#3

「ノラ王子、見てください」

「何だ……。上手だな」

「ほんとうですか?」

「あぁ」


ノラ王子が俺の頭を撫でてくれた。

それが何だかとても嬉しかった。


「明日も絵を描いてもいいですか?」

「疲れていないか?」

「はい」

「なら飯にして風呂にでも入ろうか」

「風呂……は…」


下半身が見えたら怒られる。

風呂は、昨日入ったのに。


「外で絵を描いていたんだ。汗もかいただろう」

「……」

「まあ無理にとは言わない。とりあえず飯にしよう」

「今から作りますからね、お待ちください」


リマさんが部屋から出ていってしまって、俺とノラ王子の2人きりになってしまった。


「あの、風呂に入らないと、怒りますか…?」

「別に怒りはしない」

「叩いたりも、しないですか…?」

「する訳ないだろう」


ここに来るまでの1ヶ月は、毎日風呂に入らないと叩かれたから、前よりも風呂がきらいになった。


「よかった…」

「……」



***



夕飯を終え、風呂に入る。

彼女は風呂に入りたくない、と言っていた。

あちらでは風呂に入らないだけで叩かれるのか。

つくづくあの国の事が分からない。

俺たちに楯突く程強くもないのに刃向かって負けて、実の娘を差し出すなんて普通有り得ない。

やはり彼女には何かあるのか。


「ノラ王子」

「まだ起きていたのか」

「私、明日も絵を描くのが楽しみです」

「そうか」

「はい」


彼女の笑顔の裏には何がある。

俺が彼女を疑っている事など、既に見通されているのか。


「ノラ王子?」

「なんでもない。今日は疲れただろう。部屋でゆっくり眠るといい」

「わかりました、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


彼女が牙を向いたその時、俺は彼女を手にかけなければならない。

そんな事、あってほしくはないが。



***



『もしもお前が男だと分かったらどうなるかわかるか?』

『わかりません』

『こうだ』


お父様が近くを飛んでいた虫に火をつけた。

虫は床にぱたりと落ちた。

これが、俺になくて皆にある、魔法というもの。


『私はお前をこうしなければならない、わかったね』

『はい、お父様』


『入りなさいと言っている!』

『いやぁ!これきらいっ!』


お父様は俺がだいきらいな風呂に毎日つれてった。

いやだと泣いたら叩かれた。


『あちらでは毎日入るんだ、慣れなさい』

『いや…いやだぁ』


風呂に入ると、俺と皆が違うのがわかる。

魔法を使える人は、体に模様が現れるって、本に書いていた。

俺にはなんにもない。

だから、俺はあの部屋に入れられていたんだろう。

俺は、普通じゃない。


『なぜこんな事も分からない』

『すいません』

『本当に私達の子供なの?15にもなってこんな事も分からないなんて』


15歳が大人だと教えてもらったのは、外に出てすぐの事だった。

文字しか知らない俺には、あの世界以外の全てが眩しくて、辛い。

それでも叩かれたくなくて、1ヶ月必死に勉強した。

きらいな風呂も毎日入った。

楽しくなかった。

まだあの部屋で文字を眺める方が楽しかった。

外は、きらいだ。


「アンジュ」

「ノラ、王子…?」

「泣いていたぞ、何か嫌な夢でも見たか?」

「……」


夢と言うものはなんなんだろう。

言葉しか分からない。


「無理に話さなくてもいい。ここには俺と君とリマしかいないから」

「あ…」


ノラ王子が俺の手を握った。

俺の手は触ったらだめだよ。


「わ、私の手は、使い物にな、ならないんです。触ってしまったら、要らないものが、伝染(うつ)るって」


そうやってお父様とお母様が言っていた。


「大丈夫だ、俺にも何もない」

「え…?」

「この国には魔導というものが存在している。君の国で言う魔法と同じようなものだ。だが俺にその力はない」

「そう、なんですか…?」

「ああ」

「じゃあ、私の手を…」

「触っても問題ないだろう」


俺以外に、何もない人がいるなんて、知らなかった。


「っひ、う、わ、私…ずっと、知らなかった、んです…。魔法、という、ものを…」

「……」

「皆が、当たり前に、っく、持っているものを、持って、いなくて……っ、だからお父様も、お母様も……みんな…っ」

「辛かったな」

「ひっく、ううっ、ごめん、なさいっ」

「ずっと我慢していたんだろう。好きなだけ泣けばいい」

「うぁぁっ」


俺はノラ王子の前でたくさん泣いた。

泣いていたのに、叩かれなかった。

ノラ王子は、やさしい。

外の世界には、こんなひともいるんだ。

みんな、こんなひとなら、よかったのに。


「眠られましたか?」

「あぁ。しかしどうなっているんだ、あの国は」

「あの国では魔法が使えなければ捨てられるんですかね」

「まあそうなんだろうな」

「国王に報告いたしましょうか?」

「話だけはしておくか」


扉を少し開けて、眠るアンジュを見つめる。


「すっかり惚れてますね」

「うるさい」


俺はアンジュを起こさないように、ゆっくりと扉を閉めた。

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