第24話 カークス 回想2 カクヨム版

 色々な町に寄りながら冒険者としての経験を積んだ僕とクレアは、町を出て半年後に王都に辿り着いた。


「ここでお店を開くんだから、ちゃんとしたホームを借りなきゃね」


 そう言ったクレアの提案に、僕はもう反対する勇気も気力も無くなっていた。


 何度も黙ってクレアの下を去ろうと考えては、僕の理性と良心と情と、今も残る彼女に対する恋心がその考えを打ち消した。

 そんな、ただただ神経をすり減らしていく毎日に、僕が唯一思いついた逃げ道は、クレアに嫌われること。


 お酒に溺れるふりをして明るく楽しく振舞う。

 家事を手伝わずに、だらしない生活をする。


 そんな生活を続けていれば、クレアもいつか僕に愛想を尽かしてくれるだろうという希望だけが、僕の生きる原動力になっていた。


 そんな生活を続けながらも、僕にはまだ未練が、プライドの欠片が残っていた。


 いつかは彼女に並び立てるような、立派な冒険者になりたい。


 彼女に対する恋心を核とした、そんな気持ちが残っていた僕は、彼女に知られない様に毎日剣の修練だけは惨めに続けていた。



 そんな先の見えない生活を続けて、丸二年目を迎えようとしていた秋の日。


 僕はいつもの様に酔えないお酒を飲んで、わざと遊んでるふりをした後、いつもの公園で日課の鍛錬を始めた。


 未練かもしれない、惰性かもしれない。


 それでも、何も考えず、ただ無心になれるこの時間が僕は好きだった。


 どれくらい剣を振りつづけただろうか?


 自分の呼吸音と木刀が風を切る音だけしか聞こえなかった公園に、何かが折れるパキッという音が響き渡った。


(っ!クレア!)


 クレアにバレたのかと考えてしまった僕が咄嗟に音がした藪に目を向けると、一人の女性が藪の中から立ち上がって僕に頭を下げた。


 ミルクティー色の長い髪を揺らしたその女性を、僕は見た事があった。

 確か、『フライング☆ベター』のエミリアさんだ。


 なぜ彼女がこんな時間にここに居るのかは分からないけど、クレアじゃなかった事に僕は安堵の息を吐いた。


「君は確か……『フライング☆ベター』のエミリアさん?」


 僕の問いにエミリアさんは再び頭を下げると、街中で僕を見掛けて、興味本位で付けて来たと、彼女がここにいる理由を説明してくれた。


 尾行にも隠れている彼女にも気づかなかった僕は、やっぱり冒険者としての才能が無いと思ってしまったけど、クレアにさえバレなければそれでよかった。


「このことは二人だけの秘密にしてくれるかな?」


 こんな時間に一人鍛錬している事を知られた恥ずかしさから、彼女にそう口止めした僕は慌てて公園を去った。


 翌日から時々エミリアさんが姿を見せるようになり、いつの間にか毎夜のように公園に来るようになった。


 時々は僕の鍛錬に付き合ってくれる事もあるけど、大抵は隅にある大きな石の上に座ってニコニコしながらずっと僕の鍛錬を見ている事が多かった。


 なぜ来るのかも分からないし、僕の鍛錬なんか見ていて楽しいのかとも思う。


「はい。楽しいです。ご迷惑だったら止めますけど」


 そう言ってニコニコ微笑むエミリアさん。


 彼女は誰かにこの鍛錬のことをを話したりもしないし、別に迷惑でもなかった。


 逆に、彼女がいると子供の頃にルーシィといた時を思い出す。


 エミリアさんとルーシィは見た目も性格も違うのに、何故かルーシィと黙って空を眺めていた時のような安らぎを感じていた。


 そんな鍛錬の時間以外の僕の生活は変わらないまま時間だけが流れていき、冬が訪れた。


 ♢♢♢


 寒い初冬のその日、いつもの様にクレアとクエストに出かけた僕は、小鬼ゴブリンと戦っている時に突然思った。


(今ここで僕が死ねば、僕たちにとっては良いことかも)


