サージ・ルータンス国王【手紙】

 寝室の窓を開けると、朝の爽やかな風が顔を撫でた。森から聴こえてくる小鳥たちの囀りもとても軽やかで気持ち良さそうだ。

 そんな朝の空気に包まれながらサージは塞ぎ込んだ気持ちでいっぱいだった。

(強欲な商人、権力主義の貴族、諸外国からの圧力、採れない食糧、襲われる民、減らない奴隷…この国が抱える問題が晴れぬ限り、私の気持ちがこの朝のように軽やかで清らかなものになることはないであろうな)

 寝巻きから着替え、顔を洗う。着替えから顔を洗う水まで全て、まだ暗いうちに侍女が用意してくれている。さらに口にするものは全て体に気遣われた高級な食材であり、それが出される前には必ず毒味も済まされている。

(このように恵まれた生活を送っているものが、真に民の喜びや苦しみが分かるはずがないではないか…)

 毎朝、準備された着替えや朝食を目にするたびに心苦しく思っていた。

 着替えを済ませ、食堂へ向かった。

 今朝の朝食はパンと鴨肉の果汁漬け焼き、野菜の盛り合わせに蜂蜜入りの牛乳のようだ。それに果物も二切れついてる。

 豪華な朝食を口にしながら、とても苦いものを口にしたような気持ちだった。


 朝食を食べ部屋に戻って公務に取り掛かろうとした時、部屋の扉を叩く音がした。

「おはようございます。セッタでございます。朝のご公務の前にお耳にしていただきたい話がありますので、少しお時間いただきたく存じます」

「入れ」

 そう言うと小柄な男が扉を開けて入ってきた。背筋をピンと伸ばした姿勢のまま目の前まで進んでくると足を止め、その場で右膝を突き片膝付きになった。そうしてその体勢のまま左手で右肩を触る姿勢をとっている。これはこの国で自分より身分の高い者と話す際の最敬礼の態度である。

「良い良い。今は誰も見ておらぬ。それほど畏まる必要もあるまい。何より私とそなたの間柄だ。少し不自然にも感じるぞ」

「申し訳ありません。最近、サージ様に敬礼をする機会が無かったものですから。久しぶりにお会いする緊張を解したいと思いまして」と言ってニヤリとしながら立ち上がった。

 このセッタという男は、この国の近衛兵長である。背は低く私の顎先くらいしかない。それでも武術の腕は確かで、この国の兵士で彼に勝てるものはいないと言われている。無手であっても比類なき強さを誇るが、彼が剣を持つと獅子も逃げると言われるくらいである。今は正装なので肌が隠れているが、そこには無数の傷があることを知っている。小さな体で誰よりも強くなるため、幼い頃より誰にも負けない程熱心に鍛錬を行ってきた証だ。彼とは兄弟のように過ごしてきたので、どれほどの努力家であるかについては、おそらく私がこの国で一番知っているだろう。

 この国では私も含めほとんどの人が黒髪であるが、このセッタほど黒い髪の者はいない。そう思えるほどの漆黒の黒髪をしており、それを短く清潔に保っている。目も耳も大きく、背の低さも相まってどこか少年を連想させる男である。これでも私と同じでもうすぐ四十になる。最近は若く見られることを嫌がってか立派な顎髭を蓄えている。それが妙に似合っておらず、部下たちからよく揶揄われているそうだ。

「本当に久しぶりだな。前に会ったのは一年ほど前であったか?最近は部下を寄越すばかりで、なかなか直接尋ねてくることがない故、私を避けておるのかと考えておったところだぞ」

「そんな、まさか。部下を寄越しているのはあなたと話す機会を与えるためですよ。俺が独り占めしてちゃ、やいやい言われてかなわないんですよ」

 久しぶりに会ったせいか固かった口調が、次第に柔らかくなる。それが心地よい。

「それにやつらを王の元へ寄越しても、粗相を起こすことがないくらいには成長してきたと思ってるんで。大丈夫でしたか?」

「ああ、しっかりしたものであったぞ。大したものだ。智勇兼備の良い部下たちであるな」

「でしょう?あいつらは俺の自慢のガキたちなんだよ」

「それに良く教育が行き届いておる。ここを訪れた者誰もが、私の嫌いなデリの葉の茶を持参してきよった」

「ははは。どいつもこいつも初心でね。俺の言ったことは何でも信じてしまうんで、困ってるところさ」

 久しぶりの友人との話はやはり楽しく、その後もしばらく他愛のない話をしていた。

「そんなこともあったか。はは、懐かしいな。…さて、かなり昔話に花を咲かせてしまったな。こんな時間から訪ねてきたのは何か用があったのであろう?」

「そうだそうだ。忘れてしまうところだった」

 そう言うと慌てて懐から一通の手紙を取り出した。良く見えなかったが、蝋でしっかりと封印されているようだ。

「実は今朝早く、一人の女がこの手紙を王に必ず読んでほしいと言って渡してきたのです。普段なら何を無礼なことをと言って、捕まえて尋問するところですが…」

「なぜそうしなかったのだ」

「しなかった、ではなく、できなかったのです」

「お前がか?」

「はい。初めからその女は俺に気配を悟らせることなく近づいて来たんですよ。そして私が近衛兵長であることを確認すると手紙を渡してきたのです。そして必ず渡してほしいと言うと、捕まえる間も無くスッと姿を消したのです」

