第9話 縁談の行方
レティシアと別れ、アスールは自室に急いで戻るとドアを勢いよく閉めた。そしてその場にしゃがみ込む。
(何やってるんだ何やってるんだ何やってるんだ俺は!)
任務が終わってから自室に残る仕事を片付けるため寮内を歩いていると、ブランシュとレティシアの話し声が聞こえた。そっと壁越しに二人を覗き見ると、レティシアの縁談の話をしている。しかも突然ブランシュはレティシアの手を握り、あり得ないほどの距離でレティシアに話しかけ、あろうことか額と額を合わせたのだ。
それを見た瞬間のアスールの心臓は張り裂けんばかりで、血は逆流し二人の間に乗り込んでやろうかとすら思ったほどだ。だが、すぐにブランシュはレティシアから離れ立ち去り、レティシアは呆然としている。そんなレティシアを見ていると、自分でもわからないうちにいつの間にかレティシアの背後に進み、振り返ったレティシアの顔を見て本当にもう我慢ならなかった。
赤らんだ頬、少しだけ潤んだ瞳、自分に気づいた時の驚愕と戸惑いの表情。ブランシュとの姿を自分に見られたことがそんなにも嫌だったのだろうかとアスールは苛立ち、そのままレティシアに近寄り、手を掴んでキスをした。そして額にも同じようにキスを落としたのだ。それは紛れもなくアスールにとっての上書きだ。ブランシュが掴んだ手、そして合わせた額の感触も、何もかも自分のものに置き換えてブランシュのことなど忘れさせてしまいたいと思った。
(レティシアの居場所にブランシュがなる?バカを言うな、レティシアの居場所は今までもこれからもずっと俺だ)
居場所のことを聞いた時、レティシアははいと答えてくれたが、まるで強制的に言わせてしまったかのような形になってしまった。だが、それでも構わない。レティシアの居場所はブランシュではなく自分なのだとレティシアに刻みつけたかった。
(ブランシュがレティシアに触れただけで気が狂いそうだった。それにレティシアの居場所が俺以外になることも絶対に許せない。あぁ、こんなにも、こんなにも苦しいものだったなんて……)
アスールは立ち上がり、よろよろとソファに座り込む。
(俺は一体どうしたらいい?こんなになってしまうなんて自分でも想像できなかった。このままではきっと歯止めがきかなくなる。そしたら、レティシアに嫌われてしまうかもしれない。それだけは絶対に耐えられない。どうしたらいいんだ、レティシアをどうやったら諦められる?)
疲弊しきった瞳でふと机の上を見ると、一つの封書が目に止まる。それは実家から届いていた手紙だった。恐らくはいつもの縁談話だろう、随分前に届いていたが放置したままだ。
(俺も、他の誰かと結婚すれば、レティシアを諦めきれるのだろうか……)
アスールはぼんやりとした顔で、そっと机の上の手紙に手を伸ばした。
◇
レティシアが縁談相手と顔合わせをする日になった。レティシアは前日の夜から実家に帰省し、朝になるとすぐに身支度が始まった。
「今日はお嬢様にとって大事な日ですからね!うんと可愛く仕上げますよ!」
そう言って張り切るメイドたちに苦笑しつつ、レティシアはぼんやりとアスールのことを考えていた。
(結局、昨日は団長に会えずじまいだったな)
アスールに手と額へキスをされた翌日。どんな顔で会えばいいのだろうと緊張していたが、アスールはレティシアの前に姿を現さなかった。不思議に思い、昔からアスールと仲の良いノアールに聞いてみると、意外な言葉が返ってきた。
「あいつなら今日と明日の二日間、急遽休みを取ったみたいだぜ。突然だったから何かあったんだろうけど」
「そう、ですか……」
レティシアが残念そうな顔をすると、ノアールは優しい微笑みを浮かべた。
「そういえば、レティシアは明日縁談相手と顔合わせなんだってな」
「どうしてそれを?」
ブランシュには成り行きで話をしていたが、あのブランシュが他の団員にわざわざ話をするとは思えない。
「ばぁさんに聞いた。ばぁさん、昨日の夜急にアスールのところに来たんだよ」
「おばぁさまが?」
いつもなら自分のところに顔を出すはずなのに、なぜ昨日は団長のところに顔を出したのだろうか。不思議に思っていると、ノアールがレティシアの頭の上にぽん、と手を優しく乗せる。
「そんなことよりもだ。明日は緊張するだろうけど、まぁ悪いことにはならないだろうからあんまり気を張りすぎないようにな。考え込んだって行ってみなけりゃわからないんだし。レティシアなら大丈夫だ、俺が保証する。まぁ俺の保証なんて頼りないかもしれないけどな」
そう言って優しく頭を撫でてノアールはフッと笑った。アスールと昔から仲の良いノアールは、レティシアが寮母になってから、アスール同様に自分のことをまるで妹のように可愛がってくれている。その優しさが嬉しくてレティシアは思わず笑顔になった。
「ありがとうございます。ちょっと心が晴れました」
そう言ってペコリとお辞儀をして立ち去るレティシアを、ノアールは手で口元を隠して見送る。レティシアの笑顔を見た瞬間、昔懐かしい思い人の笑顔を思い出して思わず胸が高鳴ってしまったのだ。
アスールのレティシアへの気持ちを知っているし、レティシアも恐らくはアスールのことが気になっているだろうことはわかっているから、二人のことは陰ながら応援している。今までレティシアを見てもこんなことはなかったのだから、まさか胸が高鳴るなんて思いもせず、激しく動揺した。
(笑顔を見て思い出すなんて、それもそうだよな。レティシアはあいつの妹なんだから……)
もしもこんな所をアスールに見られたら何を言われるかわかったもんじゃないなと、ノアールは痛む心をごまかすように頭をガシガシとかきながら苦笑した。
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