屍の食言

MAL

3番目の約束

予感なんてなかった。



残業続きで午後10時に帰宅した健介はテレビをつけた。

清純派芸能人の不倫報道が流れ、60代手前の司会者が辛口で批判している。

あと8時間後には大嫌いな上司に数字が取れないことをきつく叱られると思うと、

それだけで吐き気がする。



何日も干していない布団に入り、無名なAV女優で自慰行為を始めた。

気づけば外界の音は聞こえなくなり、ティッシュや小汚い男優を見て、どこで道を間違えたのかと自問した。

結局、DNAから不良品だったという結論に行き着く。

現実逃避だと心の中ではわかっているが、

死ぬまでこの生活は続くのだと悟っていた。



5:45にアラームをセットして目を閉じる。



妄想癖を持つ彼は成功者を自分にすり替えて眠る。

昨日は長身のアイドルになって、有名女優を食い散らかした。

しかし、あの男だけはしないと心に決めていた。




2つ離れた弟雄二との差は高校でわかった。

忘れもしない、7月8日。

健介が高校3年生の時、

雄二は健介が思いを寄せていた女子から好かれ、15歳で初体験をした。

兄より先に弟が、好きな女子と性行為をしたという事実が彼の自尊心を傷つけた。



雄二は健介と話さなくなった。

女を口説き、いつも決まって少し距離のある製鉄所跡地に連れ込んだ。

両親はなぜか弟を溺愛するようになり、健介が存在しないかのように振る舞った。

今でも父の「お前はもう家族じゃない」という言葉が忘れられない。

家を出るため東京の大学に行くことにした。



出立の前、母が突然兄弟でおそろいのキーホルダーを買ってあげると言い出したので、健介は皮肉を込めてピンクの猿のキーホルダーを選んだ。



はそれが最後だった。




3年前、健介が26の時に両親は交通事故で死んだ。

雄二にもすぐにメッセージを送り、当時はテレワークで時間があったので葬儀の手配もスムーズに進んだ。

だがメッセージは今でも未読のままだ。



今日は一晩中、フラッシュバックに悩まされた。





「雄二、ご飯よ」


母が呼ぶ声が聞こえる。もうそんな時間か。


「もうちょい寝かせて」


「だめ、明日で高校生なんだから起きなさい」


「てか高卒で働くって、母さん大変でしょ」


「だめよ、大学は行きなさい。」


するとそこに、健介が大きな声で「起きろ!」と枕を投げてきた。



その時初めて、この状況が異質であると認識した。

ひとまず洗面台に向かった。

垢がひどく、洗濯物が溜まっている。

言葉が出なかった。

そこにいるのは、雄二の姿だけ。俺を一晩中苦しめたやつの姿になっている。



しかしこれは夢だろうと決めつけた。

なぜか雄二になっているが。

明日で高校生と言っていたから15歳の雄二になってしまったわけか。

起きたら部長に連絡して病院に行こう。



リビングに行くと、きな粉餅がおいてあった。

昔は正月に餅を大量について、春ぐらいまで食べてたな。

「おはよう」父が起きてきた。

無能なくせに傲慢で昼間から酒を飲んで癇癪起こす男だ。

社会人になった今では懐かしいが。



これが夢ではないことぐらい、気づいていた。



その晩、がむしゃらに考えた。

思いついた方法は2つ。


1つ目は元に戻る方法を探すこと、だが現時点で不可能だ。


2つ目は雄二として、現代の健介が苦しまないよう、未来を変えること。

学校にいかなければ簡単に変わるはず。


健介は2つ目を選んだ。

「俺は今日から雄二なんだ...」雄二は明日学校に行かないことに決めた。




次の日、雄二は朝5時に起床し家を出た。

今日の目標は入学式が終わる12時まで山に籠もること。

だが、畑に出た瞬間、突然バンッという音とともに、雄二の体が家の前に戻った。

5時47分。まだいける。

雄二は街の方に行った。

しかしバンッという音と共に、家の前に戻された。

そこから何通り試しただろうか。

ボロボロの靴がさらにはげてきて、喉が乾いて痛い。



最後に雄二は布団に戻された。

時刻は7時。昔の雄二が起きる時間だ。

自分の意志で行動できない。

過去をプログラミングみたいに順序通り辿るしかないのか。

健介の肩をたたき、「朝だよ」と静かに起こした。

そうだ、雄二は優しく起こすんだ。



母は朝ご飯を作り、父は新聞を読みながら政治への文句を言っている。

あの日、7月6日まではどこにでもある家族だった。

父も母も、他と比べればまともな人。

そして雄二は、本当に良いやつだった。

だが正直、雄二になれば好きなだけ女を食えると思っていた。





そこからの3ヶ月間は楽しかった。

歩けばすぐに人が寄ってきて、

授業も簡単でスポーツも体が勝手に動くので、もはやアイドルだった。

なんで雄二はこの後―。



7月1日、先輩が呼んでいるらしく、校舎裏に行った。

見ると、髪の長い色白で、

顔の大きさが健介の半分しかない女性がいた。

そうだ、綾だ。

俺が元々好きで、その後雄二と恋愛関係になった女の名前だ。



「雄二くんのことが好きです!付き合ってください」


「え、なんで」


「部活やってるとこ見てたんだけど、かっこよくて」


このタイミングで出会ったんだな。だが1週間でABCのCまで行くか?



