三章 5.1
物心がつく頃には、僕は親に捨てられたのだという事実を受け入れなければならなかった。
施設で育った家族達の中には、僕と同じような境遇の子もいれば、保護が一歩遅れていれば命を落としかねないような状況だった子も居た。
不幸の度合いは人それぞれだろうけど、僕らは皆「祝福されなかった子供」という共通のレッテルを背負って生きてきた。
傷を舐め合うというわけではないけれど、性別が違おうが生まれた場所が違おうが、一つ屋根の下で家族として過ごしてきた僕たちには、確かな絆があった。
僕は、自分を捨てた両親を心底軽蔑していた。どんなに高尚な理由があるとしても、生まれた子供を育てる責任を放棄するなど、あってはならない事なのだ。
僕自身もそうだけど、何より施設の兄弟たちの境遇を詳しく知れば知るほどその想いは高く積もっていった。
自分の生命を分け与えた存在に、どうしたら人の道を外れた仕打ちが出来るのか、全く理解出来ない。虐待やネグレクトによって死の手前まで追い詰められた子たちを見ていると、そんな酷い事をする親のほうが死に値すると思えた。
そんな中で家族の一人、同い年でもあった
友哉は、自分を生んだ親に会いたいという願いを持っていた。
施設では里親の募集をしていて、お互いに望めば新しい家族を持って新たな人生を歩むことが出来るのだが、友哉はこれを望まなかった。
いつか大人になって自立することが出来たら、本当の親に会ってみたいと言うのだ。
僕にはそれが理解出来なかった。自分を捨てた親に今更何の用があるというのか。
「経済的な理由で子供をやむなく手放す親もいるだろ。もし僕の両親がそうなら、自立して両親を支えてあげたい。自分を生んでくれた恩があるから」
そういう事を本気で言うような、理想主義の権化のような性格が友哉という奴の本質だった。
「聖もきっと、望まれて生まれてきたんだ」
馬鹿正直で真面目で、夢に一直線な奴。僕とは違い、どん底でも希望を見出すようなタイプだった。
友哉と過ごしていると、ひねくれた自分の価値観すら真っ直ぐになっていくような気さえする。その明るさで周りを巻き込んでいく、まさに太陽のような存在だった。僕だけでなく、兄弟たちも良く懐いていた。
やがて僕も彼の理想に影響されていき、自分ももしかしたら事情があって捨てられてしまったのかも知れない、いつかは本当の両親に会ってみたいと思うようになっていった。
時は過ぎ、家族達も新たな家庭に引き取られていくことも多くなり、僕はいつしか高校生になっていた。
その頃には学業に必死になり、親が居なくても立派に自立出来るという事を証明したくて、将来を真剣に見据えるようになっていた。
親を探したいという理想は消えたわけではないけれど、それよりもやるべき事は自立なのだと、現実的な思想へと僕は変わっていった。
友哉はその頃から、度々身体にアザを作って帰ってきた。どうしたのかと尋ねても、スポーツをやっていて怪我をした、と同じことしか言わなかった。
兄弟たちは友哉兄ちゃんはスポーツマンだ、カッコイイ、などと言っていたが、施設職員の保育士さんや僕は気付いていた。それがスポーツでつく傷ではない、殴打によって出来る傷なんだと。
友哉が、いじめか何かで暴力を受けているのだと察する事は容易だった。
事情を聞いたところで、周りの人たちに心配をかけさせまいとする人間なのは知っていたので、友哉の後をつけてこの目で確かめようとした時、いじめの現場に遭遇したことがあった。
幸い僕が見つかることはなかったけれど、友哉をいたぶっていたのは、違うクラスにいたカースト上位グループのリーダー格、
奴は度々問題を起こして教師や教育委員会などに目をつけられている奴だったのだが、親が権力のある人間らしく、毎回何かある度にお咎め無しで好き放題暴れているような、典型的なろくでなしだった。
