三章 4

 新堂しんどう朱音あかね


 かなめさんの目から光が消え、私の視界で捉えている白い粒子が彼の身体から失われ、上空へ上って溶けていくのが最後に見えた。

 死んだ。要さんが死んだんだ。

 私はその受け入れ難い事実を一旦無視して、たった今拾い上げたカグツチのデータを凛苑りおんに向けてアップロードさせる事に集中した。

 銀髪の不気味な男は制圧出来たし、要さんから受け取った発煙筒のおかげで私を蝕むクルス粒子の侵食が僅かに止まっている。

 クルス粒子の結合を一時だけでも破壊することが出来るなら、あの気色の悪い儀式のようなものも足止め出来るはずだ。

今はとにかく、要さんのやろうとしていた事を引き継がなければ。

 一瞬、要さんとの思い出が目の前を過った。

 出会いは最悪なものだったが、厳しくも聡明で、不器用だけど優しい人だった。YOMIヨミを崩壊させた時にわざと実名で内部告発をしたのは、全ての責任を一人で負うためだったと今なら分かる。

 私や、他の関わった人間たちに少しでも危険が及ばないよう、カクリヨからの目を一手に引き受けてくれていたのだ。

 誰よりも人のことを心配し、他者のために自分を犠牲に差し出すことが出来る人。彼もまた、七彩ななせと同じ様に誰かのために一生懸命になれる人だった。

 そうして七彩の事を思い出していると、誰かが肩に触れる感触に驚かされた。今、小麦こむぎは要さんの傍らで涙を浮かべて震えている。近くには居ない。誰だ?

 振り返ったそこには、七彩が居た。今まで見た姿と全く違う、はっきりと彼女の姿がそこに在る。

 真剣な眼差しの七彩は、私の肩をしっかり抱いて支えてくれている。多少体重を預けても大丈夫だ、本当に彼女がそこにいるようなリアリティがある。

「やり遂げよう。朱音なら出来る」

 彼女の瞳は、いつかのようにオレンジ色に煌めいていた。

 その時、私は実感した。七彩はいつも私を支えてくれていたのだ。

 恨みや憎しみによって亡霊としてこの世に縛られているんじゃない。彼女は私の背中をずっと後押しし、勇気をくれようとしていたのだ。

 喪った悲しみにいつまでも囚われ続けるのではなく、彼女のようになれない劣等感を抱き続けるのでもなく、私はただ前に進むだけで良かったんだ。

 得意なことも苦手なことも、それら全てのありのままを受け入れて、ただ自分の正しいと信じた行動を起こすこと。

 忘れかけていた、彼女から教えてもらったことを思い出していく。

 私は改めて薄い視界の中で、部屋の中央に輪になった信者たちを見据える。奇妙なモスキート音の歌は大きくなっていき、稀人が近づく感覚は時間が経つに連れ大きく近付いてきている。やるならもう今しかない。

 だが、リンクスを用いた遠隔アップロードは、対象をハッキリ視認していないといけない。私の視界はもうすでに殆どが見えず、人と床の境界線がギリギリ認識出来るくらいしかない。

 どうすればいい……?

 すると、次に瞬きをした時、視野が急に開け、ぼやけていた光景が鮮明に映っていく。

 さっきよりも、物体が鮮明に認識出来る。私の視界のようで、そうではない。

 これはまさか、七彩の視界なのか?

