第1話 海野色

「海野色です。出身は風瓦中学校です。よろしくお願いします」

自己紹介を終えると、乾いた拍手の音が教室に響く。椅子に座ろうと手を机の上に置くと、後ろの席の人が勢いよく立ち上がる。と同時に、後ろの人が座っていた椅子が倒れる。びくっと、私は肩を上げる。恥ずかしかったのか、その人は周りの数人に「すんません」と少しだけ頬を赤くしながら言っている。


「海野さんって風瓦中出身なの?」

配られた時程表を確認しようとしたら、後ろから声をかけられる。振り向くと、自己紹介の時に椅子を蹴った男子生徒が眠たそうに私を見ていた。目の下には薄くクマがあり、右耳にはピアスの跡がある。

名前、なんだっけ。さっきまで自己紹介をしていたのに、私はこの人の名前がわからない。

「そ、そうだよ。なんで?」

人見知りのせいで、変に言葉が詰まる。

「俺、風瓦なんだけどさ、冬に風瓦に転校してきたのって、海野さん?」

冬に。転校。私。

「うん。お、親がこっちに転勤することになって、それで」

「へー、大変だね。転校する前はどこ中だったの?」

転校する前。どこ中。

「県外の中学校だよ。こ、ここから結構遠い地方の」

「そーなんだ、これからよろしく」

男子生徒はそう言うと、机の上に両腕を交差して置き、そこに顔を伏せてしまう。




「できるだけ、今回の件は口外しないようにしてください。誰かに何か訊かれても、下手に応答しないようにしましょう」

女性の弁護士はそう言うと、お母さんが作ったホットコーヒーを一口飲む。眉間に、少しだけ皺を寄せている。元からなのか、コーヒの味が不味かったのか。お母さんのコーヒーを飲んだことがないし、この人が家に来た時の顔を見ていないから、私には分からない。

「岬中学校のことは調べましたが、情報を隠蔽していたこと以外は、得ることができませんでした。すみません。元々、息子さんが自身のことを家族である皆さんにも話していなかったということだったので、学校側で息子さんについて何か知っている人がいる可能性は低いと思います。あと、息子さんのクラス担任だった教師や校長、教頭についても、あれ以降何も分かっていません。学校側も、大きな騒ぎをこれ以上起こしたくないと思っている筈なので。それと、」

「息子の…照史の死は、意味があったんでしょうか?」

弁護士の話を遮るように、お母さんがぼそっと言う。それを聞いて、お母さんの隣に座っているお父さんが少しだけ寂しそうな目で、お母さんを見つめる。お母さんは自分の手をもう片方の手で握ったり離したりを繰り返している。

「照史は、私たちに何も教えてくれなかった。学校で何があったのか、遺書にも書いてくれなかった。照史の死を無駄にしたくないんです。照史が選んだことが間違いであっても、せめて私たちだけでも、肯定したい。一番辛かったのは、照史ですから。・・・でも、このままだと、私は」

そこまで言うと、お母さんは泣き崩れてしまう。すかさず、お父さんがお母さんの肩に手を添えて、軽く抱き寄せる。泣いてはいなかったけど、お父さんの目はいつもより優しい目をしていた。

「お母様、私は弁護士です。私の仕事は依頼してくれた方々に寄り添い、期待に応えるような報告をすることです。時間がかかっても、私はやり遂げます。今はお辛いでしょうが、どうか、一人で抱え込まないで」

弁護士はそう言うと、机の上にあるお母さんの手を両手で優しく包む。お母さんは顔を上げると、また頭を下げて、「ありがとうございます」と嗚咽を交えながら言う。


玄関のドアを開けると、門扉でタバコを咥えながら片手でスマホを操作する弁護士の姿があった。私は玄関のドアを完全には開けず、弁護士を見ることができるギリギリの隙間を作る。

弁護士の目は死んでいるみたいに黒く、光がない。夕日が弁護士の背中にあるからかと思ったが、確実に、さっきまでの弁護士の目とは違う。

私はなんとなく、弁護士の体を見る。体型はすらっとしているけれど、肌は青白く、健康的とは言えない。髪は下ろしていて、うなじを隠している。右手の甲には、小さなほくろがある。

スマホを見つめる彼女の顔は、お母さんの手を握っていた時の柔らかい表情とは真逆の、冷たい表情をしている。

私は、その顔を見たことがあった。

照史がいなくなった後、私は嫌というほどその顔を見た。

私は手に持っていた照史のデジタルカメラを構える。わずかな隙間にレンズを挟み込み、シャッターを切る。

撮った写真を見てみると、弁護士の顔が影で隠れていた。少しだけその写真を眺めた後、私はその写真を削除する。












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