三章 5.2

 平岡ひらおかじゅん


 何かを盲信するということは、現実から逃げる弱者が縋り付く最後の手段だ。

 何とかして自らを正当化し、救済がきっとどこかにあると信じなければ、自我が保てないからだ。

 救いを見出すために人は天国や地獄などまやかしの世界を妄想してきた。善い行いをすれば天国に行き、悪人は地獄に落ちるのだ、と。

 だが僕からすればそんなものは子供だましだ。

 YOMIヨミも結局それと変わりはしない。偽物を作って心の傷を舐め合うだけの下らないものだ。

 両親が立ち上げた新興宗教も全く同じだった。カクリヨの科学者という立場に居ても、どんなに世界が発展していっても信仰は失われなかった。

伊邪那美いざなみの声」は、元々神道由来から派生した教えだった。しかしYOMIの企画が立ち上がると、両親は上層部と癒着し始め、サービス普及の為に信者たちの信仰を利用した。メタバース空間を死後の世界と呼び、実際にサービスが開始されると、信者の数はもの凄い勢いで伸びていった。

 父も母も僕に興味は無かった。毎日毎日教えがどうのとか守護霊になるためにとかなんとか、下らない話ばかりだった。

 僕が強烈に生き物の死に惹かれるのも、そうやって死後の救済を本気で信じている両親や馬鹿な信者たちの信仰を否定したかったからなのかも知れない。

 それほどまでに、終わりというのが恐ろしいのだろうか。

 人生の終着点である死は誰にだって、どんな生物にだって訪れる。平等で、残酷で、無情だ。

 死んだ後は何も無い。ただ虚無が広がっているだけだというのに。

 結局伊邪那美の声は元カクリヨ幹部社員の原崎はらざきかなめの裏切りと、事件を調査していた新堂しんどう朱音あかねという探偵くずれに邪魔され、カクリヨと共にその名声は地に落ちた。

 集団詐欺罪として摘発され、悪事の露呈を恐れた両親は高跳びしてどこかへ消えてしまった。僕はとかげの尻尾切りのような扱いで収監されたが、だけどなんとも思わなかった。

 愛を注いでくれなかった家族に価値などはない。情が湧かないのも当然と言える。どこかで野垂れ死んでいても仕方がない。

 信者の一人で特に狂信的だった北澤きたざわに手引させ、隠しておいた口座からの資金を使って僕の保釈をさせた。

 伊邪那美の声の時から敬虔な信徒だった彼女はよく働いてくれた。

 それにしても、人間の手で偽物の天国を作るなどという発想が浮かんだ間抜けとはどんな奴なのだろう。

 浮かんだ疑問を晴らすため、保釈されてすぐのある日、両親の研究室でYOMIに関するデータをいくつか覗いた事があった。

 YOMI実装を目指して行われていた研究は、来栖くるす凛苑りおんという物理学者が発見した特殊な粒子の作用を、脳波を使って応用するという小難しいものだった。

 どうもこの粒子とやらは、この世界ではない別の次元から現れたというものらしく、人の意識に結びついて様々な現象を起こすようだった。

 その後、両親の権利を使って来栖の研究室で色々調べた結果、僕は彼女の研究にとてつもなく興味を惹かれた。

 この粒子は、こことは違う別次元の世界に満たされており、それは確実に存在するが、通常では存在しない。特殊な条件が満たされない限り、向こうとこっちが繋がることはない。

 だが、何かの弾みで扉が繋がってしまうことが人類史の中でも度々起こっていたようだった。

 繋がった扉を通じて粒子は現実世界へ漏れ出すのだが、篠宮しのみや村という場所でもそれが起こり、粒子が巻き起こす現象は、太古の昔からその場所にあった土着の信仰となっていった。

 人柱を捧げ、災害から身を守り、正しく奉れば答え、豊作を願えば村は潤い、やがては敵を打ち砕くような超常の力を得る者たちの登場まで起こる。

 それら全てを為すのは、人の意志によるものだそうだ。

 この粒子が人の意識に結びつく原理は、人間の精神の構造にあった。

 肉体とは別に意識は精神として存在している。この世界と別次元を、のだそうだ。この世界と別次元の狭間には膜のようなものが貼られており、精神はそこから半分ほどが別次元に浸透している存在であるため、現実へ漏れ出た向こう側の存在である粒子と結びつく事が可能である。

 現実にはみ出た粒子が人の意志、思念に反応すると、現実の空間で様々な現象を起こす。それが超常現象の正体なのだそうだ。

 肉体が終わりを迎えると、精神は膜を超えた向こう、つまり別次元へ向かっていく。この時未練のようなものが残っているとその意志の力で粒子ごと現世にとどまり、残留思念は幽霊となって現れる。

 超常現象の全ては、人の意志が為す現象だった。

 僕は、完全にこの世界へ魅了された。死後の世界というものは本当に存在したのだ。ならば、神のような存在もいるに違いない。

 今まで否定し続けた世界の存在を、この目で見てみたい。

 そう思い実際に篠宮へ訪れてみると、来栖凛苑は千代正樹という男に保護され、既に植物状態となっていた。

 肉体は生きているのだが、精神だけが向こう側へ行ってしまったという。

 彼女のやり残したうちの一つに「」という研究があった。

 人柱を捧げる理由と、それによって何が引き起こされるのかというものだ。

 記されていたのは、粒子を宿した人間が自らの意志で死ぬことによって、御神体として祀られている物体「」の粒子濃度が高まったということだった。

 篠宮の土着信仰の御神体たるさんかく様は、こちらとあちらを繋ぐ扉の役割を持っている。その粒子濃度が濃くなったということが何を現しているのか判明しないまま、来栖は目を覚まさなくなってしまったそうだ。

