#8

『お父様、ごめんなさい』

『全く…いつになったら覚えるんだ』

『ごめんなさい、頑張るから…』

『お父様、本当にこれを嫁に出すおつもり?』

『お前たちを出すわけには行かないからな』

『だからってこんな使えないのを…』


お父様が言っていた。

お兄様達は俺と違って凄いから、この国にとって大事なんだって。

俺は、なんの力もなくて、勉強も出来ないから、少しでも国の役に立てと言われた。

女性の服の着方、動き方、話し方、化粧の仕方、女性として生きるための全てを覚えなさいって言われて、1ヶ月、頑張った。

でも全然出来なくて、たくさん叩かれたし、たくさん怒られた。

あの部屋にいる方が良かった。

誰にも話しかけられないけど、ご飯は食べられて、貰った本をずっと読んでいるだけで1日が過ぎて、眠たくなって、冷たい床で眠る。

それだけでよかったのに。

こんな世界、知りたくなかった。


『アンジュ』『アンジュ様』

『ノラ王子、リマさん』

『おいで』


でもここにきてからは、痛いことなんて何も無い。

ずっとここにいたい。

でも、俺がいつか男だって分かったら、この人たちも、お父様やお母様みたいになるのかな。


『ノラ王子、あの、実は……』


そこで目が覚めた。


「夢…」


寝ている間に見るものが夢だと、一昨日リマさんに教えてもらった。

みんなこんな嫌な夢を見るのかな。


「アンジュ様、おはようございます」

「おはようございます」


リマさんが部屋に来てくれるのが、朝食の合図。

俺は着替えを済ませて、髪の毛をくしでとく。

何だかいつもより、気持ちがいい気がした。


「やはりお綺麗ですね」


食卓へ向かう途中で、リマさんが俺の髪を触る。


「何がですか?」

「髪の毛ですよ。真っ黒な、長い髪」

「怖く、ないですか?」

「とんでもない!寧ろこれ程までに綺麗なのが羨ましい位です」

「本当ですか!?」


こんな風に言われたのは初めてだ。


「ええ。ですがやはり髪の毛だけでも洗った方が、より美しく見えますよ」

「そう、ですか…?」

「ええ。でしたら今日は…」


朝食を終えてから、リマさんに美容、というものを教えてもらう事になった。

ノラ王子はそんな俺とリマさんを遠くから眺めていた。


「おいリマ」

「なんですか王子、今私は忙しいんです」

「いや、そのだな…」

「さてアンジュ様、こちらは…」

「おい…」


リマさんはそんなノラ王子を無視し続けていた。


「王子」

「何だ」

「アンナ様やチダリ様の所へ行ってもよろしいでしょうでしょうか?」

「知らん」


ノラ王子はちょっと怒っていた。


「あ、あのノラ王子…」

「どうしたアンジュ」

「い、一緒に、きて、ください…。わ、私、ノラ王子が一緒だと、う、嬉しい、ので」


そう言ったら、ノラ王子は少し笑った。


「……わかった」

「ふふ、素直じゃないんですから」



***



「こんにちは。まさか貴方の方から来ていただけるなんて」

「は、はじめまして。ノラ王子の妻の、アンジュと申します…!」

「そんなに緊張しないで。私は第一王女、アンナです。まあ第一と言っても3番目の子なんですけども」

「私は第四王子オッズの妻、チダリと申します。アンナ様、アンジュ様、リマさん、このような機会をいただきありがとうございます」


アンナ様は短い髪の良く似合う、かっこいい女性。

チダリ様は俺より少し短い黄色の髪の、綺麗な女性。

2人とも言葉も、動き方も、女性だ。

俺みたいなのとは全然違う。


「とんでもございません。私めがこのようなご無理を言いまして…」

「いいのよリマさん。さ、アンジュ。こちらに座って」


アンナ様に言われた席に座る。


「まあ綺麗な黒髪。私は金髪だから羨ましいわ」

「本当に。こんなに長く伸ばせるのが羨ましいですわ」

「ひゃあっ!」


人に触られるのに慣れないから、変な声が出ちゃう。

どうしてみんな、この髪を触れるんだろう。


「あら、くすぐったいかしら?」

「アンナ様ったら」

「可愛い義妹が増えて嬉しいわ」


アンナ様は凄く嬉しそうに笑っていて、俺も嬉しくなってしまう。

こんなお姉様なら、あんな思いはしなくてすむのかな。


「ではアンジュ様、髪の毛は私チダリが担当致しますわ」

「化粧は私に任せて!ノラ、そんな所で不貞腐れないの」

「うるさい」

「そもそもなんでいるのよ」

「……アンジュが」

「わ、私が一緒にとお願いしたんです。ご迷惑でしたか…?」


そう言うと、アンナ様とチダリ様は黙ってしまった。

ノラ王子と一緒は、ダメだったのかな。


「あらー!綺麗になった所を見せたいのね!腕が鳴るわ!ね、チダリさん!」

「ええ!!リマさんもお手伝いお願いしますね」

「畏まりました」



***



「で、結局追い出された訳だ」

「女性というのはよく分かりません」


俺はアンナ姉様やオッズ兄様の妻であるチダリ様、そしてリマに部屋から追い出され、オッズ兄様の部屋にお邪魔していた。


