第21話 エミリア 回想5 カクヨム版
クレアさんとケントという冒険者の密会を目撃して暫く経った日の朝。
クエストを受けたパーティーの皆とギルドを出ると、大きなバックパックを背負ったカークスさんがギルドの外に立っていて、私の姿を見ると声を掛けてきた。
「おはよう。エミリアさん」
「えっ!?……カークスさん……どうしたんですか?」
「朝からごめんね。少しだけ時間いいかな?」
こんな朝からカークスさんがわざわざ私を尋ねてきたって事は、何かあったに違いない。
今日のクエストは私がいなくても特に問題がない比較的楽なクエスト。
パーティーの皆には申し訳ないが、カークスさんの話しをちょこっと聞いてお終いにできる訳がなかった。
「すみません!今日のクエストはお休みさせてください!」
私はキョトンとしているリーダーにそう言って頭を下げると、カークスさんの袖を引っ張ってギルド近くのカフェに入った。
時間を潰している冒険者が数人いるだけの、比較的閑散としたカフェ。
私達は適当に注文を済ませてから空いている席について向かい合う。
「ごめん。そんなに時間を取らせるつもりは無かったんだ」
そう言って頭を下げたカークスさんは、いつものような寂しそうな笑顔じゃなくって、少しはにかむような笑みを浮かべた。
「私は大丈夫です……何か…何があったんですか?」
「……僕、王都を出ようと思って」
カークスさんのその一言に、私は驚きよりも大きな安堵を感じてしまう。
「王都を……何があったんですか?」
彼がそう決断した理由が、クレアさんの不貞にあることは想像出来たけど、それを知っていながら見て見ぬ振りをしていたカークスさんに、いったい何があったのだろう。
何となく想像出来たけど、その理由を聞かずにはいられなかった。
「……僕がクレア…彼女の浮気を知っている事を、彼女が知ったんだ」
「そうですか。とうとう……」
いったいどういう状況でどうなったのか、詳しい話はどうでも良かった。
大事なのは、不貞をカークスさんに知られてしまった事をクレアさん自身が認識した事。
「うん」
「じゃあ、クレアさんとは別れて……」
「……いや、ハッキリ別れたってことにはなっていないんだ」
「えっ?じゃあ、王都を出るって……」
「彼女はまだホームで寝ているんだ。だからその間に王都を出よう思ってる」
「それって……」
「……僕も彼女達のお陰で決心がついたし、彼女も僕がいなくなった理由は分かるだろうから」
ハッキリと別れを告げずに曖昧なまま姿を消す事は良くないに決まってるけど、クレアさんに取り返しのつかない負い目がある今だからこそ、カークスさんがクレアさんから離れようと決心出来た事は良かったのだろう。
「カークスさんがそう決心出来たんなら……私は良いと思います」
「……結局僕は最後まで彼女に対して誠実じゃなかった。卑怯でズルいとは思ってるけど、今の僕にはこうすることしか……」
「そんなに自分を責めないで下さい」
「ありがとう。……で、エミリアさんにはずっと話を聞いて貰ったり、相談したり、色々迷惑を掛けたから、最後にちゃんと報告と挨拶をしようと思ってさ」
「迷惑だなんて……私こそ鍛錬の邪魔をしたり、余計な詮索をしたりして……結局こういう結果になった責任は私にも……」
「ううん、君がいてくれたお陰で、話を聞いてくれただけで僕は助かった気がする……だから君には凄く感謝してる」
そう言ってカークスさんは微笑んだ。
無理に作った他人向けの笑顔とも、私が半年以上見てきた寂しそうな笑みとも違う。
私が初めて見る、優しく落ち着いた素敵な笑顔。
そんな笑みを浮かべたカークスさんの瞳からは、今まであった怯えや恐怖の色が消えていた。
「それとは別に、君にいくつかお願いがあるんだけど……」
「お願いですか?」
「うん、最後の最後まで君に迷惑ばかり掛けて申し訳ないんだけど、こんなことお願い出来るのは君しかいなくって……」
「良いですよ、私にできる事だったら」
私だけを頼ってくれるカークスさん。
そんな一言が凄く嬉しくて、チョロい私は二つ返事で頷いた。
ただ、彼が王都を出ると言った瞬間に、自分自身がこの後どうしたいか、いや、どうすべきかを既に決心してしまった私に、打算があった事も否定できない。
「僕が急にいなくなって、オッツォ達や他の皆に心配を掛けるかもしれないから、僕が王都を出た噂をそれとなく流して欲しい」
