第2話 花子さんとお化け屋敷

「晴夜くん速いよ」

 わたしは晴夜くんに、やっとのことで追いついた。

 持久走のあとみたいに息が上がっている。

 ゼーゼーと呼吸を整えていると、晴夜くんのクスクスという笑い声がした。

「ごめんごめん。ゼロは体力が無いんだった」

 もうっ! 絶対わざとでしょ。

 わたしがほっぺをふくらませると、晴夜くんはまた笑う。

 それからわたしのほっぺを、指でツンとつついた。プッと空気が外に出ていく。

「やわらかい」

 晴夜くんは、にやけるのを必死にこらえているみたい。

「ねえ晴夜くん、わたしはおもちゃじゃないからね」

「わ、わかってるよ」

 わたしが少し不機嫌そうに言うと、晴夜くんはフイと顔を背けた。

「あそこ、花子さんの女子トイレだよ」

 顔を向けた先に目的地である女子トイレがあって、晴夜くんはそこを指さした。

「あっ、そうだった。花子さんを呼び出しに来たんだ」

 わたしは、女子トイレの出入り口に近づいた。

 そっと中をのぞくと、不気味な雰囲気がした。

 まだ何もいないのに、ブルッと身震いしてしまう。

 理由は、このトイレだけが古くてボロいことにあると思う。

 ――何十年前も昔のお話。

 古くなったトイレを新しくする工事をしようとしたら、怪我人が出たらしい。幼い女の子の声も聞こえてきたとか……。

 それで、ここだけ工事できなかったんだって。

「行っておいで。僕は、ここで待ってるから」

 トイレの様子をうかがっていると、後ろで晴夜くんが言った。

 振り返ると、晴夜くんは廊下の壁にもたれかかって、いつの間にカバンから取り出したのか、国語辞典を手に持っている。

 晴夜くんの愛読書は、まさかの国語辞典なんだ。

 びっくりしちゃうよね。クラスメイトも、みんな最初はおどろいていたけれど、とくに何も言わなかった。

「国語辞典、重くないの? 朝読で読んでた文庫本なら軽くて楽なんじゃない?」

「文庫本は朝読用だから、机の引き出しにおいてるんだ。朝読で国語辞典を読むと叱られるからさ……。ほら、早く行きな。先に帰ったりしないから」

 先に帰られる心配はしていないよ。

「うん」

 わたしはうなずくとトイレに入って、3番目の個室の前に立った。

 不気味な感じも、ひどくなった気がする。

 肺に入る空気が重い。

(大丈夫、怖くない)

 深呼吸して、気持ちを引きしめる。

 コン、コン、コンとノックした。

「花子さん、遊びましょう」

 しばらく待ってみたけれど、シンと静まっているだけで何も起きない。

「……」

 やっぱり、ただの噂話なんだ……。そうだよね。花子さんなんて、現実にいるわけがないもん。

 ガッカリする気持ちと安心する気持ちが、同時に存在している。

 トイレを出るために歩きはじめたとき、キィ……と、小さな音がした。

 ――扉が、開いた?

 でもわたし、ノックしただけで開けてないよ……?