 僕にはすぐに分かった。それっぽく祀られた立方体の偶像ごときではない、本物の神様が向こう側にいるからだ。

 昔、書籍か何かで読んだことがある、同物同地という考え方と一緒なのだ。神は、信者である人間の魂を吸収し、大きくなろうとしている。

 目的は不明だが、いずれこちらの世界へ顕現する事というのが仮説として有力なのではないかと僕は思った。

 研究の最後の記述が「粒子が意識を持っているかも知れない」という来栖の仮説で終わっていた事も、信憑性に拍車をかけた。

「そうであって欲しい」という願望も少なからずありはしたのだが、それでもその仮説がその後の僕の原動力になったのは確かだった。

 篠宮御三家の一つ、神通力を宿してきた一族の鏑木かぶらぎ家。その直系の子孫である鏑木ひじりは、北澤を派遣して調べさせたところ、親殺しを経て鏑木の当主に成り代わったという。

 彼もまた、僕と似た価値観を持っているに違いない。両親から押し付けられた考えが間違っているということを証明したかったのだろう。

 鏑木を掌握し、来栖凛苑の身柄を拘束し研究を引き継ぐという名目で千代ちしろ正樹まさきを押さえると、続けて箱守はこもりの死にぞこないの老夫婦は大人しく言うことを聞き、神社の管理を明け渡した。

 こうして僕は、伊邪那美の声の残党と篠宮村の村民を引き入れ、「」を組織した。

 それから昔の土着信仰を色濃く復活させ、葬列の儀式や人柱など、多岐にわたる儀式を行いつつ、来栖の研究を引き継いできた。

 そしてついに訪れた大規模アセンションの日、僕は確かにその存在を垣間見た。形のない粒子の集合体が、来栖の上に浮かんでいたのを。あれは紛れもなく、こちらの世界を訪れた神の姿そのもの。「稀人まれびと」だ。

 村人の殆どがその時死に至ったが、それと引き換えに残りの信者たちは僕を含めて皆、神の存在を確信した。

 そして、あの仮説「神は人間の魂を欲している」ということが正しかったと分かった。神……稀人を垣間見た瞬間、僕の頭に神秘が囁いたのだ。

 ただその後、誰の手引か知らないが、千代正樹が新堂朱音に繋がったと知り、ほっておくと厄介なことになると思ったので、少々手荒だったが新堂朱音の方は北澤に始末を頼んだ。


「千代先生。勝手な行動は謹んでいただきたいと再三申し上げていたはずですが?」

 北澤の報せを受けた私が千代医院へ訪れた時、千代はどこかへ出かけようとしていた様子だった。

 前日から診療を休みにしており、二人の探偵くずれと何かを話しているようだったが、情報が外部に行き渡るのはまずい。千代が何を話して、どこへ向かおうとしているのか探る必要があったが、幸いそれはすぐに叶った。

「平岡……りっちゃんを人質みてぇに扱いやがって」

「人聞きが悪いですね。意識の戻らない彼女の治療法を探しているのですよ?」

「そんなモンどこにもあらすけ。りっちゃんの身体に起きてる事は、現実のものさしで測んのは無駄だら?」

 千代はそう言って、いつもより反抗的な態度で私に詰め寄ってきた。

「りっちゃんはさ、夢ぇ叶えたんだ。虹を捕まえたんだよ。たまげたよなぁ……。あんたらに分かるか? 両親を亡くした悲しさが、孤独の辛さが、一人で背負わなきゃいけない苦しさがさぁ!」

 初めて激昂する千代を見て、私は若干怯んだ。だが、同時に疑った。この男は、来栖凛苑の本当の居場所を掴んだのかも知れない、と。

 彼女の身体は篠宮神社の地下施設にある。しかし、その意識が別次元に飲まれてからというもの、自我は戻らないままで居た。

 その仮説は、私も考えていたことだった。「別の場所に意識を移した」という可能性。

 彼女の意識は向こう側にある。向こう側はすなわちクルス粒子に満ちていると言って良い。ならば、自らの意識をどこか別の容れ物に移すというのは、理論的には可能なのではないだろうか。

 なにより、目の前の千代正樹の迫真の表情が物語っている。

「どけよ、平岡。俺はりっちゃんに会いに行くもんでよ」

 私はその言葉で、やはり先ほどの仮説を確信するに至った。

「駄目だよ」

 背後から冷たい声が響き、それと同時に千代はおぞましい表情を浮かべて一瞬で意識を失い、まるで人形のように倒れた。

 振り返ると背後には、いつの間にか来ていた鏑木聖が立っていた。

「……来栖凛苑がどこかに意識を移したらしい。北澤が戻り次第、協力して探してくれ。コイツの後始末は隼人はやとくんに」

 聖は無言で頷くと、隼人へ電話しながら外へ出ていった。

 来栖が何を企んでいるのか知らないが、私の計画は誰にも邪魔はさせない。

 稀人をこちらへ必ず来訪させるのだ。そうすれば粒子の放出は村だけにとどまらない。そして、粒子が世界の全てを覆ったその時、全人類の魂を昇華させるのだ。稀人に同化するために。

 そうすれば人類は稀人と共に、より高い次元へ向かうことが出来る。

 人の生み出した不完全な偶像が生み出す迷信なんかのレベルではない、それこそが、この世界の真の救済なのだ。

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