「なんだそれは?もののけの類か?」

「いえ、それよりもかなり武に精通した者であると思われます。…正直なところ、私よりも強いかもしれません。それほど一部も隙のない身のこなしでした」

 俄には信じられない思いだった。セッタより強い女がこの世に存在するのか?まだもののけの類だと言われた方が信じられたかもしれない。私の表情から疑心を感じ取ったのだろう。セッタが話を続ける。

「信じられない気持ちもよく分かります。私も同様でした。しかし、彼女を捕まえなかったのにはもう一つ理由があるのです」

「そうか。それが真っ当なものであると信じておるぞ。お前を罰したくはないからな。して、その理由は?」

「これを見ればお分かりいただけると思います」

 そう言うとセッタは手紙をこちらに寄越した。

 手紙を受け取り、中を改めようとしたところ、セッタが「待ってください」と強く静止してきた。

「遮ってしまい申し訳ありません。しかし、その封印のところを良く見ていただきたいのです」

(封印?それを見て何が分かるというのだ。相手が相当な身分のものであるのだろうか?)

 そう考え封印を見て驚いた。

「これは…」

 しばらく声が出なかった。セッタも黙って待っていた。

「これは私の記憶が正しいのならルタス王国時代の紋章ではないか」

「やはりそうでしたか。私も朧げながら幼いころ先王に見せていただいた記憶がありましたので。それに呆気に取られているうちに逃げられてしまったのです。不審な女を逃したこと、如何様な罰でも受ける所存であります」

「いや、それには及ばん。私もその場にいたとしたら同じように逃しておっただろう。不問としよう」

 それを聞くとセッタはまた最敬礼の姿勢を取った。

「良い、これはこの場の二人だけの出来事だ。そのように畏まる必要はない。…それよりも中身が気になるな。この封印は解かずに切って取り出すとしよう。何か切るものはもっておるか?」

 セッタが出した短刀を受け取り慎重に封筒を切ると、手紙を取り出し目を通す。

 初めは手紙の相手は誰か?という気持ちが強かったが、読み進めているうちにどうでもよくなっていった。それだけ衝撃的な内容だったのだ。

 読み終わり手紙を机の上に放り投げ、封筒を手にして再度封蝋をよく見る。しばらくそうして放心していた。

「あの、サージ様、一体何が…?」

「ここに書いていることが全て真実であるとは到底考えられない。しかし…しかし、証明できることも書かれておる」

「それは?」

「セッタ、三日後にお前が動かすことのできる、真に信用できる兵は何人ほどいるだろうか?」

「三人です」

「そうか。ならば三日後、私が今から言う所へ兵を連れて行き、やってほしいことがある」

「はっ、なんなりと」

「畏まる必要はない、これは私個人の依頼だ。この国に関わることかどうかは…この手紙の内容が正しいかどうか次第である」

「個人の依頼…?ジル様のことを思い出しましたが、まさか…?」

 ジルとは私の妻であった。七年前私の即位後すぐにこの世を病により去ってしまった。もともと病弱だったため周囲に反対された結婚だったが本当に幸せだった。世継ぎができなかったことを病床でさえ悔いていたが、私はそんなことが気にならないほど幸せに暮らしていたと思う。彼女と結婚をする際にセッタに一役買ってもらっていたので、今回もまた近しいことかと勘繰っているのであろう。

 彼女のことを思い出し、一時気持ちが緩んだが、すぐに引き締め直しセッタに依頼を告げた。

 それを聞いているうちに彼の表情が強張るのが分かった。

「良いか、もしこの手紙に書かれていることが事実なら、目にしたもの耳にしたもの、その一切を心に留めて置くように。そして一言一句違わず私に報告してくれ」

「分かりました」

 そう言うと膝は着かず手だけで敬礼の合図をし部屋を後にした。最後まで信じられないという表情だったが、それでも彼なら私情を挟まず依頼をこなすだろう。

 一息ついて公務に戻るため椅子に座った。しかし手紙が目に入り集中できなかった。

 再度手紙を手に取り読み返す。

 何度も読んでも書いていることは変わらない。

 全て嘘であって欲しい。

 手紙を折りたたむと、ひきだしの中へしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る