14 黒耳の童
しばらく誰も喋らなかった。チーリは床に体を転がしたままだ。固い床の上で体が痛かったが、それでもそこを動こうという気にならなかった。
(ドイがイーゴだったのか?本当に?いつからだ。ヤカを殺したのは?村を襲ったのは?なぜここにいるんだ…誰でもいい。誰か、何がどうなっているのか説明してくれ)
ずっと動かないチーリを心配したのか、サチカが体を起こして布団に寝かせてくれた。どこからか薬を追加すると「ゆっくりでいいから全部飲んでくださいね。後で口直しの果物を持ってきますから」と言い部屋を後にした。
王と隣に立つ男が顔を見合わせ、小声で短く言葉を交わした。その後、男が早足で部屋から出て行った。
「出て行った男はセッタといってね。私がこの国で最も信頼している者だ。彼には人を呼びに行かせた。チーリ、今、君の頭は疑問でいっぱいだろう。必ず順に理解してもらえるよう話をすると約束しよう」そこで言葉を区切り、イーゴに手を向けた。「彼女についても同様に話をしてもらうつもりだ。二人きりで話したいこともあるだろう。時間がたっぷりあるとは言えない状況ではあるが、それでも君たちが望むのならば、話せる場を提供しよう」
「望むのであれば…?」チーリは王を睨んだ。「俺が何を望もうと望まぬと、いちいちあなたの許しを得る必要はない。そうでしょう?悪いけれど、俺はここを今すぐ出て行きますよ」
「それはできない、申し訳ないがね。ある意味において君には、どんな重罪人よりもここを離れてもらう訳にはいかぬのだよ。例え力尽くであっても、だ」
サージ王は椅子を引き寄せるとそれに座った。イーゴにも座るように勧めたが、彼女は首を振りそれを断った。
「私たちが本当に失礼だということは分かっている。しかし私たちの話を聞き終えるまで堪えてほしい。話を聞いた後、君がここを去ると言うなら、もう私たちが君に関わる事はないと約束しよう」
「分かりました。話を聞きましょう。そしてここから出て行くことにしますよ」
セッタはなかなか戻って来なかった。待っている間に意地でも咳き込まないように、ゆっくりと薬を飲んだ。その後は目を瞑り、セッタが帰って来るのを待った。
口の中が苦い。
「お待たせして申し訳ありません」扉を静かに開けセッタが戻ってきた。
彼の隣には腕と足を縛られた老人が立っていた。
(わざわざ罪人を呼びに行っていたのか)
その老人は髪がすっかり白くなり、てっぺんは禿げていた。王より少し背が小さいが、見た目の歳の割に背筋がしっかり伸びており、体つきもがっしりしていた。
じいさんの面影を重ねてしまい、彼が拘束されていることに苦い気持ちになってしまった。頭を振りその考えを追い出す。
(それで、これは誰なんだ?罪人の話をわざわざ聞かせたいのか?)
そう思いサージ王を見ると、彼はとても辛そうな顔をしていた。
「ありがとう。セッタ、お前は下がってよいぞ」
セッタは少し不安そうな顔をしていたが、それでも頷くと部屋から出て行った。
彼が出て行ったことを確認すると、サージは老人の拘束を解いた。それからチーリに向き直った。
「この者の名前はノリスという。私の父の時代から大臣であった者だ。今は残念ながら…罪を犯し牢に繋がれている」
「それで?犯した罪の話でも聞くんですか?」
「いや、罪の話ではない。彼が長年調べてきたことを聞くのだ」
「調べてきたこと?」
「ああ、そうだ。それにはこの国の成り立ちから話をしなければならない。長い話だ」
何を話したいのか、どんな意図があるのか分からないが、ここを去れるなら安いものだ。気の済むまで聞いてやろう。
「ええ、どうぞ。話してください」
ノリスの話は本当に長かった。
ルタス王家と呼ばれた人々が戦火から逃れるように山を越え谷を越えこの地にやってきたこと。そこには「メスの民」と言われる先住民がいたこと。ルタス王家とメスの民たちは、互いに尊重しあい平和に共存していたこと。それでもそれぞれに、お互いのことを良く思っていない派閥があったこと。そしてそれがじわじわと広がり争いに発展したこと。ルタス王国最後の王がまさにこの城でメスの民の若者に殺されてしまったこと。メスの民の長はその若者に捕らえられたこと。戦争に発展し多くの民の血が流れたこと。最終的にメスの民が敗れ、長は責を負い、刑に処されたこと。そして生き残ったメスの民は二度と罪を犯さないよう森の奥深くに隠れすようになったこと。この件は「メス・ルタスの惨劇」と呼ばれていること。その後ルタス王家はルータンス王家へと姓を変え、ルータンス王国を興したこと。
