第2話 部活
「海野さん、部活とかはもう決まった?」
机をはさんで私の正面に座る、担任の後藤先生が言う。短髪で身長も大きい方だから、はたから見ればスポーツマンに見えなくもないのだが、本人曰く、運動はだいの苦手らしい。顔立ちは綺麗な方で、生徒からの(特に女子からの)人気は根強い。
後藤先生は、良い先生だ。誰にでも優しく接し、時に厳しく叱り、自分の仕事を全うする。
「まだ、特には何も。帰宅部でも良いかなって」
「となると、アルバイトとかやるの?」
「いえ、バイトとかは、あまり。考えてません」
「そっか。実はさ、海野さんに一つ相談したいことがあって」
後藤先生はそう言うと、私に一枚のプリントを差し出す。私はそれを受け取り、文字を目で追う。
「写真部、ですか?」
プリントには太文字のフォントで写真部という文字と、数枚の写真が掲載されている。夏祭りの花火、廃線になった電車の線路、夕焼けがかかる校舎。写真の右下には、それぞれ獲得した賞の名前が書いてある。奨励賞。奨励賞。最優秀賞。
「今、部員の数が減っててさ、廃部寸前なんだよ。去年から僕が受け持っているんだけど、今年は新入部員がなかなか入らなくてさ。で、海野さんの名前を貸してくれないかな、と思って」
「名前を貸す、ていうのは、」
「うん。表向きだけでいいから、写真部に入部して欲しいんだ。まあ、できれば部員になってほしいんだけどね。流石に生徒に入部を強制するのはアウトだからさ。数字上の部員数が増えれば、とりあえず廃部になることはないし」
後藤先生はそう言って笑うと、後頭部に手を当てる。何かに困るとよくやる癖だ。授業中になかなか起きない生徒を前にした時とか。授業で使う資料の一部分が抜けていたりとか。そういった時、後藤先生はよく自分の後頭部を撫でる。
「えっと、名前を貸す、だけならいいですよ」
「え。いいの?」
間抜けな声を後藤先生が出す。少しだけ、声のトーンが上がったような気がする。
「はい、名前を貸すだけなら、大丈夫です。部活には参加しなくてもいいですよね?」
「もちろん!名前を貸してくれるだけでもありがたいよ。海野さん、ありがとう!」
後藤先生はそう言うと私に深々と頭を下げる。大人に頭を下げられることなんて初めてだったので、私は慌てて「か、顔、あげてください」と後藤先生に言う。
まだ5月なのに、あたりには夏の匂いが漂っている。歩道に等間隔で植えられている桜の木は緑の葉をつけており、生ぬるい風が葉を揺らしている。桜の種類を私はよくは知らないけど、5月でもあの街の桜はまだ咲いていた。今年の桜はもう終わったのだと、少しだけ感傷的になる。
微かに汗をかいている。遠くで蝉が鳴いてる気がする。暑さが肌をとおして、体の内側に入り込んでくるようだった。
早く冷房の効いた場所に移動したい。
「うーみーのーさん!」
突然、左肩をポンと叩かれる。ビクッと反射的に肩を上げた後、私は恐る恐るうしろを振り向く。そこには、私と同じ月暈(つきがさ)高校の制服を着た女子高生が立っている。背は私よりやや低く、くっきりとした二重に、大きな二つの目が私を見ている。まるで小動物みたいだ。
「え、っと」
「同じクラスの森戸乃亜。海野さん、部活には入ってないの?」
「う、うん」
「そうなんだ、これから家帰るの?」
「うん」
「家、同じ方向みたいだし、一緒に帰ろうよ」
私は彼女が作り出す会話の流れに逆らう事ができず、しどろもどろに「うん」と答える。それを聞くと、彼女は「やった」と言って、私の隣に並ぶ。
展開が早すぎて、私は目を回しそうになった。
森戸さんは初対面であるはずの私に気を使う気はないようで、絶え間なく質問をしてくる。最近の学校はどうとか、趣味はなんなのかとか。どうでもいい質問を森戸さんがして、私が答える。という時間がおそらく10分ほど続いている。自分と同い年の人とこれだけ長く会話をしたのは久しぶりだった。そのせいか、私はさっきから言葉に詰まってしまう。
「海野さんってさ、なんで月暈入ったの?」
「えっと、なんとなく、かな。家と、近かったし。森戸さんは?」
「私も同じ。おばあちゃんの家に近かったから」
「おばあちゃんの家、に住んでるの?」
「うん、今家出中。中学の時、お父さんお母さんと喧嘩してさ。進路で。そんでおばあちゃんの家に逃げて。うちのおばあちゃん優しいから、とりあえず高校は私がなんとかするって。めっちゃ頼りになる」
「そう、なんだ」
見た目の可愛さに反して、結構大胆な人なのだろうか。家出をするなんてすごいな。私はそんなことを考えながら、もう一度彼女の顔を見る。
綺麗な二重に、大きくて可愛らしい瞳。微かに化粧をしているように見える。髪はさらさらで、少しだけ触ってみたいと思った。
「ね、海野さんに聞きたいことがあるんだけど」
森戸さんが私の顔を覗き込む。目が合う。
「な、なに?」
ジロジロ見たの、森戸さんにバレてしまっただろうか。恥ずかしさのあまり、顔が少しだけ熱くなっている。
「海野さんはさ、風瓦中出身なんだよね?」
「そ、そうだけど」
中学の話?何を聞かれるんだろう。頭の中はさっきの恥ずかしさで精一杯のようで、思考する力は残されていないようだった。
「海野さんって、岬中にいたよね?」
「…え?」
岬中。その言葉を聞いた瞬間、私の体がかたまる。
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