3 ヤカの狩り・影・足跡
チーリとヤカは森に入りしばらく進むと、少し離れた場所に位置どり、注意深く辺りを見回した。落ち葉に隠されている足跡や落ちている糞の様子から、獲物の大体の数と位置を推測する。
今日は森に入ってからずっと違和感がある。
「やっぱりおかしいなー」ヤカが近づきながら話しかけてきた。
「痕跡が異常に少ない気がするなー。今の季節にゃあ、もっと糞が落ちていても良い気がするし、足跡も大きいのから小さいのまで、いろいろあってもいいと思うんだけど。そっちは何かあったかー?」
チーリもヤカと同じ考えだった。今年は明らかに痕跡が少なく、兄弟たちが暮らしている様子が見て取れない。それだけでない。森が静かすぎるのだ。普段なら騒がしい鳥や虫の鳴き声も全く聞こえない。
「まあ、それを考えるのは師匠たちが帰ってからにしよう。俺たちはひとまず、数匹捕まえて、村に持って帰ることに集中しよう。まずは罠の様子を見に行こうか。ヤカ、弓をいつでも撃てるように準備しておけよ」
ヤカは父親のシュカとは似ても似つかない性格をしている。よく言えばおおらかで、悪く言えば呑気だ。何かを決断することがとても苦手で、迷った時はいつもチーリに相談する。その度に父親から、自分の判断に自信を持つよう、何度も注意されていた。
そんな姿を見ているので、シュカのように大きな声で皆を引っ張って行く事は想像も出来ない。村人の中にはそんなヤカの事を影で馬鹿にする者もいた。父親はあんなに優秀なのに、これじゃあ村の将来が心配だ、あーだこーだと喧しい。
しかし、チーリやシュカ、他の猟師仲間たちは、村人の意見に全く同意していない。ヤカには人としても猟師としても、優れている部分があるからだ。それがシュカとは全く違う部分なので、多くの人は気づいていないだけである。
ヤカは本当に優しい。細かな気配りができ、困っている人や弱っている人を見るといつも話を聞きにいく。彼が話を聞いても何かが解決するわけではい。しかし彼には、周りの人を笑顔にする力がある。話を聞き、一緒に困り、そして最後には前向きにさせる。どんな人が相手でも、懐に入り込み、笑顔にすることのできるヤカの事を心の底から尊敬している。
また猟師としては、これ以上ないくらいの良い目と弓の腕を持っている。遠くの獲物も逃さず見つけ、そして、矢が届く範囲なら仕留めてしまう事ができる。父親譲りの力持ちのおかげで、普通の人には扱う事が出来ない大きな弓を扱う事もでき、猟師仲間からの評価はとても高い。
「おおーい。チーリーー」
ヤカが大きな声で呼んでいる。どうやら彼の事を考えている間に、距離を離しすぎてしまっていたようだ。
「〈右の目の方向〉。ちょっと遠いけど、鹿の親子がいるよ。あれ、ちょっと小さい気がするけど、いいかなー」
〈右の目〉とは、狩りの最中に声を出すことなく身振りだけで、獲物の位置を知らせる時に使われる猟師の合図だ。左右それぞれの「目」「耳」「手」が「斜め前」「横」「斜め後ろ」を表している。
チーリは右斜め前の方向を見てみた。しかし遠過ぎて、獲物の姿はほとんど見えない。あまり小さいものは、捕えても有効活用できるものが少ないので、いつもなら狩ることはしない。
「そうだな。それを逃したら手ぶらで帰ることになるかもしれない。それを射って、ついでにあっちの方の罠の確認に向かおうか」
それを聞くと、ヤカはすぐに近くの木の上に登り大弓に矢を番える。そして、狙いを定めると、力いっぱい弦を引き絞り、放つ。
すると、矢は寸分違わず獲物を捉えた、はずだ。チーリには確認できなかったが、木の上のヤカが、大きく一つ息を吐いた。それは獲物を仕留めた時の癖で、チーリはそれを合図にしていた。
鹿の左肩付近に矢が刺さっており、改めてヤカの弓の腕に驚かされた。
「本当にすごいな。あそこからこの鹿が見えていたっていうのにも驚きだけど、本当にこれを仕留めてしまうなんて。過去の猟師を見ても、ヤカ以上の名手はいないんじゃないか」
そう言って、倒れている鹿からヤカへ視線を向けると、彼は一点を見つめ、戸惑ったような表情をしていた。何かと思い、チーリも同じところを見て、そして、息を呑んだ。
少し離れたところに子鹿が倒れていたのだ。明らかに何者かによって殺害されている。チーリが鹿に触れると、まだ十分に暖かった。
「おい、ヤカ…お前が弓を射った時、周りに人影は見えたか」
「人影…そんなもの見えなかったよ。そもそもこんな森の中に人がいる訳ないでしょう」
「けど、これを見れば分かるだろう。足を切られ、その後、頭に一撃だ。しかも中々に切れ味の鋭い獲物でやられている。明らかに人の手による仕業だ」
「うーん。確かにそうだね…もしかして親父たちかな?」
「いや…それはない。こんな殺し方は猟師のやり方じゃない。それにシュカさんたちなら、俺たちから隠れる必要はないだろう」
「だけどそんな事言ったって、他にこの森に入っている人はいないはずじゃ……もしかして密猟者なんじゃないの」
チーリもその可能性は考えてみた。しかし、密猟者たちは姿を晒したくはないはずだ。それが、人の狩りに横槍を入れてくるだろうか。それに密猟者なら、仕留めた獲物を持って行っていない事にも違和感がある。
ここで鹿を殺した人物たちは、足跡をくっきり残している。子鹿の死体から北の方向に二人分の足跡が伸びているのが分かった。落ち葉の上を選んで通っているようだが、並の猟師の目なら見逃す事はない。
「これはきっと密猟者の足跡だよ。僕たちの村の人ではないのは確実だし、親父たちでもない。それなら、残った選択肢はそれしかないよ。チーリ、追おう。僕たちで捕まえたら、親父たちが帰ってきた時にも役に立つかもしれない」
チーリはまだ、シュカたちでも密猟者でもない、第三の選択肢を探っていた。しかし、考えは何も思い浮かばない。他にわざわざこんな森の中まで入って来る者が想像できないし、仮に何者かが侵入していたとしても、その意図が分からない。
「チーリ、悩んでいる間に逃げられちゃうよ。きっと相手は森歩きの素人だよ。これだけはっきり足跡が残っていれば、僕たちなら追跡できる。だけど、時間が掛かってしまえば逃げられるかもしれない。行こう」
普段何かを決断することが苦手なヤカだが、一度考えを決めると、存外に頑固でチーリの考えでも聞かないことがある。それに、口には出さないが、想定より帰りが遅くなっているシュカの事もかなり心配しているはずだ。何か手掛かりを掴みたいのだろう。
「分かった。だけど、相手は本当に密猟者なのかどうかは分からない。時間は無いかもしれないが、それでも焦らず慎重にだ。それに想定と違った場合は深追いはしない。例えそれがシュカさん達に関わることでもだ。いいか」
「分かった。チーリ行こう」
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