三章 6
次に気がついた時、私の視界は完全に真っ暗になっていた。
ピントがずれるどころか、ぼんやりとした光すら見えず、瞼を閉じたように何も見えない。
これが
あれが見えたのは
そして、最後に見たあの形容し難い記憶の中身……あれが、
すると、カグツチのアップロードは成功したのか?
周りは静寂に包まれており、音も景色も認識する事が出来ないので、何が起きているのか全く把握出来ない。
だが唯一、クルス粒子が私の身体を蝕んでいる事だけが分かる。篠宮の地の影響と、鏑木聖の呪いによってどんどん蓄積されている。
全身が痛み、心臓の鼓動も弱くなってきている。たまに咳き込むと、手のひらにぬめりと血が付着するのも感覚で分かる。
このままだと私は死ぬだろう。呪いを止めなければ。
でも止めたところで今までの侵食が消えて無くなるわけじゃない。命の灯火が消えるのを長引かせるだけだ。
だがそれでも、鏑木聖をこのまま野放しにしておくことは出来ない。最低でも無力化、それが無理なら殺害してでも止めねばならない。
何より私には、奴を裁くに値する、強い強い動機があるのだ。
「消えて、しまったのか……?」
「お前たちは本当に、余計なことばかりする……!」
怒りに震えたような激しい足音がこちらへ向かってくるのが分かる。早足で近づくなり、鈍く乾いた音が私の中で響いた。
その瞬間、真っ暗な視界に光が弾け飛び、顔に走る衝撃で蹴り上げられたと気付いた。
言葉にならない平岡の叫び声に合わせて、私の身体には鈍い打撃音が何度も何度も重く響いた。最初のうちこそ酷い痛みが何度も寄せては返してと繰り返されたが、最後の方はやがて痛みすら感じなかった。
痛みを感じる神経がおかしくなってきている。死が近いということを実感し、意識すら薄れてきた。真っ暗な中に、恐怖という感情だけが更に暗い色で染まっていく。
こんなところで私は死ぬのだろうか? こんな真っ暗で冷たい、何も無いところで。
悔しい、悲しい、情けない、辛い、痛い、寂しい、死にたくない。
色んな感情が混ざりあって涙が頬を伝っていくが、それを拭うことすらもう出来ない。
「朱音、こっち」
その声のする方を見上げると、黒一色の中で
彼女は手を振って私を招いているようだ。迎えというやつだろうか。七彩はまだこっちに居てくれるのか。せめて最後は、親友の傍に居たい。
蹴り上げるのを辞めた代わりに、大声で口汚く罵り続ける平岡から少しでも離れようと、私は七彩の方へ向かって這いずった。
その先で何かに触れる。ぶるぶると震えるそれは、ニットの手触りがした。座り込んで震える
「朱音は充分頑張った。あとは任せて、もう休もうね」
「朱音ちゃん……七彩、さん……?」
小麦の困惑した震え声が聞こえてくる。彼女にも、七彩の姿が見えているらしい。
「あたしの役目も終わり。朱音は、なりたい自分になれたもんね。自分のことを顧みず、正しいと信じたから要さんの意志を継いだんでしょう?」
七彩が優しい笑顔を私に向けた。
「だから、お別れ。小麦さんの事を大事にしてね。──でもやっぱり寂しいから、たまにはあたしの事も思い出してね……」
やめて、まだ行かないで。あたし、七彩ともっと話したい事があったのに。
私の願い虚しく、七彩はそう言った後にふわりと闇に溶けていった。
彼女に向かって手を伸ばしたその瞬間、身体が跳ね上がるほど大きな叫び声が聞こえた。
「新堂朱音ぇ!! お前は、お前は……大罪を犯したんだぞ!!」
平岡が震えた声で叫びながら、その声が聞き取れないほど激昂した様子で喚き散らしながら、また近付いてくる。
小麦が私を庇うように前に出た気配がしたその瞬間、空間を揺るがすような乾いた破裂音が二回、響き渡った。
何が起こったのか、小麦に触れてその視界を借りる。すると、涙で滲んで震える視界の中で、平岡が膝から崩れ落ちるのが見えた。
その背後に居た聖が、何が起きたのか察して、暗闇の方へ向かっていく。それを追いかけて、影に隠れていたらしき
その途端再び破裂音が一発響き、彼女も何かに躓いたように倒れ込んだ。
視界の端から現れたのは、硝煙を吐いた拳銃を構えた
血まみれで、無表情だが悲しそうな目をしていた。
「
穂香さんは平岡が起き上がろうとしているのを静かに踏みつけ、そこからまた二発発砲した。ぐったりした平岡の倒れた床に、血が広がっていく。
「嫌だ! やめて! 私は平岡に従っただけ……! 許して、許して下さい……! 撃たないで……」
泣き叫ぶ声を無視して、穂香さんはゆっくりとした動作で北澤の額に銃口を押し付け、再び引き金を引いた。残響を残した破裂音を最後に、何の音も聞こえなくなる。
穂香さんは何の反応も感情も示さず、機械的な動作でそのまま聖が向かった暗闇の奥へ向けてまた引き金を引いた。しかしもう弾が残っていないようで、金属の乾いた音だけが虚空に響く。
そして、肺の中の空気を全て出し切るように大きく溜息を吐いてから、拳銃をその辺に放り投げ、入口の方へ向かって何かを持って戻って来た。
持ってきたのは、赤いガソリンの携行缶だった。彼女は缶の栓を開け、部屋の中央まで撒き散らしながら歩いた。
輪を作って倒れている信者の村人や、平岡と北澤の死体にまでガソリンをかけ、最後に、手にライターを持って火を点けた。
「依頼を受けてくれて、ありがとうございました」
最後に私たちの方へ向かってそう言ってお辞儀した後、穂香さんは無表情のまま、一気に炎に包まれていった。しかしやはりその表情には、感情の色が失われていた。
火はみるみる間に燃え移り、部屋全体が熱風に包まれた。肌でも熱を感じる。私はその勢いに怯み、無条件で体が震えだしてしまった。
逃げなければ。このままでは私達も巻き込まれてしまう。
「麦ちゃん……」
もう声もそれほど出ないが、その絞り出した声で小麦が振り向いて、私を担ぎ上げようとしてしかし、彼女は手を繋いで倒れている村人の輪の方へ先に走った。
そこには、
「紫苑ちゃん! 逃げよう!」
何度か激しく揺り動かした後、紫苑は叫び声を上げて目を覚ました。
「お姉ちゃんが……! お姉ちゃんが!」
凛苑を呼び、泣き叫ぶ彼女の手を強く引き、小麦は私に向かってたどたどしく走り出す。
しかしなおも燃え盛る凛苑の身体の方へ戻ろうとする紫苑に向かって、小麦はその頬を張った。
「お姉ちゃんが残した意思は、あなたが自由に生きることだよ! 無駄にしないで!」
紫苑は何度も凛苑の方を振り向いて、それでも涙でぐしゃぐしゃになった表情のまま、強く何回も頷いた。
私を背中に背負うと、小麦は息を切らしながら紫苑の手を繋いで部屋を後にした。
火の手の回りは以外に早く、もう既に部屋全体を包んでいる。崩れたりすることはないだろうが、地下の研究施設はもう駄目になるだろう。
そして、私の命ももうすぐ終わる。外へ出れても、帰るまで意識を保つ自信はない。
七彩、あたしももうすぐそっちに行くから、二人で一緒に向こう側へ行こう。
そう強く願っても、意識が途切れるまで七彩はもう何も返事をしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます