二章 2

 新堂しんどう朱音あかね


 小麦こむぎ紫苑しおんと共に篠宮しのみや村へ向かったという情報を加賀美かがみさんから聞いたのは、その日の夜になってからだった。

 トラウマによるショックで気を失ったにしては、私の体調は悪すぎる。併発して風邪でもこじらせたのか、今では頭痛や発熱なども起こしているようで非常に煩わしい。だからなのか、しばらくの間眠り続けてしまっており、その隙を突かれたのだ。

 私のせいだ。私が頼りないせいで、小麦にまた負い目を感じさせてしまっていた。彼女は、動けない私の代わりに、依頼を一人で解決しようとしている。

 だが、小麦には何か策があるのだろうか。普段の彼女だったら、何も考えなしに無鉄砲なことをするわけがない。あの、私の中に小麦の記憶が流れてきたことと関係があるのだろうか?

 何かがきっかけで、彼女の能力も変化しているという事なのか。

「止めようとはしたぜ?」

 加賀美さんがちらちらと私の表情を伺いながらそう言った。嘘が下手な人だ。

「……追いかけないと」

 私がベッドから立ち上がろうとすると、その瞬間酷い目眩を覚え、床に倒れ込みそうになる。加賀美さんに支えられ、またベッドへと戻る。

「まだ無理だろ、もう少し休んでろよ」

 いくらか立ち直ったかと思ったが、またしても自分の弱さが嫌になる。こんなにも他人が居なければ何も出来ない人間だったのかと思うと不甲斐ない。

「それにもう少し待ってりゃ、サプライズがあるぜ」

 加賀美さんはそう言って、部屋を後にした。その言葉の意味が分かったのは、それからしばらく後のことだった。

 どこかで嗅いだことのある匂いが鼻をつき、何故だかそれがとても心地良かった。

 頭痛が晴れるような気がして、思わず立ち上がって匂いのもとを探す。部屋の外、廊下の方からだろうか。出てみると、匂いはやはり強くなった。

 受付カウンターの方へ向かうにつれ、それが何の匂いだったのかを思い出していく。と同時に、その匂いがここですることが信じられなかった。

 来客用の応接室の扉が少しだけ開いており、そこから滲む紫煙が廊下へも躍り出ている。

 これは、紙巻き煙草の煙だ。しかもあの人がよく吸っていたものと同じ。

「新堂朱音、久しぶりだな」

 応接室で加賀美さんの対面に座っていたのは、かつてカクリヨ社を内部リークにて破滅に導いた男、原崎はらざきかなめだった。

「要さん……!? なんで、雲隠れ中じゃ……」

「してるぞ。ここでな。加賀美のありがたい好意を受け取ったんだ」

 要さんはそう言って加賀美さんを指差す。指された加賀美さんは困ったような笑顔で頭をかいた。

「ほとぼりが冷めた頃にいきなり押しかけてきたのは、そっちじゃないスか」

 要さんは、元カクリヨ社の幹部社員だ。YOMIヨミ開発チームの一人でもある。

 開発プロジェクト代表の天城あまぎ沙也加さやか高村たかむら賢人けんとと共にYOMIを作り上げたが、後に倫理問題に発展したせいで天城沙也加は自殺に追い込まれる。

 そして高村賢人は想い人の死によって絶望し、YOMIを破壊するウイルスを作り出してしまった。それが「さやかの呪い事件」の発端である。

 ウイルスは天城沙也加の人格を模倣し、やがて感染者を自殺させてしまうほど深刻な問題になっていたが、高村賢人の暴走を止め、天城沙也加の意思を永遠の眠りにつかせるために要さんは戦った。

 沢山の人の協力もあり、最終的にウイルスを完全に駆除できるワクチンプログラムを作り、呪い事件を収束させたのだ。

 その後、私が担当していた事件を含め、カクリヨ社がYOMIの事件を隠蔽していたことを内部告発し、カクリヨの報復から身を守るために姿を消して以降、一度の連絡すらも無かった。

 なのに、彼が今ここにいる。まさか、よりによってまだ街にいるとは。私はその事実に呆れると同時に、かつての戦友とも呼べる人との再会を内心では喜んだ。

 要さんは、とてつもなく頼りになる。今の私にとって、一番会いたかった人物の一人だ。

「まだ万全じゃない体調のところ悪いが、篠宮での話が聞きたい」

 私は要さんのその言葉に心臓が跳ね上がった。

 何故知っている? 様々な疑問が次々に湧いてくるのだが、この人はいつもそうだった。いつも私達より一歩先に居て、さらにその先をいつも見据えている。

 隠し事も取り繕うことも、何も通用はしない。するつもりもないが。

「ほんと、何でもお見通しですね……」

「今回は理由がある。順序を追って説明するから、まずはお前の話から聞かせてくれ」

 そう言われ、私は掻い摘んで篠宮での体験談を二人に共有した。

 千代ちしろ正樹まさきからの依頼、記憶喪失の箱守はこもり紫苑、篠宮の土着信仰「さんかく様」など、ここ数日あった事の全てを。


 話し終わっても、要さんは腕を組んだまま何かを考えている様子で、特に何も喋らない。

 気まずい沈黙を破ってくれたのは加賀美さんだった。

「難しい事はよく分かんねぇけど、俺としては平岡ひらおかのヤローが一番気持ちが悪ぃな。大体何で出てきてんだよ。あいつまだムショのはずだろ?」

「あたしも同じこと思ってましたよ。要さん、平岡について何か知ってますか?」

 要さんは煙草に再び火を付けると、一口吸ってから口を開く。

「誰かが手引したということだけは分かってる。罪状が組織的詐欺だけなら数百万あれば保釈金を払えてしまうからな」

「はっ、あいつの事だ。捕まった時のためにコソコソ金を用意してたんだろうな。どうせそれも献金かなんかだろ」

 奴に関する話をしていると、平岡の顔が脳裏に浮かぶ。底の知れない気味の悪さが再び蘇ってきて、思わず身震いと共に吐き気すら覚える。

「平岡はあの村で、昔の土着信仰を引っ張り出してきて何をするつもりなんでしょう」

 私がそう言うと、要さんがすぐに答えた。

「その土着信仰とやらが、主題な気がする」

 その言葉の意味を考えていると、今度は要さんがとんでもない事を話しだした。

「俺はお前たちとは別件で、個人的に篠宮村を調べていた」

 ある日、要さんの元に一通のメッセージが届いたそうだ。位置情報だけの簡素なもので、それ以外は何も書かれていない。

 不気味なのは、それを送ってきた差出人は、今は行方不明で生きているかどうかすらわからない人物だったという事。

来栖くるすという、カクリヨの科学者から送られたものだった」

 その来栖という人物はかつてカクリヨ社に在籍し、素粒子を専門に研究していた物理学者で、数年前にYOMIのシステムに使われている特殊な粒子を発見した人物だそうだ。

 その後そこから発展して生まれたプロジェクトは天城沙也加へと渡し、自身はその粒子を研究し続けていたのだが、ある日突然消息を絶って以来、今までずっと見つかっておらず、失踪扱いになっているという。