その場で助けようかとも思ったが、複数人が相手の喧嘩などやったこともない僕なんかが出ていっても、役には立たないだろう。
それになにより、友哉のプライドを傷つけるほうが怖かった。
結局僕は何も見ないふりをし、その後友哉がボロボロになって帰って来ようが、気づかないふりをしていつも通り接していた。
辛そうにはしていたが、どんな状況でも持ち前の明るさだけは失わなかったので、僕はなるべく干渉しないよう努めた。
もちろんどうにかして助けたいとは思っていたんだけど、どうすればいいのか分からず、葛藤する日々が続いた。
そんなある日、友哉が別人のようになって帰ってきた日があった。あんなに明るかった友哉の顔から希望が消え失せ、何を話しかけても返事をしないという、尋常ではない様子だった。
何があったのか尋ねると、友哉の両親が死んだのだそうだ。
西森夫婦は、友哉の予想通り彼を経済的な問題からやむなく施設に預け、生活に余裕が出来たらもう一度引き取ろうと考えていたそうだったのだが、その矢先に、急に勤め先から解雇を言い渡されたという。
どうもそれが田上康介の仕業らしく、奴の親は西森夫婦の勤めていた会社である
挙句の果てにやってもいない横領の罪を着せられ、為すすべの無くなった両親は堪りかねて命を断つことを選んでしまったのだそうだ。
僕はこれらを全て、両親が残した遺書に書いてあったということを施設職員に聞いた。
今までそれだけを希望に生きてきた友哉は、そのことがあってから打って変わって抜け殻のようになってしまった。
何を話しかけても上の空で返事をし、以前のような太陽の輝きは完全に失われてしまった。
そして僕たちが就職活動に勤しむ時期になった頃、友哉は突然死んだ。
両親の後を追おうとしたのか、高校の屋上から落下したそうだ。
それほどまで両親の死が響いたのか、それとも他に何か要因があったのか、僕には分からなかったけど、ほとぼりが冷めた頃、田上のグループの会話を聞いてしまった時があった。
「……まさか本当に飛んじまうとは思わなかったよな、焚き付けただけなのによ」
「田上くん、女追っかけ回してフラれた腹いせだとか言って、散々西森に当たり散らしてたもんなぁ。流石にやりすぎじゃね?」
「知るかよ。おもちゃが壊れたところで何とも思わねぇよ」
僕はその時、生まれて初めて人を殺したいと本気で思った。激しい憎悪で目の前が真っ赤になり、感情が爆発しそうだった。
その日から田上を殺す方法を考えない日は無いほど、奴を憎みながら過ごした。
僕が田上を殺すのは容易い。だけど、養護施設から殺人者を出したなどと報道されてしまっては、一緒に育ってきた皆に迷惑がかかってしまう。
どうにかして足がつかないような殺しの方法はないか、必死で探していた時、自分でもどうかしていたと思うけれど、呪いという存在に行き着いた。
「呪いによって人を殺す方法がある」という山奥の辺境の村の存在を知り、藁にも縋る思いで
運命のいたずらとは残酷なもので、訪れた
そこで僕は、自らのルーツを知ることになった。
太古の昔より不思議な力を授かってきた鏑木家直系の子孫には、代々そういう力が宿る者が生まれてきたそうだ。
僕はまさにその直系の子孫であり、自分にも人を呪い殺す力があるのだと知らされた。
その生まれ持った素質のせいなのか、篠宮神社で御神体の「さんかく様」に出会った瞬間、まるで手に取るようにその力のことが全て理解出来た。
数日間をその村で過ごし、「呪いたい相手の細胞を摂取し、深く憎悪すれば殺せる」という方法を習った。これ以上にお誂え向きの殺し方は、もうどこを探しても存在しないだろう。僕は死物狂いで呪法を体得した。
