第26話 クレア 回想 カクヨム版
私―――クレアは、子供の頃からカークスと言う男の子といつも一緒にいた。
彼に初めて会った日は今でも鮮明に覚えている。
私は小さな商店を営んでいた両親のもとに長女として生まれた。
小さな頃はお母さんにべったりで、私が五歳だった秋のある日、その日も店番をしていたお母さんについてお店で遊んでいた時、私と同じ歳くらいの男の子が一人でお店に来た。
その子は家のお使いで注文していた商品を取りに来たらしく、商品の準備ができるまでお店で少し待つことになったのだけど、その男の子は暫くして暇を持て余したらしく、私に話しかけてきた。
「僕はカークス。五才だよ」
何の屈託もなく私に笑顔を向けて来た男の子。私はこうしてカークスに出会った。
カークスとの出会いは鮮明に覚えている私だけど、彼のことをいつから好きになったのかは覚えていない。
彼のことを好きになるような特別な出来事があったわけでもないし、女の子みたいに可愛らしい顔をしていたこと以外に、特別目立ったところも無かった彼。
だから、いつの間にか好きになっていたとしか言えない。
いつから好きになったかは分からないけど、どこが好きかは一つだけ言える。
彼の全部が好きだ。
優しい所、物静かな所、落ち着いた雰囲気、周りに気を配れる所、時々見せる男の子らしい一面、乱暴な事はしない所、やさしい笑顔、ゆっくりと丁寧に喋る優しい口調、困った時の顔も、怒った時の顔も、悲しい時の瞳も、顔も、声も、柔らかい金の髪も、彼の匂いも、彼の全部が好きだ。
いつの間にかカークスがいない生活なんて考えられなくなった私は、彼が冒険者になって町を出るって聞いた時も当然一緒に町を出たし、彼が望むならどんなことも聞いてあげられた。
彼が私の傍にいてくれる限り、私は彼の為に何でもするつもりだった。
ただ、私にも絶対譲れない条件が一つだけあった。
それは、カークスが私から離れないこと。
ここまでは私の本音であり、表の面。
だけど私もそこまで鈍感じゃない。
本当は……いつも怖くて怯えていた。
もしかしたら、カークスは私の事が好きじゃないのかも、って。
ある程度大きくなった頃から、カークスが時々見せるようになった、私を見る時の瞳の色。
怯えた小動物のような瞳で私を見るカークスに、私はいつも心のどこかで、無意識に恐怖を感じていた。
町を出る時も、王都に着く前も、そんな瞳で私を見つめてきたカークス。
もし彼が私を嫌いになったら。
私と一緒に居たくないって言ったら。
だけど私は彼がいなければダメだし、彼も私がいないとダメなんだ。
だから王都に来て一緒に住んだし、恋人にもなった。
彼が毎晩飲み歩いても本気で怒った事はないし、もし他に好きな人が出来ても、私が一番であればそれを受け入れるつもりだった。
彼がクエストで大怪我をした時、もし彼が死んでしまったら私も死のうって、当たり前に思っていた。
だけど無意識に感じていた私の恐怖はいつまでも消えなかった。消えないどころか、そんな恐怖は日に日に大きくなっていった。
彼がいつか私のもとから去っていくんじゃないか。
今こんな事を言えば言い訳に聞こえるけど、私はもう限界だったのかも知れない。
カークスの口から、いつか”さよなら”という言葉が出るんじゃないかという恐怖に、もう耐えられなかった。
そんな時、私の前に現れたのがケントだった。
そして私は不安と恐怖から目を逸らすために、道を誤った。
♢♢♢
カークスがいなくなった後、私はホームでただ泣いていた。
最初の一日で涙が枯れつくした私は、それから動く人形のように、死んだように、ただ生きていた。
朝起きて、日が暮れるまでダイニングに座って、夜になったら寝る。
喉が乾いたら水を飲み、お腹が空いたらパンを齧る。
なにも見ず、なにも聞かず、なにも喋らず、なにも考えず、なにも思い出さず、ただそうやって人形のように生き、涙さえ流さず、ただ泣いていた。
「クレア……食事だけはちゃんと摂りなよ」
毎日のようにケントが来て、食料を置いていくのは知っていたけど、それでもただ泣いていた。
いったい何日そうやって泣いて過ごしたのだろう。
窓の外の新緑が日に日に濃くなっていく頃には泣き疲れ、ただボーっと窓の外を眺めて過ごした。
だけど時間は残酷だ。
あれほど悲しくて、泣く事しか出来なかった私の心も、時間と共に隙間が出来てくる。
お金の事や生活の事。
冒険者仲間の事やクエストの事。
日常の雑多な事やこの先の自分の人生の事が、そんな心の隙間に入り込んできて、カークスの居ない日常が否が応でも回り始める。
そんなある日。
朝起きて朝食を摂り、久しぶりに掃除を始めた私の所に、いつもの様にケントが食料を持ってやってきて言った。
「クレア、僕は王都を出る事にしたよ」
真剣な表情でそう言ったケントに、私は何の感想も持たずにただ黙って頷くと、ケントは意外な事を口にした。
「クレアも一緒に来るんだ。荷物を纏めて準備をしておいてくれ」
私も?
