第4話 暁と魔物

 愚の骨頂。こんな言葉を知っているだろうか。

 これ以上無いことや、最高の段階であることを表す骨頂と言う言葉に、愚かなことや馬鹿げた事を表す愚という字が合わさり、これ以上無いほどに愚かなことを指す言葉となった。

 使用例としては、隠れているのに大声を出すなんて愚の骨頂だ。とかだろうか。そうつまり、今の私である。


「見ろ! 女だ! あの野郎女隠してやがった!」


 こればかりは半ば本能のようなもので、思わず大声で突っ込んでしまった口を手で塞ぐも時既に遅し。

 一団の一人が大声で私の存在を知らせ、ここにいる全員の視線が私に向けられる。その大半が、私を引ん剝く事を夢想むそうするいやしいものであったが、その中に一つだけ困惑が込められた視線があった。

 そう、見覚えのある道着の男である。


「お前……テルミニか」

「あ、レグルスって……」


 そこにいたのは今日の昼、ギルドに身分を探られたくないという理由でギルドを仲介しない契約を持ち込んだ、私が勝手に犯罪者と決めつけたレグルスその人であった。

 確かに聞き覚えのある声と名前だったが、彼だったのは完全に想定外だ。そうなると、誰かに花を手向けていたのは当然レグルスという事になってしまう。

 あの、人を殺し慣れてそうな犯罪者みたいな威圧感を醸し出しながら、そんな純朴な少女みたいな事をするとは思わなんだ。人は見かけによらないというのは、やはり正しかったのだなと一人感心する。

 と、そんな事を考えている状況ではない。

 私の事をレグルスの女かなにかと勘違いした一団は、猛烈な勢いで私に向かってくる。

 私を捕まえれば女が手に入るという事に加え、私がレグルスの弱みになると踏んだのだろう。

 捕まれば碌な目には遭わないことは、最早火を見るよりも明らかだ。何か、何か現状を打破する手段は無いかと考えていると、道着姿の大男に眼が留まる。

 多勢に無税だが、彼ならばもしくは――――。


「レグルスさんお願いします!」

「……そのつもりだ」


 無骨な武闘家は私が助けを乞うよりも早く、一団と私の間に躍り出ていた。

 言葉通り、言われる前からそうするつもりだったかのように。

 彼の黒い帯がはためくその光景が、酷く緩慢として感じた。


「馬鹿め!この人数に勝てる訳ねぇだろ!」

「何て鮮やかなフラグ……」


 剣を失ったチンピラが、予備で持っていたらしいナイフを片手に駆けている。他の者も、各々の武器を持ってそれに続く。どれも等しく、人間一人を殺すのには十分すぎるものだった。

 痛感する。そうだ。馬鹿でも分かる事だった。剣を素手で折れるような実力だとしても、複数に多方向から攻撃されてしまえば手も足も出まい。しかもレグルスは武装していないのだ。鎧も無い、剣も無い。そこに在るのは彼自身の肉体のみ。

 もしかしたら、彼はここで殺されてしまうかもしれない。他ならぬ、私が助けを求めてしまったせいで。

 そうだ、元々は私自身の過失だったのに彼が致命傷を負ってしまえば――――。

 鋼を、私の憂いすらも砕く快音が響き渡る。

 顔を上げれば、レグルスはそんな私の心配を吹き飛ばすかのように、さも踊るかのように拳を振るっていたのだった。棘付きの鉄球も、鋼鉄の剣も、飛翔するやじりも、彼の拳の前には全て無意味であった。