「ねぇ……」

 ゾッと背筋が凍る。

 子どもの声だ。

 胸がドクンドクンと大きく脈打った。

「なんにも起こらないとでも、思った?」

 足がすくんで動かない。振り返ることすらできない。

 ただ、何かが近づいてきていることはわかった。

「――ばあっ!」

「キャーッ!!!」

 目の前に影が出てきて、思い切り叫んだ。

 自分で言うのもおかしいかもしれないけど、何かの事件に巻き込まれたのでは……と考えるくらいの悲鳴だったと思う。

 けれど、前に立っている子を見て目が点になってしまった。

「こっ、子ども……!?」

 目に入ったのは、1人の女の子。

 前髪を眉上で切りそろえたおかっぱ頭に、オレンジ色のヘアピンをつけていて、白いブラウスに赤い吊りスカート。

 まさに花子さんだけど見た目の年齢は小学生くらいで、クリっとした大きな丸い目が可愛い。

 女の子は「えっ……」と、耳をすまさないと聞こえないような小さい声を出した。

「ふ、普通に話せるの? おかっぱだよ? 赤いスカートだよ!? トイレの花子さんだよぉぉぉ!?」

 子ども特有の、舌足らずな幼気のある声だ。

 わーっと大きく手を広げて、ただでさえ大きい目をまんまるにしている。

「可愛くてびっくりしちゃった。わたし、神在月零って言うの。あなたの名前は?」

 女の子が、全然お化けらしくないからか、さっきまでの恐ろしさは、すっかりなくなっていた。

 人間に接するように、普通に話せている。

「花子だよ! はなちゃんって呼んで! 神在月って名字、久しぶりに聞いたぁ」

 花子さん――花ちゃんは、にこーっと無邪気な笑顔になる。

 あまりにも可愛らしくて、キュンっと胸がうずいた。

 わたしの名字を久しぶりに聞いたって、昔も神在月っていう名字の人がいたのかな?

 でも、家族以外に同じ名字の人に会ったことがないんだけど……。もしいるなら、会ってみたいなぁ。

「神在月零ちゃん、いらっしゃい! 今日は1人で来たの?」

 花ちゃんは、目をらんらんと輝かせてワクワクしている。

 とっても可愛くて、つい答えてしまった。

「ううん、幼なじみがトイレの外にいるの。わたしを待ってくれているんだ」

「へぇー」

 花ちゃんが、キラリと瞳を光らせた。

 空中浮遊して、ものすごい勢いでトイレの外に出ていく。

 ちょっと待って、花ちゃん!

 わたしは、すぐに追いかける。

 トイレの外に出なきゃと思って出入り口に向かって、なんとびっくり。

 花ちゃんが、晴夜くんに激突するところだった。

 ゴチンッとすごい音がする。

「いたぁいぃ……」

「いったあ…………!!」

 花ちゃんは泣き出しそうに、大きな目をうるうると揺らして、晴夜くんはおでこに手をあてて、うずくまっている。

「大丈夫……?」

「だ、大丈夫……」

 わたしが聞くと、晴夜くんはうなずいた。

 めちゃくちゃ痛そうだし、大丈夫に見えないよ。

「ところで晴夜くん、なんで入口近くにいるの?」

 さっきまで、廊下の壁のそばにいたよね?

「だって、ゼロの悲鳴がすごかったから……。すぐにでも駆けつけたかったけど、さすがに女子トイレは入れないじゃん」

「あ……そっか」

 そりゃあそうだよね。晴夜くんは男の子だもん。

 今さらだけど、カンナちゃんはどうして、わざわざ晴夜くんに頼んだんだろう。

 ついてくるなら、男の子の晴夜くんよりも女の子のカンナちゃんのほうが良かったんじゃ……。

「ねえねえ銀色の髪の男の子くん、君の名前は?」

 ついさっきまで泣きそうだったのに、花ちゃんは晴夜くんに笑顔を向ける。

「え? えっと、相滝晴夜……です……」

 晴夜くん、すごく嫌そう……。

 一歩後ずさって、苦虫を噛み潰したような顔をするほど。

「ふぅーん……。よろしくね!」

 名前を聞いたとたん、温度が一気に下がったように花ちゃんの目が冷たくなる。

 晴夜くんを舐め回すように見たあと、ニコッと笑顔になって小さな手を差し出した。

「よ、よろしく……」

 晴夜くんは、引きつった愛想笑いをしながら、花ちゃんと握手する。

 花ちゃんから離れると、わたしの耳に唇を近づけて小さな声で言った。

「花子さん、なんかイメージと違うんだけど。ゼロ、どう思う?」

「うん……まさか、こんなに小さな女の子だなんて……」

「花ちゃんは、小学校3年生の9歳だよ!」

 花ちゃんは、きいてもいないのに言った。

 続けて、わたしに向き合う。

「ゼロって言われてるんだね。じゃあ花ちゃんも君のこと、ゼロちゃんって呼ぶね!」

「う、うん。いいよ」

 わたしがうなずくと、今度は晴夜くんに向き合った。

「それで、えっと君は、銀髪くん(仮)ね」

「晴夜の方が、言いやすくない?」

「これでいいのー!」

 花ちゃんはムーっと、やわらかそうなほっぺをふくらませる。

 晴夜くんは呆れたように、小さなため息をついた。

 その直後「あれ?」と声を出す。

「さっき、ぶつかったよね。なんで、妖怪なのに触れるの?」

 わたしも不可解なことに気づく。

 たしかに、お化けには触れないイメージがある。

 通り抜けちゃうんじゃないのかな。

 肉体がないわけだから、触れられるわけがない。

「まれにいるの。生きてるのに、お化けに触れる子。例えばぁ……祓い屋とか、霊感が強いとか!」

 じゃあ、わたしたちは霊感が強いってことかな?

