引きこもり元王女は、世界と溺愛を天秤にかける。
糀野アオ
第1話 王女 / 幽閉生活
「フィオナ、お前の王室からの除名、および下級神官として神殿への生涯幽閉が決まった」
厳かに告げたのは、このアングレシア王国の君主テオドア、フィオナの父親だった。普段は温和でやさしい笑顔を向けてくる国王も、今日ばかりは渋面をあらわにしている。
この日、王の執務室に集められたのは、国王のほかに国の重鎮たちが四人――王妃と王太子、宰相と神官長のみ。その誰もが沈痛な面持ちで見つめるのは、亜麻色の髪に緑の瞳、そばかすが少々目立つ十歳の少女、第三王女のフィオナだった。
重苦しい空気が漂う中、フィオナは真面目な表情を崩さないように、唇をキュッと引き結んでいた。
(ここで『ひゃっほう!』なんて、飛び跳ねる雰囲気じゃないものね……)
フィオナは五歳で読み書きができるようになると、とにかく本を読むことが好きになった。暇さえあれば読書をしていたいのに、王女としての礼儀作法だのダンスだのと、余計な時間を取られる。
七歳になると、様々な儀式への出席や諸外国からの賓客のおもてなしなどの公務が始まった。どれもこれも笑顔をペタペタ貼り付ける面倒なものばかりだ。おかげで、自由な時間が減ったどころか、疲れて読書する元気もなく寝てしまう。
何度『王女なんてやめたい』と思ったことか。
その願いがついに叶ったのだ。
これからは『神殿に幽閉』ということで、面倒な人付き合いをしなくて済む。死ぬまで部屋に閉じこもって本を読んでいても、許される権利を手に入れた。これを喜ばずして何を喜ぶ。
もっとも、その願いが叶った経緯を考えると、あからさまに喜んではいけないのだが――。
「よりにもよって、フィオナ殿下が選ばれてしまうとは……」
黒い口ヒゲのオルグレン宰相が、瞑目して首を振る。
「殿下には申し訳ないが、我々としても苦渋の決断だったのだ。どうかわかっておくれ」
フィオナの小さな手を取って、あやすようにポンポンと叩くのは、白い山羊ヒゲのアーネット神官長。
「フィオナ、あなたが王女でなくなっても、わたしがあなたの母には変わりないのよ」
フィオナと同じ髪色と瞳を持つセシリア王妃が目元をそっと拭う。
「そうだぞ。これからもフィオナは僕のかわいい妹だ。淋しい時はいつでも手紙を書いてくれ」
十歳離れた兄、クレイグ王太子は明るい空色の瞳を細めて、やさしく微笑みかけてくる。
そんな彼らに対して、フィオナはニコリと笑ってみせた。
「どうかわたしのことは心配しないで。これも国のため、世界のためですもの。アングレシアの王女として生まれたからこそ、この責務を果たします」
王妃が泣き崩れ、国王は慰めるようにその肩を抱く。そんな両親を見て、フィオナは少々良心が痛んだ。
(『責務』なんて大げさに言ったけど、要は『何もしないこと』なんだもの……)
***
六年後――
十六歳になったフィオナは、今日も今日とてベッドに寝転がって、今朝届いたばかりの本を読んでいた。
フィオナの幽閉生活はというと、極めて順調に進んでいる。
ベッドとチェスト、本棚、デスクがあるだけで手狭になる部屋ではあるが、牢獄ほど殺風景ではない。家具はどれも王宮で使っていたものなので、細工のおしゃれな輸入品。ベッドカバーは白地にバラの刺繡が入ったもの。もっとも、フィオナは本さえあれば、部屋の内装などどうでもよかったりする。
何より、人との接触が最低限しかないこの環境が好ましい。義務と言えば、毎晩決まった時間に中央大神殿に行って、入浴代わりの沐浴と礼拝をすることのみ。それ以外は完全に自由時間。食事は一日三回運ばれてくるし、昼寝をしていてもいい。
フィオナはそのほとんどの時間を読書に費やしていた。頼めば、いくらでも新しい本が届けてもらえるこの贅沢仕様は、王女の身分を失った今も健在だ。