街へ戻ってから、田上の髪を掠め取って飲み込み、あの時の会話を思い出した。
奴の顔を見るだけで腹の底から怒りが湧いてくる。
どうして弱者を虐げる道徳や倫理の欠片もないクズが生き残って、人に希望を分け与えられるような善良な人間が殺されなきゃいけないんだ。
こんな事が正しいわけがない。友哉が死ななきゃいけなかった理由は何も無かったのに。友哉はただ家族との幸せを願っただけなのに。
両親の寵愛を受けて、苦しみも何も知らずに育った温室育ちのボンボンが、女に見限られたなどというとてつもなく下らない理由で友哉をターゲットにした事がどうしても受け入れ難かった。出来る限り悲惨な方法でコイツが死ぬことを強く望んだ。
徹底的に苦しんだ挙げ句、その死に様を世間に晒し、二度と同じようなクズが現れないような殺し方がいい。こんな奴は生きていてはいけない。この世に存在しちゃいけないんだ。
その次の日、田上はMST社のビルで焼身自殺を図った。
救急活動の邪魔はあったものの、搬送先の病院で田上の死亡が確認された。
その時の感覚は今でも覚えている。
燃え盛るビルが奏でる音が田上の悲鳴が奏でる旋律に聞こえ、黒煙が立ち上る空は晴れ渡っており、僕の生きる道を照らしてくれていた。
僕は、悪人をこの世から消し去るために生まれてきたんだ、と。
それから篠宮の鏑木家に移り住むようになり、裏社会の人間として生きていくことを決めた。
しばらく経って、ふと両親に何故僕を養子に出したのかと尋ねたことがあった。
二人は一切答えてくれなかったが、親戚連中の噂話から聞いた話では、僕は「疎まれていた」そうだ。
鏑木家には時に、尋常でない力を宿した子が生まれることがあるのだそうだ。あまりに強すぎる子は危険過ぎるため、生まれた瞬間に自分の力を知ることがないよう村から追放されるのだと。
僕はそれを知った瞬間、身体が反射的に動いた。止める親戚たちを押しのけ、両親の寝室へと向かったところまでは覚えている。
「友哉、僕は望まれてなかったよ」
その時の記憶は今では薄れているのだが、次に気がつけば両親は肉塊になっており、辺り一面が血の海だったのは覚えている。
その日から僕は、鏑木家の当主になり、その後に訪れてきた
僕にとって稀人信仰などどうでもいい事だったが、悪人を殺して人柱にするという平岡の思想には共感を覚え、それから僕は彼に協力するようになった。
もう誰も悲しまなくて良いように、この世に蔓延る悪人は僕が全員殺してやる。そう深く誓った。
「全く小賢しい……。聖くん、コイツも殺してしまえ」
「千代と違って、知らない相手だと効力は薄いよ」
僕が一応そう説明すると、平岡はあの気持ちの悪い目つきで睨んできた。気は進まないが、逆らっても面倒になるだけだ。僕は髪の毛を受け取り、素早く飲み込んでしまう。
「あの占い師の女も一緒に行動しているのか? 本当に面倒だな……。おい北澤、あの女の探偵事務所の住所へ行って火を点けてこい」
北澤は一瞬目を丸くしていたが、特に何も口答えすることはなく、素直に頷いて去っていった。
知らない相手とは言え、たった今因縁を作った。後の理由は何だっていい。面倒だとか手を煩わせやがって、とか。
人を恨む理由など、いくらでも生まれてくるものだ。
積もり積もれば、怒りや恨みは人を殺す力を持つ。僕の力はそういう仕組みで出来ている。
ごく当たり前の感情の推移だ。鏑木の
きっとあの探偵らしき女も悪人だろう。
表ではどう取り繕っていようが、腹の中は悪意に満ちている。表で正しくあろうとすればするほど、裏の顔は暗く醜いものだ。
そうに決まっている。真に清く正しい人間などいるはずがないのだから。
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