三章 Despair

三章 1

 鏑木かぶらぎひじり


 狭い縁側から覗く色の無い庭は退屈だった。溶け残った積雪と緑のコントラストが綺麗なのだろうということは分かるが、それでも僕にはモノクロに見える。

 狭い曇天から雪が舞い落ちてくるのを見て、背後で木の軋む音に振り返った。

「聖。平岡ひらおかさんが神社に呼んどるで、行くぞ」

 制服姿の隼人はやとがそう言って、僕はゆっくり立ち上がる。

「隼人はさ、この庭が綺麗だって思う?」

 僕の質問に、隼人は玄関に向かおうとする足を止めた。

 半分ほど閉められた雨戸を開け放ち、広くなったその庭の景色に目をやっても、僕の感想は変わらない。退屈だ。

 隼人は少し逡巡するような様子で目線を泳がせ、少し間を置いて答えた。

「……いや、小さい頃から見慣れとるもんで、別に」

 彼の答えを聞いて僕は納得し、それと同時に少し落胆した。それは、幼い頃からこの家に育てられた人間からしか得られない答えだったからだ。

「分家とはいえうちも鏑木だでな、本家との関わりは深いもんだ。俺も昔からこの家にはよう来とった」

 隼人が勢いに乗って話す横で、僕は見たことのないその景色に、昔の自分を重ねる。もしも自分もそこに居たら、今と違う未来だったのかもしれない。

 どうしたって、僕の見る景色がこれ以上鮮やかになることはもうこの先無いだろう。

「もう今は僕しか居ないけどね」

 そう言って先に玄関に向かう僕を、化け物を見るような目つきで隼人が見ていたけれど、もうその目線には慣れてしまった。


 平岡が呼び出した篠宮神社に着く頃、外は暗くなり、本格的に雪が降り始めていた。冷たい風が強く吹き付け、軽い吹雪のように雪の粒が服に張り付いては溶けていく。

 本殿の前で何名か村人が集まって慌ただしくなっていた。僕らの他にも何人かが招集されているらしい。爆ぜる松明に照らされて、何人かの人影が輪を作って何事か話している。

 その中には、千代ちしろ箱守はこもりの家から派生した分家の人間たちもいるようだった。

 僕らに気付くと、彼らの中に紛れて居た北澤きたざわが一歩前に出てきた。

「千代邸に原崎はらざきかなめが来ていました」

 酷く機嫌の悪そうな北澤の口から出たその名前は、以前平岡に聞いたことがあった。カクリヨ社の裏切り者で、YOMIヨミというサービスを作ったうちの一人。

「だから千代穂香ほのかの始末も失敗?」

 僕がそう聞くと、北澤は小さく震えながら頷いた。歯ぎしりがこちらまで聞こえてきそうなほど苛立っているのが分かる。その震えが寒さによるものではないことを示している。

 探偵事務所襲撃も失敗に終わっている。どこかで寄り道でもしていたのか、北澤が火を放つタイミングが悪かったのかは知らないが、彼女の心中が穏やかではないことは確かだろう。

「詳しくは下で」

 そう言って本殿の中に向かう北澤へ着いていくと、背後から隼人に声を掛けられた。

「俺は警備の為に残っとるもんで、他の人らも一緒に連れてってくれ」

 隼人のその言葉に促され、他の村人たちも僕の後に続いて本殿の中へ入っていく。

 最後に振り向いた隼人が、縋るようにしきりに腰に差した拳銃を握っているのが妙に印象に残り、その光景が視界に焼き付くような気がした。

「いつ見たってさんかく様は美しいんなぁ」

「俺達もやっと昇華だに」

「ああ、ずっと待ち切れなんだわなぁ」

 誰かがそう会話して、その場の全員が御神体が祀られる棚に向かって三角形のお辞儀をする。そして何事かを唱え始めた。

 僕は「さんかく様」を一瞥だけして、北澤が落とし戸を開けるのを手伝った。本殿の中の木造りとは違い、コンクリートや鉄材を使った現代的で冷たい建築様式の深くへと続く階段を下へ下へと降りていく。