「僕もよく分からないけど、チダリは凄く楽しそうにしてたよ」

「そうですか」

「君のお嫁さんも楽しそうにしてたんじゃない?」

「まあ…」


一緒に行く、と言った後のあの笑顔。

正直に言おう、めちゃくちゃ可愛かった。

抱きしめたいくらい、可愛かった。


「ベタ惚れだね」

「そう見えますか?」

「顔に出てる」

「お恥ずかしい…」

「ずっと武力を極めてたもんね」

「まあ…」


この国では5歳になると、魔導書で自分の力を把握する決まりになっている。

俺たち王家の人間は皆、色んな力を持って、それを武器に国を守ってきた。

しかし俺だけは、魔導書に選ばれなかった。

だから俺は、魔導書には出来ない、武力をつける事にした。

剣も槍も弓も薙刀も、全ての武器を扱えるまでとても時間がかかった。

力をつける事以外に、時間を費やす余裕なんてなかった。

15を過ぎてやっと大人として戦場に立つことが出来、国を国民を守れるようになってからは、もっと力を付けなければと、ひたすら鍛錬を積んだ。

そんな俺に、恋愛に時間を割くなんて余裕はなかった。


「僕は嬉しいよ。ノラが彼女を好きになってくれて」

「はあ…」

「僕、初めその話を聞いた時、びっくりしたんだ。ミシェルじゃないんだって」


ミシェル兄様は、俺より二つ年上の第五王子。

国を支える縁の下の力持ちで、この国のインフラ整備や俺たちや兵士たちの装備の整備などを一手に担っている部隊のトップだ。

まあ普通に考えれば、俺よりもミシェル兄様の方が先に婚約話が行くはずなのだが。


「ミシェル兄様は断ったんでしょうね」

「断りそうだよね。仕事が忙しいって言いそうだもん」


仕事第一で王子というポジションなどどうでもいい、という人だから、婚約話を断ったのは容易に想像出来る。

実際、アンジュがこの国に来た日もミシェル兄様は顔を出さなかった。


「ちゃんと愛情表現してあげるんだよ。じゃなきゃ捨てられるよ?」

「それは…」


今までそんな経験なんてない俺になんてことを言うんだ、この人は。


「ちゃんと好きって言ってる?キスとかセックスとかしてる?」

「ちょ、兄様…」

「何顔赤くしてんの。男でしょ?まさか結婚初夜に何もしてないとか…」

「す、する訳ないでしょう!彼女は疲れていたし…」

「キスくらいは…」

「………」

「ワオ」

「彼女がここの生活に慣れるまでは、何もしないと決めているんです」


一昨日のあんな姿を見て、手なんて出せない。

今は外から彼女を眺めているだけでいい。

彼女に少しでも笑顔になって貰えたら、それでいい。


「そっか。ごめんね失礼な話をして」

「いえ、大丈夫です。気を使って頂いてありがとうございます」

「オッズ様!ノラ様!」

「チダリ」

「アンジュ様のお着替えも全て終わりましたわ!早くいらしてください!!」


チダリ様が俺の腕を引っ張る。

この細い腕のどこに力があるんだ。


「アンジュ様!開けますわよ!」

「あ、あっ…!」


ガチャリ

扉が開いた。

そこには。


「あ、あ、ノ、ノラ、王子………っ」


黒い真っ直ぐな長い髪は、毛先を巻いていて、後ろで1つにくくられていた。

化粧も濃すぎず薄すぎず、しかし元の素材を生かしたナチュラルメイク。

服はそのままだが、手には真っ赤なマニキュアを施されていた。


「……っ」

「あ、あの…へ、変、でしょうか……」

「ノラ、ちゃんと言ってやりな」

「兄様」

「そうよ!ちゃんと言いなさい!ほら!」


アンナ姉様が俺の背中を押して、アンジュとの距離が一気に縮まる。


「あ…」

「…っ」


危うく唇と唇が重なるところだった。


「あ、ノ、ノラ王子………っ!」


誰にも聞かれたくなくて、アンジュを抱きしめ、耳元でアンジュに話しかける。


「綺麗だ。とても似合っている」

「ほ、本当、ですか……?」

「ああ」

「ひぅっ…あ、嬉しい…嬉しいです……っ!」


アンジュが俺の背中に手を回してくれた。

こんな些細な事すら嬉しいなんて。


「アンジュ、良く似合っている」

「ひ…っ、あ、ありがとう、ございます…っ!あ、あのノラ王子、は、離して、ください…っ」

「どうしてだ」

「か、体が、あ、あつくて…!へんなんです……っ!」

「……っ!」


俺もおかしくなりそうなくらい、体が熱い。

さっきオッズ兄様にあんな事を言われたから、変に意識してしまう。


「兄様、姉様達、すいません。アンジュの体が熱いそうなので屋敷に戻ります。アンジュ、行こう」

「あ、ひゃあっ!」


俺はアンジュを抱き抱え、屋敷に戻った。


「気をつけてね~!」

「あらあらお熱いことで」

「リマさん、今日はこちらでお泊まりなさったら?」

「チダリ様、お言葉に甘えさせて頂きます」


この後屋敷に戻った2人に何が起きるかなど、誰も知る由もなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る