 まるでそれが当然であるかのように、粉々に砕き、小枝の如くへし折り、羽虫の如く叩き落としていく。

 快音、快音、そして驚愕と唖然。そして最後に残ったのは、戦意を無くした一団であった。

 私も、一団も、思わず呆然自失となるのも仕方の無いことだろう。武装した集団相手を、徒手空拳で捻じ伏せた。

 あまりにも強すぎる。彼ほどのような強者が犯罪者などある訳ない。そんなリスクを冒す必要は無いのだ。

 何故なら、その実力を迷宮で振るえば、たちまち大金と名誉が得られるのだから。


「お前……何者だ」


 チンピラの一人が、抜けた腰を引きずるように後退しながら訊ねる。しかしその問いにレグルスは、初めて表情を不快そうに歪める。

 ギルドでもそうだったが、彼は自身の素性を明かすことに強い抵抗があるらしい。


「俺の素性などどうでもいいだろう。消えろ」

「は……はぃ!!」


 蜘蛛の子を散らすように去っていくチンピラ達。賢い選択だ、鉄すら砕く拳の持ち主を怒らせれば、自身がどうなるかなど想像に容易い。

 レグルスはそんなチンピラ共には目もくれず、座っている私に歩み寄り、屈んで目線を合わせる。

 未だに威圧感は強いが、その表情は心なしか柔らかくなったように思える。


「……ありがとうございます」

「構わない。元々俺が招いた災いだ」

「あ……確かに」


 思わず笑いが込み上げる。レグルスは私に釣られるように小さく微笑んだ。

 服に付いた土を手で軽く払いながら立ち上がると、暖かな光が横顔を撫でた。

 見れば、地平線の先には天高くそびえるカリメアの迷宮と、僅かに顔を覗かせる朝陽があった。


「よくここに来るんですか?」

「……稀にだ」

「眠ってるんですね? 大切な人が」

「少し違う。ここが好きだったと聞いてな。後これは、俺の罪だ」


 思いを馳せるような小さな呟きが風に溶ける。その視線は、まだ瑞々しさを失っていない一輪の花に向けられていた。


「なぜ、迷宮へ?」


 あの迷宮、カリメアの迷宮の頂に旗を差した者は、願いが叶うとも言われている。ただの噂ではあるが、それほどの対価が見合うほどの危険な場所。これから迷宮に挑むという者には、必ず問われる質問だ。

 だから、彼がなぜ迷宮の頂を目指すのか。、それだけは訊いておきたかった。

 彼は答えるでもなく、懐から一つの小さな結晶を取り出す。微かな虹色の輝きを見せるそれは、まるで消えかけた炎のように揺らめく。

 それはどこか、迷宮で幾度と見た魂の残滓に似ていた。


「それは?」

命輝晶めいきしょう

「め、命輝晶!? は、初めて見た……ってかやっぱり犯罪じゃないですか!」

「違法な使い方をするつもりはない。……やっぱり?」

「う」


 命輝晶。それは、所持が禁止されている違法な鉱物だ。

 この鉱物を使えば人間の魂のエネルギーを分断し、この中に閉じ込めることが出来るのである。

 魂とはその人間の、経験、記憶、技術、その全てだ。その魂のエネルギーを取り込むことは、その人物の全てをその身に宿すということと同義。

 聞いた話によると、使用されれば自分自身が二人いるような感覚に陥り、大半の人間は廃人と化してしまうという、大変危険な代物なのだ。この辺りの地域では所持すら厳罰となるため、私も見るの初めてだ。

 そう、魂の残滓のようだという感想は間違いではなかったのだ。今その命輝晶の中には、誰かの魂が込められているのだから。


「託された物だ」


 レグルスは手中に収まった命輝晶から目線を離さない。そのかつての友人とやらを思い出しているのだろう。


「この命輝晶が輝きを失っていない限り、私は生きている。これは私の生きている証だ。そう言ってな」

「あ、だから……」


 確かに、命輝晶に込められるのはあくまでも魂の一部。命輝晶の魂が失われても死にはしないが、本体となる人物が死せば、その魂の一部である命輝晶の輝きを失う。

 まさか命輝晶に、そんな使い方があったとは。

 そして私なら、ちょっとした特技のお陰で特定の魂を判別することもできなくはない。


「そこでお前を探した。噂のお前にな」

「なるほど、そう言う事だったんですね」


 わざわざ直接の契約の形で落ちこぼれの私を指名するのはおかしな話だと思っていたが、納得だ。

 通称、魂を視る魔法。これが私の隠し芸の正体だ。

 これのお陰で私は、常に人から漏れ出る魂の残滓を目視することが出来る。いや、目を瞑っていても視える為、知覚することが出来るという認識が正しいか。

 この命輝晶の魂を覚えていれば、いつか迷宮で同じ痕跡を見つけた時彼の人探しの一助となれるだろう。

 魂視の魔法は戦闘では毛ほども役に立たないが、私しか有していない魔法だ。

 つまり、彼の案内人は私でなければならない。


「二日後、返事をします。だからギルドまで来てください」

「ん? あぁ……」


 レグルスは命輝晶を懐にしまいながら、少し遅れて返事をした。そんなレグルスに、私は人差し指を立てて見せる。


「それとこの人に挨拶、してきてくださいね? 明後日から、なんですから」

「やはりお前……いや、そうだな」


 少しの逡巡の後、レグルスは小さく笑った。陽光を湛えたその瞳はまるで、少年のように澄んでいた。

 大木の葉が舞う。爽やかな風が負の感情を吹き飛ばしたかのように、やけに爽快な気分だった。

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