「分かりました。誰でも良ければ……それとなく話しておきます」
「……あと、半月ほど前に君に預かって貰った剣、あの剣をクレアに渡して欲しいんだ」
「あの剣をクレアさんに?」
「うん、無理にとは言わないけど、できれば……それと……クレアに伝言を」
もうホームには戻らずにこのまま王都を出ると言ったカークスさんは、最後のお願いを口にした後、冷えたお茶を飲み干してから席を立つと、曇りの無い笑顔で私に右手を差し出して来た。
「エミリアさん、色々と迷惑を掛けてごめんね。でも、君と出会えてよかった。本当に楽しかったし、助かったよ」
「私こそありがとうございます。毎晩カークスさんとお話するの、凄く楽しかったから、これから寂しくなります」
私も席を立ち、カークスさんが差し出した右手を少し見つめた後、その手をそっと取って……
「……カークスさんはこれから何処に向かう予定ですか?」
私にとっての本題をさりげなく口にした。
「うん、僕、まだ海を見たことないから、ヴィーヴィルに行ってみようと思う」
「……そうなんですね」
王都から南西に馬車で四日の場所にある、海に面した中規模の観光都市ヴィーヴィル。
今のカークスさんの自然な口ぶりから嘘じゃないと思った私は、店を出て行ったカークスさんが見えなくなってから、すぐに今後に向けての行動に移るべく、そのままホームに戻ってすぐに荷物の整理に取り掛かった。
持って行くものは必要最低限。
余分なものはお金に変えて、持っていけないものは、迷惑を掛けるパーティーの皆にせめてもの謝罪の気持ちとして置いていく。
意外と持ち物が多く、午後三時まで掛かってすべての荷物を整理し終えた私は、カークスさんから預かっていた剣を手に、カークスさんのホームに向かった。
ホームに居ればいいけど。
二人のホームが見えてきたその時、ホームから慌てて飛び出してきたクレアさんとタイミングよく鉢合わせした。
「ちょっと話があります。ついて来てください」
クレアさんはカークスさんがいない事に気付いているらしく、そう声を掛けた私に向けて、イライラとした怒りを剥き出しにしてぶつけてきた。
と、思ったら、急にニコニコして私のご機嫌を伺うような猫なで声を出した。
「そっか!カークス、あなたの所にいるんでしょ?でもごめんね。彼、今日は私と一緒に過ごすから。彼の所に案内して?」
「っ!」
そんなクレアさんの正気ではない様子から、私は初めてカークスさんが言っていた「クレアは僕を離してくれない」という意味が分かった気がした。
クレアさんはもう……いや、たぶんずっと昔から……
そんな事を感じた私は一瞬胸が苦しくなったけど、カークスさんとの約束をはたさなきゃいけない。
その場所はもう決めていた。
あの、毎晩カークスさんと語り合ったあの公園。私もカークスさんのことを責められるような良い人間じゃなかった。
♢♢♢
夕方の公園には誰もおらず、ここで毎日剣を振るっていた冒険者のことなんて忘れたように静まり返っていた。
いつもカークスさんの鍛錬を眺めていた石に腰を下した私は、ここであったカークスさんとの大切な思い出を一つ一つ振り返った。
「ねえ、聞いてるの?カークスの所に案内してくれるって言ったじゃないっ!」
すると、私の様子に苛立ったクレアさんが、また態度を変えて私に詰め寄って来る。
自分で連れてきておきながら、自分の感傷を邪魔されたことに少しイラっとした身勝手な私は、クレアさんの想いにキッチリ止めをさすという言い訳をして、また余計な事を口にしていた。
「でもほんとに良かったです。私の憧れのクレアさんが、駆け出しに毛が生えた程度の実力しかないくせに、あんなお酒ばっかり飲んで、毎日遊び回って、クレアさんをほったらかしにしているクズのカークスさんを捨てて―――」
その瞬間飛んでくるクレアさんの拳。
思ってもいないカークスさんの悪口を言ってしまった罰として素直に受けようと思ったけど、この罰をクレアさんから受ける必要がないと思い直し、その拳を止める。
「ふざけるなっ!離せこの泥棒猫っ!アンタにカークスの何が分かるっ!」
私は泥棒なんてしてないし、もし今後カークスさんと何かあったとしても、クレアさんにそう言われる筋合いは無いから、そんな事言われてもなんとも思わない……最後の一言以外は。
私が掴んでいた手を軽く押すと、彼女は数歩後ろによろめいて尻もちをつき、鬼のような形相で私を睨んできた。
