#4

「おはよう」

「お、おはよう、ございます」

「目が赤いな」

「ひゃうっ!」


 アンジュが目を覚ますと、ノラがアンジュのベッドの横に座っていた。

 ノラはアンジュの手を握り、涙で赤くなっている目に触れる。


(俺の手を触ってくれた、やさしいひと。何で目を触るんだろう。でも、ノラ王子に触られるのは、いやじゃない。)

「綺麗な髪黒だな」

「そ、そうでしょうか」


 アンジュの腰まで伸びた長い髪を、ノラが触る。

 膝元まであった髪は、リーヴェに来る前に短くされた。

 テレサ王国では、黒髪は疎まれている。

 魔法が使えない、かつ黒髪のアンジュが隔離されるのも無理はないのかもしれない。


「やはり風呂には入った方がいいな」

「……」

「無理にとは言わないが、せっかくの髪が勿体ない」


『男だと知られたらこうだ』

(次にお父様に火をつけられるのは、俺だ。怖い。

 だから、絶対に男だって知られてはいけないんだ。)


「………」

「風呂が嫌いなんだな」


 アンジュが首を縦に振る。


「そうか」

「………」

「もうすぐ朝飯の時間だ。外で待っているから、着替えたら食卓においで」

「はい…」

(どうして胸がちくちくするんだろう。どうして泣きそうなんだろう。)


 この感情に名前がつくのは、もっと先の話である。



 ***



「あの…」

「着替えたか。髪は…」

「このままで、大丈夫です」

「そうか」


 リマがいれば、二人きりのこの静かな空間も少しは賑やかになるのだが、リマは生憎朝食の準備で食卓にはいない。

 アンジュは何とか話をしようと、ノラに話しかける。


「……あの、ノラ王子」

「どうした」

「ノラ王子は、勉強は、好きですか?」

「うーん…あまり得意ではないな。剣を振る方が好きだ」

「剣……」

「そうだ、今日丁度訓練があるんだ。見に来るか?」

「……」


 アンジュが黙り込む。


(ノラ王子以外のひとに会うってこと?ノラ王子以外の目が、みんな俺を見るってこと?)


 アンジュは人に見られるという事が、どういうことか分かっている。

 自分が人とは違う、要らない子であるという目を向けられる。

 それに恐怖しているのだ。


「大丈夫だ、リマも連れていく」

「リマ、さんも…?」

「あぁ。もし嫌なら嫌と言ってくれていい」


『嫌なんて言うんじゃないの!ちゃんと淑女らしくしなさい!』

『嫌などとは言わせない。お前は女として生きていくんだ』

『また叩かれたいのか』

『本当に、どうしてこんなのが私の子なのかしら。嫌になっちゃうわ』

『本当だな。こんなもの、の早くあちらに渡さなければな』


「あ……」

「アンジュ?」

「………っ」

「アンジュ、どうした?アンジュ!」


 こわい。

 叩かれる。

 嫌だなんて、言わないから。

 ちゃんと、女性らしくするから。


「ひっ、あ、ごめ、ごめんなさい…っ」

「謝る必要はない。食事は取れそうか?」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 あやまらないと。

 ごめんなさいって、言わないと。

 なのに、声が、出ない。


「ひゅっ、ひっ、はぁっはぁっ、はっ、はっ」

「リマ!」

「どうされましたか!」

「アンジュが過呼吸を起こしている!すぐに医者を!」

「はい!」

「アンジュ、大丈夫だ、俺を見ろ」


 ごめんなさい、ごめんなさい。


「はっ、はぁっ、はぁっはぁっ」

「くそ…!」


 俺は、なんでここにいるの。

 何もないのに。

 どうして生きているの。

 お父様に、火をつけられる。


「はぁっはぁっ、ひゅっ、ごえ、なさ…はぁっはぁっ」

「アンジュ…大丈夫だ、ここは君がいていい場所なんだ」

「はぁっはぁっ、はぁっはぁっ」


 なにもみえない。

 いきが、くるしい。


「王子!とりあえず袋を持ってきました!アンジュ様のお口にあててください!」

「助かる!アンジュ!聞こえるか!」

「………っ、ひっ、はぁっはぁっ」


 ノラ王子、ごめんなさい。

 俺みたいな、ダメなひとで、ごめんなさい。


「アンジュ!!」



 ***



「アンジュはどうだ」

「今は寝息を立てて眠っておられます。お医者様も時期に来られると」

「助かった」

「アンジュ様、一体どうなされたんですか?」

「わからない。突然謝られて、それからああなった」

(何が彼女をああさせたんだ。ここに来てまだ二日目だぞ。疲れもストレスもあるだろうが、それにしてもここまでなるものなのか。)

「ノラ!!」

「父上…」


 ノラの父であり、リーヴェの国王であるジェイク・リーヴェ。

 親バカが過ぎる以外は素晴らしい男である。


「彼女は大丈夫なのか!?」

「今は眠っております」

「よかった。お前の妻になにかあったらと思うと…」

「大丈夫ですから。まだここに慣れていないだけだと思いますので」


 兄達曰く、元々親バカな所はあったらしいが、ノラが三つの時に亡くなった母上の代わりになる!とジェイクは意気込んで、ノラは大層甘やかされて育てられた。

 そんなジェイクが、ノラの妻として迎えたアンジュを心配しない訳がなかった。


「今日は父上も剣術訓練の視察に来られるのでしょう?早くお戻りになって下さい」

「しかし…」

「俺も後で向かいますから」

「だめだ、妻の傍にいてやりなさい」

「大丈夫です。リマが見ていてくれますから。ですから」

「………わかった。しかしお前はアンジュが目覚めてからこちらに来なさい、分かったな?」

「畏まりました」


 なんとかジェイクを追い出したノラは、医者が来るのを部屋の外で待つ。

 暫くして医者がやってきたのはよかったのだが。


「いやあっ!」


 アンジュの叫び声を聞いて、ノラとリマが部屋に入った。


「ノラ王子…。あの、彼女が…」

「や、触らないで…っ!」


 アンジュは泣き喚いて、震えていた。


「アンジュ、大丈夫だ」

「やだ、いや…、さわら、ないで…っ!ごめんなさい、ごめんなさいっ」

「触診しようとしたのですが、この通りで…」

「先生、お薬だけでも出していただく事は可能ですか?」

「しかし…」

「彼女は人に触られるのが苦手なんです」

「ひっく、う、ううっ」


 アンジュはついに布団の中に隠れてしまった。


「畏まりました、では…」


 そんなアンジュを見て、医者は何種類かの薬を置いて帰っていった。


「アンジュ、大丈夫だ。さっきの人はもういないこら」


 布団の上からアンジュに声をかけると、アンジュは恐る恐る布団から顔だけを出した。


「ひっく、ひっ」

「ほら、大丈夫だから」

「ごめんなさい、わ、私…」

「謝らなくていい。まだここに来て二日しか経っていないんだ。ゆっくり慣れていけばいい」

「でも……」

「気にするな」

「……」


 どう声をかけてやれば、彼女は安心するのだろう。

 どうすれば、彼女は笑うのだろうか。


「アンジュ、君の事は今日はリマが見てくれる。俺は訓練の方に顔を出さなければならないから。すまない」

「はい」

「昼には一度戻ってくるから。リマ、後は頼んだ」


 アンジュの頭を撫でる。

 体に触れなければ、拒否される事はなさそうだ。


「畏まりました」


 アンジュの事をリマに任せて、ノラは訓練場へ向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る