第3話
シズは約40年前、当時勤務していた建築会社で同期の男性社員と社内結婚し、その3年後に息子が生まれた。
時代はバブル全盛期だった。日本中の地価が高騰し、シズの会社もフル稼働状態。いくらでもお金が入ってきた。シズは出産と育児で会社を休職していたが、夫は毎日早朝から深夜まで働き詰め。たまの休暇も接待ゴルフに明け暮れていた。家には寝に帰ってくるだけであり、妻子との触れ合いはほとんどなかった。
その頃、夫の年収は1千万円を超えていて、お金に困ることはまったくなかった。「オレは頑張ってこれだけ稼いでいる」という思いが夫の生きがいになっていた。
しかし、バブルはある日突然はじけた。高騰した不動産価格は一気に下落し、不況の波が日本を飲み込んでいった。株価はだだ下がり、金融、証券、不動産、メーカー、アパレル、サービス業など、次々と日本中の会社が倒産していった。
シズの夫が勤務していた建築会社も不況が直撃した。休みなく働いていた夫は、定時出勤定時退社の毎日となり、収入は激減した。夫の顔から笑顔が消えた。無表情でじっと一点を見つめている姿が多くなった。そしてある朝、いつものように出勤した夫は二度と帰っては来なかった。
シズが会社に電話をかけると、夫は2週間前に解雇されていたことがわかった。この2週間、夫がどこで何をしていたのかはわからない。シズはただ夫が生きていることを願った。
この時、シズは30代後半になっていた。息子は4歳。「これからどうやって生きていこう……」。シズは途方に暮れた。幼子を抱えて女一人、生きてけるだろうか? 考えるほどに光なき暗い水面をじっと見詰めている状態が続いた。
「親子で死ぬしかないのかな?」
思いつめるほどにこれしか答えがない気がした。ある日、シズは一人、部屋で遊ぶ息子を背後から抱きしめた。
「ごめんね……」
息子の耳元でそう囁き、シズはその首に手をかけようとした。息子はくるりと振り向き、シズににこりと笑いかけた。
「ママ、大好き。大丈夫だよ」
シズは息子を抱きしめて号泣した。息子はシズの腕をさすりながら何度も「大丈夫、きっとうまくいくよ」と母を慰めた。
「どんなに辛いことがあったって、私はこの子を守る。どんなことをしたって、この子を守り抜く」
そう決心したシズは息子の手を握りしめて玄関の扉を開け、ハローワークへと走った。
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