「エミリアッッ!殺してやるっ!」
そうだ。クレアさんの言っている事は間違っていない。
子供の頃からカークスさんと一緒だったクレアさんは、私よりずっと長い間カークスさんを見て来て、話して、触れてきた。
私の知らない事も数えきれない思い出として持っているに違いない。
「それに、さっきクレアさん私に言いましたよね?”アンタにカークスの何が分かる”って……クレアさんはカークスさんの事、全部分かってるんでしょ?彼が何を考え、何に悩んで、何が嫌いで、本当はどんな人だったかっ!」
「私は彼のことなんて少ししか知りません。だから私に聞くより―――」
私は彼がいつも使っていた歪な木刀を藪から拾い上げると、彼が毎日鍛錬していた窪みに立って、目を閉じて彼と同じように構える。
だけど、私にも……私だけが知っているカークスさんがいる。
彼はズルくて弱虫で卑怯で……普通の才能しかないただ優しいだけの普通の人。
彼女の愛に圧し潰されそうになって逃げ出しても、それでもここで毎日剣を振っていた。
一年にも満たない短い付き合いの私だって知りえたカークスさんの本当の気持ちを、何でずっと一緒にいたあなたが気付いてあげられなかったのか。
私はカークスさんが本当に言いたかった想いを、その不格好な木刀に乗せて、数度空を切り裂いた。
でも、もうそれも全て終わり。
私は私がクレアさんに言いたかったことを言い終えると、ここにクレアさんを連れて来た本題―――カークスさんからのお願いを果たそうと、気持ちを切り替えていつもの笑顔を浮かべた。
「そうそう、私がクレアさんをここに連れて来たのはそんな事が言いたかった訳じゃなくて、カークスさんはもう王都に居ないってことを伝えるためです」
私のその一言で取り乱すクレアさん。
「嘘よっ!だってカークスは今朝いたもの!ただふざけて隠れてるだけなのっ!私の傍から離れないって!ずっと一緒だって!……私のこと好きだって……愛してるって言ったものっ!!」
だけど、彼女だって心のどこかで分かっていたはずだ。
「そうそう、あとこれもです。クレアさんにこれを渡してくれって……ほんとどうしようもない男ですよね。私にこんな面倒くさい事を押し付けて、自分はさっさと……」
カークスさんから託されたその剣にどんな思い出があるのかは、私には分からないし、別に知りたいとも思わない。それは二人だけの大切なものなのだから。
「カークス……ごめんなさい……ごめんなさい……」
だから、その剣を受け取った瞬間、ポロポロと大粒の涙を流してカークスさんへの謝罪を何度も口にするクレアさんを見て……
「最期に伝言です……お前みたいな浮気…………」
あなたが浮気をしてくれたおかげでカークスさんは救われたと、最期にトドメを刺そうとした私は、嘘の伝言を口にしようとして……
だけど、彼女の流す涙は……カークスさんに何の打算もない純粋な愛を向けていた彼女の想いは本物で……
だから本当はクレアさんも、心のどこかでカークスさんの本当の気持ちに気付いていたんだろう。
同じ女としてクレアさんの気持ちが分かってしまった私は、いつの間にか涙を流している自分に気が付かず、剣と共に託された、彼女に対するカークスさんの想いをそのまま口にした。
「”今までありがとう” そして…… ”さようなら”」
♢♢♢
今の私にこれ以上出来る事は無かった。
いつまでも泣き崩れているクレアさんを背に、夕闇が迫る思い出の公園を後にした私はホームに帰ると、すでにクエストから帰ってきていたパーティーの皆に全力で謝罪した後、今日でパーティーを抜けさせて欲しいとお願いした。
今朝、カークスさんが私を訪ねてきた事で何か感じる事があったのか、皆は私の今後の身の振り方も詮索しないで、別れを惜しみながらも快く送り出してくれた。
パーティー名はアレだけど、本当に良い人達と一緒に今まで冒険者をやれたことは私にとって大切な財産になったと思う。
今後どういう形になったとしても、落ち付いたら改めてお礼に来ようと私は誓った。
その夜、ささやかな送別会を開いて貰った席で、カークスさんがもう王都にいない事をみんなに伝え、彼からの最後のお願いを果たした私は、その晩は明日に備えて早めにベッドに潜った。
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