晴夜とゼロの近くて遠い恋物語

ねこしぐれ

第一章 ひばり学園の七不思議

トイレの花子さん

第1話 花子さんの噂話

 斜陽が窓から差し込み、薄暗いトイレを赤く照らす。

 何1つ音がせず、不気味な雰囲気を漂わせる。

 そんな怪しげな空間に、キィ……と歪な音が響いた。

 現れたのは、学園の女子生徒だ。

 出入り口から、そっと顔をのぞかせている。

 ゆっくり、小さな歩幅で中に入った。

 不安そうな表情で、1歩、2歩、3歩……歩みを進める。

 3番目の個室の前で立ち止まった。

 右手で扉を3回ノックして言う。

花子はなこさん、遊びましょう」

 しかし、トイレはシンと静まっているだけで何も変わらない。

 生徒は不満そうにしながらも、ホッと息をついた。

「なーんだ。ただの噂話じゃない」

 方向転換すると、トイレの出入り口へ向かう。

「ねぇ……」

 ギッ……と、生徒がノックした扉が耳障りな音を立て、生徒は反射的に振り返った。

 扉が、ほんの少しずつ開いていく。

 その隙間から、ギョロリとした2つの目が生徒を見つめた。

 生徒は恐怖に支配され、その場に立ちすくんで動けない。

 ゆっくり、ゆっくり……扉が開く。

 数センチの隙間が、大きく、広くなる。

 隙間が隙間ではなくなった。

 異質な雰囲気をかもし出す個室の奥から、生徒に向かって手が伸びてくる。

 生徒に手が届く直前、幼い少女の声がした。

「なんにも起こらないとでも、思った?」

 声のトーンは低くゆったりしており、生徒の恐怖をより駆り立てる。

 悲鳴をあげる間もなく、生徒は姿を消した。


 ❀


「トイレの花子さんかぁ……」

 4月中旬の暖かい日の放課後、わたし――神在月かみありづきれいは自分の席に座って独り言をつぶやいた。

 クラスメイトの女子2人が話している内容が、聞こえてきたんだ。

 トイレの花子さんを呼び出そうとした子が、いなくなってしまったらしい。

 女子のうちの1人は、花子さんは本当にいたんだと興奮気味に話している。けれどもうひとりは、気味が悪いと嫌そうな声を出す。

 この話は、最近いろいろな人がしている。いなくなってしまった生徒の名前は、一度も聞こえてきたことがないけれど。

 そもそも、何年生の話かもわからないし信憑性もないんだよね。あくまでただの噂話って感じ。

「花子さんの話、カンナも気になるなぁ」

 ふいに横から、おっとりした声がした。

 わたしは、ビクッと身体を震わせると同時に横を見て、ホッと息をついた。

「ビックリさせないでよ、カンナちゃん……」

 席にやってきたのは、大親友の橋田はしだカンナちゃん。

 ふわふわした雰囲気をまとっていて、桃色の瞳の可愛い女の子。初めて見たときは、アニメでしか見たことがない瞳の色に驚いちゃった。

 瞳は桃色だけど、髪は先まで真っ黒い。毛先がクルンとカールして丸っこくて、とっても可愛らしいボブなんだ。

「あらら、ごめんねレイちゃん。急に話しかけたらビックリするよね」

「ううん、全然平気だよ! 気にしないでね」

 すぐに謝ったカンナちゃんに、わたしは笑顔を返す。

 驚いたのは本当だけど、それで謝ってほしいとは思わない。

「そっか、よかった! ねえねえレイちゃん、カンナたちも噂話しちゃおうよ。トイレの花子さんのお話」

「する!」

 カンナちゃんとは、よくこんなふうに怖い話をする。話題になることが多いのは、わたしたちが通う中学校――ひばり学園の七不思議の噂話。不気味だけど不思議ですごく面白いんだ!

 キラキラと目を輝かせるわたしを見て、カンナちゃんはニコッと笑顔を見せた。

「本当にオカルト大好きだよね。朝読でもオカルトの本読んでるくらい」

「えへへ、つい……」

 わたし、カンナちゃんが言った通り、オカルトが大好きなんだ。オカルト系の話になると、つい舞い上がってしまう。

 わたしが照れ笑いすると、カンナちゃんはクスッと笑う。

「早く聞きたいみたいだから、すぐに話してあげる」



 こんな噂話、知ってる?

