第25話 カークス 回想3 カクヨム版

 王都近くの小さな森で一人剣の鍛錬をしていた所、森の中に誰かが入ってくる気配があったので、咄嗟に草陰に隠れて息を殺した僕の視界に映ったのは、見知らぬ冒険者の男と並んで歩くクレアの姿だった。


 長い黒髪を後ろで束ねた背の高い男と並んで歩くクレア。


 少し距離が離れているために何を話しているかまでは聞こえないけど、二人は楽しそうに会話をしながら、僕の視界の三十メートル程向こうで立ち止まると、向かい合って暫く見つめ合った後、長い口づけを交わした。


 その時の僕は何の感情も湧かずに、ただ茫然とその様子を見つめていた。


 長い口づけが終わり、軽く手を上げてから左右に分かれて歩き去っていく二人の姿が見えなくなっても、僕はその場でしゃがみ続けた。


(そっか……ソロじゃなかったんだ)


 最初に湧き上がってきた感情は、クレアがソロではなく他の冒険者とクエストに行っていることへの安心感。


 魔導士のクレア一人で危険なクエストに行かせてしまっている事への罪悪感が少し薄れた。


 次に湧いてきたのは脱力感。

 これですべてから解放された様な、呆気ない幕切れに肩透かしを喰らった様な、そんな気持ち。


 そして、最後に感じたのは寂しさや悲しさと言った感情。

 僕の心に残っていたクレアへの愛情が、そんな感情を訴えてきた。


 どれくらいそこでしゃがんでいただろう。

 辺りが暗くなり始めたことに気付いた僕は、漸く立ち上がると王都に向かって歩き出した。


 ♢♢♢


 王都に戻った僕は、まだクレアが起きているであろうホームには帰らずに、クレアとキスをしていたあの男が何者か確認する為に『月の雫亭』に向かった。


『月の雫亭』には運よくオッツォ達がいて、僕は彼らからあの男の情報をさりげなく聞き出した。


 名前はケントと言って、僕がクエストに出なくなった時と丁度同じ頃に王都に現れた冒険者で、誰も一緒にクエストを受けたことが無いけど、オッツォ達も彼の実力は高そうだと見ていた。


 性格は穏やかで、最初に王都に現れた時に、ここ『月の雫亭』でクレアと少し揉めた以外は特に問題を起こした事もなく、毎日ソロでクエストに行く姿がギルドで目撃されていた。


 そして、男の僕から見てもハンサムな彼は、女性冒険者の間で結構話題になっているらしく、既に何人かの女性冒険者に声を掛けられているらしいが、全く相手にしなかったらしい。


「カークスよ!おまえもうかうかしてらんねーな!まあ、お前にはクレアがいるから関係ぇーねーか!」


 そんな事を言ってくるオッツォに愛想笑いを浮かべながら、僕は心の中では安心していた。


 僕が見ても彼が悪い人間には見えなかったし、クレアを騙しているような事もなさそうだと、二人にとっては余計なお世話かも知れないけど、あのケントという冒険者なら安心してクレアの事を任せられそうな気がした。


 情けなくてズルい話だけど、結局僕は正面からクレアを説得して別れる道を捨て、彼女の不貞を利用して僕達の関係を終わらせようと考え直した。


 所詮僕は何年経っても成長しない、カークスのままだった。


 ♢♢♢


 翌日から、僕の心は今までにない程軽くなった。

 一人で冒険者になろうと決心した日のように、自分の未来を自由に選択できる。


 それこそ、エミリアさんが言ったように、自由気ままに世界中を見て回ることも出来るかもしれない。


 ただ、問題はこの話をいつクレアに切り出すかだった。

 クレアと別れるからには僕は王都には残らない。

 その足で王都を出て、暫くは冒険者として生計を立てながら今後の身の振り方を考えよう。


 その為には、今修理に出している剣が戻って来る八日後までは、クレアに気が付かれないようにしなきゃいけない。


 僕は今まで通りなるべくクレアとは顔をあわせないように生活しながら、少しづつ身の回りの整理を始めた。


 ♢♢♢


 その後の数日も問題なく過ぎ、僕の剣が修理から戻ってくる前日の夜。


 数日前に、クレアの後を付けたエミリアさんが、彼女の不貞現場を目撃してしまったイレギュラーもあったけど、僕が彼女の浮気に気付いている事はまだ知られていなかった。


 もう全ての荷物の整理は終わり、後は剣を受け取って王都を出るだけになった僕は、いつクレアが帰って来ても寝たふりが出来るように、ランプを消してベッドに潜りこんでいた。