 でも、今までお化けなんて、見たことないのに……不思議。花ちゃんが初めてだよ。

「妖怪なんて、町の中で見たことないけど」

 晴夜くんも、わたしと同じみたい。

 わたしと晴夜くんは、顔を見合わせると首をかしげた。

「ところで、君を呼び出したらどうなっちゃうの? 花子さんが現れたあとの話を、一度も聞いたことがないんだよね」

 晴夜くんが今思いついたように、花ちゃんに質問した。

「知りたい?」

 花ちゃんは、笑顔を見せる。

 無邪気な笑顔のはずなのに、少し怖く感じた。

「花ちゃんは、お化けだよ? 何もしないわけないよねっ!」

 花ちゃんは、どこからか、スルスルと花の形をした杖を取り出した。

 鮮やかなピンク色の花で、見た目はヒガンバナのよう。でも、ヒガンバナは赤くないっけ?

「……それ、ネリネ?」

 晴夜くんが、花ちゃんに聞く。

 ネリネ……って、何?

「別名『ダイヤモンドリリー』という花だよ。花言葉は『幸せな思い出』『また会う日を楽しみに』とかだね」

「よく知ってるね」

「えへへぇ」

 晴夜くんは、ニッコリ笑った。

 わたしがかけた言葉が、嬉しかったのかな。

「物知りだねぇ。でもでも、そんなお話してる暇があるなら逃げたらよかったのに」

 花ちゃんは、顔いっぱいに笑顔を広げた。

 花の杖を天井へ向けて、一振りした。

「キラキラ・ヒラヒラ・お花さん! 花ちゃんワールドに連れてって!」

 そのとたん、わたしたちは光に包み込まれた。

 わたしはギューッと目をつむる。

 眩しさがなくなって、そっと目を開く。

「……!」

 視界に入ったのは、遊園地とお花畑だ。

 色んなアトラクションから、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

「なっ……何これ!?」

 遊園地なんて、テレビでしか見たことがないよ。

「パンジー、ツルハナナス、シロツメクサ、チグリジア……」

 晴夜くんが、花の名前を呟いた。

 パンジーと、シロツメクサ……は、よく聞くやつだ。

 けど、ツルハナナスとチグリジアって……?

 聞いたことない名前だ。

 晴夜くん、植物好きって言っていたっけ。

「いや、植物は母さんが好きなだけ。花子さん、ここは何?」

「ここはね、花ちゃんワールドだよ! 花ちゃんがつくったの!」

 花ちゃんが、大きく両腕を広げて、うれしそうに言った。

「ここでは、みーんな生きてるの!」

「それ、どういうこと? 生きてるのは当たり前じゃ……?」

 晴夜くんが、花ちゃんに尋ねる。

「死んじゃった子も、ここでは生きることができるんだよ! すごいでしょ?」

 花ちゃんは満面の笑みだ。

「へー。死んじゃったヒトからしたら、最高だね!」

 晴夜くんは、パッと笑顔になって、花ちゃんにキラキラした表情を向けた。

「花ちゃんワールドは、すごいんだよっ!」

 花ちゃんと晴夜くんは、キャッキャと話す。

「せっかく来たんだから、みんなで遊ぼ! 花ちゃんが案内したげる!」

「それ、いいね!」

 楽しんできてね。

 わたしは、そのへんで2人の様子を見ることにするよ。

「え、なんで?」

「……へ?」

 理解するのに、数秒かかった。

「いや、わたしはいいよ」

「花子さん、どんなアトラクションがあるの?」

 晴夜くんは、花ちゃんに質問を始めた。

 あれ? 断ったよね? 聞こえたかな?

 うん、きっと聞こえたよね。2人で遊ぶんだよね。

「観覧車、メリーゴーラウンド、コーヒーカップ、ジェットコースター、お化け屋敷ぃ!」

 晴夜くんに質問してもらえたのがうれしいのか、花ちゃんが元気に答える。

「観覧車……メリーゴーラウンド……!」

 わたしは、思わず繰り返した。

 すぐに、「あっ」と声を出す。

 興味あるの、バレてない……よね?