基本的に何のジャンルの本でも読むが、中でも一番面白いのはミステリー。
アングレシア王国に印刷技術はないので、書籍はすべて輸入品になる。特に南のラグナータ帝国にはミステリー作家が多いらしく、ストーリーもトリックも質が高い。うっかりすると、寝る時間も忘れて朝まで夢中で読みふけってしまうこともある。
お気に入りは、なんといっても『名探偵セベット』シリーズ。まだ三巻までしか読んでいないが、帝国ではすでに続きが何冊も出ているらしい。注文はしてもらっているのだが、アングレシアに届くまでにはかなり時間がかかる。
不便といえばその程度で、正直これ以上ないくらい最高の毎日だ。
(こんな生活を死ぬまで送れるなんて、なんて幸せなのかしら)
そんなことを日々感謝していたのだが――
コンコンコン、と部屋のドアを控えめに叩く音が聞こえる。
夕食も終わり、今日の沐浴と礼拝も済ませた。あとは寝るまでの時間、本を読むだけになっている。小さな高窓から見えるのは、切り取られた夜の星空。こんな時間に誰かが訪ねてくる予定はない。
気のせいかと思ってフィオナが黙っていると、再びノックの音が聞こえてくる。
やはり誰か訪ねて来たらしい。
「フィオナ姫」
自分を呼ぶ男の声が聞こえて、フィオナはビクリと本を放り出して飛び起きていた。
知らない男の声だ。
ドアに鍵はかかっていないが、この部屋のある
だいたい、『フィオナ第三王女』は公には死亡したことになっている。葬儀が行われ、空っぽのお墓もある。ここで呼ばれる名は、『フルーラ』。今頃になって『フィオナ姫』と呼ぶ人物にも心当たりはない。
(曲者……!? いえいえいえ、この国にそんな人間がいるはずがないわ)
フィオナの頭の中が自問自答でいっぱいになる中、ドアはゆっくりと開かれた。
「フィオナ姫、失礼するよ」と――
姿を現したのは、フィオナより少し年上と思われる長身の青年だった。
ひと目で神官ではないとわかったのは、黒の軍服に同色のマントを羽織った姿が目に入ったからだ。神官ならば、邪を祓う白のフード付きローブをまとい、誰かを特定させない白い仮面を付けている。
炎の光できらめく漆黒の髪が縁取る青年の顔は、後にも先にも男性に対して使うことはないだろう『麗しい』の一言がふさわしい。
(まるで災厄の精霊が顕現したかのようだわ……)
フィオナはその美しさに見とれてしまったものの、こんな時間に年頃の女性の部屋を約束もなく訪ねる男は怪しすぎる。
「ど、どなたですか!?」
フィオナはベッドから飛び降りたものの、入口は青年に塞がれていて、逃げ場がない。
悲鳴を上げようとして、この近くを通りがかるような人がいないことを思い出した。王宮とは違い、助けを呼んだところで誰も来るはずがない。
「僕のことをお忘れですか?」
一歩一歩近づいてくる青年から離れようと、フィオナはじりじりと後ずさる。
「あなたのようなきれいな男性、一度見たら忘れないと思いますけど……?」
この上なく危険人物でしかない青年は、切れ長の薄紫の瞳を細めて、うれしそうに笑みをこぼした。
「それならよかったです」
「え、何が『よかった』……?」
「フィオナ姫、あまり長居もできませんから、詳しい話は後にしましょう。今は静かにしていてください」
フィオナの背が壁に当たったかと思うと、青年の手がさっと口元に伸びてきた。口に押し付けられる布から、甘ったるい嫌な香りがする。
フィオナは襲ってくる激しい睡魔に抗うこともできず、全身から力が抜けるのを感じた。
(これって、もしかして人さらい……!?)
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