第2話

 シズは、はなが訪問看護を担当している老婦人だった。年齢は72歳。半年前の早朝、自宅の寝室で転倒し、太腿の付け根を骨折した。その後、回覧板を届けに来た隣人に意識不明な状態でいるところを発見され、救急搬送された。

 搬送先の救命救急センターで検査したところ、大腿骨頸部骨折が判明。そのまま入院となり、翌日に人工骨頭置換術が施行された。

 術後、2週間目。シズの退院に向け、院内で退院前カンファレンスが行われた。参加したのは、病院の主治医と看護師、シズ担当のケアマネージャー、診療所の医師、そして訪問看護師のはなだった。

 はなは訪問看護ステーションに入職してまだ1年目。総合病院で約10年間看護師として勤務してきたはなだったが、在宅と病院の環境はあまりに異なり、戸惑うことばかりの日々だった。

「シズさんの経過はどうですか? 手術はうまく行ったようですが、この2週間で体重がかなり減少したようですね」

 診療所の医師がたずねた。病院の主治医が答える。

「その通りです。手術はうまくいきました。ただ、食事をほとんど召し上がりません。毎食1〜2割ほどの喫食率です」

「嚥下機能に問題があるとか?」

「当院の言語聴覚士が嚥下機能評価を行いましたが、特に問題はありませんでした。念のため、近隣の歯科診療所の歯科医師にも診ていただいたのですが、口腔機能にも問題はありませんでした」

「そうですか。向精神薬の服用は?」

「ありません」

「では、ベッド上での排泄が嫌で飲食を控えているのでしょうか?」

「否定はできません」と病院の看護師が答えた。

「デリケートなことなどであからさまには聞けません。でも……」

 そこで、その看護師は少し考え込んだ。8畳ほどの広さのカンファレンスルーム。壁に架けられた時計の針がカチッと音を立てて午後2時を指した。クリーム色のカーテンを通して、夏の終わりの日差しが室内に差し込む。エアコンのブーンという稼働音が静かに響いていた。

「何か気になることがあるのですか?」

 はなはその看護師にたずねた。1年前まで病院の看護師をしていたはなには今、彼女が戸惑っている気持ちがよくわかった。患者に対して感じているちょっとした違和感。明確な根拠はないものの言葉にすることは難しい。でも、病院の中で患者に一番近い距離にいる看護師だからこそ感じ取れる勘のようなものは確かにある。はなは問いかけ、彼女の返答を待った。

「確信はありませんが、シズさんの食欲不振の大きな原因は、息子さんを失った深い悲しみではないでしょうか?」

「私が詳しく説明します」と、シズ担当のケアマネージャーが説明した。

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