 さっき断ったし、興味ないって思われたはずだし……。

 でも、わたしの口から漏れた言葉を、晴夜くんは聞き逃さなかったみたい。

「ゼロ、遊園地に行ったことないんだよね。観覧車も、メリーゴーラウンドも、もちろん、お化け屋敷も入ったことないでしょ」

「うっ、うん……」

 晴夜くんの言う通り。

 わたしは遊園地に行ったことがない。

 この町は広いから一応娯楽はあるんだけど、遊園地や水族館のようなものはない。

 晴夜くんくらいだよ、遊園地に行ったことがあるのは。

「そんな君に朗報だよ!」

 何? 晴夜くん。

 楽しそうだけど、何か悪いこと考えてない?

「初めての遊園地は、お化け屋敷にレッツゴー!」

 え……お化け屋敷……?

「あ、あの〜……晴夜くん。わたしね、お化け屋敷はちょっと……」

「大丈夫。死にゃしない」

 たしかに、死なないだろうけど! そりゃあお化け屋敷だもん。スリルはあるかもしれないけど、死人が出るようなものじゃないでしょ。

 そういうことじゃなくって、お化け屋敷なんて入ったことないし、どんな場所かもわかんないし、絶対怖いし……。

「お化け屋敷ってどこ?」

「行かないからねっ!」

「化け物相手に怖がってるゼロを見るのって、面白そう」

 うっ。平然と言ってきたよ……。

 昔から、こうなのよね。わたしには、特に。

「ゼロちゃんと2人で入るの?」

 え、そんなわけ。

 だって、晴夜くんはお化け屋敷なんて興味ないでしょ。

 わたしが怖がるのを見たいだけ。

「そーそー。ゼロが、怖がるのを見たいだけ」

 だよね〜。

 ……ん?

「わたしが怖がるのを見たい……? それって、中に入らないと見れないんじゃないの?」

「あ、バレた?」

 ニヤと笑う晴夜くん。やっと気づいたか、という表情をしている。

 つ、つまり、お化け屋敷に2人きりってこと……!?