あっという間の7日間だった。

このまま一生続けば良いと思った。



結局何もできないまま、7月8日、綾に呼び出された。

夕方だが空は明るい。

雄二は部活の話、過去の恋愛話を聞いてはいたが、頭には入ってこなかった。

15分ほど歩いただろうか。製鉄所跡地についた。

中は暗く、雨漏りしている。

潮風が小さな窓をばんばん叩いている。

緊張と不安で呼吸が荒くなっているのがわかった。


「いよいよ始まるんだな、」


その瞬間、倒れた。

横になるのが心地よかった。





目を覚ますと、二人の男と綾が立っていた。

一人は長身で、高そうな服を着ている。

もう一人は中背で、バットを持っていた。

パイプ椅子に座らされて、両腕は動かない。

体が燃えるように熱く、後頭部から流れる血が背中を伝っている。


「起きろ」


「こんなガキとは舐めてんのか」


「でも顔はいいでしょ」綾が言った。


長身の男は「言う事聞けば返してやるからな」と言い、椅子ごと蹴り倒した。

その場で吐いた。危うく窒息するところだった。



「お前がままごとしてた綾は俺のパシリ。お前を拉致ったのはシャブを売る使いやすいが必要だったからだ。もちろんボーナスはくれてやるよ」


「女が良いな、キマってる時に抱けるし」中背の方が高い声で言った。


「断ったらどうなりますか?」


「何人家族だ?」


です」

その言葉が雄二の口から出たことに驚いた。

まさか―。



「そうか、なら全員こうだ。」

綾を蹴り飛ばした。

何本か折れた音がする。

また蹴る動きを見せたので、雄二は「やります」と答えた。



しばらく動けなかった。

体が痛いのは当たり前だが、それ以上に雄二はあの日、

こんな経験をしたという事実が衝撃だった。


「ごめんね...」


綾は立ち上がり、涙を浮かべながら出ていった。





健介が寝ている隙に事の顛末を親に話した。

母は泣き崩れ、父は黙り込んでいる。

こんなときにまで呑気に寝ている自分に嫌気が差した。

父はタバコを吸いに行った。

置物のような母をしばらく慰めていると、父が戻ってきた。



そして、3つの約束をした。



1 覚醒剤はできるだけ売らないこと

2 何かあったら、両親が責任を持って死ぬこと

3 健介との縁を少しずつ切るが、何があっても健介だけは守ること。



全てがつながった。

雄二は守るために健介との関係を切ったんだ。

ずっとわからなかった、優しい雄二がなんで女遊びが激しくなったのか。

薄々気づいていた。

なにか理由があるのだと。



だが運命に従うしか無い。



母が首を縦に振った瞬間、健介が起きてきた。


「なんで顔腫れてるんだよ?」


「綾さんとしたから。この腫れは転んでできた」


相変わらず嘘が下手だ。

健介はパニックになり、雄二を殴り始めた。

我を忘れて殴る健介は、嘘をつく時に首を撫でる父の仕草に気づけなかった。


「健介、お前はもう家族じゃない」

父は言った。

一瞬、父が泣いているように見えた。





それからの生活は地獄だった。

両親は弟を溺愛する演技をし、雄二は覚醒剤を売りつづけた。

覚醒剤を買わされ、レイプされる。

家族を殺すと言われ、耐えきれなくなって自殺する。



死んだ客はもう数えていない。

余った金は健介の学費として親の銀行に預けた。

もう戻れなかった。

腐敗した鉛のような匂いに、彼は毎日罪悪感に押しつぶされそうだった。





何年経ったのだろうか。

彼にとって死は生活の一部となっていた。

健介とも連絡は長年取っていない。

だが、これでいいんだ―。



ある日、組の一人が裏切ったから、来てほしいと言われた。

いつもの場所に行った。

磔にされている綾が彼の目に入った。



彼はどんな死に方だろうと平静を保てる自信があると言い、

ナイフが一本ずつ色白の体に入っていく。

言葉にできない悲鳴が鳴り響いた。

ただ、綾のこちらを見る目は、まだ青かったとそっくりだ。



気づいたときには、ナイフを持つ幹部を殴っていた。

雄二の中の健介はそれを止めようとするが、運命には逆らえない。



ピストルの音がした。

体から温かさが抜けていく。

「家族を皆殺しにしろ」

「無人車でやれ」

ポケットからピンクの猿のキーホルダーを取り出し、握りしめた。





健介は湿った布団で目覚めた。ゴミが散乱している。

5時45分。すぐに製鉄所跡地に行った。



死体の場所は覚えていたので3年前に使っていたコンテナを簡単に見つけた。

開けると、兵器のような異臭が襲い、30分ほど吐いた。

空気に触れる部分すべてが痛い。

途中、綾らしき死体も見つけたが、気にせずどかした。



そしてあのキーホルダーを握りしめている死体を見つけた。

腐敗はひどいが、姿形はどうでもいい。




「愛をわかってあげられなくてごめん。」

 彼は泣き崩れた。




そこから先はよく覚えていない。

ただ健介は死んだ。


組が殺したのかパニックで自殺したのかはわからないが、

彼にとっては些細なことだった。




ただ、愛する弟に謝りたかった。


3番目の約束は破られた。

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屍の食言 MAL @7-59

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