#3

 描いた絵をノラに見せに行くと、ノラは上手だと褒めてくれて、アンジュの頭を撫でた。

 それがとてつもなく、嬉しかった。


「明日も絵を描いてもいいですか?」

「疲れていないか?」

「はい!」

「なら飯にして風呂にでも入ろうか」

「お風呂……は…」

(お風呂は、昨日入ったのに。いやだ、行きたくない)


 お風呂、というワードに、アンジュの顔が曇った。

 その顔を、ノラは見逃さなかった。


「……」

「まあ無理にとは言わない。とりあえず飯にしよう」

「かしこまりました。今から作りますからね、お待ちください」


 リマが部屋から出ていき、アンジュとノラは二人きりになった。


「あの、お風呂に入らないと、怒りますか…?」

「別に怒りはしないが…」

「叩いたりも、しないですか…?」

「する訳ないだろう」


 ここに来るまでの一ヶ月、アンジュは毎日お風呂に入らないといけなかった。

 でなければ、怒られ、叩かれるからだ。

 そのせいで、前よりもお風呂が嫌いになった。


「よかった…」

「……」



 ***



 夕飯を終え、ノラは一人で風呂に入っていた。


(彼女は風呂に入りたくない、と言っていたが、あちらでは風呂に入らないだけで叩かれるのか?つくづくあの国の事が分からない。俺たちに楯突く程強くもないのに、刃向かって負けて、実の娘を差し出すなんて普通有り得ない。やはり彼女には何かあるのか。)


 考えても、答えは浮かんでこなかった。

 風呂を出ると、時刻は八時を指していた。

 自室に向かう途中、同じく自室へ向かっていたアンジュと遭遇した。


「ノラ王子」

「まだ起きていたのか」

「私、明日も絵を描くのが楽しみです」

「そうか」

「はい!」


 彼女の笑顔の裏には何があるかもしれないと、ノラは警戒していた。

 彼女がまだテレサ王国と繋がっているのなら、それを悟られてしまえば、面倒な事になる。

 ノラは警戒心を押し殺し、アンジュへ接した。


「ノラ王子?」

「なんでもない。今日は疲れただろう。部屋でゆっくり眠るといい」

「わかりました、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

(彼女が牙を向いたその時、俺は彼女を手にかけなければならない。そんな事は、あってほしくないが。)


 ノラは自室に向かうアンジュを見送った。



 ***



『もしもお前が男だと分かったらどうなるかわかるか?』

『わかりません』

『こうだ』


 お父様が近くを飛んでいた虫に火をつけた。

 その虫は、床にぱたりと落ちて、消えてしまった。

 これが、俺になくて皆にある、魔法というもの。


『私はお前をこうしなければならない、わかったね』

『はい、お父様』


『入りなさいと言っている!』

『いやぁ!これきらいっ!』


 お父様は大嫌いなお風呂に、俺を毎日つれていった。

 いやだと泣いたら叩かれた。


『あちらでは毎日入るんだ、慣れなさい』

『いや…いやだぁ』


 お風呂に入ると、俺と皆が違うのがわかる。

 魔法を使える人は、体に模様が現れるって、本に書いていた。

 俺にはなんにもない。

 だから、俺はあの部屋に入れられていたんだろう。

 俺は、普通じゃない。


『なぜこんな事も分からない』

『すいません……』

『本当に私達の子供なの?15にもなってこんな事も分からないなんて』


 15歳が大人だと教えてもらったのは、外に出てすぐの事だった。

 文字しか知らない俺には、あの世界以外の全てが眩しくて、辛い。

 それでも叩かれたくなくて、1ヶ月必死に勉強した。

 きらいなお風呂も毎日入った。

 でも、楽しくなかった。

 まだあの部屋で文字を眺める方が楽しかった。

 外は、きらいだ。



 ***



「アンジュ!」

「ノラ、王子…?」

「泣いていたが、何か嫌な夢でも見たか?」

「ゆ、め……」

(夢と言うものはなんなんだろう。)


 アンジュは夢という言葉が分からず、戸惑っていた。


「無理に話さなくてもいい。だが話して気が楽になるのなら、話せばいい。ここには俺と君とリマしかいないから」

「あ…」


 ノラが、アンジュの手を握った。


「わ、私の手は、使い物にな、ならないんです。触ってしまったら、要らないものが、伝染うつるって」


 何もないお前の無能が伝染るから触れるなと、父と母はアンジュに言い聞かせていた。

 勿論、周りの人間もそれは知っていた。

 だから、アンジュに触れるものなど、あの国にはいなかった。

 しかし、ノラはアンジュが”そう”だと伝えても、何の躊躇いもなく、アンジュの手に触れた。


「大丈夫だ、俺にも何もない」

「え…?」

「この国には魔導というものが存在している。君の国で言う魔法と同じようなものだ。だが俺にその力はない」

「そう、なんですか…?」

「ああ」

「じゃあ、私の手を…」

「触っても問題ないだろう」

(俺以外に、何もない人がいるなんて、知らなかった)


 ノラの言葉に安堵し、アンジュは大粒の涙を流した。


「っひ、う、わ、私…ずっと、知らなかった、んです…。魔法、という、ものを…」

「……」

「皆が、当たり前に、っく、持っているものを、持って、いなくて……っ、だからお父様も、お母様も……みんな…っ」

「辛かったな」

「ひっく、ううっ、ごめん、なさいっ」

「ずっと我慢していたんだろう。好きなだけ泣けばいい」

「うぁぁっ」


 アンジュはノラの前で、子供のように沢山泣いた。城にいた頃は泣くと叩かれたのに、ノラは叩かなかった。


(ノラ王子は、やさしい。外の世界には、こんなひともいるんだ。みんな、こんなひとならよかったのに。)


 アンジュは泣き疲れて、起きてすぐにも関わらず、再び眠りについた。



 ***



「アンジュ様、眠られましたか?」

「あぁ。しかしどうなっているんだ、あの国は」

「あの国では魔法が使えなければ捨てられるんですかね」

「まあそうなんだろうな」

「国王に報告いたしましょうか?」

「話だけはしておくか」


 扉を少し開けて、眠るアンジュを見つめる。


「すっかり惚れてますね」

「うるさい」


 俺はアンジュを起こさないように、ゆっくりと扉を閉めた。

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