「花ちゃんもいるよ! 大丈夫だよ、ゼロちゃん!」

 な、なんだ、よかった。

 わたしは、ホッとした。

 晴夜くんと2人きりなんて、何があるかわかんないからね。

 晴夜くんが、お化けと協力して、わたしを脅かすかも……。

「え〜、銀髪くん(仮)、そんなことするのぉ?」

「やっぱり晴夜のほうが、言いやすくない?」

「ううん。銀髪くん(仮)がいいの。お化け屋敷だったよね! 花ちゃんが連れてってあげる!」

 花ちゃんは、にっこり笑顔になると「こっちだよ〜!」と、進み始めた。

 ああ、嫌だなぁ……。

 わたしは、晴夜くんと一緒に、花ちゃんについていく。

 しばらく歩くと、廃病院を模したような建物が見えてきた。

「これが、お化け屋敷だよぉ!」

「でっかぁ」

 晴夜くんが、のほほんとして言う。

 なんで怖がらないの? わたし、雰囲気だけで怖いよ。

「僕は怖いの耐性あるから」

「それはそれで、おもしろくなさそう」

「入らないの?」

 花ちゃん、それはあまりにも容赦ないんじゃないかな。

「ゼロちゃん? 入らないの?」

 そんな純粋無垢な目で見つめないで。

 まだ覚悟を決める時間が必要なの。

「そろそろいい?」

「あとちょっとだけ待ってもらっていいかな……」

 わたしは、お化け屋敷を見上げる。

 これが夜だったら、入る前から泣いていたかもしれない。

 でも、大丈夫だよね。

 まだ明るいし、晴夜くんと花ちゃんがいるもん。

 ようし……。

「行こう」

 わたしは気持ちを固めた。

 晴夜くんと花ちゃんは、にっこりほほ笑む。

「いざ、突入〜!」

 元気にお化け屋敷に入っていく花ちゃん。

 わたしは、震える足を引きずりながら、晴夜くんと一緒に入口を通った。

 あっという間に真っ暗闇だ。

 そんな中でも、花ちゃんの姿はよく見える。

 暗闇に浮かび上がるように、身体が光っているんだ。

「ここにある懐中電灯を、1つ取ってね」

 花ちゃんが、壁にかけられている懐中電灯を指差す。

 晴夜くんは、一番近くにあったものを手に取った。

 カチッと電源をONにする。

 真っ暗闇だった視界が、ぼうっと明るくなった。

 ここは、どうやら受付のようだ。

 カウンターがあって、待合席も4席ずつ6列ある。

 誰も座っていない。寂しくて不気味な雰囲気を感じる。

 この暗さにも目が慣れてきて、どこに何があるのか、なんとなくわかるくらいになった。

 そのせいで、余計に恐怖が増す。

「ねえ、怖い……」

 ギュッと、晴夜くんのブレザーの袖を握った。

「お化け屋敷なんだから、当たり前だよ」

 晴夜くんは、いつも通りの口調で、懐中電灯のライトであちこちを照らす。

 なんだか、一気に挙動不審になったような……。

 さっきまで、そんなに周りを見てなかったよね?

「……あのさ、服つかんでなきゃ駄目なの?」

 晴夜くんが、わたしに顔を向けた。

 困った顔だ。

「だっ、ダメなの!」

 わたし、オカルトは大好きだけど、怖いのは苦手なんだから!

「……絶対に離れないでね」

「? 晴夜くん……」

 急にどうしたの? と、言おうとした。

「シッ」

 晴夜くんが、わたしの口に人差し指を当てる。

 それで、わたしは言葉を飲み込んでしまった。

「何かいる」

 何も見えないけど?

 首をかしげていると、晴夜くんがわたしに懐中電灯を押し付けた。

「持ってて」

 それから、両手でわたしの目をふさぐ。

「えっ、何?」

「グロイのいる。見ないほうがいいよ」

 グロイの!?

 わたし、グロ耐性ないから、晴夜くんが気づいてくれて良かった。

 でも、やっぱり気になっちゃう。

「……どんなの?」

「血だらけのネコ。黒ネコかな? 廊下に倒れてる」

「絶対、手離さないでね? お願いだよ?」

「ダイジョーブ、離さないから。前照らして」

 うーん。晴夜くんの大丈夫は、あんまり信用ならないんだけど……。

 でも、さすがに、この状況で嘘はつかないよね?

 なんて考えながら、言われたとおり前を照らした……と思う。

 目をふさがれていて、ライトがどうなっているかわからないんだよね。

「それでオッケー。進もうか。ここに止まってても、お化け屋敷は抜けられないよ」

「う、うん。そうだよね」

 わたしは、目をふさがれたままうなずく。

 前は照らせているみたいだし、大丈夫。

「ゼロ、足出して」

「うん」

 よ、よし。わたしからは、お化けは見えないし、きっと平気だ。

 わたしは晴夜くんに言われたとおり、一歩踏み出す。

「花ちゃんも行く〜!」

 花ちゃんの楽しそうな声が聞こえた。

 元気だなぁ。お化けだもんね。お化け屋敷は怖くないだろうな。

「ゼロ、ゆっくりね」

 わたしは、晴夜くんの指示通りに進む。

 晴夜くん、いつまで目をふさぐつもりだろう。

「そう、そのまま……そうそう、いい感じ」

 ふふ。晴夜くん、お兄ちゃんみたい。

 お化け屋敷にいるのに、どうしてか、今は怖くない。

「グロイの通り過ぎたよ。手、離していい?」

「うん。ありがとね」

 晴夜くんの手が離れると、視界が広がった。

 ここは、階段の前?

 手に持っている懐中電灯で、道の先を照らす。

 階段が気になって、少し近づいた。

 階段には、ところどころ蝕まれた木の板が、大量に転がっている。

 そのせいで、階段を登れなくなっていた。

 でも、無理すれば登れそうな気もしなくもない。

「ここ、なんの階段かな? ねえねえ、晴夜くん」

 わたしは、晴夜くんを振り返る。

 そこにいたのは、晴夜くんじゃない。

 なんと、人体模型だ。

 左目がはまっているべき穴から、目玉がドロッとこぼれ落ちる。

「キャーッ!?」

 何あれ何あれ何あれ!?

