5 忌み子・惨劇の後


 チーリは奴らが村に向けて出発しても、すぐに動く事は出来なかった。ドイに自分の存在が知られているかもしれないという恐怖があったからだ。

 目の前でヤカが殺されたにも関わらず、我が身可愛さに身動きの取れない自分が、情けなくてしょうがなかった。しばらくの間、木の上で恐怖と怒りで体を震わせていた。

 どれくらいそうしていただろうか。顔に差し込む夕日の眩しさで、かなり時間が経ってしまった事は分かった。

 もう奴らが戻って来ることもないだろうと思い木から降り、ヤカの元へ駆けつける。幼い頃から共に過ごして来た親友は、もう既に息を引き取っており、二度と優しく笑いかけてくることはない。

 しばらくヤカの顔を見つめた後、手を翳し瞳をそっと閉じる。

 また、ちゃんと弔いに来るからな。一旦さよならだ。

チーリは村へ帰るため歩き出した。

村までの道中、ヤカとの出会いについて思い返していた。

 彼と仲良くなったのは、チーリが三歳の時だった。その頃のチーリは、まだあちこちに出掛けて遊びまわるという事はしていなかった。人の多いところへ行けば、必ず嫌な顔をする大人がいたからだ。

出自については、なんとなくじいさんから聞かされていた。そのため、この村の生まれでない自分の事を嫌っている大人がいることは、早くから理解できていた。だからこそ、それでも助けてくれたじいさんやこの村の事が大好きだったし、ただ嫌われている事については苦じゃなかった。

それでも周りの大人が口に出す「忌み子」という言葉だけは心の底から大嫌いだった。意味を理解できたのは、ずっと後の事だったので、この時はまだ何を言われているのかは分からなかった。しかし、その言葉を口にする大人たちの表情から、彼らから忌み嫌われている事がこれでもかと突き付けられ、その言葉に込められた憎しみの感情を、幼い身でありながら一身に痛感していた。

 そんなある日、チーリはじいじと一緒に村の中心部に買い物に来ていた。その日は快晴で気持ちの良い日だった。ずっと家にこもっているチーリの事を心配したじいさんが買い物についてきて欲しいと誘ってくれたのだ。

 中心部に着くと、そこにはいくつかの店が並んでいた。この日は年に一度、出店が出され色々なものを物々交換できる日だった。店には村で取れた米や野菜、それに猟師が獲って来た肉や皮を加工したものなどが販売されていた。特に子どもの目を引くようなものは無かった。それでも、ほとんど家に閉じ籠っていたチーリにとっては、初めて目にする商品や、初めて嗅ぐ匂い、たくさんの人の声が行き交う喧騒が、とても新鮮なものに思えた。あっちこっちに目をやりながら歩いていたチーリは、気がつけばじいじと逸れ、迷子になってしまった。先ほどまでの高揚感は去り、寂しく怖い思いで胸が一杯になった。それでもこのまま、人通りの多い所にはいたくないと考え、なるべく人通りの少ない方へ足を動かした。

 半ジン(役三十二分)程歩いて、一軒の店の前で足を止めた。その店は動物の肉や皮を扱っている店らしく、軒先にはおいしそうな干し肉が並んでいた。チーリがそれを眺めていると店から一人の女の人が出て来た。彼女はチーリを見ると「どうしたの。一人でお買い物?それとも迷子かしら」と優しく声を掛けてくれた。じいじの事はこの村の人なら誰でも知っている。きっと訳を話せばすぐに見つけてくれるだろう。チーリは心底ホッとして、顔を上げ、彼女に「迷子です」と伝えた。これで、じいじと会えるはずだ、と思った。

 しかし、目の前の女性はチーリの顔を見て、それから耳に目をやると大きな声で「なんだい、あんた村長のところの黒耳のガキじゃないか。とうとう村長にも捨てられたのかい」と冷たく言い放つと、「忌み子の為にできる事なんて、何にもないよ。さっさとどこかへ行っちまいな」と続け、店に戻ろうとした。

