第3話 【急募】荒ぶるツッコミの魂を抑える方法

 剣を振る。吹き出た汗が飛び散り、空中で月光を乱反射して落ちる。

 昼の出来事を忘れるように宿屋の夕食を掻き込み、私は一人鍛錬の為宿を出ていた。

 この街は決して、治安が良いと言われるほどの街ではない。ただ、もはや日課となったこれを欠かすと眠れないのだ。それに、いい鍛錬にもなる。

 宿屋を出て、街の外れの高台を目指し歩を進める。そこには巨大な一本の木があり、その木を背もたれにして座れば、この街が一望出来る。

 そんな場所で私は今、剣を振っている訳だ。


「……今日はこんなもんかな」


 汗を拭いながら大木にもたれかかる。

 銀色の月が夜空に輝き、藍色の夜風が大木の葉をざわざわと揺らめかせる。そしてその大木の裏に広がる、今私の暮らす街。

 かれこれ一年每日こうしているが、この光景はやはり飽きない。

 案内人は武器と呼べるものが少ない。その職務は迷宮の情報に依存しており、迷宮の外で生きる術を持たない。

 なのでまともな魔法が使えない私はこうして剣を振っている訳だが、最早惰性と成り果てている。鍛錬として意味があるかは怪しい。

 既に明かりが消えた家も多いが、迷宮に近付くにつれ住居は減り酒場や道具屋の比率が多くなっているため夜景は綺麗だ。私がここで鍛錬する理由の一つである。そして、鍛錬を止めない理由でも。

 と、私は夜景に向けていた意識を戻し、迷宮で鍛えた耳を澄ます。足音を聞き分ける地獄耳、数少ない私の特技だ。

 ザク、ザクと土を踏む音が徐々に大きくなっていく。どうやら、誰かがこちらに向かっているらしい。見つかって面倒事は避けたい。

 大木の裏に隠れようとしたところで、ふと大木の根本の一輪のしおれた薄桃色の花に目が留まる。思い返せば一年前からあった。もしかすると、この大木の根本に花を供えている人物かもしれない。

 ここで出ていって挨拶してもよかったのだが、この街の治安はよくない。

 その人物が花を供えるだけなら、裏にいる私には気が付かない筈だ。そしてもし景色を見に来るような抒情的な人物なら、少なくとも極悪人などではないだろう。私は息を潜め、大木の裏でやり過ごす事にした。