「君はお祈りしなくていいの?」

 前を歩く北澤へ声を掛けても、彼女は振り向かずに小さく答えた。

「私の神はアレじゃないですから」

 僅かに怒気を孕んだような声色に興味を惹かれ、僕は続けて質問する。

「じゃあ君の神はどこに?」

「もういません」

 北澤はそれだけ言うと、以降何も喋らないままだった。

 最下層へたどり着き、重そうな扉の先は開けた空間になっていた。真っ暗だが、その中央部にベッドのようなものに寝かせられた誰かがいる。その脇には、平岡が立っていた。

「聖くん、ご足労頂きありがとう」

 平岡がわざとらしい身振り手振りで深いお辞儀をする。この人はいつもこうだ。その飾った外見は何か意図があるのか、それとも内面を隠す仮面なのかは判然としないが。

「さて、北澤の情報によると、新堂しんどう朱音あかねと原崎要がまたもや村に入ってきているという事ですが……」

「その探偵はもうすぐ死ぬよ。僕の呪いが進行してるんでしょ?」

 そう言って僕が北澤を振り向くと、彼女は小さく頷いて言った。

「恐らく臓器系統へ深くダメージを負っているかと。まともには動けないでしょう」

 それを聞いてしかし平岡は表情を変えなかった。

「あの女は度胸があります。死なない限り恐らく原崎と共にもうすぐここへ到達するでしょう」

 平岡は、中央で寝ている女性の元へ歩み寄り、その頬をゆっくりと撫でた。彼女は人工呼吸器を始めとした様々な機械にその身体を繋がれ、心拍らしきものをモニターされている。

 身体は生きているが、その意識がもう無いのだという。

「そして、この来栖も恐らく一緒」

「見つけたのですか?」

 北澤が食い気味にそう聞くと、平岡は頷いた。

「信者の方々の監視網に引っかかったようでね。妹である箱守の娘と一緒にいるようです」

 平岡は姿勢を正して、僕らの方を向いて声を張り上げた。

「しかし、予定通りアセンションは行わなければならない。二人には邪魔が来た時に儀式を中断させないよう、警護を頼みます」

 北澤がそれを聞いて、何故か肩の力を抜いたような安心したような表情を見せたのが気になった。

「それと聖くんにはコレを」

 平岡がビニールに密閉されたゴミのような小さな何かを取り出し、僕に渡してくる。受け取って中身を検めてみるとそれは、紙巻き煙草の吸い殻のようだった。

「千代医院の周辺に落ちていたのを信者に見つけさせました。必要でしょうから」

 その意味を理解すると共に、暗いはずのその部屋が明るく広がった気さえする。

 村一つを巻き込む程の団体を纏め上げる事の出来る人間が、僕を必要としている。その事実だけあれば良かった。

 僕はこれまで、いつだって理由を求め過ぎていたんだ。ここに居る理由や道理が正しいものであるという確信が欲しいからだ。

 空っぽな心を満たしてくれる完璧な理由さえあれば、人間は何だって可能にしてしまう。

 一見無理だと思える事でも、理由と方法さえ正しければ、殺人だって自ら生命を差し出す事だって出来る。

 それが時として、狩人と獲物の立場を逆転させることもある。僕はそうだと知っているからこそ、北澤に助言する。

「逃した獲物に追われないようにね」

 北澤はその意味を理解しかねた様子で、暗闇の向こうへと歩いていった。

 遅れて下まで降りてきた村人たちが集まり、違う部屋へ着替えに入っていった。儀式とやらの準備をするためだそうだ。

 その時、近付いてくるような耳鳴りと頭痛がして、彼らの到着を感じさせた。新堂朱音……。その名前を頭の中で反芻し、彼女に会える事を思うと、何故か込み上がる喜びに笑みを抑えることが出来なかった。

 やはりこの村は良い場所だ。全てを僕に与えてくれる。渇望していたものを、何もかも。

 浮かんでしまった笑顔を無理やり直して、僕は入口の大きな扉を見据えた。早く来て欲しい。この激情を彼らに受け止めて欲しい。そんな思いを必死に抑えながら、僕はその時が来るのをひたすら待ち望んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る