第2話 花子さん、現る!
「晴夜くん速いよ」
わたしは晴夜くんに、やっとのことで追いついた。
持久走のあとみたいに息が上がっている。
ゼーゼーと呼吸を整えていると、晴夜くんのクスクスという笑い声がした。
「ごめんごめん。ゼロは体力が無いんだった」
もうっ! 絶対わざとでしょ。
わたしがほっぺをふくらませると、晴夜くんはまた笑う。
それからわたしのほっぺを、指でツンとつついた。プッと空気が外に出ていく。
「やわらかい」
晴夜くんは、にやけるのを必死にこらえているみたい。
「ねえ晴夜くん、わたしはおもちゃじゃないからね」
「わ、わかってるよ」
わたしが少し不機嫌そうに言うと、晴夜くんはフイと顔を背けた。
「あそこ、花子さんの女子トイレだよ」
顔を向けた先に目的地である女子トイレがあって、晴夜くんはそこを指さした。
「あっ、そうだった。花子さんを呼び出しに来たんだ」
わたしは、女子トイレの出入り口に近づいた。
そっと中をのぞくと、不気味な雰囲気がした。
まだ何もいないのに、ブルッと身震いしてしまう。
理由は、このトイレだけが古くてボロいことにあると思う。
――何十年前も昔のお話。
古くなったトイレを新しくする工事をしようとしたら、怪我人が出たらしい。幼い女の子の声も聞こえてきたとか……。
それで、ここだけ工事できなかったんだって。
「行っておいで。僕は、ここで待ってるから」
トイレの様子をうかがっていると、後ろで晴夜くんが言った。
振り返ると、晴夜くんは廊下の壁にもたれかかって、いつの間にカバンから取り出したのか、国語辞典を手に持っている。
晴夜くんの愛読書は、まさかの国語辞典なんだ。
びっくりしちゃうよね。クラスメイトも、みんな最初はおどろいていたけれど、とくに何も言わなかった。
「国語辞典、重くないの? 朝読で読んでた文庫本なら軽くて楽なんじゃない?」
「文庫本は朝読用だから、机の引き出しにおいてるんだ。朝読で国語辞典を読むと叱られるからさ……。ほら、早く行きな。先に帰ったりしないから」
先に帰られる心配はしていないよ。
「うん」
わたしはうなずくとトイレに入って、3番目の個室の前に立った。
不気味な感じも、ひどくなった気がする。
肺に入る空気が重い。
(大丈夫、怖くない)
深呼吸して、気持ちを引きしめる。
コン、コン、コンとノックした。
「花子さん、遊びましょう」
しばらく待ってみたけれど、シンと静まっているだけで何も起きない。
「……」
やっぱり、ただの噂話なんだ……。そうだよね。花子さんなんて、現実にいるわけがないもん。
ガッカリする気持ちと安心する気持ちが、同時に存在している。
トイレを出るために歩きはじめたとき、キィ……と、小さな音がした。
――扉が、開いた?
でもわたし、ノックしただけで開けてないよ……?
「ねぇ……」
ゾッと背筋が凍る。
子どもの声だ。
胸がドクンドクンと大きく脈打った。
「なんにも起こらないとでも、思った?」
足がすくんで動かない。振り返ることすらできない。
ただ、何かが近づいてきていることはわかった。
「――ばあっ!」
「キャーッ!!!」
目の前に影が出てきて、思い切り叫んだ。
自分で言うのもおかしいかもしれないけど、何かの事件に巻き込まれたのでは……と考えるくらいの悲鳴だったと思う。
けれど、前に立っている子を見て目が点になってしまった。
「こっ、子ども……!?」
目に入ったのは、1人の女の子。
前髪を眉上で切りそろえたおかっぱ頭に、オレンジ色のヘアピンをつけていて、白いブラウスに赤い吊りスカート。
まさに花子さんだけど見た目の年齢は小学生くらいで、クリっとした大きな丸い目が可愛い。
女の子は「えっ……」と、耳をすまさないと聞こえないような小さい声を出した。
「ふ、普通に話せるの? おかっぱだよ? 赤いスカートだよ!? トイレの花子さんだよぉぉぉ!?」
子ども特有の、舌足らずな幼気のある声だ。
わーっと大きく手を広げて、ただでさえ大きい目をまんまるにしている。
「可愛くてびっくりしちゃった。わたし、神在月零って言うの。あなたの名前は?」
女の子が、全然お化けらしくないからか、さっきまでの恐ろしさは、すっかりなくなっていた。
人間に接するように、普通に話せている。
「花子だよ!
花子さん――花ちゃんは、にこーっと無邪気な笑顔になる。
あまりにも可愛らしくて、キュンっと胸がうずいた。
わたしの名字を久しぶりに聞いたって、昔も神在月っていう名字の人がいたのかな?
でも、家族以外に同じ名字の人に会ったことがないんだけど……。もしいるなら、会ってみたいなぁ。
「神在月零ちゃん、いらっしゃい! 今日は1人で来たの?」
花ちゃんは、目をらんらんと輝かせてワクワクしている。
とっても可愛くて、つい答えてしまった。
「ううん、幼なじみがトイレの外にいるの。わたしを待ってくれているんだ」
「へぇー」
花ちゃんが、キラリと瞳を光らせた。
空中浮遊して、ものすごい勢いでトイレの外に出ていく。
ちょっと待って、花ちゃん!