 すると店の中から一人の男の子が飛び出して来た。表情を見ると、自分と同じくらいの年齢に見えたが、顔も体も丸々と大きい。よく見ると膝や脛のあちこちに怪我をしていた跡がある。この子はよく外で遊んでいるのかな、と考えていると、その子は女性に向かって大きな声で「おばさん。悪口を言うのは良くない事だって、いつも父ちゃんが言ってるよ。その子、怖がってるよ。なんでそんな酷い事をするんだよ」と言った。

顔を紅潮させ怒っているようだった。そして、女性からの返事を待つ事なく、大きな暖かい手でチーリの手を取り、店の中に引っ張っていってしまった。

 じいじと逸れてとても長い時間が経過しているような気がしていた。その間一人で本当に寂しくて怖かったし、さっきの女性の言葉に打ちひしがれていた。今、状況は飲み込めないが、それでも誰かが優しく手を握ってくれたことが、踊り出したい程嬉しかった。

それと同時に不思議でならなかった。なぜこの子は怒っているのだろう。なぜこの子はわざわざ自分の事を助けてくれたのだろう。そう考えたところで、一つの考えが頭をよぎった。この優しい子もまた、自分が忌み子だと知れば態度を変えるかもしれない。少なくとも、この子の周りの大人は嬉しくないだろう。もう一度誰かに冷たい言葉を投げつけられたら、耐えられそうにない。

そう思い、男の子の手を振り払おうとした。しかし、彼はとても力が強く、振り解くことができなかった。

「ヤカ、どうしたんだ、その子は」

 店の中に入ると、大きな顔に山羊のような髭を生やした男が、大きな声で男の子に尋ね、チーリを見るとハッとした表情になった。それを見て胸の辺りがズキンと痛んだ。

「父ちゃん、この子ね、店の前で、いじめられてたんだ。だから連れて来ちゃった」

 そう言うと次はチーリに向かい笑いながら「父ちゃんは怖そうに見えるかもしれないし、それにね、声も大きいけど、大丈夫だよ。ああ見えて優しいんだ。何があったか知らないけど、もう安心していいよ」と言葉を一つ一つ区切りながら、優しく丁寧に話してくれた。彼の言葉や笑顔が、痛んだチーリの心を暖かく照らしてくれたような気がした。

 気がつくと今まで堪えて来た涙が、堰を切ったように流れていた。

 その後の事は、よく覚えていない。後から聞いた話によると、シュカさんがすぐにじいさんを探してくれたようだ。再開した後、じいさんもチーリもとても疲れていたので近くの彼らの家で一晩を過ごしたそうだ。


「シュカさんはさ、俺が忌み子と呼ばれてるってことは知ってただろう。あの時は村の連中のほとんどは俺のことを嫌っていたのに、なんで、何も言わずに受け入れてくれたんだろうな」

 いつかヤカにそう尋ねた事がある。

「親父はね、きっと特に理由がなくてもチーリの事を助けたと思うよ。そういう人だ。まあ訳を聞いても、なかなか話してくれなかったんだけどね」

 そう言うとヤカはニッと笑い、続けた。

「だけどね、深酒をした時に聞いたら答えてくれたんだ。これは誰にも、特にチーリには言うなよって言って教えてくれたよ。『チーリがこの村にやって来た時、それを発見したのはワシじゃ。あの子がどうにか助かった時、ワシも村長も、顔をくしゃくしゃにして泣いての。二人ともそん時にゃあ、あの子をこの村で元気に育てると決めとった。だからな誰にもあの子を「忌み子」なんぞと呼ばせはせんし、困っとったら助けるのは当然じゃ。チーリもお前と同じ俺の家族なんじゃ』って」

「そうか」と答えるのが精一杯だった。自分の事を家族だと考えてくれている人がじいさんの他にもいる。その事実にチーリは泣きそうだった。

「だからさ、血は繋がっていないけど、僕たちは兄弟なんだよね」


 気がつくと村の入り口にかなり近付いていた。奴らが到着してからかなりの時間が経っているはずだ。チーリは近くにあった木に登り、村の様子を探ることにした。

 村には既に人の気配がない、ような気がした。月が雲に隠れ暗く、詳しい様子はなかなか判断できなかった。しばらくそこで様子を伺っていると、風が吹き月が姿を表し辺りを照らした。