「で、興味深いのは、送られてきた位置情報だ。どこだったと思う?」

 要さんがこういう風に、答えを相手に考えさせる時は大体衝撃的な内容だ。私は嫌な予感がした。聞く前から毛が逆立つような感覚になる。

 誰の答えも待たずして、少し間をおいて要さんは続ける。

 聞いた瞬間、ある程度の覚悟はしていたのだが、それでもやはり肌が粟立った。

 要さんが取り出して見せてくれたスマートフォンには、私たちが訪れた千代医院の場所をピンポイントで確かに指し示している地図が表示されている。

 私がドローンで現地を観測して作った地図とも完璧に一致する。

 頭が混乱し、余計に頭痛が酷くなる気がした。一体これはどういうことだ。

「そいつ、新堂に依頼してきた村の医者っスよね? 何でそいつの診療所の位置情報が要さんのところに届くんスか」

「俺にも分からんさ」

 要さんはそう言って、煙草を灰皿に押し付けてから、小さなホロプロジェクターを取り出して机の上に置いた。

 資料や文献などの情報が散乱して現れ、空間上に表示されていく。

 それらは、篠宮村の土着信仰について記述された資料だった。私が村の図書館で読んだことのある本の記述もあった。

「俺はまず、この篠宮という地域について調べてみた。新堂が話してくれた内容と似たようなものだが……」

 要さんの話に耳を傾けながらも資料に目を通していると、私が知らない情報が多々あるのに気付く。

 小麦と二人がかりで調べたというのに、見落としがあったのだろうか。

「これ、どこで?」

電子出版管理組織JEPMOのサーバーに隠されていた、検閲済みのオンラインデータだ」

 私が思わず出どころを聞くと、要さんは間髪無く答えた。

「書籍や文献をデータ化して文化保存する組織ッスよね。検閲されてるってことは、なにか問題が?」

 加賀美さんの質問に、要さんは首を横に降る。

 通常、検閲されて非公開にされる文献は、過激な思想の内容が書かれていたり、武器や爆弾の詳細な製造法などが記載されているような、危険なものに限られるはず。

 一つの村の民俗学が検閲されるなど聞いたことがない。

「ここだ」

 要さんが示したのは、葬列についての記述だった。

 私と小麦が、遠くに少しだけだが実際に見たものだったので記憶に新しい。

「新堂たちが見たっつってた、最後のお別れをする葬式の延長線みたいなやつの事か?」

「そうです。死者に会って話をするなんてYOMIみたいだね、って麦ちゃんと話してて……」

 私はそこまで言って、さっきの要さんの話を思い出した。

 後にYOMIになるプロジェクトの、最初の発案者である来栖という人物。

「それだ。恐らく来栖は、篠宮村の土着信仰からYOMIの着想を得たと見て間違いないだろう」

 少しずつ、要さんの話が見えてくる。

 しかし、点と点が短い線に繋がったはいいが、まだその短い線は何の形にもなっていない。分からないことだらけだ。

「来栖は部屋に引きこもるタイプではなかった。実際に外へ出て、足を使って調査し研究するようなヤツだったというのも、俺としては裏付けになるしな」

 要さんはそう言うと、ホロプロジェクターを少し動かして別の資料を引っ張ってくる。

「それともう一つ気になったのが、ここの部分だ」

 書かれている内容は、「さんかく様」のもたらす恵みや罰についての記述だった。

 私は資料の一説を、声に出して読み上げる。

「水が貴重な時代、田への水引を巡った隣村の諍いの時なども、村人は報復のため神に祈った……」

 大昔、まだ農作の技術が完全では無かった頃は、今の時代のように、完璧な農作物を確実に生産する方法は確立されてはいない。

 そんな中で、水の問題は稲や畑にとっては最重要と言っても過言ではない。ましてやそれが自然や災害によるものではなく、人為的に、例えば他の村が水源から水を奪っていたとしたらどうだろうか。

 そのせいで大切な人や家族が苦しむ事になるのであれば、生まれる憎悪がどれほどのものなのか、想像に難くない。

「次の記述を見ろ」

 要さんが続けて示したのは、今度は村の御三家についての記述だった。

 それによると、鏑木かぶらぎ家の人間の中から稀に、神通力を賜って生まれる者がおり、御業みわざという人知を超えた力を発揮して村を救ってきたと書いてある。

 やはりその部分も、私が千代から聞いた話と一致している。

「この御業とかいう人外の力、その中には『』もあったはずだ」

 要さんの言葉を受け、私はさっき見た記述に再び目を通す。

 その通りかもしれない。「報復を祈る」ということはつまり、害を為す者を対象に、激しく憎悪する事だとも解釈出来る。つまるところそれは、「人を呪う行為」と同義ではないだろうか。

