4 追跡・大男とドイ・黒耳の童
チーリたちは音を立てないよう、足跡を追った。侵入者たちの足跡から、途中で彼らが速度を落として移動していることが分かった。追跡を始めてからおよそ半ジン(約三十二分程度)経過していた。おそらく目的地が近いのだろう。
「ヤカ、止まろう。足跡の間隔がだいぶ狭くなっている。きっと近くで休憩しているのか、まだ仲間が隠れているのかもしれない」
近くにいるかもしれないことを考慮して、無声音でヤカに話しかけた。村の猟師たちは森で会話するために、限りなく音を出さずに会話することができる。これは、村の中で噂話や聞かれたらまずい話をする時にも非常に便利だ。
「ここで隠れているなら、村からも結構近いね。多分二ジン(約二時間)も掛からないよね」
ヤカも当然無声音で話すことができる。
「そうだな。いよいよとなったら、夜の間にでも村にこっそりやってきて、食料を奪うくらい訳ないだろうな」
「それにしても変な感じだね」
「変とは」
「だって、どう見てもやっぱり森歩きは素人だよね」
「そうだな。足跡をくっきり残し過ぎているし、初めの間は鹿の血痕も残していたからな」
「だけど、それにしては歩くのが速いよね。痕跡を隠すことについては本当に素人だけど、森歩きに関しては、ある程度の経験があるのかもしれない。僕たち二人でこれだけ追っても、まだ追いつけないなんて」
「確かにそうだな。俺たちは結構速く追いかけてきたし、それによく知っている森だから…」
そこまで話して、二人はすっと口をつぐんだ。
〈左の目〉の方から微かに話し声が聞こえてきたのだ。二人は目で合図して音を立てないよう木に登り、そちらの様子を伺った。ヤカはあまりに驚いたからか木の下に大弓を置いたままだった。
幸いな事に少し距離がある。そこには、二十人前後の武器を携帯した集団がいた。彼らの多くは腰紐の部分に短刀を仕込み、背には短弓を掛けている。一様に右耳に黒の弓形の飾りをつけており、ただの村人でも、密猟者でもないことは明らかだった。
彼らの視線の先には、やたら体格の良い大男が座っている。後ろ姿しか見えないが、彼もまた耳飾りと武器が確認できる。彼の武器は他の者のような短刀ではなく、大きな弓形の剣を背に帯びている。剣全体が日の光を反射して黒く輝いており、とてつもない威圧感だ。
彼の隣には、背筋をピンと伸ばした女が立っている。肩のあたりまである髪の下からかろうじて耳飾りが見えた。目の下から頬に掛けて黒く塗っていた。恐らく日除けの為だろう。ああすると太陽の光を吸収し眩しさが幾らか減ると聞いたことがある。さらに夜の闇の中では顔が青白く浮かび上がることも防ぐことができる。また、先ほどの大男同様、短刀を装備している様子はない。その代わり短槍を腰から下げている。彼女の立ち姿には一切の隙がなく、辺りを警戒していることが分かる。
彼女は一体、何に警戒しているのだろう。それを考えようとしたが、男の声に遮られた。その男は先ほどの大男に向かって話しているようだった。
「頭、くろ……な……見つかり…………。…の前捕まえた奴らも……人間は…………、と言っ……喋らなかった………。…りゃ、本当に……………て感じだったで……。」
風のせいで声がほとんど聞こえなかった。しかし「喋らなかった」、「感じだった」と僅かに聞こえたそれらの言葉を耳にして、嫌な予感がした。
「あのな、この近くの村にいる事は確実や。お前らの聞き方が甘いから吐かんかったんとちゃうか」
頭と呼ばれた大男が、聞きなれない方言で答える。それ程、大きな声を出している訳ではなかったが、離れた場所にいるチーリにもはっきり聞こえた。体の底から震わされるような初めて聞く種類の声だった。シュカの声が近いかもしれない。
「ええか。つべこべ言わんと、その黒耳の童っちゅうのを連れて帰らんとあかんのや。おる、おらんは問題やない。問題なんは確実に連れて帰らなあかんちゅう事だけや。ワシはええぞ。ほんでも、お前らの中から、何人か責任取らされるゆう事は、はなから伝えとるはずや。お前らが、なんでそない呑気に事に当とっとるんかは知らんがの、もっと真剣になった方がええんとちゃうか」
大男の言葉を聞いて側にいた者たちが息を呑むのが分かった。それと同時にチーリも大きく息を呑む。「黒耳の童」と言ったのか。
言葉を聞いていたうちの一人がおずおずと答える。
いつの間にか風が止んでいる。
