第9話 セント・マタル学園祭
7月に入り、セント・マタルの位置する『桜の国』の大都会、桜都ではコンクリートジャングルに陽光が照り返し、異様なほどの熱気に包まれていた。
「あづい~……」
ただそこに立っているだけで、額から流れ落ちる汗が目に入って痛い。腕でゴシゴシと目をこすった。
「そら、カッツ。スポーツドリンクだ、飲め」
「ありがと~……」
カッツはレヴィからキンキンに冷えたペットボトルを受け取り、性急に蓋を開けて口をつける。
砂が水を吸収するように、渇いた喉が水分を求めてやまない。
しばらくグビグビ飲んでいると、レヴィはカッツの喉仏の動きをじっと観察しているようであった。
「あの……あんまりじっくり見ないでくれる?」
「む、すまん。他に見るものもなかったのでな」
――カッツとレヴィが、こんなクソ暑い中、外で何をしているかといえば、学園祭の準備である。
7月に行われる学園祭は、あと1週間後に迫っていた。
セント・マタルの巨大な校門には、立て看板が置かれている。
「ふむ、『竜の国』でも祭りがないことはないが、ここまで大規模ではなかったな」
「そうなの?」
「あの国は自然を大事にする傾向がある。そのせいか、景観を損なうのを嫌うし、素朴なものを好むのだ」
レヴィも持っていたスポーツドリンクに口をつけるが、彼は汗をかいている様子はない。
ドラゴンは暑さ寒さにはめっぽう強いのだ。おそらくこの世界で最強の生物と言えるだろう。
暑いところで言えば火山に棲んだり、寒いところで言えば雪山に棲む種類もいる。
ドラゴンを嫌う人種――例えば竜攫い――には「大型のトカゲ」などという侮蔑の言葉もあるが、ドラゴンは爬虫類とは違い、変温動物ではない。周りの環境に左右されるような存在ではないのだ。
おそらく、ドラゴン同様に環境に適応でき、支配欲の強い『ニンゲン』という動物がいなければ、彼らは『竜の国』に住処を追われることもなく、この星に君臨することができたはずである。
授業で習った、そんな内容を脳内で反芻していると、レヴィは「そろそろ練習に戻ろう」とカッツにタオルを投げ渡した。
「あと1週間しか時間は残されていないのだ。ライバルと差をつけるためにも、このレースコースの攻略を急がねばなるまい」
――そう、カッツとレヴィは、別にセント・マタルの校門で看板を作っていたわけではない。
彼らは学園祭で行われるメインイベントの1つ――『ドラゴンレース』に挑戦することにしたのだ。
ドラゴンレース……それは、学園のグラウンドを貸し切って行われる、スピードとテクニックを競うレースである。
障害物を避けながら飛ぶコースをくぐり抜け、最後は直線コースで純粋なスピード勝負。
ドラゴンライダーの中にはカッツの父、オリバー・ジャバウォックのように『竜の国』に行って貿易をする者の他にも、6月の戦闘テストのようにドラゴンバトルに勤しむアスリートや、こうしたドラゴンレースのレーサーとして活躍する者など、意外と幅広い職種があるのだった。
ちなみにドラゴンバトルやドラゴンレースといった競技は国営で賭け事にもなっている。
ドラゴンの姿に変身したレヴィに、ベルトを付け直し、カッツはレヴィの背に乗った。
――彼らがこのレースに挑戦しようと思ったきっかけから語らねばなるまい。
カッツもレヴィも、最初からドラゴンレースに格別の興味を持っていたわけではなかった。
掲示板に貼られていた募集ポスターを見ても「ふーん、こんなのがあるんだ」程度の興味しかなかったのである。
「お二人は参加しないんですか?」
「そういうトールとニーズはレースに出るの?」
カッツは意外に思った。トールもニーズも、そういった競走のようなものに意欲を示すとは思っていなかったのだ。
「ええ、まあ。このレースで優勝したときの特典が気になって」
トールが指差すポスターをよく見ると、『優勝者には栄誉と特典が与えられます!』と明記されている。
「特典ってなんだろう?」
「特に明記されてはいませんが……実は、とあるウワサが流れているんです」
トールがカッツとレヴィにだけ聞こえるように、声を潜めた。
「どうやら、このドラゴンレースを桜帝陛下が御上覧にいらっしゃるらしいとか……」
「えっ!? 陛下が!?」
カッツは目を丸くする。
――桜帝陛下。この『桜の国』の偉大なる皇帝の名である。『竜の国』との和平を結び、『桜の国』をさらに発展させた立役者。そして、『平成』の世を守り続けている人物だ。
「桜帝陛下は、ドラゴンに多大なご興味を寄せており、ドラゴンライダーを間近にご覧になるために、今回御上覧にいらっしゃるとか……単なるウワサですけど、ありえない話ではないんです。なにせ、ここは『桜の国』の首都ですし、セント・マタルといえば竜騎士養成学校のなかでも1番有名校ですから」
「なるほどなあ……」
感心しているカッツに、口を挟んだのはレヴィである。
「桜帝、聞いたことがあるぞ。たしかその人間も、ドラゴンから血を受けて長寿になったのではなかったか?」
「えっ、そうなの!?」
「ええ、それもウワサではありますが、実際に陛下の外見年齢がこの数十年、ほとんどお変わりになっていないのもその証拠かもしれませんね」
トールは冷静に頷いた。
「おそらく、竜王ファフニールと和平を結んだ際に、お互いの親愛の印として竜王の血を分けてもらった……とか、そんなところであろうよ」
「え、ええっと……それで、桜帝陛下が御上覧にいらっしゃるのと、ドラゴンレースの特典になにか関係があるの?」
「それなんですが……」
トールはなんとも言えない微妙な顔をしていた。
「もしかしたら、その優勝特典というの、陛下がなんでも願いを叶えてくれるんじゃないか、というウワサに発展していて……」
「それはすごい!」
皇帝に会えることすら滅多にないことなのに、その皇帝に願いを叶えてもらえるなんて、一生にあるかないかだ。ないほうがほとんどだろう。
「あくまで、あくまでウワサですよ? でも、それが本当なら、陛下にお会いしてみたいし願いも叶えてほしいなって思って」
「トールの願いって?」
カッツが尋ねると、トールは照れくさそうな笑顔を浮かべていた。
「僕、将来の夢があって。卒業後は自分の住んでいた町に戻って、ニーズと一緒に、郵便屋さんがしたいんです」
トールは背中から抱きついているニーズの頭を撫でる。
「ニーズと一緒に、町のみんなに手紙や荷物を届ける仕事がしたくて……そのために、町に郵便局を作って欲しいってお願いしてみたいんです」
「素敵な夢だね」
カッツが褒めると、トールは顔を赤らめて「ありがとうございます」と笑った。
「ねえ、レヴィ。僕たちも参加してみない?」
「そうだな。もしかしたら、この学校を卒業するまでもなく、桜帝を通して竜王とのコネクションが作れるやもしれんぞ?」
レヴィはカッツの提案に、面白そうに頷く。
――こうして、カッツとレヴィは毎日ドラゴンレースのコース攻略に勤しんでいるというわけである。
残された期間は1週間。
果たして、カッツとレヴィはレースで優勝することができるのだろうか……?
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