 北校舎の3階にある、古い女子トイレ。

 その3番目の個室には、花子さんがいるの。

 呼び出すときは、扉の正面に立ちノックを3回して「花子さん、遊びましょう」と言ってね。

 そうすると、花子さんが姿を見せてくれるとか……。

 花子さんを呼んだあなたの運命は2択。

 1つは、花子さんに出会わない。

 もう1つは、だぁれも知らない。

 花子さんを呼び出しに行って帰ってきた子は、みんな口をそろえて「花子さんはいなかった」と言うから。

 帰ってこなかった子は、どこへ行ってしまったんだろうね。



 話を聞き終わって、わたしはゴクリとツバを飲んだ。

 カンナちゃんの話し方は、ものすごく恐怖心をあおる。

 教室はまだ明るくて噂話をするには不向きなのに、カンナちゃんが話すと教室の温度が下がって薄暗くなった気がしてしまうくらい。

「きゃー、こわぁい」

 カンナちゃんはほっぺに手を当てて、怖がる仕草をする。

 どう見たって怖くなさそうだよ。

「冗談じゃなくて?」

 わたしは、聞いてみる。すると、カンナちゃんは首をかしげた。その仕草は、言動がふわふわしているカンナちゃんにピッタリで、とっても可愛い。

「カンナはちゃんと怖いけど……レイちゃんは怖くないの?」

「そんなことないよ」

 もちろん怖いと思う。でも正直、興味の方が勝っちゃうな。

 花子さんって本当にいるのかなー、とかね。

「それなら、レイちゃんも花子さんを呼び出してみたら?」

「え、わたしが? それは……遠慮しようかな」

 花子さんに連れていかれちゃうのは嫌だ。帰ってこられなくなっちゃうんでしょ? そんなリスクがあるなら、花子さんを呼び出すなんて危ないことできない。

「大丈夫だよ、レイちゃん!」

 カンナちゃんはにっこり笑うと、教室の入口に一番近い机で頬杖をついて、どこかを見つめているクラスメイトを指さした。

相滝あいたきがいるじゃない」

 わたしは、そーっとその子を見る。

 あご下まである銀髪のボブカットで、白を基調にしたブレザーがよく似合う。茶色いスラックスの裾は、サイズが身長にあっていないせいで、くしゃくしゃとシワになっている。

 じーっと見つめていると、カンナちゃんに「相滝」と呼ばれた男の子――相滝あいたき晴夜せいやくんはこっちを見た。

 大きな丸メガネをかけていて、その奥の目は見えない。いつだって、メガネが光を反射しているの。クラスメイトは、わたし以外の誰も彼の目を見たことがない。

 たぶん、晴夜くんと目があった。でも、晴夜くんが口を開く様子はない。

 わたしはカンナちゃんに向き直ると、コソコソと耳打ちした。

「晴夜くんは絶対、花子さんに興味ないよ」

「えー、そうかなぁ?」

 そうだよ。わたしのオカルトの話を娯楽程度にしか聞いてくれないんだよ? 覚えてくれてはいるみたいだけど……。

「それって興味があるってことじゃない? 興味がないと覚えていられないもん」

「うーん、そうなのかな?」

 わたしがカンナちゃんと話していると、パタ、パタ……と歩く音がした。それは、だんだん近づいてくる。

 わたしとカンナちゃんは、自然と話すのをやめた。

 ピタッと足音が止まると、シンとその場が静まった。

「何の話してるの?」

 背後から、元気な男の子の雰囲気の声がした。

 わたしとカンナちゃんは振り返る。

 わたしたちの後ろに、晴夜くんが立っていた。

「僕も一緒に話していいかな?」

 晴夜くんは、キュッと口角を上げた。

 相滝晴夜くんは、わたしの幼なじみ。家が隣で、小学校からクラスがずっと一緒なんだ。明るくて優しくてとっても元気な、最高の友だちだ。

 カンナちゃんとも仲良くしてほしいわけだけど……やっぱり現実は簡単にはうまくいかない。

「相滝に関係ある?」

 カンナちゃんは、晴夜くんを冷たく見る。

 実はカンナちゃん、晴夜くんのことが嫌いなんだ。理由を聞いてみたら「相滝は相滝だから信用ならないし、嫌いなの」って答えが返ってきたの。晴夜くんが晴夜くんだから信用できないって、どういうこと? って思ったけど、それ以上は何も答えてくれなかった。

 でも、さっきはわたしに、晴夜くんと花子さんを呼び出してみたら……みたいなことを言ってた。

 うーん、どういうつもりなのかなぁ。

「さっさと帰ったら?」

「僕をチラチラ見てるから、一体何の話をしてるんだろうと気になってさ。邪魔だったならごめんね。帰るよ」

 カンナちゃんの冷たい言葉に、晴夜くんはすんなりうなずく。

 いやいや全然邪魔じゃないし、帰らなくていいから! ていうか、帰ってほしくないんですけどっ! せっかく一緒に帰れる日なのに……!