「そう言われましても、頭。そこにいるというだけで探すのは難しいと言いますか…もっと情報があればまだしもですね。この前捕まえた村の人間。あれでも知らないと言うなら、もう直接村に行って探すのが手っ取り早いと思うのですが…」
「ウロ、お前、誰に文句言うとるんか分かって口開いとるんやろな。そもそも、あの村の男。何て言うたかな。チュカかシュカかリュカか、なんかそんな名前やった奴な。あれ殺ったん、お前らしいの。それで余裕無くしてワシに文句言うとるんか分からんけどな、お前、あんま舐めた口聞いとったら同じ目合うぞ」
シュカを殺した…その余りの衝撃に、ウロと呼ばれた男が怯えて尻餅をついた事にも、隣にいたヤカが飛び出していく事にも、すぐには気付けなかった。
まずい、と思った時には既に遅かった。ヤカが彼らの前に姿を現し、叫び声を上げながらウロと呼ばれた男に襲い掛かっている。
その後は一瞬だった。
ウロは先ほどの大男の話に尻餅をついていたので、動けなかった。また、他の取り巻き連中も余りに咄嗟のヤカの突撃に反応が遅れている。その中で一人、短槍の女だけが動く。素早い動きで短槍を取り出し右手に持つと、体をしならせ、ヤカ目掛けて投げる。短槍は雷鳴のように空気を裂きながら、ヤカの左肩に突き刺ささった。射抜かれたヤカは、うめき声を上げて思い切り後頭部から倒れこんだ。女は槍の行方を確認する事なく、靴から小刀を取り出し、倒れているヤカに一気に近づくと彼の足首を切りつけた。その間動いていたのはヤカと女だけだった。
武術の事など全く知らないチーリが見ても、女の動きは余りに洗練された無駄のないものだった。まるで初めからそこにヤカが現れることを知っていたかのようだった。
余程このような事に慣れているのだろう。足首を切った後、左足でヤカの体を勢い良く踏みつけ、その反動で短槍を抜いた。貫かれた左肩からは、血が勢い良く噴き出した。女は体についた血を払いながら、太い紐を用いてヤカの動きを封じてしまった。流れている血の量から見ても、ヤカは恐らく助からないだろう。
「ドイ、相変わらず惚れ惚れする動きやな。お前が咄嗟に動かんかったら、ウロは一足先に往生しとったかもしれんの。ウロ、お前、感謝せえよ」
ドイと呼ばれたその女は、軽く頭を下げるとまた元の場所に戻った。
「さてさて、坊主まだ喋れるんか」
ヤカの顔を蹴りながら大男が尋ねる。
「こいつ、うーうー言うとるけど、よう喋らんようやな。ドイ、ちょっとやり過ぎたんとちゃうか」
ドイは詫びるように、頭を下げた。
「まあええわ。それにしてもやな、坊主、えらい血相変えて、怖い声出して向かって来とったけどな。なんやお前は。ワシらの話聞いとったんか。さっきの話のどこに、そない血相変えることあったんや」
「頭、ひょっとしてそいつ、ウロが殺してしまった男の身内なんじゃ」
「そないにしてもな、こんな大勢の前に飛び出して来るて、無理やろ。勝てる訳ないやろ。ウロだけでも、とか考えとったんか、おい」
またヤカの顔を蹴る。ヤカはもう呻き声を出すことも出来ない。
「それにしても面倒な事なっとるな。村の人間がここに来たっちゅうことは、前捕まえた奴らのこと探りに来たんかもしれんの。そないなったら、こっちも呑気に、ここで村の奴ら捕まえて探るっちゅうことしとる暇ないの」
そう言いながら大男はドイの方を見た。ドイは少し思案したような様子の後、小さく頷き村の方を指差した。
「せやな。お前ら、こないなってしもたら、もう村行って、総ざらいの時間や。黒耳の童言うくらいや。見たら分かるやろ。黒い耳のガキや。あの偉そうなおっさんに喧しく言われんよう何人か攫って、残りは後腐れないよう、きれいさっぱり大掃除といこか。けどな、間違えんなよ。黒い耳のガキは殺さんと捕まえよ。これから飯食うたら出発や。酒はあかんぞ。それとな何人かは辺り、よう見張っとけよ。連れがおるかもしれん。ほな準備せえや」
大男が言い終わると、男たちは食事の準備や出発の準備を始めた。誰もヤカには注意を払っていなかった。奴らが出発すれば助けられるかもしれない。しかし、それは虚しい希望でしかない事はヤカを見れば一目瞭然だった。彼は大量の血を流し、もう既にほとんど動いていなかった。
その後奴らは食事を済ませ、村に向けて進んでいった。
去り際にドイがこちらを見たような気がした。
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