20 聖地・星の娘・決裂
ナーグたち『星影』の元へ着いた翌日、チーリはイーゴやサージと別行動となった。『星の娘』から直々の呼び出しがあったのだ。
「アンタなら一人でも大丈夫だとは思うけど、何かあったらすぐに逃げてくるんだよ」
「ふふふ、大丈夫だよ。俺よりもイーゴたちだよ。彼らがなぜイーゴに会いたいと思ったのか、まだ分からないんだ。サージ様も何かあったらすぐに逃げてくださいよ」
そう言って二人と別れた。チーリは本当に自分の身は心配していなかった。長年探していたとするなら、出会ってすぐに危害を加えられることはないだろう。しかし、イーゴたちは別だ。特にサージを倒せば彼らの悲願にぐっと近づくのだ。
「此度の説得がうまくいかなければ、私は戦う事を選択しなければならない。そうなれば多くの血が流れるだろう。私はそれを望まぬ。チーリ、そしてイーゴよ。私に力を貸してくれ」
出発の前日の夜、サージがそう言い頭を下げていたことを思い出す。
勝機など無いに等しい。時間が経つにつれ、まともな作戦だとは思えなくなってきていた。しかしそれでも賽は投げられたのだ。二人の作戦がうまくいくことを願うしかない。
『星の娘』の侍女だという女が迎えに来た。
彼女は首から膝下辺りまで一続きになった白色の布を着ていた。彼女が動くとほのかに良い匂いがする。
チーリやイーゴと同様、黒い耳に赤白い肌で目は大きく真っ黒な瞳をしている。微かに茶色混じりの黒髪は肩の少し上辺りまでふわりと伸びている。
「チーリ様ですね。私はローレルといいます。以後お見知りおきを」と言い、服の裾を両手で掴むと少し腰をかがめ頭を下げた。初めて見る挨拶だ。
「『星の娘』が聖樹にてお待ちです。どうぞこちらへ」
昨夜ナーグに連れられて歩いた時は、短く感じた道のりが今はかなり長く感じる。
「チーリ様は、〈メス〉の民の子孫の方々にお会いするのは初めてですか?」
無言で歩く事を気まずく感じたのか、ローレルが話しかけてきた。彼女の抑揚の少ない少し低い声は耳に心地よかった。
「イーゴを除けば、そうですね。あなたが初めてかもしれないです」
「お会いになってどうですか?」
「やっぱり似ているところがあるんだなって思います。特にこの耳は特徴的ですからね」
「ふふ、そうですね。これだけ時間が経っても強く特徴を残したまま、というのは不思議ですよね」
「そうなんですか?」
「ええ、そうですよ。異なる特徴を持つ者が交わると段々と混ざり合い、失われていくそうです。そうして新たな特徴を獲得していくこともあるそうですよ」
「じゃあ、〈メス〉の子孫たちはルタスの人たちと交わることが無かったんですか?」
「いいえ。そうでもないの。過去に交流が盛んだった時期があるそうですよ。その中で〈メス〉の民とルタスの民は互いに混じり合ったらしいわ。それでも〈メス〉の民は特徴を失わず、それが今でも残っているのですよ」
「それもまた〈メス〉の民の不思議な力のため、ですか?」
ローレルは足を止めキョトンとチーリの顔を見つめている。短い間そうした後くすくすと笑い出した。
「チーリ様は、〈メス〉の民のことがお嫌いですか?」
「いや、嫌いだという訳ではないんです、ごめんなさい」
ローレルは笑っている。
「気にしないでください。チーリ様が想像していた方よりもずっとお話しやすいので、つい軽口をたたいてしまいました」
「どんな人だと思っていたのですか?」
「そうですね、お話に聞くバウリット様に似ているのかと…。つまり気難しく自尊心に満ちた人だと思っていました。私など、お話をすることも叶わないのでは、と。でもいけませんね。『星の娘』がお待ちです。ゆっくりお話をしていては怒られてしまいます」
だんだんと聖樹と言われた大きな樹が近づいてきた。
昨夜通った時は気づかなかったが、聖樹の近くは爽やかな匂いが漂っている。
「いい匂いがしますね」
「あら、お気づきになりましたか。これは聖樹に咲く花の、その残り香です。私たちの服にも織り込んでいるのですよ」
「ああ、だからローレルさんからいい匂いがするんですね」
「あらあら、そう言われると照れますね」
チーリは顔が真っ赤になった。初めて会った女の人に「いい匂いがしますね」など、失礼極まりない。それにものすごく恥ずかしいことを言ったような気がした。
「すいません、えっと…あの、違うんです」
「ふふ、分かっていますよ」そう笑ったあと、彼女は足を止めた。背筋を伸ばし手を腰の前で組んでいる。「さあ、チーリ様。聖樹に到着いたしました。根元に扉があります。その中で『星の娘』がお待ちです。どうぞ、お入りください」
ローレルに言われるがまま、聖樹の根元にあった扉を開いて中へ入った。扉を潜るとさらに地下へと道が続いていた。周りには聖樹の太い根が無数に伸びていたので、崩れてしまう心配は無さそうだった。
暗い道をポツポツと点いている蝋燭の灯りを頼りに進んでいく。かなり頼りない灯りであったが、それでも無いよりはましだった。