 お互いが解放されるという意味では、これ以上良い案が無いと思った僕は、小鬼ゴブリンが振り下ろした石斧に向けて咄嗟に頭をずらした。


 だけど、死に対する恐怖が僕のどこかにあったのか、ほんの僅かに致命傷を避けるように動いてしまったんだ。


 結局それが原因で僕は助かってしまった。


 クレアは泣き喚きながらも僕を助けてくれて、運の悪いことに、逃げた村には他のパーティーがたまたまいて、ヒーラーの女性が応急処置をしてくれた。


 王都の治療院で本格的に治療された僕は、数日入院した後、ホームで療養することになった。


 毎日付きっ切りで看護してくれるクレアや、お見舞いに訪れてくる多くの友人には、申し訳なさでいっぱいだった。


 もしあそこでちゃんと死ねていれば、こうして皆に迷惑を掛ける事も無かったし、その原因がわざと死のうとしたからなんて言えなかったからだ。


 結局僕は何をしても上手く出来ない。


 ♢♢♢


 怪我をした後、僕の日常に幾つかの小さな変化があった。


 一つは僕とクレアが恋人になったこと。


 とは言え、僕の気持ちに何か変化があったわけでもない。


 僕の看病をしているクレアに恋人になって欲しいと言われた僕は、今までずっとそうしてきたように、機械的に彼女の意見に従っただけに過ぎない。


 ただ一つ困った事といえば、恋人になった事で、クレアが僕と身体のつながりを暗に求めてきた事だった。

 僕も一応若い男だし、長年クレアの傍にいた僕にはそれくらいの事はわかる。


 キスくらいだったら問題は無い。物理的に可能だから。


 だけど、それ以上の事を求められた時、僕の身体が反応してくれなかった。


 彼女をまた失望させて、慰められる自分を想像すればするほど僕は役に立たなくなっていき、何とか途中まで頑張ったけど、結局適当に誤魔化してしまった。


 幸いだったのはクレアもこういうことが初めてだったらしく、こんな僕の状態に疑問を抱いていない事だった。


 結局その後の二か月で二回ほど同じように頑張って見たけど、結果はドンドンひどくなる一方で、僕は三回目を最後に、そう言う雰囲気にならない様に努力する事で、クレアから逃げ出した。


 そんな僕とクレアの関係以外でも一つ変化があった。


 夜の鍛錬で、今までは黙って見ていることがほとんどで、鍛錬が終わった後にとりとめのない雑談をする程度だったエミリアさんが、僕の事について色々と聞いて来るようになった事だ。


 初めは、心に抱えているものを悟られない様に適当に誤魔化していたけど、いつもはニコニコしている優しい雰囲気のエミリアさんが、真剣な表情で、その大きな瞳で、まるで僕の心の内を見透かすかのように見つめて来ると、僕は次第に彼女に対して、その心の中のどす黒いものを吐き出すかのように少しづつ口にしていた。


