに体感した。痛い。痛いけど、互いに怪我はない!

 眩しすぎる陽光が水面に反射し、水温は快適とは言えない。僕は悠太の腕を掴んだまま引き寄せると、濡れたTシャツの胸倉を掴み上げる。


「死ぬなよ、悠太!! 僕は今ここに居るし、離れても親友だろ……ッ!? 他の何が変わっても、それだけは変わらないって!!」


 咄嗟に出た言葉は、隠しようのない本音だった。冷静になればもっとマシな事を言えるかもしれないが、今の僕にそんな余裕はない。ただ心が発している言葉を、頭が後で意味付けしていくだけだ。


「……死ぬ?」


 悠太がキョトンとした顔で僕を見つめる。何度か瞬きをして意味を理解したのか、突如として笑い出した。


「……違う違う! 死のうとしてないよ俺!?」

「……は?」

「言ったじゃん、“飛び込み”だって! 屋上でずっとプール見てたらさぁ、これくらいの高さなら行けるんじゃねぇかなって思ったのよ。ほら、高飛び込みってもっと高い所から飛ぶじゃん!」


 状況を整理しよう。僕は混乱する頭を冷やすために一度プールに潜り、再び浮上する。

 遺書のない飛び降りではなく、飛び込み失敗による事故だとすれば。今までの会話が繋がっていき、僕は自分の早合点を知る。つまり、勘違いと深読みだ。


「バカ、お前マジでさぁ……。いや、この場合は僕もなんだけど……! お前が死ぬ気だと思って、めっちゃ心配して……」

「颯斗との関係性が変わらないのなんか、当然だろ? 今更何言ってんだよ?」 

「当たり前だバカ!!!!!」


 僕たちはプールサイドに腰掛け、濡れたTシャツを絞る。着替えなんて用意してないから衣服が肌に張り付く不快感は残っているが、まだ残っている暑さが乾かしてくれるだろう。


「颯斗。『未来から来た』って話さ、俺の飛び降りを止めるための嘘だろ? 吐くにしても、もっとマシな嘘にしろよ!」

「いや、それはマジ。僕がいないと、プールサイドに着地して大怪我してるよ」

「……マジ?」


 過去を変えたことで、運命は変わるのだろうか。僕が神様に望んだのが“やり直し”で間違いないなら、未来は変わっていくのかもしれない。とにかく、僕は未来人としてのアドバンテージを失った。


「未来人さん、俺と颯斗は明日どうなってるか知ってる?」

「それは見える。明日も二人でバカ話してるよ。くだらなくて、次の日になると忘れてしまうような話を」

「……俺も同じ景色が見えたから、未来人って名乗っていい?」

「乗っかるなよ。まぁ、名乗るのは自由じゃない?」


 悠太はプールサイドから屋上を眺め、微かに笑う。俺たちが落ちた3階建ての校舎は、何も変わらずにそこに建っている。


「でも、男子高校生に未来を考えてる余裕なんかないよな? そんなん考えてたら夏休みなんてすぐ終わるぜ? 俺たちは、今日を楽しむのに忙しいんだよーッ!」

「なんのアジテーションだよ」


 高校の夏休みは短くて、アイスはすぐに溶けていく。それを憂いている時間さえ勿体無いのかもしれない。隣で馬鹿なことをやる親友を眺めながら、そんなことを思う。


「また明日ね、悠太」

「じゃーな、颯斗」


 夕陽に染まる水面を背中に、僕たちは生乾きの服を着たまま歩き続ける。明日がきっと良い日になることは、未来が見えなくてもわかった。

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