 徐々に近付いて来る足音。案内人は非戦闘職である分、気配の察知も必修科目。この足音は、重く力強い。私よりも身長の高い男性の可能性が高いだろう。

 やがて、足音は大木を挟んで私のすぐ後ろで止まる。

 風上とはいえ、夜風の音に紛れてしまうため息を止めずとも良さそうだ。

 そして直後に布擦れの音。屈んだのだろう。ここで屈むとはやはり、花を供えている人物のようだ。

 少し乾燥した手がすり合わされる音を微かに捉える。花を供えて手を合わせる。その意味を理解し、私はなんとも言えない気持ちになる。

 と、足音が更に複数聞こえて来た。今度は一人ではなく団体。しかも、小さく金属の鳴る音。武装しているらしい。


「おいおいあんちゃん! やってくれたなぁ!?」


 一団の方から声が投げ掛けられる。荒々しい男の声だ。喧嘩腰の武装集団と、絡まれる男。

 団体客の方は決して友好的な雰囲気ではない。むしろ、今にも剣を抜きそうな剣呑な雰囲気が先程の声から漏れ出ていた。

 ここにきて、嫌な予感がしてきた。


「契約は守った。先に手を上げたのはそっちだろう」


 どこか出聞き覚えのある声で、花を供えた方の男が立ち上がり応える。

 多対一の状況だろうに、その声は恐怖を忘れたように酷く冷静だ。


「ウチの若いのが世話になったみてぇじゃねぇか……こりゃしなきゃなぁ?」


 金属の擦れる音。鞘から剣が抜かれ、花を手向けた男に向けられたのだろう。


「お前達にとっての礼とは、剣を向けることなのか。参考になった、次からはそうするようにしよう」

「あァ? 何言ってんだてめぇ」

「冗談だ」

「てめぇ、マジで舐めてんのか……?」


 どうやら、ちょっと危ないチンピラと口論になっているらしい。話を聞く限り、チンピラ側が変な因縁を付けているように思える。そして、チンピラ側は剣を抜いているようだ。

 一触即発の緊急事態だ。今すぐここから逃げ出したいが、大木の周りには茂みも障害物も無い。彼らに見られず逃げ出すことは困難だろう。

 私は高まり始めた鼓動を手で抑えつつ、聞き耳を立て続ける。


「金がありゃ……許してやらんことも、無ぇ」


 支離滅裂だ、脈絡が無い。最早ただのカツアゲではないか。


「ほう」

「そぉだなぁ……百金貨もありゃ足りるんじゃねェか!?」


 武装集団の下品な哄笑が響く。

 百金貨もあれば、今と泊っている宿屋に四十年は居れる。そう考えれば、男の提示する値段設定は法外と言わざるを得ないと分かるだろう。


「金目当ての恫喝どうかつ。それが本当の商売、という訳か」

「ハハッ! その通り。死にたくなきゃ、金出して詫びな!」


 まずい状況は続く。この手のチンピラは本当に凶行に及ぶ事は珍しいのだが、ここは街の中でも外れの場所。そこらの茂みに投げ込めば、死体発見は遅れるだろう。

 そして、花を手向けた男は音からして武装をしていない。とはいえ、百金貨など常人がぽんと払える額を有に超えている。それは、向こう側も分かっている筈だ。

 つまりチンピラ共の真の目的は、金を出すのを断った男を痛めつけるもしくは殺害し、所持品を剥ぎ取ることにあるのだろう。

 そうなれば、この成り行きを聞いている私が見つかれば、碌な目に遭わないのは必至。崖から飛び降りてでも逃げ出したいが、飛び降りれば音が出、ここに誰かがいたことはバレてしまう。

 チンピラは武装しており、集団だ。徒手空拳での護身法には心得があるが、一対多数の相手が武器持ちでは話にならない。

 例え逃走に成功しても、彼らチンピラの規模がどれ程かは分からないが、集団でいる以上他に仲間がいる可能性は低くない。

 つまり、どこに目があるか分からないのだ。下手に動けない。


「悪いがそんな大金は持っていない」

「……それが本当か、確かめさせて貰うぜさんよォ!!」


 武装したチンピラが走駆する。花を手向けた男には悪いが、彼が死ねばチンピラ共に私が気付かれることはないだろう。ここは息を潜めて……。

 ん、レグルス……、どこか聞き覚えがあるような……。

 そんな私の小さな疑問などいざ知らず、チンピラの剣による風を切る音が響く。そしてその直後、鈍い金属の音が低く唸るように鳴り響いた。

 金属の音響は暫く空間を支配していたが、ゆっくりと衰え、やがて静まり返る。

 違和感。チンピラが男を斬ったのなら、男の悲鳴や肉を裂く音が聞こえてくる筈だ。だと言うのに、聞こえてくるのは風の音だけ。確かな沈黙がそこに満ちていたのだ。

 き、気になる。

 結局好奇心には勝てず、私は大木の裏から顔を覗かせる。

 実は男たちなんて私の幻聴で、そこには誰もいない高台の風景が広がっていると信じながら。しかしそこには、私が期待した景色など欠片も無かった。


「……」

「……」


 半ばからへし折られた直剣を持ち、呆けたように剣を構えながら口を半開きにする男。その後ろには、同じく呆けたように口を半開きにするガラの悪い集団。そして、拳を振りぬいた体勢の、昼に見たばかりの見慣れた道着の後ろ姿。その傍らに転がる、折れた剣の先。

 状況の理解に時間を要する。傍から見た情報を客観的に分析すれば、男が斬りかかるチンピラの剣を拳でへし折ったことになるがそんな事は有り得ない。ならば。この状況は何か。

 しかし、そんな私の固定観念は、見事に打ち砕かれたのだった。


「拳で……剣を折っただと……?」

「いや、マジなのかよ!」


 チンピラが弱々しく呟く。そして私は、思わず力強く突っ込んでしまうのだった。

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