ノリスは言葉に詰まることなく語った。話が一段落ついたのか「少し休憩しよう」とサージが言い、ノリスは水を飲んだ。
この国の成り立ちは初めて聞く話だった。村では誰もそんなことを気にしている人はいなかったし、おそらくちゃんと知っている人もいなかっただろう。
しかし、王に仕える者たちは全員が幼い頃から、この話を聞いて育つらしい。
布団の柔らかさといい、果物の甘さといい、暮らしや育ちの違いに愕然とした。村では国の成り立ちなんか知るくらいなら、獣の狩りの方法や、木材や皮の加工について勉強しろと言われただろう。
ただ、これを聞いてどうして欲しいのかが分からず、サージとイーゴを順に見た。
サージは目が合っても何も言わず黙っているだけだった。「続きを待て」ということだろう。イーゴは視線に気がつくと、気まずそうに目を逸らした。それから小さな声で「森の奥に隠れ住んだ〈メス〉の民が私やサシャの祖先なんだそうだ」とボソッと言った。
水を飲み終えるとノリスは「続けてもよろしいですか」とサージに確認し、話を再開した。
「ここまで話したことは誰でも知ることのできる歴史です。カリウス様がルータンス王国を興し、そして今現在まで、大小様々な困難に立ち向かい繁栄し続けています。そう締め括って終わりです。しかし、私は表立って語られない歴史を、知ってしまったのです。そしてそれは、チーリ君、あなたに関わりのある話です」
「俺に?」
「話を進める前に一つ確認したいことがあります。チーリ君、あなたは最近、若者の声に悩まされていませんか?もしくは、奇妙な夢を見るといったことはありませんでしたか?」
「…あります」
ノリスがチーリの肩をポンと叩いた。
「実は私も声を聞いたことがあるのです。それに夢の中にも何度も出てきた。ただ、君とは後半の言葉が違っている。私の場合は『力を欲するならば 声に従え 然すれば 暁天 訪れん』というものだった。なぜ君と私、そしてイーゴに声が聞こえたのか?それを知りたい」
「イーゴも?」
イーゴは頭の後ろを掻きながら、苦笑している。
「私のはね、アンタたちみたいにはっきり聞こえた訳じゃないんだ。何か理由があってアンタたちに声が聞こえたって言うんなら、私にはきっと間違えて声を掛けてきたんじゃないかって気がするよ。それなら一言『間違えました』って言ってほしいもんだけどね」
「イーゴはいつその声を聞いたの?」
「アンタに話しただろ?黒狼団のやつらを追い払って、仲間たちを逃した時さ」
「確か、頭に変な声が…って」
「アンタたちが聞いた言葉に『最愛のものなくすとき』ってのが出てくるだろ?きっと私はサシャが死んでしまったと考えていたから声が聞こえたのかもしれないね。まあ、私の他にも親しい人を亡くす経験をしたことがある人なんているだろうけどさ」
「…俺は、村が黒狼団に襲われた後、出発する前に声を聞いたような気がします。ただはっきりと聞こえた訳ではないので、何と言っていたかまでは分かりません」
ノリスは曇った表情で話を聞いている。
「若い男の人の声でした。今思い出してみるとすごく優しいというか励ましてくれるような雰囲気、そんな感じがありました。覚えているのはそれくらいです」
話を聞き終えるとノリスは顔を伏せ、大きく深呼吸した。
「サージ様、チーリ君の話を聞いて確信できたことがあります」
「なんだ?」
「やはり彼が、彼こそが私の探していた『黒耳の童』で間違いないということです」
ノリスがチーリを見た。ノリスの頬が微かに紅くなっている。
「私はチーリ君、あなたを長い年月探していたのです。そしてやっとあなたに会うことができました。といっても、あなたには何のことだか分からないと思います。しかし、それでも、私は、あたたに会える日を、本当に待ち焦がれていたのです」
気味が悪かった。興奮しているのか、早口で、しかし言葉を区切りながら、熱を込めて話してくる様子に鳥肌が立つ。イーゴも同様だったのだろう。ノリスのことをきつく睨んでいる。
それに気づいたノリスは一つ咳払いをすると、少し落ち着いた様子を取り戻したように見えた。
「チーリ君、あなたは『黒耳の童』がどんな存在であるか知っていますか?」
首を横に振った。
「そうですか。では説明しましょう。サージ様もイーゴももう一度しっかり聞いてください」
そう言い、また長い話を始めた。今回は自分にも存分に関わってくるだろうと思い、真剣に話を聞くことにした。