少しだけそう思ったけど、このホームで待ち続けてもカークスが帰って来ない事は分かっていたし、カークスの居ない王都にいる意味は無かった。
私はケントの提案に、別にどうでもいいかと頷いた。
その日から私は身の回りの整理を始めた。
必要最低限の荷物を残して、後は全て売るか捨てるかして、徐々に空っぽになっていく私達のホーム。
売る物捨てる物全てにカークスとの思い出があって、作業はなかなか捗らなかったけど、それでも三日後にはダイニングテーブルだけを残してホームの中は空っぽになった。
ダイニングテーブルだけ処分出来なかったのは、私の未練だったのかも知れない。
ホーム最期の夜、そのダイニングテーブルでパンと干し肉だけの食事をした私は、そのままテーブルに突っ伏して眠りについた。
翌朝。
初夏と言ってもいいような眩しい朝日が降り注ぐ中、ガランとしたホームを出た私は、最後にホームを振り返って、カークスと過ごした二年半を暫く目に焼き付けた後、門の外で待っていたケントと一緒に馬車に乗って王都を出た。
遠ざかっていく王都を一人で眺める。
カークスと町を出た時からずっと恐れていた光景。
私の不貞が直接の原因だけど、それがなくても、多分遅かれ早かれこの結末を迎えていたと、今なら思う。
その光景を瞳に焼き付けていた私の目から、とっくに枯れ果てていた涙が一筋零れた。
♢♢♢
こうして王都を出た私。
ただ、今までのクエストと違う点が一つ。
私達は二人じゃなくて三人だったこと。
ホームの前で私を待っていたのは、ケントともう一人、栗毛の若い女の子。
「ララっていいます。よろしくお願いします」
真新しい服とブーツ、細身の片手剣を持ち、大きめのバックパックを背負ったその子は十五才で、これからサポーター兼冒険者見習いとして、この旅に同行するとケントから紹介された。
ケントが何を考えているのかも、誰が一緒なのかもどうでも良かった。
王都を出てどこに行くのかも知らないし聞かなかった。
カークスを失った私にはこの先の人生なんてどうでも良かったし、意味も目的も無かったから。
こうして私達三人を乗せた馬車は王都を出て東へ進んだ。
最初に着いた町で簡単なクエストを受けたケントは、ただ突っ立っていた私と、緊張して少し震えているララって子を前に、一人で
全くの素人なララに、クエストの雰囲気に慣れて貰うためだろう。
大きな町には何日か滞在して、クエストを受け、ララに冒険者としていろいろな事を教えていくケント。
三度目のクエストで、ケントの補助を受けながら初めて
私はララに守られながら、クエストではただ突っ立ているだけだった。
別にクエストなんてどうでも良かったし、カークスと一緒に居たくて覚えた魔法を使う気にもなれなかったから。
そんな私を見ていたケントは何も言わない。
役に立たないどころか、お荷物なだけの私を、ただ黙って毎日クエストに連れていく。
馬車や徒歩で東へ進み、辿り着いた町で暫く滞在してクエストを受け、また東へ進む。
目的もゴールも分からない私たちの旅はこうして続いて行った。
だけどやっぱり時間は残酷だ。
三人で毎日一緒に過ごし、歩き、食事をする生活を、私は徐々に受け入れてしまった。
旅を始めて三週間ほど経ったある日。
その日も戦う二人を見ているだけだった私だけど、ララがピンチになった時に、無意識に魔法を使っていた。
「クレアさんっ!ありがとうございます!」
クエスト後、そう言って抱き付いてきたララと、そんな私たちを笑顔で見ているケント。
少しだけ心が暖かくなった私は、あの日以来、初めて笑みを浮かべていたことを自覚してしまった。
