第7話 本当の気持ち

 一日の業務が終わり、レティシアは寮内の見回りをしていた。団員たちも各自部屋に戻り、寮内はいたって静かだ。


(今日は団長と全然目が合わなかったな。合ってもすぐそらされるし)


 朝の一件以来、アスールはレティシアの方を全く見ない。ほんの一瞬、目が合ったかと思ってもすぐにそらされてしまう。いつもなら目が合うと優しい微笑みを向けてくれるのに、それが全くないのだ。アスールのいつもと違う様子に、レティシアは胸が苦しくて仕方がない。


 ふと、目の前から人影が歩いてくるのが見える。廊下の明かりに照らされてその姿がはっきりわかると、レティシアは目を見張った。前からやって来るのは、今しがた思いをはせていた団長その人だ。


(また、目をそらされてしまうのかも……)


 あまりの怖さに思わず目を瞑りうつむいていると、目の前で人の気配が止まる。そっと目を開け上を向くと、そこには悲しげに微笑むアスールの姿があった。


「団長……」


 レティシアが思わずつぶやくと、アスールは苦しそうな表情でレティシアを見つめる。


「レティシア、今日はごめん。ずっとそっけない態度をとってしまった」


 急にそう言って静かに頭を下げるアスールに、レティシアは驚いて何も言えなくなる。何も言わないレティシアを不思議に思ったアスールが頭を上げ、レティシアの顔を見て目を見張った。そこには、両目に涙をいっぱい浮かべたレティシアの顔があった。


「レティシア、ごめん、レティシア」


 アスールが必死に謝ると、レティシアの瞳からポロポロと涙がこぼれおちる。


「あれ、ご、ごめんなさい。泣きたいわけではなくて、あの……」


 涙を必死に袖で拭きながら、レティシアはアスールを見つめて言った。


「団長が、私のことを、見てくれて、嬉しくて」


 そう言いながら涙を両目に浮かべてふわっと微笑むレティシアを見て、アスールの胸は張り裂けんばかりだった。


「私、私のせいで団員の指揮が下がって団長が怒っているんだと思って、団長に迷惑をかけたと思って……」

「違う、そんなことはない。レティシアのせいじゃない。だからお願いだ、もう泣かないで」


 そっとレティシアの目じりにアスールの指が触れる。優しく涙をすくうと、アスールは辛そうな顔でレティシアを見つめた。そんなアスールをぼんやりと見つめながら、レティシアは静かに口を開く。


「団長は、私が結婚するとしたら、どう思いますか」


 ぽつり、とそうつぶやくと、レティシアはハッとして両手で口を塞ぐ。


(わ、私、急に何を言ってるの!?いくら団長と目が合ってホッとしたからって)


 無自覚で出てきてしまった言葉に慌てていると、アスールは困ったように微笑んだ。


「レティシアは、結婚したい?したくない?」


 アスールの言葉に、レティシアはアスールの目をじっと見つめた。


「……わからないんです。突然すぎて、何がなんだか。お相手のこともよくわからないし。とにかく、顔合わせに来てみればわかるとだけ祖母に言われたんですけど」


 レティシアの返事に、アスールは一瞬眉をしかめてからすぐにまた微笑みをつくった。


「もしかしたらレティシアの知っている人間なのかもしれないな。……それなら、会ってみてから決めることだってできる。もし会ってみて嫌だったら断ればいい」

「……もし、嫌じゃなかったら?」


 不安そうなレティシアの様子に、アスールは胸が痛くなる。だが、そんな胸の痛みを表に出すことはせず、静かに拳を握り締めた。


「レティシアのことなんだから、レティシアが自分で決めるんだよ。俺は、レティシアが決めたことならどんなことだって応援する。だから大丈夫」


 アスールの言葉を聞いて、レティシアは両目を見開いた。そして、そっと静かに目を瞑り、すぐに開いてアスールをジッと見つめる。その顔はずいぶんとすっきりとしていた。


「……わかりました、ありがとうございます。団長」







レティシアと会話して別れてから、アスールは寮内の廊下を静かに歩きながら自室へ向かう。その間、先ほどまでのレティシアとの会話を思い出し悩んでいた。


(あの返事で本当によかったんだろうか。レティシアは悩んでいたようだったけれど……でも他にどう言えば?俺の気持ちを伝えたところで、受け入れてもらえるはずがない。だったら、どうであれレティシアの決断を応援するしかないじゃないか)


 レティシアの決断が、もしも結婚することだとしたら。そう考えた瞬間に、アスールの心の中に黒い墨のようなものがポトリ、と落ちてどんどんと広がっていく。


(そうなったら、俺は本当に応援できるだろうか。相手はレティシアの知っている人間のようだったし……一体誰なんだ)


 俯きながら廊下を歩き、自室の前までたどり着くと、ドアの前に人影があった。



「……こんな時間にどうした」

「団長に聞きたいことがあります」


 ドアの前にいた団員、ブランシュは濃いブロンドの髪をサラリと揺らしながら、まだほんの少し幼さの残る顔でアスールをジッと見つめそう言った。


(俺に話、か。どうせレティシアのことだろうな)


 アスールはブランシュの顔を見ながらほんの少しだけ眉間に皺を寄せる。


「部屋に入れ」


 部屋の中に通し、アスールは自分の机の椅子に座った。ブランシュにソファへ座るよう促したがブランシュは首を横に振り立ったままだ。


「それで、俺に話があるんだったな」


「はい、単刀直入に聞きます。寮母さん……いや、レティシアの縁談についてどうなさるおつもりですか」


 ブランシュの真っ直ぐな瞳と言葉に、アスールは静かにため息をついた。


「どうするつもり、とはどういう意味だ」


「レティシアが誰かと結婚してしまっても構わないのですか?」


 そう言われたアスールは、ブランシュのその真剣さを恐ろしいとさえ思う。若いからこそためらうことなく余計なことを考えることもなく、ただただ真っ直ぐに疑問をぶつけてくるのだ。自分は直視したくてもできないことに、ブランシュは目を逸らすことなく向き合おうとする。それがアスールには心底恐ろしいものに思えた。


「……構わないも何も、レティシアが決めることだ」


「レティシアが決めたことであれば、他の誰かとレティシアが一緒になっても構わないんですね。団長のレティシアへの気持ちはそんなものですか」


 最後の一言に、アスールは思わずカッとなってブランシュを見る。だが、ブランシュはアスールをじっと見つめたままだ。


「もし、レティシアが縁談を望まない場合はどうするつもりですか」

「どうするも何も、今までと変わらない。変えるつもりもない」


 アスールの言葉に、ブランシュはアスールをキッと睨みつけた。


「……そうですか。俺も、レティシアが決めたことであれば、それでレティシアが幸せなのであれば何もするつもりはありません。でも」


 そう言って、ブランシュはアスールへさらに鋭い眼差しを向ける。


「レティシアが縁談を望まないのであれば俺は迷わずレティシアへ告白します。団長が何もしなくても、俺は違う。それだけは言っておきます」


 ブランシュはそう言うと、静かに一礼をして部屋から出ていった。一人残されたアスールは両目を大きく見開き、呆然としながらアスールがいた場所をただ見つめていた。




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