「先ほど話したルータンス王国建国の話には、現在に伝わっていない物語があります。それはルタス王国に対して圧倒的に数が少なく、そして装備や戦闘技術に劣る『メスの民』がなぜルタス王国と対等に戦えたのか、あるいは多くの民の命を奪うことができたのか。そしてどのようにして戦に負けたのか。その両方に関してです。…失礼ですが、サージ様、これらの疑問に対して現在の王家にはどのように伝わっているのでしょうか?」
サージ王は少しの間、顎に手をやり考えていた。
「それらは、ほとんど何も伝わっておらぬ。大昔に先住民との間に争いがあり、戦術戦略に優れた我らの祖先が勝利した。そして血の穢れを払うため改姓したカリウス様がルータンス王国を興されたのだ。それ以外〈メス〉の民という先住民の名さえ伝わっておらぬのだ」
「そうです。戦の詳細も彼らの名も、現在には全く伝わっていないのです。ではそれは何故か?いつの時代か分かりませんが〈メス〉の民の不思議な力、およびそれを用いた反乱を恐れた王家が、彼らについて語ることを禁じたのです。そしてそれらについて書かれた歴史書を禁書とし、古ルタス語の使用も禁止しました。そのようにして、真の歴史は葬り去られ、誰も知ることのないものとなってしまいました。まずは闇に葬られた歴史を簡単にお伝えします」
今度は水を飲むこともせず、長い歴史を話し始めた。
〈メス〉の民の一部の人間には「未来を見ることのできる力」が備わり、それを使い戦を有利に進めていたこと。王家との共存共栄を願っていた彼らの長は牢に捕らえられていたが、そこを抜け出しカリウス王に〈メス〉の民の力について打ち明けたこと。長の助言のおかげで、多くの民の血を流しながらも王家が勝利を納めたこと。しかし力を際限なく使った〈メス〉の民たちは、自我を失い敵味方の別なく襲い始め、多くの血が流れたこと。
「そのようにして我らの祖先は勝利を勝ち取ったのです。その後、長は謀反の責を負い自ら処刑されることを望み現在の謁見の間で首を刎ねられました。その直後、信じられないことが起こります」
ノリスは再び話し始めるまでに、ゆったりと時間を取った。
「首を斬られ死んだはずの長の声を、その場にいた全員が耳にしたのです。『黒耳の童 最愛のものなくすとき 我ら 遠く及ばぬ力にて 宵闇 暁天とならん』というものでした。チーリ君、おそらくあなたが聞いた言葉と同じです。多くの人が耳にしたことで、そのことはすぐに国中に広まります。カリウス様はそれが〈メス〉の民の不気味さを象徴する出来事としてちょうど良いと考え野放しにしました。もともと王国の民のなかには先住民である彼らを気持ち悪がる人が少なくありませんでした。そこへこの話が広まったことで、彼らが逃げるように森の深くへ隠れたことに疑問を持つ国民はほとんどいなくなりました。初めはそれで良かったのでしょう。しかし、時が経つにつれ我が国の状況は大きく変わっていきます。惨劇の記憶が薄れていき『黒耳の童』の話のみが一人歩きするようになりました。さらに、国の情勢が悪化すると〈メス〉の民を探し、この国を救ってくれ!と呼びかける運動が始まりました。反乱や他国からの侵略の種になり得ると危惧した時の王家は、この伝承について、口にすることや調べることを禁止します。そのようにして惨劇についての真実は闇に葬られてしまったのです」
ノリスはそこまで語ると水をごくごくと飲んだ。話を聞き終えても、口を開くものは誰もいなかった。
(ノリスさんは俺が『黒耳の童』だと確信したと言っていたな。なら、俺に国を救う力があると、本気で信じているのか?どうかしている)
しばらくの間、四人はそれぞれ物思いに耽っているのか黙っていた。その沈黙に耐えかねたようにノリスが口を開く。
「チーリ君は、今の話を聞いてどう思いましたか?」
「正直言って、全く信じる気になれません。俺に力があるかどうか、それは置いておきます。だけど、どうやって死んだ人間が喋るんですか?俺にも誰か分からない声が聞こえたことはあります。だけどそれが死者の声だとは思えません。死んでしまった人は、どれだけ望んでも喋ることはありません」
「ええ、私も初めは全く同じ考えでした。しかし当時の『メスの民』には、それを可能にする若者がいたのですよ。バウリット、それが彼の名前です。彼は生まつき非常に高い能力を有していました。さらに頭が良く見目にも優れていたため、多くの人を惹きつけていたのです。彼は王家への戦を、父祖の地を取り戻す聖戦だと称し、彼を崇拝する人々を戦へと巻き込んだのです。彼は王国の支配から抜け出したいと考えていた一部の〈メス〉の民たちの希望の星でした」
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