わたしは、すぐに追いかける。
トイレの外に出なきゃと思って出入り口に向かって、なんとびっくり。
花ちゃんが、晴夜くんに激突するところだった。
ゴチンッとすごい音がする。
「いたぁいぃ……」
「いったあ…………!!」
花ちゃんは泣き出しそうに、大きな目をうるうると揺らして、晴夜くんはおでこに手をあてて、うずくまっている。
「大丈夫……?」
「だ、大丈夫……」
わたしが聞くと、晴夜くんはうなずいた。
めちゃくちゃ痛そうだし、大丈夫に見えないよ。
「ところで晴夜くん、なんで入口近くにいるの?」
さっきまで、廊下の壁のそばにいたよね?
「だって、ゼロの悲鳴がすごかったから……。すぐにでも駆けつけたかったけど、さすがに女子トイレは入れないじゃん」
「あ……そっか」
そりゃあそうだよね。晴夜くんは男の子だもん。
今さらだけど、カンナちゃんはどうして、わざわざ晴夜くんに頼んだんだろう。
ついてくるなら、男の子の晴夜くんよりも女の子のカンナちゃんのほうが良かったんじゃ……。
「ねえねえ銀色の髪の男の子くん、君の名前は?」
ついさっきまで泣きそうだったのに、花ちゃんは晴夜くんに笑顔を向ける。
「え? えっと、相滝晴夜……です……」
晴夜くん、すごく嫌そう……。
一歩後ずさって、苦虫を噛み潰したような顔をするほど。
「ふぅーん……。よろしくね!」
名前を聞いたとたん、温度が一気に下がったように花ちゃんの目が冷たくなる。
晴夜くんを舐め回すように見たあと、ニコッと笑顔になって小さな手を差し出した。
「よ、よろしく……」
晴夜くんは、引きつった愛想笑いをしながら、花ちゃんと握手する。
花ちゃんから離れると、わたしの耳に唇を近づけて小さな声で言った。
「花子さん、なんかイメージと違うんだけど。ゼロ、どう思う?」
「うん……まさか、こんなに小さな女の子だなんて……」
「花ちゃんは、小学校3年生の9歳だよ!」
花ちゃんは、きいてもいないのに言った。
続けて、わたしに向き合う。
「ゼロって言われてるんだね。じゃあ花ちゃんも君のこと、ゼロちゃんって呼ぶね!」
「う、うん。いいよ」
わたしがうなずくと、今度は晴夜くんに向き合った。
「それで、えっと君は、銀髪くん(仮)ね」
「晴夜の方が、言いやすくない?」
「これでいいのー!」
花ちゃんはムーっと、やわらかそうなほっぺをふくらませる。
晴夜くんは呆れたように、小さなため息をついた。
その直後「あれ?」と声を出す。
「さっき、ぶつかったよね。なんで、妖怪なのに触れるの?」
わたしも不可解なことに気づく。
たしかに、お化けには触れないイメージがある。
通り抜けちゃうんじゃないのかな。
肉体がないわけだから、触れられるわけがない。
「まれにいるの。生きてるのに、お化けに触れる子。例えばぁ……祓い屋とか、霊感が強いとか!」
じゃあ、わたしたちは霊感が強いってことかな?
でも、今までお化けなんて、見たことないのに……不思議。花ちゃんが初めてだよ。
「妖怪なんて、町の中で見たことないけど」
晴夜くんも、わたしと同じみたい。
わたしと晴夜くんは、顔を見合わせると首をかしげた。
「ところで、君を呼び出したらどうなっちゃうの? 花子さんが現れたあとの話を、一度も聞いたことがないんだよね」
晴夜くんが今思いついたように、花ちゃんに質問した。
「知りたい?」
花ちゃんは、笑顔を見せる。
無邪気な笑顔のはずなのに、少し怖く感じた。
「花ちゃんは、お化けだよ? 何もしないわけないよねっ!」
花ちゃんは、どこからか、スルスルと花の形をした杖を取り出した。
鮮やかなピンク色の花で、見た目はヒガンバナのよう。でも、ヒガンバナは赤くないっけ?
「……それ、ネリネ?」
晴夜くんが、花ちゃんに聞く。
ネリネ……って、何?
「別名『ダイヤモンドリリー』という花だよ。花言葉は『幸せな思い出』『また会う日を楽しみに』とかだね」
「よく知ってるね」
「えへへぇ」
晴夜くんは、ニッコリ笑った。
わたしがかけた言葉が、嬉しかったのかな。
「物知りだねぇ。でもでも、そんなお話してる暇があるなら逃げたらよかったのに」
花ちゃんは、顔いっぱいに笑顔を広げた。
花の杖を天井へ向けて、一振りした。
「キラキラ・ヒラヒラ・お花さん! 花ちゃんワールドに連れてって!」
そのとたん、わたしたちは光に包み込まれた。
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