 最期の問題はどうやってクレアに打ち明けるか。

 本当は直接顔をあわせてから別れたかったけど、以前町を出た時のようになったら困ると思い、明日クレアがクエストに行った後、置手紙を残しておく事にした。


 僕は最後まで卑怯で意気地なしだと乾いた笑いを浮かべたその時、ホームの扉が静かに開く音が聞こえた。クレアが帰ってきたんだろう。


 静かに階段を上って来るクレアの足音。

 僕が目を閉じて寝たふりをしていると、僕の部屋のドアを少し開けて、僕の様子を暫く伺っていたクレアの足音が一旦階段を下りた後、今度は二人分の足音がゆっくり階段を上ってきた。


 その足音を聞いた瞬間、僕の身体が震えた。


 昨夜、深夜過ぎまで時間を潰した僕がホームに帰ってきた時、ダイニングテーブルの上はぐちゃぐちゃに汚れていて、クレアの下着や服が濡れたまま脱ぎ捨てられていた。

 ダイニングに漂う淫臭に、僕はここで何があったかすぐ分かってしまい、ホームでそんなことをしたクレアが信じられなくて悲しくなった。


 たぶん、僕が寝ている事を確認した二人は、今からクレアの部屋で昨日と同じことをするのだろう。


 どうせ明日には王都を出るんだし、どうでもいいか。


 だけど、そうやって冷静を装っても寝られるわけがなかった。

 子供の頃からずっと一緒だったクレア。彼女がこれからすることをちゃんと確認して、この目に焼き付けて、僕の中に残った恋心を終わらせなきゃいけない。


 そう決めた僕はベッドをそっと抜け出すと、静かに廊下に出た。

 クレアの部屋のドアは何故か少しだけ開いていて、淡いランプの光と小さな囁き声がドアの隙間から漏れている。

 足音を立てないようにクレアの部屋のドアの前に立った僕は、十センチ程のその隙間から、恐る恐る中を覗いた。


 真っ先に目に飛び込んできたのは、立ったまま抱き合って、激しく舌を絡め合いながらキスを交わす二人の姿。


 クレアに嫌がる素振りは見られなくて、むしろ彼女の方から積極的にケントを求めているように見えた。

 

 ここで部屋に入ってクレアを糾弾できればどんなに楽だろう。

 だけど僕はただその光景を黙って見ていた。


 僕の部屋との仕切り壁に片手をついて、声が漏れないように片手で口を押えながら、立ったまま背後からケントを受け入れる彼女の銀の髪が、ランプの光を綺麗に反射する。


 僕があれほど恐れていた彼女の姿がやけに綺麗に見える。


 クレアが抑えているつもりの、その淫らな声がホーム中に響きわたり始める。


 これで僕が起きないと思っているのかな?なんてどうでもいい事を考えながらも、僕は圧倒的な悲しさと、少しの安堵を感じながら、ずっと二人が愛し合う様子を見ていた。


 それからどれくらい経ったのだろう。


 クレアを抱き締めながらキスをしていたケントが、突然僕の方に顔を向けた。


 その瞬間、僕はケントと確実に目が合った。


 だけど、恋人を寝取られても何も言えずに、隙間から覗いている惨めな僕をジッと見つめた彼の目は、僕を笑ったりはしていなかった。


 僕の心の内を探ってくるような冷静なその目は、僕に何かを問いかけてきている気がした。


 そうやって数秒僕と見つめ合っていたケントは、声を出さずに口だけで僕に何かを言ってから、目を逸らした。


 ♢♢♢


 翌朝、クレアがクエストに出て行く音を聞いた僕は、静かに目を開いた。


 本当だったら、すぐ置手紙をして、エミリアさんがクエストに出る前に挨拶をした後、剣を受け取って王都を出る予定だったけど、僕は昨夜ケントが僕に向かって言った事が気になっていた。