「それでも……私は違うと思います」


 うん。僕も分かっているんだ。

 本当はもっと早く、町を逃げ出した時、いや、ルーシィとの事があった時に僕はケリをつけるべきだった。


 だけど、分かっていても、今も昔も、弱くて臆病で卑怯な僕はこんな事で現実から逃げる事しか出来ない。


 例え後になって、王都にいた頃に決着をつけていればって後悔することが分かっていても。


「もうそんな事、絶対しないって誓ってください!」


 僕には瞳に涙を溜めてそう言ってきたエミリアさんに、ただ頷く事しか出来なかった。


 ♢♢♢


「剣を壊しちゃったんですか?」

「……もしかして、それもワザと……ですか?」


 ある夜、クエストで剣を壊してしまった事を話した僕に、エミリアさんは真剣な表情で詰め寄ってきた。


 わざとかと聞かれれば自分でも分からなかった。

 僕の剣が小鬼ゴブリンに当たらないと分かっていて、振り抜いた先に大きな岩があることも分かっていて、それでも全力で剣を振り抜いただけ。


 その後の事とか、死のうだとかも考えていなかったけど、わざとと言えばわざとかも知れない。


 もう自分が何を考えているのかも分からなくなっていたことに、少し驚いた僕だったけど、そんな僕の頭をエミリアさんが突然抱きしめて来た。


「もう絶対そんなことしないって約束したじゃない!」


 そう言って僕に怒るエミリアさんの声が震えていることに気付いた僕は、彼女にまた心配を掛けてしまった事を後悔すると同時に、僕に伝わってきた彼女の体温と、トクントクンと優しいリズムを刻む心音に、今までにない程の安らぎを感じていた。


 もうエミリアさんに心配を掛けない為にも、僕とクレアの関係に決着を付けなきゃいけないのかも知れない。


 ♢♢♢


 翌日、僕はクレアに初めてプレゼントとして貰った剣を持って夜の鍛錬に向かった。


 クレアには売って飲み代にしてしまったと、わざと失望させることを言って隠してたけど、もうこの剣を持っている訳にも行かない。


 別にクレアと過ごした日々すべてが嫌な事ばかりじゃなかった。

 この剣をプレゼントしてくれた時のクレアの、屈託のない嬉しそうな笑顔を思い出すと、今でも僕の中に残っている彼女への恋心がズキズキと痛みだす。


 それでも少しでも前に進むためには、この剣は手放すしかなかった。


 そんな感傷を抱きながら、最後に思い出の剣を振っていると、いつもの様にエミリアさんが姿を見せた。


「この剣を私が?」


 僕がその剣を預かってほしいというと、エミリアさんはキョトンとしてそう問い返して来た。


 決着と共に、僕の気持ちをクレアに返す為には、売ることは出来ない。

 だけど、自分が隠し持っていても、結局今までと同じようにクレアとの関係がズルズルと続いて行くような気がした僕は、エミリアさんに預けることで自分の退路を断った。


「分かりましたっ!その代わりいつかお礼してくださいねっ!」


 明るく引き受けてくれたエミリアさんを見て、僕の弱さが彼女に迷惑を掛けてしまう事を申し訳なく思った。



 ♢♢♢



 そう決心した僕だったけど、王都に来る前に僕の気持ちを打ち明けた時のクレアの様子を思い出す度にあの時の恐怖が蘇って来て、いつ別れを切り出して良いか踏ん切りがつかなかった。


 クレアは毎日一人でクエストに行っていて、僕はその間、昼間の公園で剣の鍛錬は迷惑になるだろうからと、王都近くの人目に付かない場所で剣の鍛錬をしていた。


 朝早くクエストに行くクレアと会わないように寝た振りをして、彼女が出かけた後に簡単な食事を摂ってから、剣の鍛錬に王都を出る。


 夕方まで鍛錬を続けた後に、彼女に会わないように早めに王都に戻って飲みに行った振りをする事もあるし、夜まで鍛錬してからこっそりと王都に戻り、夕食を外で済ませて、クレアが寝る時間まで夜の公園で鍛錬を続ける事もあった。


 毎日一人でクエストに行っているクレアには申し訳ないけど、こうして殆どクレアと顔をあわせない様に生活をして数日が経ったある日。


 僕はその日も王都近くの小さな森で一人剣の鍛錬をしていた所、森の中に誰かが入ってくる気配があった。


 僕は誰かに見られてもそれ程問題は無かったけど、こんな人気のない場所に来るって事は、逆に向こうが見られたくないのかと、僕は咄嗟に草陰に隠れて息を殺した。


 そんな僕の視界に映ったのは、男の冒険者と並んで歩くクレアの姿だった。


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