チーリは絶句した。

 村の広場には転々と人が倒れている。その全てが村人たちだった。

『あの偉そうな連中に喧しく言われんよう、保険に何人か攫って、残りは後腐れないよう、きれいさっぱり大掃除といこか』

 あの大男の言葉が蘇る。本当に、とチーリは思った。奴らは、本当にこの村の人たちを皆んな殺してしまったのか。怒りが恐怖を飲み込む。

 チーリは木から降りると、一目散に村へ走った。奴らが村に残っているなら、それも大歓迎だ。一人でも多く同じ目に合わせてやる。奴らは俺を捕まえるために村にやって来たのだ。俺を殺す事はできない。

どうか助かっている人がいますように。どうかじいさんは助かっていますように。

村に入るとまず、血の匂いが鼻をついた。そして、まばらに倒れている村人たちが目に入る。夜遅かったので、多くの村人は寝巻き姿のまま、農具や包丁を武器に抵抗したようだ。それらが死体の側に転がっている。また、家の中にも襲われた人たちの姿がある。寝たまま殺された人もいるのだろう。

村の中心部には更に多くの村人が倒れていた。

ドムさん、コルツさん、ナカさん、レイグさん、ゴーザさん、ムイさん、チャッツさん…

弓で射られたもの、刃物で切られたもの、頭を割られたもの…。

口の中に酸っぱい胃液が押し寄せる。しかし、今嘔吐している時間はない。

自宅へ向かい全力で走る。

自宅へと着くと、じいさんの部屋を押し開ける。そこにじいさんの姿はなく、狩猟用の大きな鉈も無くなっていた。

「まさか、あの体で戦ったのか…」

 その時、家の裏手から男の声が聞こえて来た。チーリは音のした方へ、気配を殺して近づく。

 裏手に着くとじいさんが椅子に体を縛られてぐったりしていた。じいさんの目の前には、ウロと呼ばれていた男が鉈を手に立っている。

チーリは大きめの薪を手に取り、気配を殺したまま後ろから一気に近づき、ウロの後頭部を思い切り叩いた。そして落とした鉈を奪うと、その背で膝裏を叩き潰す。しばらくウロが動けないでいることを確認すると、急いでじいさんの元へ向かった。

かろうじて息はありそうだが、酷い有様だった。右の目は矢で潰され、足先から足首に掛けて鉈で潰されていた。他にも体の至るところを傷つけられており、血を流しすぎている。

「じいさん。俺だ。チーリだ。今、助けてやるから。だから、まだ死なないでくれ。頼む」

 そう言い、椅子に縛り付けている紐を解き、地面に横たわらせる。

「じいさん。俺だ。帰って来たよ。ほら、もう大丈夫だから、返事してくれよ」

 返事は無い。呼吸も不規則だ。ヒューヒューと浅くなり、切れ切れになっている。

 チーリはじいさんの手を掴む、必死に声を掛ける。

「頼むよ、じいさん。俺まだ何にも返せてないよ。俺の命を繋いで、ここまで育ててくれたのに、俺まだ何にも返せてないよ」

 じいさんの手に一瞬力が込められたような気がした。その後、だらりと地面に垂れる。

 チーリはそれ以上何も言わず、彼の体を抱えると、部屋の布団へと運んだ。そして、布巾を濡らして体や顔をきれいに拭いていった。服を脱がし体の隅々まで、優しく時間を掛けて行う。ほとんど骨と皮になってしまっている体が、これまでの闘病生活の苦しさを物語っていた。納得するまで体を拭き、再度服を着せ、瞼を閉じる。そして、枕元には好きだった干し肉や、大事に世話していた花や本など、じいさんの好きなものを並べていった。最後に自分の髪を手で掴んで切り、それも一緒に並べた。

そして、藁を体の上に被せ、松明で火をつけた。


 それが終わるとチーリは家の裏手に周り、ウロの手を紐で縛り、その先を持って村の中心部へ引っ張っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る