 僕を嘲ったり、罵ったりする言葉じゃない事は感じていた。


 たぶん今夜、またここで昨夜と同じことが行われるのかも知れない。

 その時、ケントが言いたかったことが分かるかも知れないと、何となくそう感じた僕は、今日の出立を取りやめて、その時が来るのを待った。


 ♢♢♢


 そしてその夜。


 ずっと外出していた僕が昨夜と同じ時間にホームに帰ると、やはり今夜も二人がホームで愛し合っていた。


 今日もクレアの部屋のドアは僅かに開いていて、ホームに入った瞬間から聞こえてきた彼女の嬌声が一段と大きく聞こえてくる。


 僕がドアを少しづつ開けて部屋の中に入ると、ケントは僕に顔を向けた後、ベッドの横の椅子に座るように顔を振った。


 ああ、そうか。

 ちゃんとクレアにお別れをしろって事か。


 ただ黙って逃げ出そうとしていた僕だけど、最後はケントの言う通りちゃんとお別れするべきだろう。彼の指示通り椅子に座ってから、目隠しされたクレアを間近で見下ろした。


 僕の目の前で激しく乱れていくクレア。


 彼女の口から卑猥な言葉とケントへの愛を言わせているのは、僕の前でその言葉を言った事を、後で彼女自身に認識させるためだろう。


 ケントにお礼を言う気はないけど、やっぱり置手紙じゃダメだったと今は分かる。


 そして、僕の目の前で高みに昇って行くクレア。


 僕は彼女が裏切った事を責める気なんてさらさらない。

 そのずっと前から、僕が彼女に気持ちを隠し、騙し、逃げて来たのだから。


「クレア…ごめんなさい……」


 目隠しを外されたクレアと目が合った瞬間、今までの思い出が堰を切ったようにあふれ出てきた僕は、やっぱり最後にその言葉を口にしていた。


 ♢♢♢


 いつの間にか流れていた僕の涙が、彼女の顔を濡らしていくのを暫く眺めていた僕は、ヨロヨロと立ち上がってクレアの部屋を後にしようとしたが、僕の背中にケントが声を掛けて来た。


「カークス君、初めてじゃないけど初めまして」

「……」

「君には悪いと思ってるけど、僕は謝らないよ」

「……」

「僕はクレアを愛してる。まあ、彼女が僕の事をどう思ってるかは分かってるけどね」

「……」

「ああ、あと、クレアは明日の昼まで起きないから」



「……僕もお礼は言わないよ」


 最後の最後までケントにお膳立てをしてもらった僕は、やっとその一言を口にすると、自分の部屋に戻った。


 その後の事は分からない。

 薄情なようだけど、全てが終わった開放感と安堵から、僕はあっという間に深い眠りに落ちたのだから。



 ♢♢♢


 翌朝。


 どういう理由かは分からないけど、ケントの言った通り、いつも早起きのクレアはまだ眠っていた。

 ケントのお膳立てのお陰で、クレアに見つからずにホームを後にすることが出来る僕は、最後に二年半過ごしたホームの各部屋を一通り見て回る。


 ここ半月程はクレアも僕もホームでは殆ど過ごしていなかった為に、生活感の無い各部屋の様子がやけに寂しかったけど、感傷に浸っている暇はなかった。


 昨日受け取っておいた、修理が終わった剣を下げ、必要最低限の身の回りの物を詰めたバックパックを背負った僕は、もう二度と戻る事の無いホームを出ると、振り返らずにギルドに向かい、クエストに行く寸前のエミリアさんを捕まえて、最後のお別れや、迷惑ついでに幾つかのお願いをした。


 王都を出た僕が行こうと思っているのは、観光都市ヴィーヴィル。


 ヴィーヴィルを選んだ理由は、僕がまだ海を見たことが無いことと、王都に近くて道中が安全で、馬車に護衛の冒険者が付かないこと。


 暫くはヴィーヴィルでのんびりしようか。

 当分はゴブリン数匹の簡単なクエストで日銭を稼ごうか。

 そのうち、こんな僕でもパーティーを組んでくれる仲間が出来るかもしれない。

 その後はどの町に行こう。いつか王国を出て、他の国に行くのもいいかも知れない。

 その後の事はその時に決めよう。


 何の計画も予定もない、明日をも知れない未来がやけに明るく感じる。


 僕は、今だクレアが眠っている王都が視界の向こうで徐々に小さくなるのを眺めながら、そんな未来に想いを馳せつつ、王都に、これまでの自分に別れの挨拶をした。


「クレア……ごめんね……今までありがとう」


 その瞬間、クレアを恐れていた今までの自分が急にちっぽけに、馬鹿らしく感じた僕は、小さく自嘲の笑みを浮かべていた。


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