進めど進めど『星の娘』の元へと辿り着かない。ここまでずっと一本道だったので迷うことはないだろう。それでも不安になり、一度引き返そうかと考えていた時、目の前に大きな扉を見つけた。かなり古いようで、開ける時にギィーっと大きな音がした。
扉を開くと中は大きな広間になっていた。薄暗くはっきりとは分からなかったが、それでも三十人は余裕で入れそうだった。その中心に椅子が置かれ、一人の女が座っている。
「はじめまして」
何となく想像していた声とかなり違っていた。話を聞いていると聡明な大人の女の人の印象があったが、聞こえてきた声は落ち着きつつも愛嬌のある声だ。ローレルの声とよく似ている。もしかしたらチーリと年齢が近いのかもしれない。
「私は『星の娘』。チーリ様、あなたにお会いできることをずっとお待ちしておりました」
「暗いですね」
「申し訳ありません。私たちは代々、暗闇の中で生きると定められているのです」
「暗闇の中で…」
「ええ、そうです。〈メス〉の民が再び光を取り戻した時『星の娘』もまた、日の光の元で暮らすことができるのです。私たちは代々それを夢見て生きてきました」
「俺は、あなたに聞きたいことが沢山あります」
「ええ、そうでしょうね。しかし、それは私も同じです」
「同じ?」
「はい。私もあなたにお聞きしたいことが沢山あります」
「いいですよ」時間が稼げるなら願ってもないことだ。
「ありがとうございます。しかし、のんびりとお話をしている時間はあまりありません。あなたの従者の『ハグラ』さん。彼が目的を果たすことには協力したくないですから」
「なぜそれを…?」
『星の娘』はふふふと笑い、両腕をチーリの方へ広げている。
「ここにいればあなたにも感じることができるのではないでしょうか?」
何を?と尋ねようとした瞬間、頭が割れそうな程の痛みが襲ってきた。立っていることができない。なんとか膝立ちになったが、頭の痛みはさらに激しくなっていく。
チーリは意識を失ってしまった。
頭の中に『星の娘』の声が響く。
「ここは聖地の中心。バウリット様が息を引き取ったところであり、彼が埋葬されているところでもあります。私は、『星の娘』は、ここでバウリット様のお声を聞くことができるのです。それはあなたも同様です。さあ、我らの新たな星よ。偉大なかつての星の声に耳を傾けるのです。そして我らに力をお与えください」
意識を取り戻し目を覚ます。
長い間水中に潜っていたかのように、呼吸が苦しく肺が痛かった。
先ほどまでの激しい頭痛は去ったが、まだ余韻が残っていた。
『星の娘』は倒れる前と同じ姿勢だ。こちらに両腕を広げ座っている。それほど時間は経っていないのだろう。
確かにバウリットの声が聞こえ、そして彼の想いに触れることができた。
「もうお戻りですか。どうでしたか?」
「あなたたちは長い間、道を誤ってきました」
「道を?」
「ええ、そうです。誰もあなたたちに戦う事を求めていません」
「何を言っているのですか?」
「あなたたちは間違いを認め、〈メス〉の子孫としてルータンス王国の民と共に生きていくべきなんです。大丈夫です。サージ国王はあなたたちのことを尊重し、共に生きていく道を模索してくれます。あなたが闇に隠れて生きる必要もありません。さあ、サージ様の元へ向かいましょう。そして戦うことをやめ、平和に生きていきましょう」
「何を勝手な事を。我々は長い間、本当に長い間、父祖の地を取り戻したかったというバウリット様の思いを胸に戦ってきたのです。それを間違っていると、父祖の地を奪ったルタス王家の末裔たちと共に生きていけなどと…よくもそんなことを言えますね」
頭が割れそうだ。
「それが間違っているんですよ」
「それ…?」
「バウリットはこの地を取り戻すことなんて望んでいなかった」
「そんなはずはありません」
『星の娘』は側にあった甕から水を掬うとそれを頭に振りかけた。そして何やら呟いた後、下を向いて黙った。
「だめ、こんなの…おかしいわ。彼の声が聞こえない…」
チーリの方へ顔を向けている。おそらく睨んでいるのだろうが、暗くて表情は分からない。
「あなたね…あなたが彼に何かしたのね。許さない。『星影』はあなたたちと戦うわ」
そう言うと『星の娘』は広間から出て行ってしまった。
まだ頭が割れそうに痛んでいたが、どうにか這うように彼女の後を追った。
『星の娘』は見失ったが、小屋まで戻ることができた。
しかし休んでいる余裕は無いようだ。小屋の側に人が集まり大騒ぎになっている。
その中心にイーゴとサージがいた。イーゴはチーリを見つけると「早く!」と叫んだ。チーリは力を振り絞り、イーゴの元まで走った。途中で騒ぐ〈メス〉の子孫たちに抵抗されながらもどうにか辿り着いた。
そしてイーゴに引っ張られ、群がる人たちの中から逃げ出した。
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