#26
*第三者視点
アンジュは物心ついた時から、地下の牢獄に監禁されていた。
その理由は未だに不明である。
しかしアンジュにとって、それは当たり前だった。
真っ暗な地下で時間の感覚もなく、何をすることもなく毎日が過ぎていく。
排泄物は常に付けられているオムツに、風呂とオムツ交換はアンジュが眠っている間に行われる。
死なない程度の水と、一日二回の食事が、アンジュの楽しみだった。
そんな日々が変わったのは、アンジュが10歳になった頃だった。
「アンジュ」
「?」
突然、アンジュの牢獄の前に立っているだけだった兵士が話しかけてきた。
言葉も知らないアンジュは、話しかけられたところで返事など出来ない。
「ああ、酷い。こんなにやせ細って」
兵士はアンジュの境遇に涙を流した。
「今日俺が来たことは内緒だよ」
「…」
「言葉は分かるかい?」
「う…」
「君の名前はアンジュ。アンジュ・テレサだ」
「ア、ン…?」
「そう、アンジュだよ。アンジュ」
「アン…ジュ……」
兵士たちの話している言葉を何となく覚えているだけで、誰かと話をした事などないアンジュには、言葉を発するという事が非常に難しかった。
「アンジュ、今日は君の10歳の誕生日だ。お祝いにこれを渡したくてね」
兵士はアンジュの前に何冊かのノートとペンを置いた。
「?」
「これで文字の勉強くらいは出来ると思う」
兵士はアンジュにペンとノートを数冊渡し、ペンの握り方を教え、アンジュは文字というものに非常に興味を持ち始めた。
1ヶ月もしない内に、ノートに書く場所がなくなるくらい使い潰した。
兵士はそれを見て、新しくたくさんの本とノートをアンジュに与えた。
1年、2年、3年と時は過ぎ、アンジュは兵士と会話が出来るまで成長した。
「アンジュ、今日は君の14歳の誕生日だよ」
「じゅうよんさい…」
「もうすぐ大人になるね」
「おとな…?」
「そうだよ。ここでは15歳になると、大人になるんだ。成人の祝いがあったり、お酒が飲めるようにもなるし、仕事も出来るようになる」
「?」
「きっとここから出て外に出たら、色んな事を経験出来ると思うよ」
「そと…」
「うん。いつか出してあげるからね」
「うん」
名前も知らない兵士は、時どやってきてらアンジュをとても大切に、そして丁寧に扱ってくれた。
何故兵士がここに来て、アンジュと話をするのか。
他の兵士には理解できなかった。
「***様!これ以上は…」
「しーっ、お父様たちには絶対言うんじゃないよ。わかっているよね?」
「ですが…」
「あの子は大事な****なんだ。あんな所に置いておくなんて可哀想だもの」
「****ですって?私たちは化け物だと…」
「うーん、やっぱりそうか」
兵士は、アンジュの**である***。
後にこの国に存在していない人間として扱われることになる人物だ。
「君は変だと思わない?化け物なら殺してしまえばいいのに、何故生かしているのかって」
「国王の命令ですから…」
「お父様は一体何をお考えなんだ…」
テレサ王国では、アンジュは"化け物"として扱われている。
そんな事を当のアンジュは知る由もない。
しかしそんなアンジュを、この男はふと自分の****である事を思い出した。
何故今まで化け物として扱われ、監禁されていたのか。
男はそれを必死に調べていた。
(今日はアンジュの15歳の誕生日だ。早く行ってやらないと)
「***、お前何を嗅ぎ回っている」
「お父様…」
ついに国王に見つかった男は、存在ごと消され、消息を絶った。
テレサ王国に住む人間全員が、男の記憶を無くしたが、アンジュは魔法を使えないせいか、記憶が残り、今日も兵士が来ると思い、兵士を待っていた。
しかし、突然、兵士はやって来なくなった。
「なんでこないのかな…」
まさか男が存在ごと消されているなどと、アンジュが気づく訳もなく、何日も何ヶ月も時は過ぎていった。
そんなある日、アンジュは突然、起きている間にに、風呂に連れていかれた。
原因は、先日アンジュが感染症にかかり死にかけたからだった。
大して掃除などされない地下の衛生環境など、良いわけもなく、アンジュは死の淵をさ迷った。
兵士たちがそれを報告すると、父であるテレサ王国が、週二回の入浴を命じた。
兵士たちに反対、という言葉は禁じられているため、不潔なアンジュの入浴は罰ゲームみたいなものだった。
「だれ、あの子…」
「汚い、気持ち悪い」
「しかもよく見て、紋(もん)なしよ。魔法も使えないのによくここに来れるわね」
テレサ王国では皆生まれつき、紋というものが体の何処かに刻まれている。
それがなければ魔法が使えないのだ。
しかしアンジュには、その紋がどこにも存在しない。
言葉を理解し、魔法の意味を知ったアンジュは、その言葉を聞きたくなくて、風呂に行くたびに泣きわめいた。
もちろんそんなことで入浴を拒否できる訳もなく、そんな生活が半年過ぎた頃。
「来なさい」
「だれ…?」
父であるテレサ王国が、直々にアンジュのいる地下の牢獄にやってきた。
嫌がるアンジュを無理やり城に連れていき、アンジュは女として生きていくこと、そしてそのための教育を施し、敵国である遠い国、リーヴェに嫁として出す事を家族の前で宣言した。
勿論、子供たちは戸惑った。
「な、何を仰っているのですかお父様!」
「わしの意見に逆らうのか?」
「あなた達を敵国にやるなんて、母には出来ません。ですが"これ"なら」
「うううっ」
「泣くでない!」
「うえええっ!」
それからというもの、アンジュは毎日この城で日々教育を受けた。
女性としての言葉遣いや所作、マナーから化粧までを両親や教育係から教えられ、出来なければ叩かれ怒られた。
「どうしてお箸すらまともに持てないの!」
「こうやって立って…なぜそんなことも分からないのですか!」
「言葉の一つも分からないのか!!」
アンジュにとって、外は地獄だった。
あの地下にいる方が、幸せだった。
しかしどれだけ泣いても、彼らの教育から逃げることは出来なかった。
「やだ、やだぁ!」
城にやってきて一ヶ月が過ぎようとしていたが、アンジュの風呂嫌いは加速した。
この頃になると、自分が魔法を使えなくて、触れるだけで気持ち悪い、と言われることの言葉の意味を理解していたからだ。
自分が無能であるが故に、叩かれ、怒られ、罵声を浴びせられ、アンジュの心はすり減っていった。
「やだぁ…たすけて…」
アンジュの中にだけ残っている男に助けを求めても、何もならない。
アンジュは毎日毎日泣き続けた。
そしてリーヴェ王国へ嫁ぎに行く当日がやってきた。
「いいかアンジュ、お前が男だと気づかれたらこうだ」
その辺に飛んでいた虫を、国王がボッと燃やした。
「う…」
「分かったな?」
「うぅ…」
「返事は」
「はい、お父様…」
(あたらしくいくところは、どんなところなんだろう。たたかれたりしないといいな)
馬車から見る外の景色は白一色に染まっていた。
季節は冬になり、外も、そしてアンジュの心も寒さを増していった。
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