第2話 トールとニーズホッグ

「ごめんね、レヴィ。僕のせいで、キミまで笑われちゃって……」


「まったくだな。とんだ災難だ」


 セント・マタル学園の食堂は、生徒たちで賑わっている。

 カッツはラーメン、レヴィはハンバーガーをテーブルに乗せ、向かい合って食事をしていた。

 ドラゴンは人間とほぼ同じものを食べられるのである。


「貴様、これからどうするつもりなのだ。高所恐怖症のドラゴンライダーなど、聞いたことがないぞ」


「うん、だからまずはその高所恐怖症を克服したいなって思って」


 ズルルッと麺をすするカッツ。スープがわずかに飛んできたのを、レヴィは鬱陶しそうに睨んだ。


「随分と呑気な話だな。分かっているのか? 空が飛べないというだけで、貴様は他の候補生より100歩は出遅れているぞ」


「もちろん、自分にできる最大限の努力をするよ。だから、相棒のレヴィにも手伝ってほしい。あ、相棒じゃなくて、つがい? だっけ?」


 カッツには『つがい』という言葉の意味がよく分かっていない。ただ、なにか相棒の類語のように思っていた。


「人間が100歩出遅れてたとしても、ドラゴンが3歩歩けば追いつける距離だと思うんだ。だから、僕に手を貸してくれると嬉しいんだけど」


 レヴィはあっけにとられたように、目をパチパチとまたたかせていた。


「……貴様のような変な人間は見たことがない」


「え、そう? 僕、わりと普通だと思うけどなあ」


「……まあ、コンビを組むことは決まってしまったしな。良かろう、俺が責任をもって、貴様の高所恐怖症を克服させてやる」


「本当に? ありがとう、レヴィ!」


 太陽のように元気いっぱいの笑顔を浮かべたカッツから、レヴィは不機嫌そうな顔でふいっと目を逸らした。


 竜騎士養成学校の授業は、実地訓練だけとは限らない。

 座学も大切な教養である。

 授業が始まる前に、カッツに話しかける人物がいた。


「すみません。よかったら消しゴム貸してもらえませんか?」


「ああ、もちろん」


 カッツのペンケースの中には予備を含めて消しゴムが2つある。

 いや、消しゴムに限らず、シャープペンシルやその芯も2セット用意していた。

 彼はよく失くし物をするので、自然と予備を用意するクセがついていたのである。

 茶髪に夜闇色の目をした青年は、カッツから消しゴムの予備を受け取ると「ありがとうございます」と軽く会釈した。

 教室に担任教師のイゾルデが入ってきて、「はーい、授業を始めますよ~」と、相変わらずのんびりした口調で教壇に立つ。


「今日の午前は飛行訓練でしたけど、初めて空を飛んだ子も多いと思います。そこで、今回の授業は飛行するときの注意点を中心にお話しますね」


 イゾルデはカリカリとチョークで黒板を引っ掻く。


「ドラゴンとドラゴンライダーが空を飛ぶときに気をつけなきゃいけないこと、わかりますか~?」


「同じく空を飛ぶもの……飛行機やドローンなどにぶつからないように注意すること、ですかね?」


 彼女の質問に答えたのは、あの茶髪の青年だった。


「はい、そのとおりです~。ドラゴンは強力な身体を持っています。飛行機がドラゴンにぶつかったら間違いなく飛行機のほうが墜落します。皆さんはそのくらい責任をもつことになることを心に留めておいてくださーい」


 責任、という言葉に教室内が緊張に包まれる。

 カッツがレヴィのほうを見やると、彼は窓際の席で真面目に授業を受けている様子で、ノートに板書を写していた。


「そもそも飛行機にぶつからないようにするには、あまり高くまで飛ばないこと。周囲に気を配ること。特に雲の中に入ると視界が限定されます。ドラゴンライダーの皆さんは、ドラゴンの高い視力や気配察知能力を頼るのもいいですね。ドラゴンの皆さんは、とにかく騎手の安全を最優先にしてくださーい」


 ドラゴンとドラゴンライダーたちはお互いの目を見てうなずき合っている。どうやら、飛行訓練で既にある程度の信頼関係を築いたコンビもいるようであった。

 ……レヴィは、ノートを書くことに夢中で、カッツの方を見ることはない。

 座学の授業を終えて、消しゴムを借りた人間がカッツに歩み寄ってくる。


「消しゴム、貸してくれてありがとうございます」


「どういたしまして。消しゴム、失くしたの?」


「ああ、いえ。ニーズホッグ……僕の相棒のドラゴンが食べちゃって」


「え、それは……大丈夫なの……?」


 あきれたように肩をすくめた茶髪の青年に、カッツは心配そうな視線を向けた。


「まあ、ドラゴンは身体も胃袋も丈夫だし、多分平気だと思います」


 そんな青年の後ろから、誰かが抱きついてくる。


「トール……その人、だれ……? おいしい?」


「ニーズ、なんでも食おうとするのをやめろ」


 トールと呼ばれた人間は、ニーズと呼ばれたドラゴンを軽くひと睨みする。

 ニーズは蜂蜜色の髪にオレンジの目をしており、その色素の薄さは王子様のようだ。消しゴム食べるけど。


「ええと……カッツ・ジャバウォックさんでしたよね。僕はトール・ティアマート。こっちは相棒のニーズホッグ」


「トール、よろしく」


 カッツとトールは握手をしたが、そこに声をかけてくる人物がいた。


「カッツ、放課後は飛行の練習をするぞ。貴様の高所恐怖症、早めに治しておかねばならん」


 カッツの肩に、重みがかかる。

 見れば、レヴィが相変わらず不機嫌そうにトールとニーズを睨んでいる。


「飛行の特訓ですか。僕もなにかできることがあれば手伝いますよ」


「ほう、俺達が落ちこぼれと侮られているのは当然知っているだろうに、ご親切なことだな」


 レヴィは警戒心をむき出しにしている。

 おそらく、彼はデフォルトで他人を警戒しているのだろうと思えた。

 しかし、トールの答えはきっぱりしている。


「僕にとっては、カッツさんがジャバウォックの息子だろうが落ちこぼれだろうが関係ありません」


 彼の目は、まっすぐで澄んでいた。


「たしかに竜騎士養成学校では、一定の成績を収めないと卒業はできません。でも、それは競争で相手を蹴落とすわけじゃない。僕は僕の意志でカッツさんに協力したいだけですよ」


「フン、ずいぶんお優しいことだ。俺達に協力して、何の見返りを求める」


「他人のお手伝いするのに、いちいち見返りを求めるんですか? まあ、なにか返さないと気が済まないというのなら、今度学食のご飯でも奢ってください」


 どうにも、トールは心の底から親切心と善意でカッツたちに協力するらしい。

 それ以来、彼はカッツの良き友人になるのだが、それはもう少し先の話。


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