第4話

「それからシズさんは息子さんを育てるため、死に物狂いで働きました。昼間はスーパーでパートし、退勤後は大衆食堂でホールと厨房を掛け持ちしていたそうです」

 シズの担当ケアマネ-ジャーは続けた。

 母親の苦労をずっと見て育ってきただけあって、息子は親孝行だった。欲しい玩具やお菓子をねだることもなく、誕生日やクリスマスにシズからプレゼントされた本を大切に毎日読み続けていた。

 洗濯や掃除、炊事も小学校3年頃から一通りこなして母を手助けした。中学に進むとひたすら勉強に打ち込み、成績は常に学年トップクラス。高校は県内トップの公立進学校へ入学し、大学も奨学金を受けて国立大学へ進学した。

 それでも親子にとって、学費の負担は大きい。シズは朝から晩まで働き詰めの毎日を送り、息子も家庭教師や飲食店のアルバイトを掛け持ちして家計を支えた。

 息子の大学進学以降、親子が顔を合わせる時間は少なくなっていった。その中でも、毎日の朝食だけは一緒に食卓を囲むようにしていた。

 毎朝、食卓には焼き鮭が上った。炊き立てのご飯とシンプルな具材の味噌汁、納豆、そして焼き鮭。毎朝同じ献立だったが、親子がそれに飽きることはなかった。テーブルを挟んで向かい合い、朝食を摂りながら取り留めもない会話を交わす。それだけで親子は幸せだった。

 この生活に変化が生じたのは、息子の大学卒業後のことだった。大学卒業後、教員免許を取得していた息子は、社会科の教員として地元の中学校に採用された。どうしても教員になりたかったわけではない。教員に採用されれば、奨学金の返済が免除となるメリットが大きかった。

 しかし、この仕事は息子が思っていた以上に過酷だった。

 採用された中学校の教員は全員、部活の顧問となることが義務づけられていた。新人教員だった息子は誰もがやりたがらない剣道部の顧問を担当することとなった。

 剣道部の朝練は午前7時開始と早く、放課後は午後4時半から7時まで毎日休みなく稽古だった。もちろん、息子は部活だけを任されているわけではなく、授業の資料作りやテストの問題作成と採点、学校行事の準備と早朝から深夜まで息をつける瞬間もままならなかった。さらに土日祝も剣道部の稽古や大会、遠征で休みはない。息子は次第に疲弊していった。

 親子は一緒に朝食を摂る時間はなくなった。代わりにシズは毎晩、焼き鮭を詰めた弁当を用意して、食卓へ置いておいた。息子は毎朝、起床するとその弁当を鞄に詰めて中学校へ出勤。朝練前に職員室で鮭弁当をかき込む生活が続いていた。

 一緒に食卓を囲む時間はなくなったが、息子はその弁当を通して母の温もりと励ましを受け取っていた。またシズも息子の帰宅後、黙ってテーブルに置かれた空の弁当箱から感謝の気持ちを感じ取っていた。

 焼き鮭弁当が親子の絆を深めていた。

 そんなある日、息子の出勤後、家の電話が鳴った。シズが受話器を取ると相手は警察だと名乗った。

「ついさっき息子さんが交通事故に遭いました。恐れ入りますが、確認のために現場までお越しいただけるでしょうか?」

 シズが現場に着くと、そこは息子の勤務先近くの交差点だった。見通しが悪いとは思えないごくありふれたどこにでもありそうな交差点。その横断歩道には息子の遺物が点々と散らばり、それぞれに記号が振られていた。

真っ先に目に入ったのは、今朝テーブルの上に載っていた息子の弁当箱だった。道路上に投げ出された弁当箱は蓋が吹き飛ばされていて、中に詰まっていたご飯や焼き鮭、卵焼き、ウインナーが路上にぶち撒かれていた。そして、その弁当箱のすぐ近くにチョークで人の倒れている姿が描かれていた。

「息子さんはここに倒れていました。近くの病院に救急搬送されましたが、残念ながら心肺停止状態でした」

警官が説明した。そして、「病院で息子さんのご確認をお願いします」と静かな声で付け加えた。

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