 凛苑から聞いた情報を一瞬で整理し、私はこの自分に起こっている現象の仮説にたどり着く。

 これは「他者の視界を自分のものにする」ような現象だ。そして、恐らくは私に宿ったクルス粒子が引き起こしていると見て間違いない。

 そしてここにいる七彩は、死者の意識、つまり幽霊なのだろう。これもまた、意識に粒子が結びついて起きている現象。

 私は、生者の視界も死者の視界も、それを借りて見ることが出来る。改めてそう確信した。

 これなら可能だ。私は輪の中の凛苑さんに焦点を合わせた。リンクスに命令を発し、カグツチのアップロードが開始された。

 隣で人が動く気配がすると同時に、七彩の視界もそちらへ向いた。さっき制圧した銀髪の男が、北澤きたざわに担がれて意識を取り戻していた。

 奴に再び睨まれた途端に、抑えられていた頭痛が再び再来した。思わず倒れ込みそうになるが、七彩が支えてくれているためか、私は立ち続けることが出来た。

「やめて!」

 背後から駆け寄ってきた小麦が、私と北澤との間に両手を広げて立ち塞がった。危ない、と思う間もなく、小麦は北澤にあっけなく蹴り飛ばされた。

 蹴られた腹部を押さえながら、尚も立ち上がろうとする小麦に苛立ったのか、北澤がその髪を掴んで再び蹴り上げた。

「目障りなんだよ、邪魔するな!」

 何発か蹴られた小麦がうずくまって苦しそうに震えているのを見て、私の中に静かな怒りがこみ上げてくる。だが、今はアップロードを優先せねば。

「もうすぐ邂逅かいこうが果たされるんだ、大人しくしてろ」

 北澤はそう吐き捨て、小麦を足蹴にして押さえつけた。それを確認した銀髪の男が、私の目の前に立ちはだかり、暗い瞳で見つめてくる。

 コイツだ。私の体調がおかしい原因を作り出しているのは。

 さっき神社の境内で、穂香ほのかさんがこいつを見た時に、名を口にしていた事を思い出す。

 鏑木かぶらぎひじり

 篠宮しのみや御三家の一つで、御業みわざと呼ばれた超常的な力を扱うことの出来る一族の人間。すなわち、呪いを扱う者。

 私はいつの間にか、この聖という男に呪われていたのだ。

「どいて、北澤さん。……新堂、朱音」

 聖が私の名を呟いて、不思議そうに小首を傾げた。何かを思い出すかのような仕草だが、目線は私から外さない。

 カグツチのアップロードはもう少しかかるはずだったが、その時急に痛みが収まり、意識の集中を取り戻せ、進捗状況を進めることが出来た。

田上たがみ康介こうすけを覚えてるか」

 その名前が不意に奴の口から出てきたことに私は困惑した。何故コイツが田上の名前を知っている?

 過去の記憶が呼び起こされていく。七彩と受けた依頼、ビルの炎上、死。

 何かが結ばれていく感覚があった。私の中に嫌な仮説が浮かぶ。

 カグツチは、感染した宿主に自己破壊衝動を覚えさせる。意識に介入するのだ。

 それはすなわち、クルス粒子による意識の人為的なコントロールによって作用しているのではないか?

 だとしたら、クルス粒子を用いた呪いによって人を死に至らしめる事の出来る聖にも、それは可能なのでは?

 田上康介がMSTミズシマ・サイエンス・テクノロジーのビルに自分ごと火を放ったのは、聖による呪いだったのか?

 聖の瞳を見つめ返し、その中で踊る火が見えた気がした時、私の中で何かが切れそうになる。

「お前がやったのか?」

 聖は私の質問には答えず、見開かれた目で私を見つめ続けるだけだったが、私にはそれが肯定に思えた。

 七彩から借りた視界が、涙で滲んでいるように見え、突如湧き上がってくる爆発的な衝動をなんとか抑えつける。理性を保たなければ、目の前の聖を殺してしまいそうになる。

 違う、今はカグツチをアップロードしなくては。コイツの呪いの進行が発煙筒で止められている今がチャンスだ。怒りで我を忘れる暇など無い。

 七彩の視界が私を映す。額の血管が破裂しそうなほど浮き出ているのが分かる。自我を失いそうな自分を文字通り客観的に見ると、不思議と理性が打ち勝った。コイツを詰問するのは後だ。

 転送の残りがあと三割ほどになったところで、信者たちの歌声がふわりと途切れた。この儀式のようなものが、終わりを迎えようとしているのか。

 紫煙の煙は辺り全体には及んでいない。多少の効果はあったのかも知れないが、それでも完全にこの儀式を止めることは出来ないようだった。

「大丈夫、間に合うよ」

 七彩が隣で笑ったかと思うと、次の瞬間に不思議な現象が起こった。

 室内なのに、外で吹くような風が私達を通り抜けた。春の陽気を纏ったような、優しくて温かい、撫でるような風だった。

 その途端、七彩の視界が離れていくのを感じる。私は自分の視界に戻ってしまったが、一時的に視力が戻ったのか、何故か景色ははっきりと視認出来る。

 よく見ると風が波打つその様子を、視覚で捉えることが出来る。粒のようなものが波に乗り、白く光るそれがクルス粒子の集まりだと理解した時、いなくなった人たちの顔が浮かんで見えた。

 千代ちしろさんや要さんを始め、いつか記事で見たことのある顔、天城あまぎ沙也加さやかも居た。

 凛苑の周りには、二組の夫婦が穏やかに彼女を囲んでいるのも見えるし、小麦の傍には彼女の母らしき影が寄り添っているのも分かる。

 そして、七彩が私の背後から声を掛けてきた。

「朱音の意志が共鳴したんだよ。みんな、助けてくれる」

 何が起きているのか判然としないまま、その人たちの姿が再び風に溶け、私の元に再び駆け抜けてくる。

 理屈は分からないままだが、直感で理解出来た。リンクスによる転送を、クルス粒子が、いや、死者の意識が倍増させてくれる。

 間に合う。

 私は再び転送に意識を向け、粒子の風とともに凛苑の元へそれを届けた。

 アップロードが完了されると同時に、言い知れないおぞましい感覚が肌を突き抜ける。

 中心で輪になっていた信者たちが次々と倒れ、凛苑も糸の切れた人形のように倒れ込んだ。

 そして、彼女の本体、横になっているその位置の上空に、何かいた。

「邂逅だ……!」

 平岡ひらおかが両手を三角形に掲げ、その何かに向けて跪いた。

 それは裸の人間で、顔だけが色々なものに次々と変化していた。動物の何かであったり、知っている誰かの顔だったりをランダムで変え続けている不気味な光景だった。

 絶叫をあげたように大口を開け、それが裂けるほど上下に分かたれたかと思うと、次の顔が同じ様に絶叫する。それの繰り返しだった。

 それが七彩の顔になって私をじっと見つめてきた時、その抗えない圧倒的な存在感に、身体が竦み腰の力が抜け、地面に座り込んでしまった。

 稀人だ、あれが。

 間に合わなかった。来てしまったんだ。

 そう思った時、突然小麦が立ち上がって凛苑の身体へ全力で駆け寄り、彼女の両手を握った。

 その瞬間、全ての音と景色は真っ白になって、私の意識ごと周りの世界を飲み込んでいった。

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