「晴夜くん、待って。わたし、晴夜くんとカンナちゃんに仲良くしてほしいの」

 わたしは、帰ろうとする晴夜くんの右手首をつかんだ。晴夜くんはわたしを見て、困ったように眉を下げている。

 1年生のときから、カンナちゃんが一方的に晴夜くんを嫌っていて、いつからか晴夜くんもカンナちゃんを嫌がりはじめて犬猿の仲というか……。あのころは、同じクラスにもうひとり友だちがいてくれたから、今よりも平穏が保たれて良かったんだけどなぁ。

「おねがい、カンナちゃん。晴夜くんと仲良くしてくれない?」

 わたしはカンナちゃんに目を合わせてお願いする。

「そんなに仲良くしてほしいなら……頑張ってみるね。でも、レイちゃんのお願いだから頑張るんだよ!」

 カンナちゃんは、しぶしぶうなずく。それから早口で付け足した。

「晴夜くんも……」

「もっちろん! ゼロのお願いなら、なんでも聞くよ」

 晴夜くんはわたしが全部を言い終わる前に、胸に手をあてて元気に返事をした。

 わたしのお願いなら……って、なんか照れるからやめてっ。

「……ねえ相滝。お願い聞いてくれない?」

 カンナちゃんが、ムスッとしながら晴夜くんに話しかけた。

 不機嫌そうな顔を向けられて、晴夜くんも嫌そうにしている。

「……カンナさんのお願いねぇ……」

 晴夜くんは口をへの字に曲げて、ふいっとそっぽを向いた。

 ねえちょっと晴夜くん? 仲良くするって言ったよね……?

「言ってない。ゼロのお願いなら聞く、とは言った」

「カンナちゃんのお願いも聞いてあげてほしいな」

「うーん……」

 ああ、すごく嫌そう。

 カンナちゃん、こんな反応されたら悲しいよね……。

 そう思いながらカンナちゃんを見ると、ニッコニコの笑顔だった。でもいつもの笑顔じゃなくて、貼り付けたみたい。

「本当イライラさせるの上手いよねぇ、相滝」

 あわわ、カンナちゃん落ち着いて……!

「ちなみに、レイちゃんからのお願いだよ。『晴夜くんにお願いしたいけど、勇気が出ないからカンナちゃんから言ってほしいの』って頼まれたから、カンナが相滝に言っただけ」

 カンナちゃんがありもしないことを付け足すと、晴夜くんはコロッと笑顔になった。

「ゼロのお願いなら聞く!」

 待ってよ、わたしのお願いじゃないんだけど。そもそも、カンナちゃんが晴夜くんに頼もうとしていることって何?

「それで、どんな内容?」

 わたしが疑問に思ったことを、晴夜くんが聞いた。

 けれど、教室のどこかから「花子さん」という言葉が聞こえると、スンと真顔になった。

「あ、やっぱりいいよ。わざわざ聞くまでもないから。当ててあげる。オカルトだよね? どーせ『最近流行ってるから、トイレの花子さんを呼び出したい。でも1人じゃ不安だから、ついてきてほしい』とでも言うんでしょ」

「わあ、大正解」

 わたし、呼び出さないって言わなかったっけ。

 晴夜くんもカンナちゃんも、わたしを怖い目にあわせたいわけじゃないよね?

 わたしがこんなことを考えているなんて知らない晴夜くんは、あごに手をあてて首をかしげた。

「花子さんを呼び出したからって、良いことはないと思うよ。わざわざ危険なことをする意味ってなんなの?」

 そうだよ。そのとおり。

 ……って、カンナちゃんだけじゃなくて、わたしにも言ってるのか。

「それは――レイちゃんのためになるでしょ? 有名人の花子さんに会えたら最高だもん。ね、レイちゃん」

「えーっと……そう……かも?」

 カンナちゃんの圧を感じて、曖昧にうなずいてしまった。

 そんなに、わたしと花子さんを出会わせたいのかな。でも、花子さんに連れ去られたら、わたしは二度とお家に帰れなくなってしまうかもしれないわけで……。

 カンナちゃんは、わたしと会えなくなりたいのかな。

 そんなわけないよね……。だって大親友だもん。

「ゼロがそう言うなら、ついてってあげる。危ないことをしようとする幼なじみを、無視して放っておくわけにはいかないからね」

 うなずいた晴夜くんは、自分のカバンを持ってきた。

 そして、わたしのカバンも手に取る。

「さあ、レッツゴー!」

 さっきまでの落ち着いた雰囲気はどこかへ消え去って、小学生かと言いたくなるくらい元気に教室を飛び出した。

 ちょっと、もう行くの!? わたしのカバン返して!?

「置いてくよ〜」

「まっ、待って晴夜くん!」

 わたしは、慌てて晴夜くんを追いかける。

 花子さんがいるトイレに行くつもりだよ、絶対……!

「レイちゃん、いってらっしゃ~い」

 後ろから、カンナちゃんののほほんとした声が聞こえた。

 もう、カンナちゃんが変なこと言わなければ、花子さんのところに行かなくてすんだのに!

 そう言いたいのをこらえて、わたしはカンナちゃんに「また明日ね!」と手を振った。

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