 悲鳴をあげながら、猛ダッシュで逃げ出した。

「ちょっ、ゼロ!」

 左手をグイッと強く引かれる。

 横の通路に引っ張り込まれた。

 そこには、晴夜くんと花ちゃんがいた。

 2人とも、心配そうな顔をしている。

「ヘーキ?」

「う、うん……。怖いのが、いただけ……」

「ごめんね、ゼロちゃん。みんな、驚かせるのが大好きだから……。『怪我はさせないでね』って約束してるから、安心してね!」

 うん、それはわかったよ。

 それより2人とも、いつの間にこっちの道に行ってたの?

「ごめん。ゼロが、階段に興味を示してるから、好きなのかなって。邪魔しちゃ悪いと思った」

 好きなわけないでしょ!? 階段が気になっただけだよ。

「そーなんだ? ごめんね」

「ううん。大丈夫」

 わたしは、晴夜くんに懐中電灯を渡した。

「もっかい、先に歩いてほしいな……。お願い!」

「うん。わかった」

「ありがとう!」

 晴夜くんが怖いの苦手じゃなくて、よかった。

 2人とも苦手だったら、進めなかったかもしれないもん。

「ゼロちゃん、銀髪くん(仮)、まだぜーんぜん進めてないよぉ。もっと頑張って! ほら、レッツゴー!」

 花ちゃんが、にっこにこの笑顔で言う。

 晴夜くんの左手を取ると、「早く早く!」と言いながら、引っ張っていく。

「あっ、待って!」

 わたしは、遠ざかる晴夜くんの右手をつかんだ。

 すると、晴夜くんがわたしを振り返る。

「あのねぇ……。心臓に悪い」

「え? どうして?」

「お化け屋敷なんだからさあ……」

 あ、そっか。お化けとわたしの見分けが、つかないんだね。

「……そういうことにしておくよ」

「ちがうってこと?」

「合ってますぅ」

 そんな会話をしながら、わたしたちは進んでいく。

 晴夜くんは「心臓に悪い」と言っておきながら、わたしの手を握り返していた。手を離さずに、歩き続ける。

 お化け屋敷なのに、話しすぎるからかな。

 お化けは、まったく出てこない。

 でも、遠目に見られている感じはする。

 バクバクと音を立てる心臓の鼓動を感じながら、周りを見渡す。

「クスクス」

 笑い声?

 思わず、足を止めた。

 晴夜くんも、懐中電灯であたりを照らしている。

「何もいないな……」

「でも、笑い声がしたよね?」

「うん。……って、お化け屋敷だから普通か」

「そうなの?」

「だって、お客を怖がらせるのが目的だもの」

 晴夜くんは、怖さを吹き飛ばすように笑う。

 そのおかげが、恐ろしさが少しだけマシになった。

 と、そのとき、カチッ、カチカチ……と、懐中電灯のライトが消えてしまった。

「あれ?」

「な、なんで……? 花ちゃん、これ……」

「電池が切れたのかな?」

 晴夜くん、こんなときにいつも通りでいなくてもいいよ。

 懐中電灯の電池をはめ込むところを探さないで。

 こんなチグハグな雰囲気、頭がこんがらがっちゃう。

「おかしいなぁ。電池ないよー」

 この暗さの中で、見つけられるわけないよね?

 どうしちゃったの、晴夜くん。

「うん。ないよぉ」

 花ちゃんは、満面の笑みで言いのけた。

 も、もしかして、花ちゃんのたくらみ?

「花子さん、駄目だよ。懐中電灯のライトが切れることも、演出の一部だなんて。転んじゃったら、危ないでしょ?」

「だって、ライトがあるとおもしろくないんだもん! ここからが、本当のお化け屋敷だよぉ!」

 花ちゃんが両うでをバッと広げた。

 同時に、わたしたちを取り囲むように、たくさんの光る目が、ギョロッとこちらを見た。

 見られている気がしたのは、この目たちが原因なの!?

「……ゼロ」

 晴夜くんがわたしに、にこっとほほ笑みかける。

 でも、すぐに険しい表情に変わった。

「逃げるよっ!」

 ダッと走り出す。

「わあぁっ!?」

 足がもつれる……!

 転びそうになったところを、晴夜くんが引き上げた。

「そうなるだろうね。ドジでおっちょこちょいだもん」

 言い返す気にもなれないな……。

「花ちゃんが案内するねー! 2人とも、頑張ってついてきてね!」

 花ちゃんが、晴夜くんの前を空中浮遊する。

 わたしは、花ちゃんと晴夜くんになんとかついていく。

 2人とも速いよ……! もうヘトヘト……。

「……あっ。そっか、ごめん」

 晴夜くんが、わたしをチラッと見て、なぜか謝った。

 そして、何をどうやったのか、わたしを抱え上げる。

 ……って、お姫様抱っこ!?

