03:ママ、だぁいすき!
今日も、代わり映えしない1日が終わった。
中途半端な学歴の使いどころもなく、腰をやるんじゃないかという不安や肩の痛み、腕にできた小さいけど痛む切り傷と戦うだけの1日。
日が昇って間もなく出社して、暮れ
そんな俺の帰りを待つのは、ママだ。
ママが俺を待っている!
さぁ、帰るぞ!
ママの待つ、寂れた団地に!!
「ママぁ、ただいまぁ~!!」
「おかえり、ともくん♪」
あぁ~、これこれ!
このあどけない『おかえり♪』を聞くために、俺は毎日柄でもない肉体労働でも頑張れる! ママのぷにぷに柔らかな膝枕にダイブして、ぬくぬく体温の腹に抱きつく──この瞬間に勝る幸せはないぜ!
当たり前だが、ママは母親ではない。俺がママとして育て上げた
ママと出会ったのは去年の冬、近所の小学校に忍び込んで徘徊していたとき。脱ぎたて体操着を求めて侵入したとき、「だれ?」と声をかけてきたのが琴音ママだった。
一目見た瞬間、思ったんだ。
俺のママは、彼女しかいないと。
小さい頃から、俺は物覚えがよかった。
学校でも教師の板書だけでなく口頭で付け加えていた言葉まで簡単に覚えられたし、テストももちろん満点。学年順位も全教科1位だったし、唯一人並みだった体育も、意欲や態度を評価されるから通知表もオール5。
親戚の誰もが「将来は弁護士か議員か」とか「
『
誇らしげに笑った祖父の笑顔は、思い返すたびにこそばゆかったのが、今ではチクリと胸を刺す痛みと化している。
だって、誰も教えてくれなかったじゃないか。
その気になれば何にでもなれるやつは、その気にならなきゃ何もできないやつで。
その気になれる気力は年々減衰していくものだって、誰か教えてくれたか?
小、中学校で現代のダ・ヴィンチと呼ばれ、何でもできるつもりだった──いや実際何でもできた俺も、高校、大学と進むうちに自分が凡人なんじゃないかと思い始めた。それでも今更努力のしかたもわからず、就活浪人なんていうものになりたくない一心で地元の物流倉庫に勤め始めたのが転機だったのかも知れない。
俺は、自分が大したことのないやつだと思い知らされた。学校の勉強が人よりできることを鼻にかけている間に、かつて心のどこかで見下していた同級生たちからも置いていかれていたことに気付いた。
高校、大学の頃は楽しみだった地元の同級生との遭遇も、もう怖くてたまらなかった。学歴すら無駄になる環境で四苦八苦する俺よりもよっぽど人生うまく行っていそうなやつらに劣等感を覚えてしまうし、劣等感を覚えていること自体がプライドを傷付けて、苦しくてたまらなかった。
そのうち思い始めたんだ。
あぁ、小学生のママがほしい、と。
「ママ、今日ぼく頑張ったよ? 嫌味なオヤジからたくさんチクチク言われたけど、逃げずに仕事したよ」
「そうなんだ、ともくんは偉いね~。がんばり屋さんだね、よしよし」
「ママぁ……」
嫌らしいことをしようってんじゃない、ただ小学生のママに甘えたいだけだ。子ども体温にくるまって、柔らかお手々で撫でられて、優しく癒してほしいだけなんだ。
琴音ママをママにするのは、容易かった。
大学で学んだミルグラム実験の要領で、ママに「ママ」としての役割を染み込ませるだけ。最初は役割として演じていた「ママ」だが、今のママは自然体だ。
「ともくん、今日のごはんは何がいい?」
「葉しょうが!」
「そっかぁ~、ともくんはママの葉しょうが大好きね。じゃあ用意するね」
家庭科の授業で作ったような子どもじみたエプロンを着けて台所へ向かうママ。
最高だな、小学生ママ。
ありがとう、琴音ママ。
子ども体温ママ、最高。
ぬくぬくしたいよママ。
初めて会ったときより少しだけ育った後ろ姿を見ながら、俺はふと思った。
もう少ししたら、ママにも初潮が来る。
そうしたら、大人になるのか。
大人になる、ママが?
考えもしなかった可能性に、頭が真っ白になる。
大人になったらどうなる?
俺がどうしようもない大人だと知ってしまうんじゃないか?
そうしたら、ママはママじゃなくなるんじゃないか?
考えないようにしていても、ネガティブ思考が身に付いた頭は無駄に蓄えた知識や空想癖を巻き込んで最悪の未来図を描き出す。
吐き気と眩暈がひどい。
救いを求めて琴音ママを見たとき、ふと閃いた。
そうだ、琴音ママから生まれ直そう。
ママから生まれ直して、今度はまともな人生歩もう。
大丈夫だ、こんなに優しいママなんだから。
「よく馴らして、頭から順に入ればいいか」
「ん? なぁに、ともくん?」
「ううん、なんでもないよママ」
楽しみだな、ママの本当の子どもになるの。
その日、俺の人生設計は新たな段階に入った。
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