新生活
和音
電車の中の宝物
からん、こんこんこん。私の手から逃げ出したワイヤレスのイヤホンは、駅のホームに向かって飛び出す。それを止めたのは制服を身にまとった女子だった。途端、電車と共に風がものすごい勢いで通り抜ける。電車とホームの日よけから差しこむ陽の光が彼女の流れた髪に乱反射し、虹のように輝いていた。
私が期待していた高校生活は退屈と妥協に塗れていた。中学では一番を張っていた頭の良さはこの高校ではありふれていて、何の特別にもならない。入学早々隣になった人達と友達ごっこをして、皆距離を測りかねている雰囲気。たしか中学も最初の頃はこうだったっけと思い出そうとしてみるが、楽しい思い出ばかり浮かんできて思考を止めた。
別に友達がいないわけでもない。クラスの人たちとは徐々にラインが繋がっているし、インスタのフォロー数も急激に増えている。部活に行けば優しい先輩がいるし、悩み事を相談できる人もいる。足りないものはないはずなのに、どこか物足りない。何か大切なものが欠けている。そんな気持ちを抱えながら今日も授業を受けていた。
私がいつものように電車を待ちながら音楽を聴こうとした時、ケースからイヤホンを取り出しそこねた。駅のホームに転がっていった。それを拾ってくれたのはとびきり可愛い女の子。私が半ば放心状態でお礼を言うと、彼女は何も言わずに一つお辞儀をして列に戻ってしまった。
本来ならここで終わるはずの関わりを私は無理やりつないだ。直感で彼女が私の足りない何かを埋めてくれると分かった。電車に乗って距離が縮まった事を良いことに改めてお礼を言って名前を聞く。一歩間違えたら不審者だが、私の持つ女子高校生という肩書が何とかしてくれる、と思いたい。それをきっかけに会えば挨拶をするようになり、話すうちに少しずつ仲良くなっていった。
2、3日に一度、決まった曜日はなく、私は彼女と電車で話す。地元の中学に通っている妹さんと一緒に家を出ているらしく、乗る電車の時間はまちまちになってしまうらしい。本音を言えば毎日一緒に通学したいが、何とか心に押しとどめた。彼女が途中で降りるまで30分という限られた時間だけど、一日の中で一番楽しい時間になっていった。
一つ上の先輩だと初めて知ったときは敬語を使ったほうがいいかと不安になったが、断られた。話を聞いているときの相槌の間がちょうどよくて、気持ちよく話せる。普段は落ち着いた声をしているが、テンションが上がると少し高くなる彼女の声はいくら聞いても飽きなかった。彼女に会えた日は一日中楽しく感じたし、会えなかった日でも退屈はしなかった。次に会った時に話す事や前に話した事を想うだけで幸せだったからだ。
それでも最近、気がかりなことがある。週に数回会っていた頻度は週に一回以下になり、私が話している時にあからさまにスマホを見るようになった。頑張って話をしようとしてもどこか嚙み合わなくて、繋がらない。話題の始まりはいつも私で、返事が段々なくなっていく。まるで独り言。
ある日、いつものように弾まない会話をこなした後、彼女が下りた駅でこっそり降りた。駅のトイレで顔を隠せる真っ黒のパーカーを着る。改札を出て少し早歩きをすれば、すぐに彼女に追いついた。何をやっているのか私も良く分からないが、何か行動をしないと落ち着かない程に拗れた焦りが私を突き動かす。
彼女の通う高校の門が見え始め、そろそろこんな無駄な事はやめようと思い踵を返した時、校門付近でなじみのある声が耳に届いた。その声色は今や私に向かないようなもので、本能がここから去るべきだと告げていた。それでも振り向いてしまった。
そこには笑顔で友達と楽しそうに話している彼女がいた。あぁ、私はやっとそこで理解したのだ。どこに向かうでもなく数分歩き、空を見上げる。
今日の空は人生で一番きれいだった。もう二度と見たくは無いけれど。
新生活 和音 @waon_IA
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