今まで何の感情も湧かなかった私は、その日以降、堰を切ったように様々な感情に襲われるようになってしまい、自分で自分がコントロールできなくなってしまう。
やけにやる気に溢れる日は魔物を一人でせん滅し、翌日は死にたい程の孤独と絶望に襲われて何も出来ず、宿のベッドで一日中泣いたりした。
突然性欲が溢れ、誰かに自分の身体をめちゃくちゃに壊されたい衝動に駆られる夜も何度もあって、そんな夜は疲れ果てて意識を失うまでひたすら自慰に耽った。
ケントはあの日以来、私に一切手を出して来ないけど、それもどうでもよかった。
カークスに必要とされない私の身体なんて、何の意味も価値も無い。
もしあのまま一人で王都に居たら、私は衝動を押さえ切れなくなって、誰かれ構わず男を漁り、落ちる所まで堕ちていたかも知れない。
そんなある夜、いつものように私が一人泣いていると、部屋に入ってきたララが私を黙って抱きしめた。
ララは何も言わず、ただずっと私を抱きしめてくれて、私は大声を上げて泣き続け、いつの間にか泣き疲れて眠りについていた。
その日以来、夜泣いている私の傍にはいつもララがいて、私が泣き疲れて眠るまで黙って抱きしめてくれた。
こうして目的が見えない旅が続くにつれ、私はララのお陰もあって少しづつ落ち着きを取り戻し、カークスのことも少しづつだけど冷静に考えられるようになっていった。
たぶんカークスは私の事が好きじゃなかった。
いや、好きだったかも知れないけど、それ以上に私に怯えていたことは今なら分かる気がする。
カークスとの終わりが怖くて私が不貞に走ったのが直接の原因だったけど、なんでそうなったのか、私の何がいけなかったのか、いつからカークスは私の事をそう思うようになったのか、そんな事を今更だけどずっと考えていた。
そんな時にフッと思い出すのは、あの公園でのエミリアの言葉だ。
―――私は彼のことなんて少ししか知りません―――
そう呟いた時の、エミリアの少し怒った悲しそうな瞳が脳裏に浮かぶ。
私はカークスの事は何でも分かっていたつもりだった。
小さいころからずっと一緒に居て、彼が何が好きで、何が嫌いで、何を考え、何に悩んでいるのか、ずっと分かっているつもりだった。
だけど、やっぱりエミリアの言う通り、私は彼の本心なんて本当は分かっていなかったんだと思う。
だからカークスが私に見せる怯えの色の意味が分からず、その事を口に出したら全てが終わってしまうという恐怖に怯えていた。
もし今、カークスに一目会えたら、私は彼に何を伝え、何を聞きたいのか、そんな事をいつも考えてしまうが、答えは出なかった。
こうして旅は続き、晩春に王都を出てから夏を超え、既に四ヶ月経とうとしていた初秋のある日、私達はとうとう王国の最東端にあるケフラー山脈の麓の町までたどり着き、その町でクエストを受けたあとケフラー山脈に向かい、その夜、私達三人は焚火を囲んで野営をしていた。
まん丸の月が晴れ渡った夜空に輝き、初秋の心地よい風が山の中を過ぎていく。
ララはブランケットに包まって軽い寝息を立てていて、最初の見張り番の私はパチパチと音を立てる焚火を挟んで、未だに寝ないケントと向かい合って座っていた。
私は黙って焚火を見つめ、ケントは焚火の向こうで夜空を見上げながら、私の知らない言葉の歌を口ずさんでいた。
ケントが時々口ずさむその奇妙で少し物悲しいメロディーを聞きながら三十分程経った頃、ケントが突然私に言うでもなく、独り言のように自分の生い立ちについて話し始めた。
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