 待って待って! それはあんまりにも恥ずかしいよっ!

「はいはい、表情がうるさいよー」

「なにそれ!?」

 晴夜くんは、わたしを抱えたまま、とにかく走る。

 晴夜くんの肩越しに後ろを見ると、たくさんのお化けが追いかけてきている。

 かなりの人数が、血をダラダラと流しながら……。階段の人体模型もいるし、晴夜くんが言っていた「血だらけのネコ」もいた。本当にグロい……。

 今度は、晴夜くんを見上げた。

「晴夜くん、怖くないの!?」

「ヘーキ、ヘーキ」

 そんな会話をする背後では、ドンガラガッシャーン! ガコーン! バコーン! っと、轟音が響いている。

 もう一度後ろを見てみる。

 タイミングぴったりに、大きな目玉が猛スピードで壁にめり込んだところだった。

 なんなんだろう、このお化け屋敷。

「みんな、ゼロちゃんが可愛いから、はしゃいでるんだよ」

「え?」

 反射的に、花ちゃんに顔を向ける。

 そんなこと言われても、わからない。

 わたし、とくに可愛くないし。

「え、ゼロちゃん可愛いよ?」

 そんなことないよ。だってモテないもん。可愛かったら、モテるはずだもん。いくら存在感0でも……。

 って、今はこんな話をする場面じゃなくない!?

「見て! あそこが、出口だよぉ!」

 花ちゃんが、小さな光を指さした。

 その光を目指して、晴夜くんと花ちゃんは一直線に走る。

 とうとう、光を通り抜けた。

「まぶしっ」

 わたしは、目を細める。

 お化け屋敷から離れたところで、晴夜くんはわたしを下ろした。

 大きな音がして、お化け屋敷を振り返る。

 建物は、ヒビが入って崩れ落ちていった。

「ええ……」

「あれ、どうすんの?」

「あとで、花ちゃんが直しとくよ。みんなも、もう避難したと思うし」

 花ちゃんの言う「みんな」は、お化けたちのことかな。

 それにしても……。

「怖かったぁ……」

 わたしは、地面にへたりこんだ。

 もうお化け屋敷なんて、ごりごりだよ……。

 わたしは、大きなため息をつく。

「ゼロが可愛かったから、僕は満足」

 晴夜くんが、わたしの顔をのぞきこんで、嬉しそうに言った。

 それ、どういう意味?

「さて、どういう意味でしょう?」

 むぅ……。すっごく怖かったんだからね。

「ずっと心臓バクバクだったから、お腹すいた。ご飯おごって」

「えー……んなめんどうな」

 晴夜くんは、ポケットからお財布を取り出した。

 それから、お財布を開いて……もしかして、本当におごってくれるの?

 冗談のつもりだったんだけど……。

「いくらあれば足りるかな……」

 お金持ってるの、いいなあ……。

 晴夜くんち、お金持ちだもんね。

 町の偉いお家だとか。

「偉いって言っても、自治してるだけだよ。それと、今日はそんなに持ってない」

 自治体の役割を果たしてるのが、そもそもすごすぎるんだよ。

 社会の勉強だと、ほかの市町村は仕組みが違うみたいだよ。

「この町はおかしくないからね。けっこうあるよ、そーゆーとこ」

 何を根拠に言ってるのかわからないけど、町から出たことがある晴夜くんが言うと、信じちゃいそうになるなぁ。

「ふぅーん。君のお家、そんなにすごいんだぁ」

 目が笑っていない花ちゃんに、晴夜くんがいぶかしげな表情を向ける。

 花ちゃんは腕を組んで、晴夜くんを少しにらんだ。

「……カフェとかある?」

 晴夜くんは、優しく語りかけた。

 睨まれたことは、気にしていないっぽい。

「うん。こっち」

 花ちゃんは、表情を変えないままうなずく。

 行き先を指さして、空中浮遊して進み始めた。

 花ちゃんといい、カンナちゃんといい、どうして晴夜くんに冷たい態度をとるんだろう……。

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