 私は以前、呪いについて小麦と話したことを思い出す。

 その頃は既に「さやかの呪い」は解決されていたが、その話題をきっかけに、昔存在した様々な呪術を小麦に聞いたことがあった。

『呪いの方法は色々あったんだよ。有名なものだと、藁人形を呪う対象として見立てて釘を打ち込む、丑の刻参り。あとは毒虫を瓶の中で殺し合せて、最後に残った一匹を使う蠱毒とか。……あとは、海外なんかだと、相手を睨みつけながら悪魔に願って呪う、なんていう簡易的なものもあるかな。日本でも言霊信仰って言うのがあるから、憎しみを込めて呪いの言葉をかけるのも呪いになったりするんだよ。それと、縁切り神社なんかで憎い相手との縁切りを神様に願うことも、立派な呪術じゃないかなぁ』

 小麦がそう語っていた内容を出来るだけ思い出して、私は二人にその内容を共有した。

 横で難しい顔をして唸る加賀美さんが、それを聞いて何度も頷いている。

「なるほどな。極端なことを言えば、テメェぶっ殺すぞ! って脅しかけるのも呪いの一種みてぇなもんか」

 例えとして怒りの具合を真似してみせた加賀美さんだが、それすらも強面の彼がやると少し怯んでしまう。

「鏑木家は、汚れ仕事も請け負っていたらしいからな。なら呪術のような後ろ暗いこともしていたと見るのが妥当だろう」

 要さんが再び煙草に火を付ける。不思議と私はこの匂いが嫌いではないということに気付いた。

 以前は多少なりとも嫌悪感に似た感情を抱いてはいたが、今ではなんだか嗅いでいると、酷かった頭痛が和らいでいく気さえする。

「にしても、思っただけで相手を呪うなんて、なんかリンクスみてぇだな」

 それは、本当に何気ない一言だった。小麦のオカルト話を聞いた加賀美さんの、なんて事のない只の感想だ。

?」

 要さんが鋭い声で加賀美さんに詰め寄った。

「え? いや、リンクスって脳波の送受信出来るじゃないッスか。ほら」

 加賀美さんは自分のリンクスを指差し、そのすぐ後に軽快な電子音と共に部屋の照明の明るさがゆっくりと落ちていく。

 彼がリンクスを介して、IOT機器である照明の操作をしたのだ。

「だから、頭で思っただけでこういう風に実行出来るから、仕組みは似てるなって……。いや、ホント深い意味無いっスよ」

 私は今の二人のやりとりに何か説明出来ない違和感を感じた。必死に反芻し、噛み砕いて理解しようとするが、いまいち腑に落ちない。

 今のが何か核心的な事なのではないかと感じるのだが、思考はどうしてもそれ以上進まなかった。要さんも、難しい顔をして動かない。

「まぁいい。で、ここからが本題だ」

 要さんは一息置いてから、信じられないことを口走った。

「この村の伝承や呪い、それに幽霊ってのも、本当に存在するらしい」

 私はその言葉を理解し飲み込むのに時間がかかった。この人は非科学的な現象を信じないタイプである。

 小麦の能力を実際に体験したこともあるのだが、それでも否定的だった。そんな彼が、「幽霊が存在する」などとこうもハッキリ言うなんて。

 加賀美さんも隣で口をあんぐり開けて固まっている。

「……そう思う根拠は?」

 正直私はそう聞いてしまってから、その答えが帰ってこなければいいとさえ思ったが、ここまで来たらもう聞くしか選択は無い。

「俺が実際に確かめたからだ」

 要さんの言葉に、私は卒倒しそうになった。

「まさか要さん、少し出かけてたのって、篠宮村とか言わないッスよね……」

 加賀美さんが恐る恐るそう聞くと、要さんはあっさり頷いて「そうだ」と短く言った。

 そして、何本目かの煙草に火を点けると、その煙が舞うのを眺めながらゆっくりと私達に語り始めた。

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